かならずよんで ね!

遡上的読解

running-up reading

The fight below the confluence of the Aruwimi and the Livinstone rivers, スタンレー(Henry Morton Stanley)『暗黒大陸を横断して(Through the Dark Continent)』(1899)

池田光穂

遡上的読解(そじょうてき・どっかい)とは、通常の 論文を、まず文頭から文末に展開する読解をおこなった後に、論文の中で主張されている、ある特殊な語彙ないしはキーワードの意味を探るときに、文末から文 頭にかけて、単語が含まれる文章(=コンテクスト)を抽出し、後ろ向き――つまり、自分の最初の読解を遡及して自分とその文脈の出会いを未来から過去に 遡って読むことである。このような読解を通して、論文の作者が、論理的展開を時間軸の流れの助けを借りて「強引ないしは不自然に」に主張した可能性について 考え、論文読解を因果論的展開で読み取ろうとする読者の「あざとい精神」を相対化する方法である。

何度も推敲を重ねたよい論文の冒頭では、期せずして 著者は本当のこと、主張したいこと、証明済みの結論を「隠喩」の形で表現していることがあるので、それを「徴候的読解(symptomatic)」する方 法の一種であるが、遡上的読解は、それに加えて、読者が陥り勝ちな時間軸、および(疑似的な可能性がある)因果的展開という修辞の呪縛から自由になり、そ の論理展開が「必然」なのかそれとも「論の展開の偶発的効果」の産物であるかを検討する――ただし論証ではない――ことができる。

この遡上の方法論は、ジョゼフ・コンラッド「闇の 奧」ならびにフランシス・フォード・コッポラ監督「地獄の黙示録」における、クルツならびにウィラード中尉がとった経験的認識論に近いものがある。そこに は、仮説を検証するような陽気なものはなく、不気味なもの、理解できないものに、恐怖と興味をもち、それに抗して/流れに抗して/不本意に (against the grain)遡上するもので、そこにあるのは、奇妙な既視感、想定もしていなかった源流・支流の色や香りを体験する、不思議な読解を経験することができ る。そこには、何かのことを知りたいという単純な欲求を、偶発的で理解不能な流れの中に読者を置く事になる。


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Maya_Abeja

Mitzub'ixi Quq Ch'ij, 2017

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