ジュリアン・スチュワードと地域研究
How to continue your useful
interdisciplinaries approaches
このページは「学際研究を継続させる要因とは何か」 からの分枝である。ここでは、ジュリアンスチュアードと地域研究の関係について論じる。地域研究については「地域研究」「エリアスタディーズ」ですでに論じておいた。
行動科学研究と関連しつつ独自の発 展をとげたのが地域研究あるいは地域文化研究(cultural area studies)である。本来、地域文化の研究は地理学が先鞭をつけていたが、その議論は気候決定論――人間の思考はその土地の気候=風土(英語では共に climate)が決定する――に代表される環境決定論の一種であった。しかしながら文化人類学者アルフレッド・クローバーが戦前にすでに先鞭をつけてい たが、生態学的条件や社会構造あるいは文化伝播、さらには当該の文化における伝統技術の変化など、環境決定論をよりさらに洗練された文化地域的概念がエルマン・サービスやジュリアン・スチュワード(Julian Haynes Steward, 1902-1972) などによって戦後に提唱された。この学派は、文化的広がりには環境決定論だけでは説明できない多様性があると主 張し、多角的な方法論による地域社会の情報収集と分析、すなわち地域文化研究の重要性を指摘した。彼らはその多様性を生みだす背景にはきちんとした説明可 能な理論があると考え、その根拠を生物進化論の基礎に立った文化の進化というモデルに求めた。それゆえ彼らは新進化主義者と呼ばれることがある。
Unidentified Native Man
(Carrier Indian) (possibly Steward's informant, Chief Louis Billy
Prince) and Julian Steward (1902–1972) ,
Outside Wood Building, 1940
こ れらの延長上にクローバー流の文化主 義的な伝統として統合させるために、学際的方法論が求められることを強力に主張したのがジュリア ン・スチュワード(1950)である。文化人類学者であった彼の『地域研究』(Area Research)という著作の中には、まさに環境決定論では解明できない地域に関する情報が、フィー ルドワークを 通して多角的かつ濃密に収集され、学際 的に分析されることが期待されている——大変、興味ふかいことにスチュアードには文化人類学がフィールドワークの帰結としての「民族誌」の制作ということにはそれほど大きな関心をもっていないことだ。
このような研究領域がアメリカにおいて重要視された のは、単にこれらの研究者の主張の正当性だけでなく、戦後の冷戦 構造の中での地政学的な理解が、「文明」に代表されるような大きな地域的広がりと非政治的なものとしてではなく、メディアや運輸手段の発達による民族移動 やそれに関連する政治的イデオロギーの動向、さらには現地社会の民族間関係など、生きた「現地の文化」の動態として把握される必要が生じたことと関連して いる。このような地域研究の発展は、先に述べた行動科学の発達と相互に関連し、アメリカの文化人類学が戦後の国民科学(national science)を担う一翼として隆盛したことと無縁ではない。
以 上のような学際研究の発展に関する事 例のひとコマから我々が学ぶべきことは何であろうか。それは(前節で紹介した不知火海総合学術調査 団とは異なり)先行する学問的知識の国家総動員態勢の見本ともいえるべきものである。そこには学際研究が要請される背景には、その社会(アメリカ合州国) にとっての有用性が主張されている
そ れゆえに、学際研究が求められる背景
には、その研究を推進させるための強い実利的要請――かりにそれが先のような水俣学術調査のような
オカルト技術的な要請であっても――があると考えるべきなのである。そのような枠組みで本研究を眺めてみると、どのようなことが言えるであろうか。それ
は、現
今の保健医療協力における「持続可能性」を考えることは極めて重要な課題であると、研究申請者(つまり本研究の代表者ならびに共同研究者)も研究費を授与
した組織(国立国際医療センター)も認識していていること。さらにより一般的に、地球環境危機に関するグローバルな問題に端を発する生態学的な意味の「持
続可能性」の概念は極めて重要であると認識されていること。また現代社会における持続可能性の概念は、その生態学的な重要性のみならず、人間社会の健全さ
の持続性を可能にするものであると理解されていること、などが指摘できる。それにも関わらず他方で、保健医療協力における「持続可能性」の定義に関する合
意が十分に形成されなかったし、また混乱が続いていることも事実である(池田 2005)。
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