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健康の歴史的構築:マヤ医学を事例に

Historical Constructionism of Maya Medicine

池田光穂

本文

マヤ医学の研究を志す者は、異郷趣味豊かなシャーマ ンや薬草師ばかり追いかけていては(前節で述べたような)本質主義者の誹りを免れないだろう。現実のマヤ先住民社会は、宗主国や近代国家制度の中で、経済 的に有力な外部勢力から搾取され、差別の対象になってきたことも事実である。マヤの歴史的な人口構造や疾病パターンの動態は、このことを如実に反映する。

スペイン征服期以降に外部からもたらされた流行病に よる人口激減を克服した17世紀以降(Lovell 1992; Lutz 1982 ; Thompson 1970, Chap. 2)、世界的なコレラや赤痢の流行にさらされながらも、マヤの人口は増加傾向にあった。チアパス高地やグアテマラの西部高地では、人口は増加し20世紀中 頃には森林伐採による土地の開拓にも限界が生じてきた。ユカタン半島低地のマヤ人はスペイン征服時に人口は激減し、その後は比較的低い人口密度の維持しつ づけてきた。グアテマラ東部からホンジュラスにかけてのマヤ人の人口密度は高地ほど稠密ではなかった。人口構造は多産多死の開発途上国のピラミッド構造を 維持してきた。つまり征服期以降のマヤの人口増加傾向は19世紀末になるまではそれほど大きな問題にはならなかった。

共同体の外部との経済的結びつきは、19世紀末より はじまる先住民労働力の強制的に徴用されたことで加速度的に高まった。これを機会に、土地の生産性に依存しない高い人口の維持は、外部経済との結びつきに より支えられるようになる。20世紀になると外部経済依存は国内の低地のプランテーションに出稼ぎ契約労働へと変化していった。また人口維持よりも消費に より重点をおく経済生活様式への変化の結果、今日では人口移動のパターンはアメリカ合衆国への不法移民労働へと発展した。高地マヤ人の人口問題のもう一つ の解決方法は、低地への開拓入植移民であった。入植に選ばれた未開拓の土地は、グアテマラではペテン低地やイシュカン、メキシコではラカンドン低地がその 代表である。高地では土地の生産性が低いが、マラリアや黄熱などの熱帯病に苛まれることはなく、また病気への抵抗力も弱かった。しかし、低地への入植開拓 はマヤの人たちに熱帯病の罹患を生じさせ死亡率を引き上げた。と同時に、高地マヤの人たちのあいだには熱帯病に関する現地語の語彙が増加したが、それらの 造語は比較的新しい部類に属する。低地でのマヤの人たちが経験したのは、細菌性下痢や寄生虫などの消化管疾患と非常に高い乳幼児死亡であった。したがって 現在のマヤの人たちの人口構造や疾病パターンは開発途上国の人々が経験しているそれらと共通性をもつ(Berlin et al. 2004)。

マヤ人の間でもっとも多い二大疾患は、消化管系疾患 (下痢、出血性下痢、腹痛、消化管系寄生虫など)と呼吸器官系疾患(風邪、百日咳、肺炎、結核など)である。これらは実際に病気にかかる割合——罹患率 (りかんりつ)という——ならびに死亡率の上位を占める。この直接理由は村落に病原が常在し感染しやすいためであるが、同時に慢性的な栄養不良により免疫 力が低下していることが、この傾向に拍車をかけている。これらの疾患以外には、皮膚病や皮膚の化膿、外傷、捻挫や骨折、発熱や頭痛——正確には疾患ではな く症状であるが——、齲歯(うし——虫歯のこと)、眼の感染症(結膜炎やトラコーマ)、浮腫、産科婦人科系疾患、筋肉痛や疼痛などに人びとは苛まれてい る。
 近代医学のものとは異なった、病気や症状を指し示すマヤ語の語彙(ユカテコマヤ語の例は吉田 2002, 2003)が豊富に存在し、また病気に関する言い伝えも多い。例えば回虫などの消化管寄生虫などは駆虫剤が導入される以前は、子供たちにとって当たり前の 病気であったために生まれながらに回虫をもっていると考えられた。ただし、回虫の異常な繁殖は病気とされたために、回虫の体内での動きを想像しながら、駆 虫作用のある薬草の処方は特定の季節を選んでおこなわれた(Douglas 1969)。

驚くべきことに、これらのそれぞれの疾患(病気)や 症状に対処する薬草が一つないしは複数あり、一部に有効成分が明らかになったものもある。またタバコ、トウガラシ、カカオ(ココアやチョコレートの原料) のように嗜好品や食品で薬効成分が明らかなものも数多い(e.g. ナージ 1997;八杉 2004)。薬草は、家庭内では主に年長の老人が、あるいは共同体にいる伝統的出産介助者——産婆[さんば] (Traditional Birth Attendant, TBA)がその取扱いに長けていた。また野草をスープの具にするなど食事のおかずにすることが多いが、薬草と食用の野草との区別はそれほど明確ではない。

医療プロジェクト対象地区などの例外を除けばマヤ村 落には近代医療を提供できる人的資源はきわめて限られている。医師が常駐する診療所は比較的大きな集落にいかねばならず、また医師や看護師あるいは保健普 及員はマヤ人ではなく外部からやってくるラディノが多い。近年では徐々にマヤ人の医療関係者の割合が増加しつつあるが、全体的傾向として、マヤ人の近代医 師の割合は未だ少ない。その理由は、村落民の子弟が医学教育というもっともコストのかかる高等教育を十分に受ける機会が少ないためである。非マヤ人による 医療サービスの提供は、マヤの固有の言語による語彙や病気観への理解が不足しているために、コミュニケーションの齟齬をうんだことも数多く指摘されてき た。このことは、近代医療が普及してもマヤ独自の治療専門家を利用する人が無くならないことを説得力をもって説明する。

伝統的な治療の専門家には、おもに次のような人たち がいる。伝統的出産介助者(TBA)、薬草師、マッサージ師、接骨師、脈による診断や占い行う治療師、シャーマン、そしてマヤ司祭である。マヤ司祭——グ アテマラのマヤ諸語ではaj q'ij つまり「日(=太陽)の専門家」——は、マヤ運動(本文参照)の進展に伴って近年よく使われるようになった呼称である。憑依を伴う占いや治療実践よりも、 公的ないしは私的な要請にもとづいて儀礼を施行する職能者の性格が強いためにこう呼ばれる。マヤ司祭を除くと、それぞれの技能を相互に掛け持ちする人たち が多い。他方マヤ司祭は、占いをおこない病気を含んだ不幸全般を取り扱い、身体に対する治療的介入は体をなぞるなど消極的なものに留まっている。伝統的出 産介助者は、出産を介助するだけでなく、薬草の処方に精通し、母子のマッサージや脈診もおこない、病気治療の呪文を唱えることができる。つまりマヤの伝統 的治療についての全体像を知るためには、彼女たちのことを調べるのがもっとも近道である。それぞれの治療師は地域によってさまざまな呼び方があり、またそ の地理的な分布には偏りがみられる。近年の交通と通信手段の発達により専門家した治療師や司祭は、依頼主の要請により比較的遠方へ——時には国境を越えて ——出かけることもある。

中央アメリカとその周辺の伝統的治療師には幻覚性の 植物やキノコを取り扱い、その幻視により治療をおこなう者がいると報告されてきた(e.g. 宮西と清水 1995)。幻覚性の植物やキノコを利用した形跡は考古学上の資料でも示唆されているが、現在のマヤの治療文化には、このような要素がそれほど多くは見ら れない。これが衰退したのか、もともと特殊でマイナーな治療手段——正確には宗教と治療の曖昧な領域でもある——であったのかは未だ明らかではない。

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文献

その他の情報

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Mitzub'ixi Quq Ch'ij, 2018

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