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マヤ医学の病因論上の特徴

Characteristics of Etiology in Maya Medicine

池田光穂

マヤ医学の病因論上の特徴

医療人類学者が分析する民俗病は、病因をめぐって2 つの理論体系に分類される(Foster 1976; Foster and Anderson 1978)。その弁別特徴は、病因を人格的な作為によるものと考えるか、自然現象と考えるかにある。前者のものを(1)人的病因論 (personalistic etiology)といい、後者を(2)自然的病因論(naturalistic etiology)という。あるいは外来語として、それぞれパーソナリスティック、ナチュラリスティック病因論と呼ぶこともある。

例えば、病気が悪い動物霊によって引き起こされた場 合は前者(=人的病因)に分類され、日常の不摂生により熱/冷二元論における〈熱い要素〉が体に侵入してその平衡が乱されたことにより病気を発病したので あれば後者(=自然的病因)に分類される。これはきわめて明解な分類法であるが、この弁別方法は、病因をどの次元まで追求するかという論理的な深さには関 わらない。例えば身体の熱/冷の平衡を乱したのは、誰かが犠牲者の生活を乱す呪いをかけたからだ、という説明は、自然(前者)と人(後者)の両方の要素が みられる。この場合は、先の分類に加えて病気の〈一次的原因〉と〈究極原因〉を区別する必要がある。事例を解釈すれば、その病気の一次的原因は自然現象で あるが、究極原因は人の呪いである。そのため、熱/冷の平衡を取り戻すことは病状を和らげるのに役立つが、病気を根治するためには呪いを取り払わねばなら ないことになる。

人と自然という二大区別は、研究対象を分析する上で は便利なものであるが、このような便宜的区分が有効とは思えない病因がある。例えば神のような超越的な存在(=人的要因の最も極端な形態)やその本人固有 の先天的な運命(=自然的要因の最も極端な形態)などがそれである。これらが病因の場合、治療は病因の操作——例えば〈熱い〉ものには〈冷たい〉ものを対 処する——ではなく、病因の操作とは結びつかない治療的介入——(根本原因を取り除くことができないので)例えば一方的に祈願したり、対処療法にのみ専念 する——が行われる。

マヤの病因を見回せば、人的なものと自然的なものの 両方があることがわかるが、遭遇する事例数をとれば後者のほうが圧倒的に多い。人的なもののですぐ思いつくのが邪術(sorcery)であり、これは呪術 的治療の場面ではよく指摘される病因である。また人的病因の変形であるがナグアル/ナワル(nagual)あるいはトナル(tonal)という自分と運命 を共にする動物——多くは野生の哺乳動物の表象をとる——がこの世のどこか、あるいは別次元の世界に存在しており、自分のナグアルが危害を受けた時に病気 になるという考え方がある。自分のナグアルやトナルが傷つくと自分自身が病気になるという発想は、J・フレーザー(2003)の指摘する類感呪術ないしは 共感呪術(sympathetic magic)に相当する。したがってこれらの語は自分にとっての異次元における存在様式としての「魂」という説明も可能である(Adams and Rubel 1967:336)。この思考法は宇宙論的であり、マヤ人の空間概念を考える上でたいへん示唆に富む。

他の人的病因でもっとも身近なものは邪視(じゃし、 mal de ojo)である。これは妬み(envidia)をもったり、もともと呪術的な力をもつ視線が強い人(vista fuerte)が幼弱な存在——幼児や家畜の幼齢——を見つめることによって病気になりうる。視線が強い人が意図的に病気を引き起こすのか、本人の意図と は関係なしに病気を引き起こすのかについての区分はあいまいである。前者の場合は「悪意をもった呪術」(black magic)として理解されている。これらの病気を防ぐためには、幼弱なものに対してさまざまな色糸やビーズによる腕輪や色物の下着の着用が試みられる。 治療は対処療法のほかに、供犠を伴う儀礼がある。なおマル・デ・オホ(mal de ojo )という用語には、ここで言及した妬みや邪視で引き起こされる病気のほかに、感染症などの病気である眼病一般をさすこともあり、この場合は同音異義にな る。

最も代表的な自然的病因には、すでに述べた熱/冷の 二元論のバランスが乱されたものがある。多くの自然的病因による病気は基本的にこの分類体系のなかに含まれ、治療は近代医療薬を含めた薬草や食物のうち病 気の熱/冷の反対の性質(つまり熱いものには冷たいものを、冷たいものには熱いもの)が与えられる。熱/冷の二元論的分類には、天候や居住空間さらには生 態環境などもその分類範疇から分析されることがあり、これらは病気の診断を決める上で重要な要素となる。

また特異な自然的病因としては、アイレ(aire、 スペイン語で「空気」ないしは「疼痛」の意味)とススト(susto, 驚愕を意味)がある。前者は、空気の要素が身体に侵入したときに「アイレが入った」「アイレで痛い」というふうに説明される。間接原因として個人が養生を 怠ったこともあるが、あくまでも治療はアイレの除去にある。後者のスストは、なにかものに驚いたり、転んだりすると(意識はあるが)魂をその場所に落とし てしまい病気の原因となるものである(Rubel et al. 1984)。その場で、落ちた魂を取り戻すために背中をさすったり軽く叩いたりする。あるいは後にこの病気が判明したときには魂を取り戻したり強化する儀 礼をおこなう。これらの自然的病因論の考え方には、マヤ人が解剖学的知識に親しみ、全体論的認識をもって身体に関する豊かな語彙(e.g. 吉田 2002,2003)を発達させてきた歴史的経緯がよくうかがえる。

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Mitzub'ixi Quq Ch'ij, 2018

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