環世界(かんせかい)・ウンヴェルト
Umwelt
エルンスト・ヘッケルの著作から// 映画『ターミネイター(The Terminator, 1984)』でターゲットを補足するターミネイターのビジュアルイメージが提示される
環世界(ウンヴェルト、Umwelt)=かんせか い、とは、ある生物——種内で共有する知覚があることが前提——が経験している知覚世界のことをさす。人間や類縁の他の動物(例:哺乳類)は、さまざまな 知覚能力を駆使して、世界のなかに主体的に生命活動をおこなっている、つまり生きている。生物が、そのことを自覚するか否かとは無関係に——あるいは問わ ずに、生物はさまざまな知覚経験を有しており、外界の刺激に反応したり、その外界にふさわしい行動(例:被捕食者に対して攻撃をしかけそれを殺傷し、摂食 する)をおこなっている。生物の行動とセットになった、このような知覚世界を、バルト系ドイツ人のヤコブ・フォン・ユクスキュル(Jakob von Uexküll, 1864-1944)は、環世界=ウンヴェルトと呼んだ。ユクスキュルの着眼点において特色ある点は、動物が外界世界を生きている時 に、それぞれの動物の固有の知覚経験に基づいていることを、その知覚経験を共有していない人間は留意し、擬人化を含む安易な人間主義的理解の陥穽に陥らな いことを主張したことにある。
"In the semiotic theories of Jakob von Uexküll and Thomas A. Sebeok, Umwelt
(plural: umwelten; from the German Umwelt meaning "environment" or
"surroundings") is the "biological foundations that lie at the very
epicenter of the study of both communication and signification in the
human [and non-human] animal".[1] The term is usually translated as
"self-centered world".[2] Uexküll theorised that organisms can have
different umwelten, even though they share the same environment. The
subject of umwelt and Uexküll's work is described by Dorion Sagan in an
introduction to a collection of translations.[3] The term umwelt,
together with companion terms Umgebung (an Umwelt as seen by another
observer) and Innenwelt (the mapping of the self to the world of
objects),[4] have special relevance for cognitive philosophers,
roboticists and cyberneticians, since they offer a solution to the
conundrum of the infinite regress of the Cartesian Theater." - Umwelt wiki . |
ヤ
コブ・フォン・ユクスキュルとトーマス・A・セボックの記号論において、ウムヴェルト(複数形:umwelten、ドイツ語で「環境」または「周囲」を意
味するUmweltから)とは「人間(および人間以外の)動物におけるコミュニケーションと記号化の両方の研究のまさに震源地に位置する生物学的基礎」で
あり、この言葉は通常「自己中心の世界」として翻訳される[2]
ユクスキュルは、生物が同じ環境を共有していても異なるウムヴェルトンを持つことができると理論化している。ウムヴェルトの主題とユクスキュルの仕事につ
いては、ドリオン・サガンが翻訳集の序文で述べている[3]
。ウムヴェルトという用語は、付随する用語であるウムゲブング(他の観察者から見たウムヴェルト)とインネンヴェルト(自己と対象の世界とのマッピング)
[4]
とともに、認知哲学者、ロボティシャン、サイバネティックスにとって特別な関連性を有しており、デカルト劇場における無限後退の難問に対する解決法を示し
てくれるからである。 |
"Uexkülls Buch „Umwelt und Innenwelt der Tiere“ (1909) setzt eine philosophische Begründung der Biologie als Wissenschaft vom Lebendigen. Der Ausdruck „Umwelt“, zuvor kaum alltagssprachlich geläufig, wird hier terminologisch eingeführt. Er ist streng zu unterscheiden von der Umgebung eines Organismus. Die Umgebung nimmt Lebewesen als Objekte auf, die Umwelt aber wird von ihnen gestaltet. Ein Lebewesen ist immer auch seine je besondere Umwelt. Seine Grenzen sind nicht durch seine Oberfläche (Haut) gegeben, sondern durch seine Wahrnehmung und seine Aktivität, seine Bewegungen in Raum und Zeit. Uexküll sagt, jedes Tier habe seine eigene, „subjektive“ Zeit und seinen „subjektiven“ Raum..... Die Umwelt des Tieres spiegelt sich in seiner Innenwelt; diese wiederum gliedert sich in eine Merkwelt und eine Wirkwelt. Die Merkwelt bedeutet das, was ein Organismus wahrnehmen kann, die Wirkwelt, was er zu tun imstande ist. Zwischen beiden besteht eine Wechselwirkung, die von Uexküll „Funktionskreis“ nennt.[10] Sein berühmtes Beispiel: die Zecke. Zecken können drei Aspekte der Welt „merken“: oben – unten, warm – kalt, Buttersäure: ja oder nein. Diesem sinnlichen Vermögen entsprechen Organe, die etwas in die Tat umsetzen, also bewirken können, was letztlich der Fortpflanzung und Arterhaltung dient, Krabbeln, Warten, Zupacken. Die Umwelt der Zecke ist einfach, aus diesen drei Bestandteilen komponiert. Ihre subjektive Zeit ebenfalls: sie kann über Jahre leben, ohne dass etwas geschieht, plötzlich erscheint ein Warmblüter, die Zecke erfüllt ihre Mission und stirbt alsbald. Revolutionär an Uexkülls Ansatz ist, dass Lebewesen nicht isoliert betrachtet werden.[11] Zu einer Spinne gehört auch ihr Netz, das Netz wiederum ist ein Abbild der kommenden Beute. " - Werk-Jakob Johann von Uexküll. | ユクスキュルの著書「動物の環境と生命」(1909年)は、生命科学と
しての生物学の哲学的基礎を打ち立てている。これまで日常的に使われることの少なかった「環境」という言葉を、ここでは用語的に導入している。生物の環境
とは厳密に区別されるべきものである。環境は生き物をモノとして取り込むが、環境は生き物によって形作られる。生物は常にその特殊な環境でもある。その境
界は、その表面(皮膚)によって与えられるのではなく、その知覚と活動、空間と時間におけるその動きによって与えられる。ユクスキュルは、すべての動物に
は、その動物なりの「主観的」な時間と「主観的」な空間がある......と言う。動物の環境は、その内面世界に反映され、メルクウェルトとウィルクウェ
ルトに分けられる。Merkweltとは生物が認識できること、Wirkweltとは生物が行うことができることを意味します。両者の間には相互作用があ
り、フォン・ユクスキュルはこれを「機能的円環」と呼んでいる[10]。
彼の有名な例として、ティックがある。マダニは、上-下、温-冷、酪酸:有-無の3つの局面に「気づく」ことができる。この感覚能力に対応するのが、何か
を実行に移す、つまり実現する器官であり、最終的には生殖と種の保存に役立つ、這う、待つ、掴む、である。ダニの環境は、この3つの要素で構成されるシン
プルなものです。その主観的な時間も同様で、何年も何事もなく生き、突然温血動物が現れ、ダニはその使命を果たし、やがて死んでいく。ユクスキュルのアプ
ローチが画期的なのは、生物を単独で考えないことである[11]。 クモはその巣も含み、その巣は来るべき獲物を映し出すものである。 |
How did Heidegger understand Umbelt in his book, Being and Time? In Martin Heidegger's book "Being and Time," he introduces the concept of "Umwelt" as part of his exploration of the nature of being-in-the-world. The term "Umwelt" is a German word that can be translated as "environment" or "surrounding world." Heidegger's understanding of Umwelt is deeply intertwined with his broader philosophical framework, particularly his analysis of Dasein, which is his term for human existence. For Heidegger, Dasein is not just a subject that exists in isolation from the world but is rather always already situated within a context or world. Umwelt, in Heidegger's terms, refers to the specific environment or world in which an individual Dasein finds itself. This environment includes both the physical surroundings and the social and cultural context in which Dasein exists. Heidegger emphasizes that Dasein is always already embedded in its Umwelt and that our understanding of being is shaped by this context. By exploring the concept of Umwelt, Heidegger seeks to highlight the idea that human existence is fundamentally relational and contextual. Our understanding of ourselves and the world is not something that we possess in isolation but is rather shaped by our situatedness within a particular environment. Overall, Heidegger's understanding of Umwelt in "Being and Time" underscores the interconnectedness of human existence and the world in which we find ourselves, emphasizing the idea that our being is always already intertwined with our environment. Dialogue with Chat-GPT 4.0 (April 27, 2024) |
ハイデガーは著書『存在と時間』において、ウンヴェルトをどのように理解したのか? マルティン・ハイデガーは著書『存在と時間』の中で、世界における存在の本質を探求する一環として「ウムヴェルト(Umbelt)」という概念を紹介している。Umwelt」とはドイツ語で、「環境 」や 「取り巻く世界 」と訳すことができる。 ハイデガーのウムヴェルトに対する理解は、彼のより広範な哲学的枠組み、とりわけ人間存在を表す用語であるDasein(現存在)の分析と深く絡み合って いる。ハイデガーにとって、Daseinは単に世界から孤立して存在する主体ではなく、むしろ常にすでに文脈や世界の中に位置している。 ハイデガーの用語でいう「ウムヴェルト(Umwelt)」とは、個々のDaseinが自分自身を見出す特定の環境や世界のことである。この環境には、物理 的な環境と、Daseinが存在する社会的・文化的文脈の両方が含まれる。ハイデガーは、Daseinは常にそのUmweltに組み込まれており、存在に ついての理解はこの文脈によって形成されると強調している。 ハイデガーはウムヴェルトの概念を探求することで、人間の存在は基本的に関係的で文脈的であるという考えを強調しようとしている。私たちが自分自身や世界 を理解するのは、孤立して持っているものではなく、むしろ特定の環境の中で置かれている状況によって形成されるものなのである。 全体として、『存在と時間』におけるハイデガーのウムヴェルト理解は、人間の存在と私たちが身を置く世界との相互関連性を強調し、私たちの存在は常にすでに環境と絡み合っているという考えを強調している。 |
left: „Es schiebt sich ein neuer Kreis, der innerhalb des eigenen Zentralorgans verläuft, zur Unterstützung des äußeren Funktionskreises ein und verbindet das Handlungsorgan mit dem Merkorgan.“ (Theoretische Biologie, 1920)
rigt: Schematische Darstellung des Wirkkreises als frühe Biokybernetik
■ボストン・ダイナミックス社(Boston Dynamics )の四足ロボット(画面の途中できゃつ[彼/彼女]の環世界とそのマップが左側に図示されます)
"SpotMini autonomously navigates a specified route through an office and lab facility. Before the test, the robot is manually driven through the space so it can build a map of the space using visual data from cameras mounted on the front, back and sides of the robot. During the autonomous run, SpotMini uses data from the cameras to localize itself in the map and to detect and avoid obstacles. Once the operator presses 'GO' at the beginning of the video, the robot is on its own. Total walk time for this route is just over 6 minutes. (The QR codes visible in the video are used to measure performance, not for navigation.)" - SpotMini Autonomous Navigation
「SpotMiniはオフィスや研究所の施設内を指定されたルートを自律的に移動する。テス
トの前に、ロボットを手動で走らせ、ロボットの前面、背面、側面に取り付けられたカメラからの視覚データを使って空間の地図を作成する。
自律走行中、SpotMiniはカメラからのデータを使い、マップ内で自己位置を特定し、障害物を検知・回避する。
ビデオの冒頭でオペレーターが「GO」を押すと、ロボットは独り立ちする。
このルートの総歩行時間は6分強である(映像に見えるQRコードは性能測定のためであり、ナビゲーションのためではない)。」
●環世界のSF的な把握
映画『ターミネイター(The Terminator, 1984)』でターゲットを補足するターミネイターのビジュアルイメージが提示される。これは、ウンペルトの視覚的イメージを想起させるものである。画像 は Google Play ゲームアプリ「Terminator T800 Vision - AR」のもので映画のものとは言えない可能性がある。
これに関する視覚再現についての記事に"Building the Terminator Vision HUD in HoloLens," Windows Apps Team, March 6, 2017,がある。
★《環境と主体は調和しなければならない》
「環境と主体が一致する」のではなく、「環境と主体が調和する」のです。このことを図式を もって説明してみましょう。たとえば、環境は丸のなかですが、100m競走では競技者はグラウンドの中でないと競技できません。他方、マラソンランナー は、その環境が、競技場の外の一般公道まで拡張します。短距離競走の選手は競技場という環境と調和しますが、マラソンランナーの環境は公道をふくめた走路 まで拡張します(ただしマラソンもランナーが走路からはずれると、競技者は失格になります)
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