大学3年間で卒論は書ける!
積み上げ型教育理念に騙されないようにしましょう《実践編》
佐脇嵩之『百怪図巻』「猫また」
4年制大学の学生の皆さん!
みなさんは、卒業論文を大学生活の総決算、優秀の美を飾る学問の締めくくりと、間違った理想化を していないでしょうか?
私(=池田光穂)は、卒業論文の必須化には反対論者です。つまり、卒業論文を書いて卒業してもよ いし、卒業論文を書かない学生は、それに相当する自由単位の蓄積(元職場であったK大学の文学部では8単位が卒論の単位なので、それに互換する単位)があ れば、卒業要件をみたすものと考えてもよいと考えています。
《注意!》これは私の個人的な意見で、本学では卒業論文は必須です。したがって、私の考えを 支持し、それを実行しても、現在の履修規則では卒業できないことを、きちんと理解して以下の本文をお読みください。
その理由を以下に説明しましょう。
まず、卒業論文のレベルが低下する傾向にあり、この経験は我々の同僚の先生の多くが共有していま す。
なぜでしょうか? その理由はいくつか考えることができます。
【経済的社会的背景】
1.バブル経済(プラザ合意1985〜株価急落1990)崩壊後の長期的な不景気による 雇用機会の低下。現在なら、ポスト・リーマンショック(2008年〜)以降の景気の上向き傾向
2.就職協定の廃止により、3年生の1月ぐらいから始まり、同じ年の6月ぐらいまで続 く、就職戦線の長期化。
番外.(→「現代社会
が抱える問題とその処方のヒント集」)
【学生の資質や関心の低下傾向】
3.18歳人口の長期的な低下と、それに伴う大学そのものの難易度の低下。
4.文学部の関連学問(いわゆる哲史文という、哲学・歴史学・文学の領域)への関心の低 下と社会の評価の低下、すなわち不景気下における実利的な学問に対する関心の増大を受けた余波による活力の低下。
5.受験戦争の緩和が生んだ、学問の一元的価値神話の崩壊と、学問をすることの社会意味 の相対的低下。
【学習環境の変化】
6.社会人入試などの現象が引き起こした、「学問は若い時代にしかできない」という緊張 感の低下
7.経営的関心しかない私立大学の増加による教員の人口の増加と、その人口増大による大 学教員の質の低下。ならびに大学の序列化傾向。
8.ダブルスクール現象に見られるような「大学は役に立つことを教えてくれない」という 評価の確立。
9.専門学校やインターネット等による大学以外の専門教育の受講機会の増大
これらの複合的な要因によって、学生が卒業論文に割くエネルギー・知力・創造力・想像力は低下し てきました。それが卒論のレベルの低下につながっています。
このように考えると、4年間で満足に卒論がかけない状況なのに、なぜ3年間で卒論を書けると言う のだろう? それは無謀なことではないか? という疑問が出てきそうです。
ところが、そうではないのです!
そのように考えられないのは、皆さんが「卒論は4年間の勉強の総決算である」という固定観念から 自由になっていないからなのです。
以下に、現在の学生の卒論執筆の現実を書きましょう。
1.学生が卒論に純粋に着手できるのは、就職の内定が決まる6月からである。公務員試験を受 験する者は、さらに遅れて8月の末以降である。
2.卒論の締め切りは12月末から1月上旬です。したがって最大6ヶ月ほどしか卒論に専念す ることができません。
3.さらに恐ろしいことに、3年の12月から就職活動に専念してきた学生は6月までの間、就 職活動に専念することになります。その間、学生の頭の中は就職のことで精一杯、卒論のことを考えていると「二兎を追う者は一兎を得ず」で就職戦線には敗北 の運命にあります。
もし、この期間に卒論のことを考えておけという指導教官がいたら、そいつは学生の幸せを 考えない不逞な輩ということになります。
4.最大の問題は、就職期間のブランクです。卒業生がよく言う話ですが「卒業して半年たった ら大学が遠い昔に感じる」というのは真実です。だかそれは仕方のないことです。若くて適応能力のあることの証です。だが、大学生の最後の年に勉強が半年間 ブランクが空くことは致命的です。
5.要するに3年生の1月から半年間のブランクで、大学生の頭脳は完全にまっさら、要するに フォーマット済みのディスクのようなもので、勉強モードに戻るのは半月から1ヶ月かかります。
6.もちろん6ヶ月の緊張から解放された学生を、いきなり卒論に追い立てる指導教官がいた ら、その先生は血も涙もない奴です。就職が内定しても2週間程度のヴェケーションが必要です。
7。そうこうしてゆくに、やがてエンジンがかかりますが、実際卒論でガンガンがんばれるのは 10月から12月までの3ヶ月です。文献調査ならなんとかなるでしょうが、フィールド系の学問では満足に卒論は書けないでしょう。
そのような状況を打開するには、どうすればよいでしょうか?
その《答え》はひとつ3年の冬つまり12月末に卒論を完成に近いかたちで仕上げておくことです。
4年生の10月からの3ヶ月は、前年にやっていたことのブラシュアップに専念します。
このプログラムによると、とんでもない良質の卒論を仕上げることができます。
そんな虫のよい話はあるのでしょうか? → あります!
その根拠を書きます。
1.短大において卒論を科している大学があり、2年間でも論文は書けるという厳然たる事実が あること。
2.3年の12月までの期間には、大学生にはブランク(空白)の時期がなく、コンスタントに 勉強していますので、こつこつと積み上げるタイプの勉強をしていけば、理論的にも実践的も無理はない。
3.現実の教育現場での教官の学生に対する心証は次の通りです。
1年生は一般教養の柵に囲われて専門教育の先生方と触れるチャンスが少ない。2年生は進 学した当初の年で、専門教育の基礎学力をつけるので精一杯。3年生は、専門教育に慣れてきて、また指導教官がどういうものであるのかがわかり(ある種の恐 怖感もなくなり)一番勉強できる。4年生は就職活動や公務員の勉強をしている連中は、指導教官は《大学の、つまり卒論の》勉強をしろとは遠慮して言えなく なり、9月に大学に帰ってきた連中は、もとの黙阿弥、つまり3年生の初期のレベルに戻っている。
したがって勉強に向いた学生は3年生に他ならないという結論になります。
なお、では、どうすれば3年間で卒論を書くことができるのか?
2年生が終わった時点で、自分の研究のテーマをはっきり見つけることです。
おもしろいテーマについて勉強を重ねてゆきますが、専門家(指導教官でなくとも、おもしろそうだ と思った先生)に思い切ってアドバイスを求めてみる。今だったら、電子メールで他大学の先生にメールを書いてもよいかもしれません。
そして、3年の12月に論文を書くことを前提に、3年生に進学した早い時期に、論文の梗概(アウ トライン)や章立てを考えてみることです。
つまり、リサーチプロポーザルを 書いてみることです。
同学の士(勉強のことで相談できる友達)と思う奴に見てもらったり、見たりすることも重要です。
要は、自分がやりたいことを、早め早めにやってみることです。
この時点での失敗や、思慮不足は、のちの論文作成のための《肥やし》(=栄養分)になります。
さあ、決断は今!
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