医学研究における二つの立場:マヤ医学
Essentialism and Constructionism in Mayan Medicine
近代医療とは異なり、人々の日常生活の中で説かれる 健康や病気の概念は、文化人類学的調査を通して明らかにされた。それは民俗病因論(folk etiology)と呼ばれる文化的な思考に水路づけられた独自の理論体系であることが指摘されている。もちろん現代のマヤ人は学校教育や公的/私的な医 療サービスを通して近代医療の考え方にも馴染んでおり、その影響も広く見られる。歴史的資料を動員して、マヤ人の古来からの民俗病因論だけを抽出して描く こともできるが、それはあくまでも論理上の操作に基づく理念的虚構に過ぎない。
例えば、マヤ人は食物や薬草などを〈熱いもの〉と 〈冷たいもの〉の2つの属性に分けて、身体の状態と関連づける。身体を構成する要素の実体は血液を主とする体液状のものであると考えられ、体液は身体全体 に循環しているので身体の状態——すなわち病気か健康か——はこの熱/冷の属性のバランスによって決定される。このような身体観を熱/冷二元論(hot- cold theory)という。例えば出産後の母親は〈冷たい状態〉になっているので〈熱い〉薬草浴や食事による養生が必要であり〈冷たい〉栄養は忌避される。こ の体液理論は、これまでスペイン征服期以前からの文化的伝統の側面(Logan 1973,1977)が強調されてきたが、医学史文献の詳細な検討によると、スペイン人たちが数世紀にわたって持ち込んできたヨーロッパ医学の古い伝統で ある体液病理学説——紀元前4、5世紀頃のヒポクラテス学派の四体液学説とその派生理論——の影響が見られるという主張もある(Foster 1994)。
病気や不幸を取り払い人々の安寧を〈聖なる存在〉 ——霊的な祖先、父なる太陽、守護神たる地の主、母なる月、風、稲妻、山の峰の主など——に祈願する伝統的なマヤ司祭(sacerdote Maya)(註3◆)の儀礼や呪文の中にはカトリック信仰の要素がさまざまなところに見られ、それらと習合しており、かつ全体論的に統合されていると言っ ても過言ではない。この現象は、スペイン征服以降のマヤ人独自の理論体系に征服者の文化的伝統が入り込み長い間の取捨選択の結果、文字通りマヤ人の文化の 骨肉となったものと考えられている(Tax et al. 1952; Kendall et al. 1983)。
マヤ医学を古代から現在まで面々と続く独自の思考と 実践であると考え、他の文化的要素にはみられないものをその医学のオリジナルの要素とする見方を、ここでは文化的本質主義(cultural essentialism)と呼んでおこう。他方、マヤ医学はこうした歴史的に変遷し、時に忘れられ時に復活させられ、また社会的に多様であり、マヤの人 びとが考える医学の総体じたいをマヤ医学と考える研究上の立場を、社会構築主義(social constructionism )と呼ぶことができる。マヤ医学に関する私の研究アプローチは後者の立場をとる。しかしながら方法論上の手続きとして本質主義的な認識論を前提にしない と、そもそも社会構築主義の立論は不可能である。なぜならマヤ医学が独自にもつ中核部分がどのようなものであるかは他の医学体系と比較可能な本質的なもの として措定することで、はじめて理解が可能になるからだ。これにより固有のマヤ医学がなぜ独自で重要なものと認識されるようになったのかという歴史的過程 を相対化する作業に着手することができる。
例えば、20世紀初頭から中頃かけてマヤの先住民社
会の中で福音派プロテスタントへの大量改宗がおこなわれたことをあげてみよう。その際にプロテスタントとなったマヤ人たちは、男性成員の社会的地位と名声
を高める伝統的なマヤの儀礼行為における大量の飲酒や供犠の消費を無意味なものと批判し、それらとの関わりを社会的に退けた(e.g. Annis
1987;
清水 1988)。しかしながらマヤの改宗者たちは、同時にマヤの伝統的な美徳である節制の道徳をプロテスタントの禁酒・禁煙の生活規制と関連づけて宣教
もおこなっている。つまり伝統を放棄し、新しい慣習を受け入れることにもマヤの伝統的な文化論理を動員している。プロテスタントたちは超自然的なものを廃
し世俗的な日常的実践を重んじていると思われている。しかしながら彼らの病気平癒の奇跡体験の語りの中では、聖書の象徴がちりばめられている特徴がみられ
るものの、超自然的神格との出会い体験や神からの約束を夢見の中で幻視するというマヤの伝統的主題が強く見られる。これらの事例は、治療上の技法や治癒体
験が歴史的社会的に構築されることを示唆する。(マヤ人にも研究者にとっても)治療技法や治癒体験の本質が何を指すのかということを把握することにより、
このことが明らかになる。
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