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ラザロの蘇生問題について

On resuscitation Lazarus

Raising of Lazarus, 6th-century, mosaic, church of Sant'Apollinare Nuovo, Ravenna, Italy

池田光穂

ラザロ(古 代ギリシア語: Λάζαρος、ラテン語: Lazarus)は、ユダヤ人の男性で、イエス・キリストの友人。『ヨハネによる福音書』によればイエスによっていったん死より甦らされた。日本ハリスト ス正教会ではラザリと転写される。キリスト教の正教会、非カルケドン派、カトリック教会、聖公会で聖人。記念日は6月21日。エルサレム郊外のベタニアに 暮らし、マリアとマルタの弟で、共にイエス・キリストと親しかった。イエスはマリアとマルタの家を訪れている(『ルカによる福音書』10:38-42)。 『ヨハネによる福音書』11章によれば、ラザロが病気と聞いてベタニアにやってきたイエスと一行は、ラザロが葬られて既に4日経っていることを知る。イエ スは、ラザロの死を悲しんで涙を流す。イエスが墓の前に立ち、「ラザロ、出てきなさい」というと、死んだはずのラザロが布にまかれて出てきた。このラザロ の蘇生を見た人々はイエスを信じ、ユダヤ人の指導者たちはいかにしてイエスを殺すか計画し始めた。カイアファと他の大祭司はラザロも殺そうと相談した。 (ヨハネ12:10)ラザロ蘇生の奇跡は、人類全体の罪をキリストが贖罪し、生に立ち返らせること(復活)の予兆として解釈されてきた。文学に於いても、 時にその様なイメージの引用が見られる。例えば、ドストエフスキーの『罪と罰』に於いて、主人公である殺人犯のラスコールニコフが自白を決意する契機とし て、ラザロの死と甦りの箇所を娼婦ソーニャに請うて朗読させる場面が登場する。

I like very much her magnum opus "The Origin of Totalitarianism," 1951 by Hanna Arendt. The section entitled "Totalitarianism in Power" in part three, Totalitarianism of her book I have sometimes remembered some phrases like that.
私は、ハンナ・アーレントの大著『全体主義の起源』(1951年)がとても好きである。この本の第3部「全体主義」の中の「権力の中の全体主義」という節で、こんなフレーズを思い出すことがある
(quote) - 'The end result in any case is inanimate men, i.e., men who can no longer be psychologically understood, whose return to the psychologically or otherwise intelligibly human world closely resembles the resurrection of Lazarus. All statements of commonsense, whether of a psychological or sociological nature, serve onIy to encourage those who think it "superficial" to "dwell on horrors."'(Arendt 1951:569)(quote ends)
(引用)-「どんな場合でも最終的な結果は、無生物的な人間、すなわ ち、もはや心理的に理解することができない人間であり、その心理的あるいはその他の意味で理解可能な人間世界への帰還は、ラザロの復活に酷似している」。 心理学的なものであれ社会学的なものであれ、すべての常識的な発言は、「表面的」だと考える人たちを「恐怖に浸る」ように促すだけである」(アーレント 1951:569)(引用終わり)。
(quote) -'The reduction of a man to a bundle of reactions separates him as radically as mental disease from everything within him that is personality or character. When, like Lazarus, he rises from the dead, he finds his personality or character unchanged, just as he had left it.' (Arendt 1951:569).-(quote ends)
(引用)「人間を反応の束に還元することは、精神疾患と同じくらい根本的 に、人格または性格である彼の中のすべてのものから彼を切り離す。ラザロのように死からよみがえったとき、彼は自分の人格や性格が、自分が去ったときと同 じように変化していないことに気づく」(アーレント 1951:569)-(引用終わり)
When we read illness narratives in any kind of record or ethnography, we can resurrect of the real experience of patients and/or sufferers. When, like Lazarus, his/her narrative rises from the fixed text, the narratives themselves find their personality or character unchanged, just as the narratives had left it in the text.
私たちが記録や民族誌の中の病気の語りを読むとき、患者や患者の実体験 をよみがえらせることができる。ラザロのように、その人の語りが固定されたテキストから立ち上がるとき、語り自身は、語りがテキストに残していったよう に、その人格や性格が変わっていないことに気づくのである
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◎ラザロの蘇生(ヨハネ福音書11章)

11:1さて、ひとりの病人がいた。ラザロといい、マリヤとその姉妹マ ルタの村ベタニヤの人であった。 11:2このマリヤは主に香油をぬり、自分の髪の毛で、主の足をふいた女であって、病気であったのは、彼女の兄弟ラザロであった。 11:3姉妹たちは人をイエスのもとにつかわして、「主よ、ただ今、あなたが愛しておられる者が病気をしています」と言わせた。 11:4イエスはそれを聞いて言われた、「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのもの である」。

11:5イエスは、マルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。 11:6ラザロが病気であることを聞いてから、なおふつか、そのおられた所に滞在された。 11:7それから弟子たちに、「もう一度ユダヤに行こう」と言われた。 11:8弟子たちは言った、「先生、ユダヤ人らが、さきほどもあなたを石で殺そうとしていましたのに、またそこに行かれるのですか」。 11:9イエスは答えられた、「一日には十二時間あるではないか。昼間あるけば、人はつまずくことはない。この世の光を見ているからである。 11:10しかし、夜あるけば、つまずく。その人のうちに、光がないからである」。 11:11そう言われたが、それからまた、彼らに言われた、「わたしたちの友ラザロが眠っている。わたしは彼を起しに行く」。 11:12すると弟子たちは言った、「主よ、眠っているのでしたら、助かるでしょう」。 11:13イエスはラザロが死んだことを言われたのであるが、弟子たちは、眠って休んでいることをさして言われたのだと思った。 11:14するとイエスは、あからさまに彼らに言われた、「ラザロは死んだのだ。 11:15そして、わたしがそこにいあわせなかったことを、あなたがたのために喜ぶ。それは、あなたがたが信じるようになるためである。では、彼のところ に行こう」。 11:16するとデドモと呼ばれているトマスが、仲間の弟子たちに言った、「わたしたちも行って、先生と一緒に死のうではないか」。

11:17さて、イエスが行ってごらんになると、ラザロはすでに四日間も墓の中に置かれていた。 11:18ベタニヤはエルサレムに近く、二十五丁ばかり離れたところにあった。 11:19大ぜいのユダヤ人が、その兄弟のことで、マルタとマリヤとを慰めようとしてきていた。 11:20マルタはイエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、マリヤは家ですわっていた。 11:21マルタはイエスに言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。 11:22しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」。 11:23イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。 11:24マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。 11:25イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。 11:26また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。 11:27マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。 11:28マルタはこう言ってから、帰って姉妹のマリヤを呼び、「先生がおいでになって、あなたを呼んでおられます」と小声で言った。 11:29これを聞いたマリヤはすぐ立ち上がって、イエスのもとに行った。 11:30イエスはまだ村に、はいってこられず、マルタがお迎えしたその場所におられた。 11:31マリヤと一緒に家にいて彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリヤが急いで立ち上がって出て行くのを見て、彼女は墓に泣きに行くのであろうと思 い、そのあとからついて行った。 11:32マリヤは、イエスのおられる所に行ってお目にかかり、その足もとにひれ伏して言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄 弟は死ななかったでしょう」。 11:33イエスは、彼女が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、激しく感動し、また心を騒がせ、そして言われた、 11:34「彼をどこに置いたのか」。彼らはイエスに言った、「主よ、きて、ごらん下さい」。 11:35イエスは涙を流された。 11:36するとユダヤ人たちは言った、「ああ、なんと彼を愛しておられたことか」。 11:37しかし、彼らのある人たちは言った、「あの盲人の目をあけたこの人でも、ラザロを死なせないようには、できなかったのか」。 11:38イエスはまた激しく感動して、墓にはいられた。それは洞穴であって、そこに石がはめてあった。 11:39イエスは言われた、「石を取りのけなさい」。死んだラザロの姉妹マルタが言った、「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」。 11:40イエスは彼女に言われた、「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」。 11:41人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を天にむけて言われた、「父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。 11:42あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわた しをつかわされたことを、信じさせるためであります」。 11:43こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。 11:44すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。イエスは人々に言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。

11:45マリヤのところにきて、イエスのなさったことを見た多くのユダヤ人たちは、イエスを信じた。 11:46しかし、そのうちの数人がパリサイ人たちのところに行って、イエスのされたことを告げた。 11:47そこで、祭司長たちとパリサイ人たちとは、議会を召集して言った、「この人が多くのしるしを行っているのに、お互は何をしているのだ。 11:48もしこのままにしておけば、みんなが彼を信じるようになるだろう。そのうえ、ローマ人がやってきて、わたしたちの土地も人民も奪ってしまうであ ろう」。 11:49彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った、「あなたがたは、何もわかっていないし、 11:50ひとりの人が人民に代って死んで、全国民が滅びないようになるのがわたしたちにとって得だということを、考えてもいない」。 11:51このことは彼が自分から言ったのではない。彼はこの年の大祭司であったので、預言をして、イエスが国民のために、 11:52ただ国民のためだけではなく、また散在している神の子らを一つに集めるために、死ぬことになっていると、言ったのである。 11:53彼らはこの日からイエスを殺そうと相談した。 11:54そのためイエスは、もはや公然とユダヤ人の間を歩かないで、そこを出て、荒野に近い地方のエフライムという町に行かれ、そこに弟子たちと一緒に 滞在しておられた。

「じゃあなたはなんといっても、新しきエルサレムを信じていらっしゃるんですか?」

「信じています」ときっぱりした声でラスコーリニコフは答えた。こう言いながらも彼は今までずっと、あの長広舌の初めからしまいまで、絨氈じゅうたんの上のある一点を選んで、じっとそこばかりみつめていた。

「そ、そ、それで、神も信じていらっしゃる? ものずきな質問で失礼ですが」

「信じています」目をポルフィーリイの顔へ上げながら、ラスコーリニコフはくり返した。

「ラザロの復活も信じますか?」

「しーんじます。なぜそんなことをお聞きになるんです?」

「文字通りに信じますか?」

「文字通りに」

「ははあ……いや、ちょっと物ずきにおたずねしたまでで。失礼しました。ところで、一つ伺いますが――またさっきの話に戻りますよ――非凡人はいつも必ず罰せられるとは限りますまい。中にはかえって……」

「生きながら凱歌がいかを奏する、とおっしゃるのですか? そりゃそうですとも。中には、生存中に目的を達するものがあります。その時は……」

「自分で人を罰し始める、ですか?」

「必要があれば。いや、なに、大部分そうなるでしょう。全体に、あなたの観察はなかなか警抜ですよ」


「リザヴェータが持ってきてくれましたの、わたしが頼んだものですから」

『リザヴェータ! 奇妙だなあ!』と彼は考えた。

 ソーニャの持っているすべてのものが、彼にとって一刻一刻、いよいよ奇怪に不可思議になって行く。彼は本をろうそくの傍へ持ってきて、ページをめくり始めた。

「ラザロのことはどこにあるだろう?」と彼はだしぬけに尋ねた。

 ソーニャは執拗くうつ向いたまま、返事をしなかった。彼女はテーブルへややはすかいに立っていた。

「ラザロの復活はどこ? ソーニャ、捜し出してくれないか」

 彼女は横目に彼を見やった。

「そんなところじゃありませんわ……第四福音書です!……」彼の方へ寄ろうともしないで、彼女はきびしい声でつぶやいた。

「捜し出して、読んで聞かせておくれ」と彼は言って腰をおろし、テーブルに肘ひじをついて、片手で頭をかかえ、聞こうという身構えをしながら、気むずかしげな顔をして脇の方へ目を据えた。

『三週間もたったら、別荘の方へおいでを願いますよ。どうやら僕自身もそちらへ行ってるらしいんだから――もしそれ以上悪いことさえなければ』と彼は腹の中でつぶやいた。

 ソーニャは会得のゆきかねるような風で、ラスコーリニコフの不思議な望みを聞きおわると、思い切り悪そうにテーブルへ近づいたが、それでも、本を取り上げた。

「いったいあなたはお読みにならなかったんですの?」彼女はテーブルの向こう側から、上目づかいに、相手を見ながら、こう尋ねた。彼女の声はしだいしだいにいかつくなってきた。

「ずっと前……中学校の時分に。さあ読んで!」

「教会でお聞きにならなかったんですの?」

「僕は……行ったことがないんだ。お前はしょっちゅう行くの?」

「い、いいえ」とソーニャはささやくように答えた。

 ラスコーリニコフはにやりと笑った。


こうした書物めいたことばが、彼の耳には異様に響いた。のみならず、リザヴェータとの秘密な会合や、二人とも狂信者であるという事実も、やはり耳新しく感じられた。

『こんな所にいると、自分も狂信者になってしまいそうだ! 感染力を持っている!』と彼は考えた。

「さあ、読んでくれ!」と彼は突然強情らしい、腹立たしげな調子で叫んだ。

 ソーニャはいつまでもちゅうちょしていた。彼女の心臓はどきどき鼓動した。なんとなく彼に読んで聞かせるのがためらわれたのである。彼はこの『不幸な狂女』を、ほとんど苦しそうな表情で見つめていた。

「あなたに読んであげたって、仕様がないじゃありませんの? だって、あなたは信者じゃないんでしょう?……」と彼女は小さな声で、妙に息を切らせながらささやいた。

「読んでくれ! 僕はそうしてもらいたいんだ!」と彼は言いはった。「リザヴェータにゃ読んでやったんじゃないか」

 ソーニャはページをめくって、その場所を捜し出した。彼女は手が震えて声が出なかった。二度も読みかけたけれど、最初の一句がうまく発音できなかった。

「ここに病める者あり、ラザロといいてベタニアの人なり……」と彼女は一生懸命にやっとこれだけ読んだ。が、突然第三語あたりから声が割れて、張り過ぎた弦のようにぷっつり切れた。息がつまって、胸が苦しくなったのである。

 ラスコーリニコフは、なぜソーニャが自分に読むのをちゅうちょするのか、そのわけが多少わかっていた。しかし、そのわけがわかればわかるほど、彼はます ますいらだって、ますます無作法に朗読を迫った。彼女はいま自分の持っているものを、何もかもさらけ出してしまうのが、どんなにかつらかったのだろう。そ れは彼にわかりすぎるほどわかっていた。彼女のこうした感情は実際むかしから、事によったらまだほんの子供の時分から、不幸な父と悲嘆のあまり気のふれた 継母の傍で、飢餓に迫っている子供たちや、聞くにたえぬ叫声や叱責しっせきなどにみちた家庭にいる時分から、彼女の真髄ともいうべき秘密をなしていたに相 違ない。そのことも彼は了解した。が、それと同時に、こういうことにもはっきり気がついた……いま彼女は朗読にかかりながら、心を悩ましたり、何やらひど く恐れたりしているくせに、一面ではそうした悩みや危惧きぐを裏切って、ほかならぬ彼という人間にぜひとも今、あとで何事が起ころうとも!……読んで聞か せたい、聞いてもらいたいという願望が、苦しいまでに彼女の心を圧していたのである。彼はそれを彼女の眸ひとみに読み、感激にみちた興奮によって会得し た……彼女は自分を制御して、第一節の初めに声をとぎらせた喉のどのけいれんを押しつけながら、ヨハネ伝の第十一章を読み続けた。こうして彼女は十九節ま で読み進んだ。

多くのユダヤ人びと、マルタとマリアをその兄弟のことに因よりて慰めんとて、すでに彼らのところに来たりおれり。マルタは、イエス来たまえりと聞きて、 これを出迎え、マリアはなお家に坐せり。その時マルタ、イエスに言いけるは、主よ、なんじもし此処ここにいまししならば、わが兄弟は死なざりしものを。さ りながらたとえ今にても、なんじが神に求むるところのものは、神なんじに賜たまうと知る」

 ここで彼女はまたことばを切った。またしても声が震えてとぎれるだろうという恥ずかしさを、予感したからである……

イエス彼女に言いけるは、なんじの兄弟は甦よみがえるべし。マルタ、イエスに言いけるは、終わりの日の甦るべき時に、彼甦らんことを知るなり。イエス彼 女に言いけるは、われは甦りなり、命なり、われを信ずるものは、死すとも生くべし。すべて生きてわれを信ずるものは、永遠に死することなし。なんじこれを 信ずるや? 彼女イエスに言いけるは――

(ソーニャはさも苦しげな息をつぎ、句読ただしく力をこめて読んだ。それはさながら全世界に向かって、説教でもしているような風であった。)

主よ、しかり! 我なんじは世に臨きたるべきキリスト、神の子なりと信ず

彼女(=ソーニャ)はちょっと朗読をやめて、ちらとすばやく彼の顔へ目を上げたが、大急ぎで自己 を制し、さらに先を読み続けた。ラスコーリニコフは腰をかけたまま、その方をふり向こうともせず、テーブルに肘突ひじつきしてそっぽを見ながら、身動きも しないで聞いていた。ついに第三十二節まで読み進んだ。

マリア、イエスのところに来り、彼を見て、その足もとに伏して言いけるは、主よ、なんじもし此処にいまししならば、わが兄弟は死なざりしものを。イエス 彼女の哭なげきと、彼女と共に来りしユダヤ人びとの泣くを見て、心を痛ましめ身震いて言いけるは、なんじいずこに彼を置きしや? 彼ら言いけるは、主よ、 来りて見たまえ。イエス涙を流し給えり。ここにおいてユダヤ人びと言いけるは、見よ、いかばかりか彼を愛するものぞ。その中なるもの言いけるは、盲者めし いの目を啓ひらきたるこの人にして、彼を死なざらしむる能あたわざりしや?

ラスコーリニコフは彼女の方をふり向いて、胸をおどらせながらその顔を見た。そうだ、はたしてそうだった! 彼女はすでにまぎれもなく本当の熱病にか かったように、全身をぶるぶる震わせていた。彼はそれを期待していたのである。彼女は偉大な前後未曾有(みぞう)の奇跡を語ることばに近づいた。偉大な勝利感 が彼女をつかんだ。彼女の声は金属のようにさえた響きを帯びてきた。内部うちに満ちあふれる勝利と歓喜の情がその声に力をつけた。目の中が暗くなったの で、行と行が入り交じってきたが、彼女は諳そらでちゃんと読むことができた。

盲者(めしい)の目を啓(ひら)きたるこの人にして……能わざりしや?』という最後 の一節では、彼女はちょっと声を落として、信ぜざる盲目のユダヤ人びとの疑惑と、非難と、中傷を伝え、また彼らが一分の後に、さながら雷にでも打たれたよ うに、大地に伏して号泣しながら信仰にはいった気持を、燃えるような熱情をこめて伝えたのである……『この人も、この人も――同じように盲目で不信心なこ の人も、すぐにこの奇跡を聞いて、信ずるようになるだろう、そうだ、そうだ! すぐこの場で、たった今』と彼女は空想した。彼女は喜ばしい期待に全身を震 わしていた。

イエスまた心を痛ましめて墓に至る。墓は洞(ほら)にて、その口のところに石を置けり。イエス言いけるは、石を除(の)けよ。死せし者の姉妹マルタ彼に言いけるは、主よ、彼ははや臭し、死してよりすでに四日を経たり

 彼女はことさらこの四日ということばに力を入れた。

イエス彼女に言いけるは、なんじもし信ぜば神の栄を見るべしと、われなんじにいいしにあらずや。ついに石を死せし者を置きたる所より取り除けたり。イエ ス天を仰ぎて言いけるは、父よ、すでにわれに聴きけり、われこれをなんじに謝す。われなんじが常に聴くことを知る。しかるにわがかく言うは、傍に立てる人 々をして、なんじのわれを遣わししことを信ぜしめんとてなり、かく言いて、大声に呼びいいけるは、ラザロよ、出でよ、死せし者……

(彼女はさながら自分がまのあたり見たもののように、感激にふるえて身内みうちをぞくぞくさせながら、声高く読み上げた。)

……布にて手足をまかれ、顔は手巾しゅきんにてつつまれて出ず。イエス彼らに言いけるは、彼を解きて歩かしめよ

「その時マリアと共に来りしユダヤ人イエスのなせしことを見て多く彼を信ぜり」

 彼女はもうその先を読まなかった。また読めなかったのである。彼女は本を閉じて、つと椅子から身を起こした。

「ラザロの復活はこれだけです」と彼女はきれぎれに、きびしい調子でこ う言うと、彼の方へ目を上げるのを恥じるかのように、わきの方へくるりと体を向けて、身動きもせずにじっと立っていた。彼女の熱病的な戦慄せんりつはなお 続いていた。ゆがんだ燭台(しょくだい)に立っているろうそくの燃えさしは、奇くしくもこの貧しい部屋の中に落ち合って、永遠な書物をともに読んだ殺人者と淫 売婦(いんばいふ)を、ぼんやりと照らし出しながら、もうだいぶ前から消えそうになっていた。五分かそれ以上もたった。

ドストイエフスキイ『罪と罰』米川正夫訳、青空文庫.

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Juan de Flandes /  ラザリ(ラザロ)の復活のイコン(15世紀ロシア)

カメレオン