かならずよんで ね!

戦争のパラダイムとイノベーションについて

 Struggle Paradigm and Innovation in modrn total war

池田光穂

トーマス・クーン流にいうと日本陸軍には「重戦車に よる戦争」パラダイムがなかったということになります。日本海軍は、巨艦主義の弊害もあるけど、信濃は第三の戦艦を航空母艦に変えましたから、真珠湾攻撃 の戦果のすごさを、事後的に気が付いて急旋回しました。それに対して、米艦隊は、空母のつくまくり、B-25を航空母艦に艦載して、東京にはじめて空襲し ました(ドゥリットル)。しかし、B-25に着艦機能ないので、中国大陸まで飛んで、不時着して、飛行機を放棄するという捨て身作戦行動までしました。米 軍の戦争のイノベーションにたいする気合いのほどがわかります。日本軍を全面否定するつもりはありませんが、戦争のパラダイム、特に、本土防衛など考えな いのは開戦直後です。焼夷弾をふくめて市民を大量殺戮した米軍の非を非難する向きがありますが、西太平洋の果てまで艦隊を派遣した、米軍は、ここまで戦力 を傾注したんだから、(市民を巻き込んでもさえ)徹底的に戦うという切迫感がありました。

ノモンハンの敗戦のトラウマで日ソ不可侵条約に軍部 が依存しすぎたこと。ノモンハンの時点でソ連の参戦を前提にするような思考回路が、陸軍には働かず、関東軍の経営のほうに視座がいく。軍人は、つねに弱点 を認識して、それを克服しなければならないのに、それができていない。。対戦車戦争はモンゴル平原しか活躍がないので、優先順位が後ろ回しになったこと。 大量の鉄が必要で備蓄が十分でなく、海軍省に優先的にまわされていたこと。満州における関東軍の肥大化つまり、関東軍は人件費の濫費だらけだった可能性が あります。当時の日本は、重工業の成熟が遅く、農業人口の比重が高かった。 重工業の寡占的成長がドイツに比べて未熟。日本あるいは大陸朝鮮での人造ゴムの大量生産技術が確立していなかった。戦車や車両には、補修や部品のロジが不 可欠。ポリテクなどの教育もインフラも脆弱。ドイツ軍は、戦車戦パラダイムを完成させたと同時に、それを給備するロジと工兵隊によりきちんとサポートされ ていたんですね。ドイツ兵の几帳面で軍国主義的な国民エートスもそうだといえます。

Doolittle Raid B-25Bs aboard USS Hornet

A B-25 taking off from USS Hornet (CV-8) for the raid

B-25

Panzerkampfwagen VI (Tiger I, )The tank was given its nickname "Tiger" by Ferdinand Porsche, and the Roman numeral was added after the later Tiger II entered production. The initial designation was Panzerkampfwagen VI Ausführung H (‘‘Panzer VI version H’’, abbreviated PzKpfw VI Ausf. H) where 'H' denoted Henschel as the designer/manufacturer. It was classified with ordnance inventory designation Sd.Kfz. 182. The tank was later re-designated as PzKpfw VI Ausf. E in March 1943, with ordnance inventory designation Sd.Kfz. 181.

四式中戦車チト. (本土決戦用に設計作成されたものだが、実戦に供されることはなかった)

八九式中戦車(のヴァリエーションの一種)

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