生殖に関する観念
Folk concepts on conceptions
解説:池田光穂
生殖にかんする観念
近代生物学の知識によれば、個体の発生はそれぞれ半数の染色体をもった卵子と精子が受精することによって始まる。この「事実」が現在の学 校教育やマスメディアの中で繰り返し強調されるのにもかかわらず、我々の日常会話において語られる‘生殖’や‘遺伝’についての考え方はニュアンスを異に する。むしろ、生殖という現象は‘血液’や‘体質’と言った概念を通してより具体的に表現され、生物学の歴史やいろいろな民族の生殖にかんする観念にその 実例を求めることができる。
アリストテレスは、血液から「スペルマ」が作られて、それが男では精液となり女では月経となると主張した。ガレノスは2世紀にヒポクラテ スの理論を発展させて、精液は「生殖に伴う快楽」のゆえに男女から作られたものであり、男女の「シーメンス」(種液)が混じり合って生命が誕生するとし た。この考え方は17世紀後半になるまで生殖にかんする理論の主流となった。
前成説(★いつ頃できた? )はこの考えに対して、子宮にこそ生命の源である卵が存在し、精子は卵を成長させるための必須のエネルギーであると主張す る。あるいはこの時期に発明された顕微鏡を使うと精液中に‘生物が発見された’ことから、精液のなかの「精虫」が人間の原型をしているという精子論という 理論が現われた。
伝統的な社会においても生殖にかんするいろいろな考え方がある。メラネシアのトロブリアンド諸島では、人びとは性交と出産を別なものとし て考え父親の精液を出産の直接の原因としないにもかかわらず、父子間で顔貌が似てくることは相互の‘霊的な紐帯’であり、子供が母親の親族と似るというこ とは一種の侮蔑の表現であった。インド社会はカースト制でつとに知られているが、カーストの相違を説明するのと同様、ふさわしい結婚−−それはふさわしい 嫡子を得ることを意味している−−も‘血’の組合せによって説明される。嫡子が得られないことは、相互の家系における‘血’がうまく混じり合わないせいで あるとされる。またある社会(★ どんな?)において男性が胎児の‘骨’を、女性が‘血と肉’をもたらすと奇異に聞こえるが、現在の日本の家庭においても 子供の姿を観察しながら「ここは母親、あそこは父親‘ゆずり’である」と言うことは普通に見られ、生殖にかんする民俗観念は我々の社会でも実際はごく一般 的に通用している。
《Great Joy of Coitus》:婚姻してセックスするから子供が産まれる(=経験的事実)こと。そして、妊娠のメカニズムに 関する民俗的説明(=赤ちゃんの精霊がクランからその女の夢 の中に移行する)の共存は、当事者たちにとって矛盾しない。しかし初期の人類学者(民族学者)たちは、前者のコモンセンスの部分を捨象して——なぜなら研 究者も知っている事実だから、読者を喜ばせられない——後者を強調する。こうして《民俗生殖論》という研究ジャンルができあがりました——人類学の教育者 としての僕の反省でもあり感慨でもあります。——2014年追記
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