避妊・堕胎・嬰児殺し
Contraception, abortion, and
Infanticide
解説:池田光穂
避妊(ひにん)・堕胎(だたい)・嬰児(えいじ)殺し
出産は子孫を後世に残していく作業の一環(すなわち生殖)であり、時間的にはそれに次いで育児が待ち受けている。出産には性交が必要であ るであるが、性交にとって出産は必須ではない。人間の性行為には文化的にさまざまに意味づけをされて単なる生殖行為とは見なされない側面が多いことは周知 の事実である。避妊、堕胎、嬰児殺しは多くの社会において知られており、「生殖としての出産」が性行為との関連の中でどのような位置づけをされているかを 知る里程標となる。
現在、避妊具のひとつとされているコンドームは19世紀にイギリスで製造が始まった。またより確実性の高い方法として経口避妊薬や子宮内 避妊具(IUD)がある。しかし、避妊に対するさまざまな習俗は歴史的にも古くから存在しており、いろいろな民族によっても報告されている。西アフリカの ヨルバ族では禁欲が行なわれ、フォン族(ダホメ)では産後の一定期間にわたる性交は禁忌である。ナイジェリアのイボ族では長期の授乳によって(生理学的に は排卵が再開されずに)次の妊娠が回避される。オセアニアのティコピア島民やザンビアのベンバ族では性交を中断する方法が知られている。
妊娠を回避し出生をコントロールするという点で堕胎は避妊の延長上にある。東アフリカのチャガ族や西アフリカ・ガボン共和国のファン族で は出生を抑制するために堕胎がなされていた。一般的に堕胎や嬰児殺しといった現象は、生存環境がきびしく食料が不足しがちな共同体や、未婚の娘や未亡人が 妊娠し出産することに対してきびしい制裁を与える社会でよく見られるという。前者の例として、サン族や極北の諸民族では嬰児を生き埋めにしたり、移動の際 に置き去りにする習慣が存在したし、日本における間引きも同様のものと理解されている。後者の例としては、中世初期のヨーロッパにおける堕胎薬草(ヒノキ 科サビナJuniperus sabina)の乱用や、江戸時代における都市では中条流などに代表される堕胎専門医があった。
嬰児殺しが子供の性別によって行なわれる社会もある。世界的には女児殺しが男児殺しよりも多く観察されるが、パプア・ニューギニアで一夫 多妻をとるムンドゥグモール族の父親は、男児の出生を嫌って殺すこともあったという。父系に沿って家族が継承されるインドや中国の社会では、女児殺しが選 択的に行なわれて、男女の性比が著しく異なった共同体(例えば南インドのトダ族)もある。むろん女児殺しを行なわなくても出生後、女児よりも男児に手厚く 育児を行うことによって、乳幼児期の男女の死亡率が異なり、間接的に性による間引きを行なっていることもある(アマゾンのヤノマモ族)。今日のインドで は、近代医療による羊水診断の導入が、女胎児の選択的中絶を引き起こしていることも新たな問題を引き起こしていると指摘する学者もいる。
デイリーとウィルソン「第3章 嬰児殺し」『人が人を殺すとき』長谷川真理子・長谷川寿一訳、新思索社、1999年(Martin
Daly, Margo Wilson, 1988. Homicide, New York : A. de Gruyter.)
双児の出生も特別視されやすく、祝福される場合もあるが、その場合も特別な儀礼を受けなければならならず、いくつかの社会ではその一方な いしは双方が殺されたという。
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