かならずよんで ね!

「いのち=息」をすべての人間にもたらす大学と会社になれ!!!

On Changing our university atmosphere to Challenging campus!

池田光穂・松浦博一・宮本友介

◎ このページは、ダイキン工業株式会社による「基礎検討フェーズ報告書・研究テーマ提案」から「2020年度共同研究委受託研究」のフィージビリティ調査研 究である。調査研究班は、池田光穂・松浦博一(大阪大学COデザインセンター教員)と宮本友介(大阪大学大学院人間科学研究科)である。

命題11:「いのち=息」をすべての人間にもたらす会社になろう

 引き続き「いのち=息=風」の解明をおこなっていこう。ウィキペディアのヘブライ語の風「 רוח (ルーアハ)」の項目である(ヘブライ語[本報告で省略したウェブページでは記載しているのでそれを参照のこと]は母音表記がないのでそれを補い右から左 によむ:翻訳は、google translator をもとに修正した)

「風とは、多くの空気粒子が特定の方向に一緒に移動することである。風の強さは、そっと愛撫するような感知できない風から、時速300km以上の速度に達 する壊滅的な嵐までさまざまである。風は気象科学(気象学)の重要な要素であり、天気予報の重要なツールなのである。風の形成の主な原因は、風である運動 エネルギーに変換される大気の圧力差である。圧力差は、主に温度差によって形成される空気の温度。風が形成される他の理由は、気団の比重と地表の形状の違 いによる。これらの説明には、まだすべての種類の風(=精神・いのち)とそれらが作成される方法が含まれているわけではない。たとえば、竜巻がどのような 状況で発生するのかはまだ未解明なことが多い。風は土地、砂丘、山を形作る。風は海に波を作り、植物とその種子の花粉を分散させ、鳥が飛翔して移動するの を助け、人間には冷却システムの重要な要素となる。風はエネルギーを生み出すために使われる。風が帆船を推進させる。そして貿易風はポルトガルから南にア フリカにそしてそこからメキシコ湾流がそれらをアメリカに運んだので(大西洋における帆船の交易によ)そのように名付けられたのである。へブライ語の「息 =風=精神」という言葉は、男性形と女性形の両方で示される可能性があるが、今日では女性形として使用される」。

インターネット百科事典であるウィキペディアのへブライ語の「息=風=精神(רוח ルーアハ)」の説明は、風によって(愛)撫ぜられることから、形あるものを破壊するという説明から始まり、科学的な説明に展開し、この地上にある地形や環 境にある生物への影響までを断絶することなく詩的に説明している。そして最後は人間の文化や歴史を形作る貿易風の説明からへブライ語の「息=風=精神」と いう名詞のジェンダーまで、あらゆるものが、詩的な物語としての連なりの中で説明されている。なぜ、へブライ語は、このような短い表現のなかに宇宙の秩序 から人間の世界までを見事に表現できるのか? 我々は真剣にその来歴の秘密を探求すべきである。
 私たちの暫定的な仮説は、ヘブライ語は旧約聖書(ユダヤの伝統ではタナハすなわち「聖書」)で使われる言語であるからというものだ。そのために、聖書の 中に登場する息(ルーアハ)について列挙してみよう。

創世記2章7節:「2:7主なる神は土のちりで人を造り、命の息(ニシュマット・ハイーム)をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった」。ヨ ブ記7章7節:「記憶せよ、わたしの命は息にすぎないことを。わたしの目は再び幸を見ることがない」。ヨブ記27章4-4節:「わたしの息がわたしのうち にあり、神の息がわたしの鼻にある間、わたしのくちびるは不義を言わない、わたしの舌は偽りを語らない」。ヨブ記33章4節:「神の霊はわたしを造り、全 能者の息はわたしを生かす」。詩篇146章4節:「その息が出ていけば彼は土に帰る。その日には彼のもろもろの計画は滅びる」。イザヤ2章22節:「あな たがたは鼻から息の出入りする人に、たよることをやめよ、このような者はなんの価値があろうか」。エゼキエル37章5節:「主なる神はこれらの骨にこう言 われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息(ルーアハ)を入れて、あなたがたを生かす」。エゼキエル37章9-10節:「時に彼はわたしに言われた、 「人の子よ、息(ルーアハ)に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生 かせ」。そこでわたしが命じられたように預言すると、息はこれにはいった。すると彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった」。

また、次はもともとはギリシア語で書かれた新約聖書からの引用であるが、こちらのほうはπνευμα(プネウマ)であろう。

マタイ27章50節:「イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた」。ヨハネ19章30節:「すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべ てが終った」と言われ、首をたれて息をひきとられた」。ヨハネ30章22節:「そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ」。使徒行 伝17章25節:「また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない。神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、……」。テ サロニケ人第二2章8節:「その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう」。使徒行伝 2章1-2節:「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家 いっぱいに響きわたった」。

 大阪大学とダイキンとのコラボ研究なので、この研究は大阪大学にもダイキンという会社にも文字通り福音をもたらすプロジェクトであると私たち(=池田・ 松浦・宮本)は信じている。しかし、私(=池田)のいう、息をもたらす命をもたらす会社になろう、という提案には未だ疑心暗鬼で見られている状況が偽らざ るところであろう。だが、希望はまだある。ダイキンの関係者ある准教授は、池田が「モンゴルでは馬に乗ると風を切るんです。日本ではそれはできぬ」という 言葉に大きく感動してくださった。したがって、まだ、ダイキンの側にも、私を言うことを聞く耳はまだあるらしい。そして、それはとても良いことであると考 えている。

 もちろん、私たちも最初から、こんな天才的なことを言っていたのではない。最初は山本七平の『「空気」の研究』を関連づけて説明しようとした。しかし、 山本七平の空気は、雰囲気(atmosphere)であり、上掲の聖書の用例にみられるような息(breath)や息をする(breathing)ではな い。したがって、ダイキン工業のいう「空気で答えを出す」ということは「息を吹きかけることで答えを出す」ことであり、息は上掲のように「生きる」「命を あたえる」であるので、ダイキンは「人々に命(いのち)をあたえる会社」である。あるいは、ダイキンは「人々に命(いのち)をあたえる会社」にならなけれ ばならない。空気は生命(いのち)である。

エアコンディショニング(空気調整)は、ライフコンディショニング(命の息吹の調整)である。エゼキエル37章のように、ダイキンは、その製品の通風口か ら「息(ルーアハ)を吹きかけることで、言語や文化の違いを超えて、人間を普遍的で生き生きとした人間に甦えらせる」という会社の使命をもっているのであ る。短い研究期間であったが、このような視点に我々はようやく到達したのである。

●以上の報告をもって、シリーズ「「空気と空間づくり」から考えるイノベーション・キャンパ スの実現」を終える。

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謝辞:手島勲矢・COデザインセンター招へい教授(2021年5月3日)