授業をよくする方法
How to enjoy and empower your students in your undergraduate class!!!
大学の授業をよくする普遍的な方法はありません(→最近の「私の教育について」)。
私たちができることは、学生たちのニーズを満たしつつ、かつ我々教師どもが授業の中で満足で きる、小規模な獲得目標掲げ、それに到達すべく具体的な実績を少しずつ積み上げてゆくことしかできません。
このような小市民的希望をもったとき、授業は多少なりとも、それ以前より改善されるような気 がするでしょう。
このページはその技術向上のためのヒント集です。
さあ、チャイムが鳴るまでの間、少し参考になることを述べましょう。
2.授業の時間的な経過/段階
授業には、その実施の手続きの時間的な経緯によって、次の6つの段階に区分することができま す。
(1)開講する以前の準備段階
(2)開講直前の段階
(3)授業中に起こることがら
(4)授業がおわった直後
(5)次の授業までの間
(6)すべての授業が終わった段階
以上のすべての段階において授業を改善するコツやノウハウがある、というのが先達が教えてく れた経験的事実です。
3.0 授業改善のノウハウ
授業には、時間的な経緯によって、次の6つの段階に区分することができると言いました。次ぎ にそれらのここの段階におけるノウハウを述べてみましょう。
(1)開講する以前の準備段階
(2)開講直前の段階
(3)授業中に起こることがら
(4)授業がおわった直後
(5)次の授業のまでの間
(6)すべての授業が終わった段階
3.1 開講する以前の準備段階
シラバスは学生のためのガイドである以前に、講義の目的やアウトライン、論理的展開の見 取りをモニターする試金石である。
シラバスには図表をとり入れて(教師本人にも学生にも)わかりやすく書くことを心がけ る。
シラバスは常にフィードバックして、学期の途中からでも変更を認める形式であることが好 ましい。(→シラバスの電子化、MLやBBSの活用)
配布する予定の資料や教科書をチェックする。
自分が一目おく同僚の授業を聴講する。
前学期におこなったことを(前学期の反省をもとに)再び開講することは好ましい。(ただ し最大3回まで)
これまでの授業における失敗をきちんと教訓にしているかを点検せよ。
3.2 開講直前の段階
教師は開講の目的、理念、達成目標をかならず確認し、それを実現するための具体的な方策 が練られているかを点検する必要がある。
教師は、受講する学生が大まかに次の3つのコースをたどることを予測し、それらのコース をたどる学生に対する助言を考えておく必要がある。
(a)授業を十二分にエンジョイし、学力を飛躍的に伸ばす学生。
(b)そこそこ教師の言ったことを理解し、それなりに満足する学生。
(c)理解できないばかりかひねくれて授業を妨害したり(e.g. 私語や内職)、ドロップアウトすることを余儀なくされる学生。
多くの学生の知的レベル、情報処理能力、判断能力を予測しておくとともに、その予測がし ばしば実測と異なるという経験的事実を忘れない。
授業には不測の事態が必ず生じる——雲古がしたくなる、プロジェクターのランプが切れる、配布するハンドアウトの部数が足りない等 ——ため、そのような不測の事態への対応を考えておく。
授業の精神的下準備をおこなう。
(1)「私は知識を教えるのではなく、勉強のスタイルを教えるのだ」という自覚= 「こんなことも知らないのか!」という文句は20回に一度に留めておく。
(2)最初は、中学生が理解できるぐらいレベルからはじめる=学生の恐怖心を解消す ることが何よりも肝心
(3)学生に投げかける難問を準備する=学生の好奇心を喚起する
4)90分の授業で学生に教え込む命題(テーゼ)はおよそ3つである。この3つが何 であるかを授業の前に必ず確認する。
3つ以下だと学生に「内容がない」と小馬鹿にされ、それ以上だと「難しすぎる、 内容が濃すぎる」と敬遠される。
5)紹介する参考文献を3つに絞る。あるいはチェックしておく文献は3点にしてお く。その3つの文献は授業内に適宜指摘できるように、十分に意識しておく(授業に持参するのが忘れないよい方法である)。
授業の冗談や前振りは5分間まで、次の5分間はアウトライン(梗概)を提示するために使 う。
論理的展開が要求されるのは学術論文である。学術論文を書くような論理的展開で授業の骨 組みを立てるべし。
かならずアウトラインを提示する。
空間的、時間的メタファーを活用する。
空間的、時間的メタファーを使うことで、考え方のモデルを図示しやすくなる。
箇条書きも忘れない。
60分経つと教師も学生も疲れのピークに達する。3分の休憩が残りの27分の授業を充実 させる。
休憩を含めた残りの30分は授業の復習、補足的説明、質疑ををおこなう(つもりぐらいの 余裕がよい)。
したがって、90分の授業は、最初の10分=イントロと梗概の提示、次の50分が本題で 3つのテーゼを紹介(紹介10分+各論10×3題+相互の関連づけ10分)する。3分休憩を取って、補足説明と復習15分、質疑応答10分の配分が、理想 的なモデルである。
実際の授業が理想通りの展開にならなくても挫けることはない。あくまでも理想論だから、 その際、こういう点が満足のゆく授業をおこなったと自分を慰めること。
ここが重要とか、「ここは星印だ」などを強調してメリハリをつける。
楽しいジョークは授業を活性化させる。
喜びは伝染するという教訓を忘れない
ある特定のカテゴリー他人を不幸にさせるジョーク(出自、ジェンダー、身体的特徴、 思想信条を絡める)は使わない。
社会的事実の誇張は、ジョークになるだけでなく、それ自体で問題発見のための論理的 トレーニングになることもある。
学生は授業中のジョークを結構覚えていることがある。
授業にディスカッションを持ち込むノウハウ
よい教師は、学生のほめるのが上手である。
臆病や無知は、はずかしいことではないという心理的デプログラミングは必要である。
身の回りのさまざまなエピソードを議論の素材に。
議論の到達点と反省点を学生に自覚させる。
授業中の教師の徘徊やオーバーアクションは、学生の眠気をとるよい方法である。
TAを使って授業中のビデオを撮らせる。
授業を楽しくするためには、教師がまず授業をエンジョイしなければならない。
学生の質問を楽しむ
学生の質問は、学生が授業に参画しているという意識(幻想かもしれない)にとって極 めて重要なものである。
学生にインタビューをすると、他人の学生の質問も自分が行っているような錯覚してい る場合が多くあるようだ。つまり、教師がおこなう学生への質問の答えは、どうも我が事のように聞いているふしがある。つまり、一学生への傲慢な答え方をす ると、それは全体に行っていることになるので要注意だ!
他方、教師は学生から受けた、それほど多くない質問を学生全体の質問として一般化す る誤りをしばしばおかすようである。つまり、数人から「分からない」と言われると、他の学生も理解していないような一般化をおこなう(その逆もある)。
学生質問に対する適切な答え方は次のポイントを押さえているかどうかということであ る。
(1)質問の意味を理解しているかどうかは、まず学生の質問を教師がまずパラフ レーズして確認するということだ。質問の意味を取り違えるのは、プロとは言えない。
(2)学生と対等な知識レベルと権利レベルにたつ。幼稚な質問は腹が立つものだ が、そこで怒ると教師は同じレベルに堕してしまう。まず、質問してくれたことに敬意を表し、また理解してもらうよう教師は努力している態度を見せることは 重要だ。
(3)余力があれば修辞上のトリックを使うことも重要である。より高度な質問を 自問し、それに答えることもパフォーマンスにはよい。下らない質問と思っていた他の学生にも、興味を持たせるからだ。
(4)ある程度、量を経験すると質問には出来不出来があることがわかる。よい面 を誉めよう。悪い面は文句を言わずに無視すべし。教師の務めは学生のよい面を引き出すことにあるのだから。
(5)究極の目標は、学生の質問を楽しめということに尽きる。ソクラテス以来、 教師はこの喜びのために生きているのだから・・・。
無能な大学 教師発見法(教師向け)
勉強できる身体改造 法(学生向け)
3.4 授業がおわった直後
魅力ある宿題を出す。
学生に宿題を作らせ、それについて自分で解かせる。これは、学生が授業で何が大切か を考えているかを教師が知るための重要な試金石になる。
学生に批評文を書かせる。
単に授業評価だけではなく、授業を改善するために、どのようにすればよいのか、建設 的な意見を書かせる。無責任な評価を避けるために匿名ではなく記名で返答させる。
もちろん学生の理解度や予習や復習に対する自己評価をさせる。問題になっているの は、授業の改善のために、教師も学生も辛口の批判を待っているという姿勢を示すことだ。
無責任で腹の立つ批評文に激怒しないこと。表現力のない学生は、しばしば粗暴なリア クションをすることがある。時には連中の精神的な安全弁となっているだろうし、抵抗の表現であることもある。メタメッセージを読むことに専心し、それでも 救いようがないレポートは無視すべし(それも又修行である)。権力を持つ者は教師であるので、濫用しない。フォースを信じるのである。
学生と仲良くする
学生と仲良くするということは、同学の士としてつき合うことであり、教師はパターナ リズムを持ってはならず、学生にはネポティズムを感じさせては決してならぬ。
かならずオフィスアワーを設定し、授業に関するよろず相談を設ける。
学生の名前を覚えてあげる。ただし、教師は学生の名前を忘れることを恐れないことも 重要だ。大切なのは、学生の顔を見て、学生の名前で呼びかけることである。
心理的に依存的な学生、ステレオタイプをなかなか捨てきらない学生、行動パターンが 多少逸脱している学生、これらの学生には教師もまた偏見をもちやすい。慎重に扱うことも重要であるが、対応する時間がある/ない、問題の所在はどこにある のか、などについては、他の学生と同様平等に対処することが重要である。
学生に聞いてよいこと/悪いことを区別する
師弟の関係は密接なほどよいが、社会的節度を守ることも重要である。
セクシュアル・ハラスメント(セクハラ)やアカデミック・ハラスメント(アカハラ) は言うまでもないが、学生のプライバシーを侵害したり、職務上知り得たことを、同僚や家族といえどもみだりに言うべきではない。
学生に関する証拠のない風評やうわさ話なども、教師が話せば、それだけで逸脱するこ とも言うまでもない。
また、公式あるいは非公式の場において、学生に面接インタビューする時には、人権侵 害になるような次のような発話や、そのことに関する情報の管理には十分気を付けておかねばなりません。
また、不必要な情報収集が、自分自身の中に余計な詮索を産むことについても自戒せね ばなりません。
3.5 次の授業のまでの間
学生が復習と予習を自発的に行わせるノウハウ
学生の個人的な接触(→MLの活用)
教師の復習と予習のプロセスを情報公開し、教師と学生が共に勉強しているという自覚 を学生に持たせる
失敗を自覚させる。失敗を自覚する意義はマゾ的に楽しむことではなく、失敗から学 び、最終的に自己を成長させることである。
授業外に復習のセッションをおこなう。
宿題の解法の相談にのってあげる。
授業が終わっても学生との関係が終わったわけではない。
その授業が学生にとってプラスのインパクトを与えた場合、学生が転学部したり、大学 院生になったり、また後の人生に影響を与えることもある。これらは、教師にとっての喜びである。
失敗から学ぶ。
学生の下らない質問に過剰に反撃して撃沈し、気まずい思い出をつくったこと、特定の 学生に対して温情をもち、別の学生に非礼に取り扱ったこと、などの苦い思い出を忘れないようにしよう。
楽しい経験は形に残そう
その専門分野の研究に役に立ちそうもない場合は、その分野の教育手法関連の論文や研 究発表として役立てよう。
自分の成功は他の同僚と分かち合い、失敗は同僚が助言や救いの手をさしのべるのがよ い職場だ——そのような雰囲気がない場所だったら、職場を変える努力に着手するか転職を考えたほうがよい。
熱心だった学生とともに、授業の資料集を作ってみるのも面白いかも知れない。
これまでのまとめ(垂水源之介、独白)
大学の授業をよくする普遍的な方法はありません。
しかし、このような常識すら知らない、大学経営者や消費者の代表づらをする自称「一 般学生」が、次々と理不尽な授業改善要求を突きつけてくるのはこまったものです。
そういうパノプチコン的権力には、労働者としての権利と義務概念で武装する古典的な 方法以外に対決策はないようです。
そのためにも、自分たちの努力の記録を正確にモニターすることは必要なのです。
私たちができることは、学生たちのニーズを満たしつつ、かつ我々教師どもが授業の中で満 足できる、小規模な獲得目標掲げ、それに到達すべく具体的な実績を少しずつ積み上げてゆくことしかできません。
授業が上手にできないという悩みは、大学教師にとって永遠の悩みです。大切なこと は、日々の自己の改善と、それに対する反省的視点、そして、適度の自己満足を得ることです。授業を結果的に悪化させるような助言は、たとえ善意からのもの としても、よく警戒してとりかかることが重要です。
あなたの努力をポジティブに評価してくれるサイレント・マジョリティーがどこかにい るはずです。
希望を捨ててはなりません。
さあ、チャイムがなりました、今日もがんばってよい授業をしましょう!
【ワンポイント・メモ】
2つのキーワード:フール・プルーフとフェイル・セーフ
教師として失敗を回避する方法には2つの発想法をもって区分すると便利です。すなわち、フー ル・プル ーフ(fool-proof)とフェイル・セーフ(fail-safe)です。つまり、前者は、俗に馬鹿でもできると いうことですが、差別的な意味ではなく、はじめての連中でも理解できる、ないしは理解できる糸口がな いと、受講生は認知的障碍にであって学ぶ意欲を失う可能性があるということです。そこから生まれる教 訓は、相手の質問の理解度をよく把握し、それに応じた対応をすることです。後者は、学生が理解に失敗 しても、逆ないしはとんでもない理解をするような認知的水路づけを排除するように説明するということ です。学生は、先生の言うことは正しいと信じる傾向がありますので、その生半可な知識を別のところで 否定されると、教師の説明を自分が理解できなかった事実を棚に上げて、教師を非難する羽目になりま す。学生が陥りやすい誤った理解パターンをよく理解できてこそ、よい先生なのである。
練習問題!
他山の石コーナー
世に数多ある、授業をよくする方法においても、あまり関心のしないものがあります。しかし、 悪いアドバイスも、批判的考察の対象として相対化すれば、役に立つ教訓があります。
次の文章をごらんください。著作者は、北海道大学高等教育機能開発総合センターです。(/は 改行です)
「授業改善の第一歩は,授業を事前に周到に設計することです。 /つぎのことを意識する必要があります。ご承知のように,現在進行しています大学評価はその大学の理念,目標を実現するために,具体的にどうしているかが 問われます。教育の最前線である授業も,大学,学部等,組織のなかでの役割を踏まえる必要があります。
「あなたの授業はどうして必要なのですか?」 「あなたの授業は大学,あるいは学部でどんな教育的役割を担うのですか?」 「あなたの授業と他の科目との関係は何ですか?」 「学生に何を学んでほしいのですか?何のためですか?」 「与えられた回数の授業を受けることで,学生が何を身につけたといえるようになるのですか?」 」
出典:http: //socyo.high.hokudai.ac.jp/HowtoL/Howto2.html(2003年1月7日)
もしみなさんがいま仮に再教育される教員として、この組織によるアドバイスをレクチャーとし て聞いていることを想定してください。
私がこれまでアドバイスしてきた理念とどのように違っているのか指摘してください。私の回答 はこうです。
1.授業をよくすることを、内発的な理由から考えず、大学改革という外圧という視点から 考えている。つまり、この文章の作者たちは授業改善を、教育モデルではなくビジネスモデルで考えている。
2.改善のやり方について、どこかに共通で普遍的な方法があるという「予断」がある。つ まり、授業は学生との相互作用からなりたつという考えが稀薄である。
このマニュアルの理念は、あくまでも組織の延命のための授業改善であるかのようです。残念な がら、私は、このような考え方には与したくありません。
リンク
文献
クレジット:授業をよくする方法(フルテキスト版):若い大学教員への助言
Johann Amos Comenius (1592—1670)
ca. 1620 『現世の迷路と魂の天国』
1631 『語学入門 Janua linguarum reserata』
1633 『語学入門手引き Janua linguarum reseratae vestibulum』
1645 『汎覚醒 Panegersia』(Pansophia シリーズの刊行をはじめる。未完)
1657 『大教授学』
1658 『世界図絵 Orbis pictus』
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
歴史的資料:「教務委員長経験者からすべての学習者への
メッセージ(2009)」