指導教員の〈正しい〉選び方
How
to seek out GOOD mentors in your
University Campus
教官=ペット樂説の解説=かいせつ:垂水源之介
受験生・学生・院生のみなさん!
みなさんは大学の指導教員を<常識的につきあえる人間>だと思って接して、手痛い傷を負った ことはありませんか?
大学の先生は、まずペットだと思わないといけません。ペットに手を噛まれて逆上するのは、 ペットの扱い方を知らない人です。また、ペットの中には、賢い奴や、飼い主より理性的な奴がいることを、ペットを飼った経験のある人なら誰でも知っている でしょう。また、幼年期にペットを飼ったことのある人は、それ(=コンパニオン・アニマル)が死んでも、自分の心の形成に大いに役立ち、皆さんが大きく なっても影響力をもっている場合もあることを知っています。
したがって、大学・大学院の指導教員の選び方は、まず<ペット選び>という観点を参考にする とよいと思います。
なお、下記の説明は、この指導教員=ペット樂説(学説の洒落です)から読み解いたものであ り、引用されている著者(=東郷雄二先生)のご意見ではなく、偏奇な引用者である池田光穂の個人的見解であることを、はじめにお断りしておきます。
この解説——水色の文字——は、もっとも適切に説明してくださっている東郷雄二[2000: 42-45][ページ末の文献参照]によります(ただし、文章は改変しております)。一段下げてある黒字は池田光穂のコメントです。
1)自分の研究テーマと交錯したり、近いと思われる先生を選ぶ
池田コメント:
餅屋は餅屋の論理です。しょせん、同学の師匠でないと、向こうさん(=指導教員)も情熱 を失いますがな。また、皆さんの仕入れた新しい情報などを提供してあげると、結構喰いついてきて、面白い話も聞けるかも。この面白さが学生本人ならびに指 導教員の両方の研究への情熱を高めるのでございます。
2)コンスタントに研究成果を学術論文の形で発表している先生を選ぶ
池田コメント:
尚古趣味の学生以外は、「もういっちゃった先生」は避けるようにします。過去の研究成果 という遺産や権威にしがみついていたり、好人物でも過去の学説しかフォローできない先生は、飲み友達として、人生の師として仰ぎましょう。したがって、こ ちらは愛玩用にします。したがって、勉強用には、ハードになるかもしれませんが、そこそこ研究成果をコンスタントに出している先生にしましょう。過去ん年 間に論文を書いていない大先生は敬して遠ざけます。
3)ていねいな指導をしてくれ(そうな)先生を選ぶ
池田コメント:
これは、何とも言えません。丁寧な指導が好きな人もおれば、ハードパンチャーと互角に勝 負したい学生もいるからです。丁寧ということばを、学問的に対して真摯というふうに読み替えれば、そのとおりです。
4)先生のテーマを押しつけない先生につく
池田コメント:
ここは、虚実皮膜にあります。近松門左衛門も言っている「芸」が、私のいう学問 (art)に相当するからです(これは衒学的な洒落です)。押しつけられても、かまわないマゾ的な快楽で勉強のドライブがかかる人と、押しつけられないこ とで、言外の教育に快楽を感じる人がおり、この2つのタイプの指導を同時におこなえる教師など、どこにもいないからです。また、教師の側から言わしてもら うと、指導的に(よい意味で)押しつけに伴うリスクについて思いをはさない教師など、ダシ殻みたいな存在です。
テーマは押しつけても、誉め上手の教師は、それなりに利用する価値はあります。
5)先生の研究室を訪問しましょう
池田コメント:
この助言こそが、もっとも素晴らしいものです。
ただし、会いに行く時は、きちんとアポイントメントをとって、礼儀を忘れないようにしま しょう。初対面の場合は、手土産が必要になるかというと、それは、お菓子ではなく、よく練られたリサーチプロポーザルやしっかりした文献リストのある先行 研究の批判的レビュー論文がよいでしょう。
先生の第一印象は大事です。先生も君に対して、ちょっとした皮肉や、揺さぶりの質問をし て、君の本当の実力をモニターしようとするかもしれません。バトルになる必要がありませんが、君の情熱を、その先生によくわかるような丁寧な説明に注ぐべ きです。
ただし、屋上屋を架すようですが、彼の指摘に、私は、(実際問題として)よい指導教員に巡り あえるのは運次第であり、また最悪の教員が時に結果的に最上の教員になったり、最良の教員も、やがてとんでもない悪者に化けることもある、 という項目も追加しておきたいとおもいます。その運は、教師が握っていることもあるし、学生が握っていることもあるということです。(学生=ノイラート 号・説)
東郷雄二『東郷式文科系必修研究生活 術』東京:夏目書房、2000年
東郷センセーは、今日の若者論で次のようなエエこ とを「ティラノサウルスは大衆消費社会を生き残れる か? 」(『京大公論』所収)に書いてはります。
「大衆消費社会を迎えた今日で は、自己実現は「消 費」の局面にすでにシフトしている。「よい会社」に就職してそこで産業社会の一翼を担うことには、もはや魅力が感じられないのである。会社に就職し社章を つけ、背広を着た画一的サラリーマンになることを嫌う大量のフリーターの出現は、このような変化とは無縁ではない。ストリートファッションに身を包み、髪 を染めてダンサーをめざすほうが「カッコいい」のである。この結果、産業社会を背景とする「階級上昇の装置」としての大学は、急速に意味を失いつつある。 生産局面における自己実現は、もはや若者に対するインセンティヴとして機能不全を起こしている。中島みゆきの歌うテーマソングでも話題になつたNHKの人 気番組「プロジェクトX」が一貫して光を当てようとしているのは、産業社会の戦士であったお父さんたちの世代が、モノの生産現場でどのように苦闘したかと いう涙の物語である。その意図は明らかに、うち捨てられようとしている産業社会の生産局面における自己実現を、もう一度前景化することにあるのだが、その 意図が若者にどこまで届くかは疑問である。番組を見て泣いているのはお父さんの世代だけのような気がする。」(出典はこちら)
・「議論をしている時に「私にとっての真理」と言った瞬間にこの人は、 intellectualist (-> intellectualism) かせいぜいよくてvoluntarist (-> doxastic voluntarism)で、決して「彼女にとっての真理」を「私のもの」と対等に相対的に見ようするわけではないことを肝に銘じよ。こういう手合いは馬鹿話だけにお付き合いして、真面目に議論したらあきません。君の指導教員でもそうです。アホの弁別方法」
【恐怖のリンク集】
かいせつ:本ページのオリジナルの文章[修正前]が収載されています。
かいせつ:論文指導のやり方/受け方
◆ 馬鹿者主義者同盟
The Life of the Mind: the philosophic pioneer, Socrates (ca.469–399 B.C.)