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生態人類学
ecological anthropology
生態人類学(ecological anthropology)は、1980年代にそれまでの生態学研究と人類学的研究の総合を目指して形成されてきた学問である。
そのため、生態人類学を理解するためには、1980年以前の生態学研究と人類学研究の関係がどのようなものであったのかについて分かれば、さま ざまな専門用語でできているこの学問の見取り図について適切に理解できるだろう。
北米の偉大な人類学者ジュリアン・スチュアート(スチュワード:Julian Steward, 1902-1972)は文化生態学(cultural ecology)の提唱者として知られているが、彼は、人間の文化社会的生活と人間を取り囲む生態的環境について包括的に理解する必要を感じていた。この 2つのドメインを媒介するものが、人間の技術・物質文化・および経済活動であると考えた。ジュリアン・スチュアートによると、それまでの人間生活と環境の関係について の従来の研究は、環境決定論か、環境可能論の両極に分解していた。環境決定論は、人間の文化的社会的要素は生息環境に一義的に決まるという考え方であり、 他方の環境可能論は、人間の環境適応や克服を重視して環境決定を過小評価する見方といってよい。
「人類学者エルマン・サーヴィス(Elman Rogers Service, 1915-1996)が提唱した、社会進化の4つのレベルを、バンド、トライブ、首長制、国家という。サーヴィ スはおもに、パラグアイにおける文化進化(cultural evolution)を調査した人類学者である。基本的には狩猟採集民の社会形態である血縁集団を中心とするバンド、親族集団が拡大しながらもその親族集 団にもとづいて政治権力が行使されるバンド(部族)、より効率的なマネジメントによる利得("managerial benefits")による中央集権的な組織や官僚制の萌芽がみられる首長制——ここでは支配と被支配や従属という政治権力がより明確になる——から、 (マルクス主義階級論が主張するような)資源へのアクセスの不均衡よりも純粋に政治権力の不均衡にもとづく支配ー従属が、首長制よりもさらに洗練された国 家——文明は国家形態によって支えられる——という、4つの社会形態がみられるとした」(→「バンド・部族(トライブ)・首長制・国家」)。
1960年代は、国際地球観測年(1957-58)の成功の影響を受けたシステム生態学の父コンラッド・ワディントン(Conrad Waddington, 1905-1975)らの提唱による国際生物学計画(International Biological Program, 1964-1974)がはじまり、地球上の生物現存量(バイオマス)やそれらの循環のダイナミズムに関する方法論と、それにもとづく基礎的な知識が生産さ れた時代である。
システム理論(system theory)と生態系生態学(ecosystem ecology)が盛んになり、人類学研究においてもそれらの方法論を用いた民族誌と大胆な仮説検証タイプの自然科学的方法論がマッチングした研究が数多 く出た。
人間と人間以外の動物を含む生態系についての人類学的研究と密接な関係をもつ重要な研究として、行動生態学(behavioral ecology)、進化生態学(evolutionary ecology)、社会生態学(socioecology)、社会生物学(sociobiology)などの領域が生まれた。
その中で、生態人類学は当初、エネルギーフローモデルにもとづいてやシステムの均衡を前提にする、生態系生態人類学(ecosystem ecological anthropology)が主流であったが、のちに、これらの問題を克服するために、より民族誌的な文脈のなかで、行動と生態との相互作用により焦点を 当てたプロセス生態人類学(processual ecological anthropology)が優越するようになり、今日に至っている。
プロセス生態人類学のなかでの有名な理論として最適採食理論(optimal foraging theory)がある。
なお、スチュアートは、「進化」という用語は19世紀の考え方をひきずっており、使うことに躊躇するが、それ以外の言葉がみつからないので、仕方なく使う旨の発語をしている(スチュアート 1979:3)。
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