超自我の道徳性について
On Morality of Super-Ego
「欲動制限、すなわち道徳性という見地か ら言うな ら、エスはまったくの無道徳であり、自我は道徳的であろうと努めているのに対して、超自我は過度に道徳的であって、しかもその際、エスにしか見られないほ どの残酷性を発揮しうる。注目すべきは、人間は、外界に対する攻撃性を制限すればするほど、それだけいっそう自我理想において厳格になり、したがって攻撃 的になるという点である。通例の見方からすれば、これはあべこべであり、まず自我理想の要求があって、そこにはじめて、攻撃性を抑え込まねばならぬという 動機が出てくるはずである。しかし事実はあくまで今述べた通りであって、人間が自らの攻撃性を制御すればするほど、それだけいっそう、自我に対する理想の 攻撃傾向は強まるのである。それはちょうど、遷移のようなもの、おのれの自我への向き直りのごときものと言えよう。ありふれた平均的道徳でさえ、離しく制 限し、無慈悲に禁止するという性格をそなえている。仮借ない罰を下す高次の存在という発想は、こうした自我への向き直りから生まれてくるのである」(フロ イト「自我とエス」道籏泰三訳、『フロイト全集(18)』p.56、岩波書店、2007年)。
「超自我は、父親という模範との同一化に よって生ま れたものである。この種の同一化には例外なく、脱性化という性格、あるいは昇華という性格さえつきまとっている。とすると、この種の転化が生じる際には、 欲動分離なるものも同時に起こっているように思える。昇華がなされたあとでは、エロース的成分は、追加されたすべての破壊欲動を拘束する力をもはやもって おらず、破壊欲動は、攻撃傾向ないし破壊傾向として野放し状態になる。理想はそもそも、こうした分離の事態から、汝なすべしと命令する厳しく残酷な特徴を 取りこんでくるのかもしれない」(フロイト「自我とエス」道籏泰三訳、『フロイト全集(18)』pp.56-57、岩波書店、2007年)。
◎ジャック・ラカン『精神分析の四基本概念』——ラカン『精神分析の四基本概念』解説 / 荒谷大輔 [ほか] 著, せりか書房 , 2018から学ぶ
「「フロイトに還れ」を旗印に、二〇世紀の思想界に 新たな潮流を生み出したラカン。本書は、三〇年近く続いたセミネールの要となる一九六四年の講義録。「無意識、反復、転移、欲動」の四基本概念について、 精緻な議論が繰り広げられる。改訳を経ての初の文庫化。/「無意識は一つのランガージュとして構造化されている」という定式を打ち立て、精神分析の四基本 概念の本質に迫ったセミネールの記録。下巻では、転移と分析家、欲動と疎外、主体と“他者”の関係など、重要な問題が次々に検討される。訳文を全面改訂し ての文庫化。」
1. 破門
A. 無意識と反復
2. フロイトの無意識と我われの無意識
3. 確信の主体について
4. シニフィアンの網目について
5. テュケーとオートマトン
B. 対象αとしての眼差しについて
6. 目と眼差しの分裂
7. アナモルフォーズ
8. 線と光
9. 絵とは何か
C. 転移と欲動
10. 分析家の現前
11. 分析と真理、あるいは無意識の閉鎖
12. シニフィアンの列の中の性
13. 欲動の分解
14. 部分欲動とその回路
15. 愛からリビドーへ
D. 〈他者〉の領野、そして転移への回帰
16. 主体と〈他者〉(1)—疎外
17. 主体と〈他者〉(2)—アファニシス
18. 知っていると想定された主体、最初の二つ 組、そして善について
19. 解釈から転移へ
E. このセミネールを終えるにあたって
20. 君の中に、君以上のものを
荒谷大輔 [ほか] による注釈 |
邦訳の本文ページ |
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1964年1月15日のラカンの状況 | 7 |
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精神分析の基礎、大破門 |
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精神分析は科学か |
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分析家の欲望 |
14 |
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精神分析における蒙昧主義 |
14 |
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精神分析の現在=フロイトの欲望 |
16 |
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これまでの聴衆と新しい聴衆 |
21 |
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無意識はランガージュのように構造化されている |
23 |
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原因の裂け目 |
24 |
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禁忌の向こう側、無意識の語り |
25 |
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隙間が一を不在として出現させる |
28 |
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押し下げと抑圧 |
29 |
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切断について |
29 |
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精神分析と存在論 |
31 |
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無意識における論理的時間 |
32 |
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自動機械としての無意識 |
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反復は転移と区別される |
34 |
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無
意識は倫理的なものである |
34(原著42) |
文庫本(上)pp.76-77. |
疑いのなかの確信 |
35 |
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騙される大他者 |
37 |
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フロイトとデカルトの相違点 |
43 |
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シニフィアンの網目と現実的なもの |
45 |
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フリース宛の書簡52とシニフィアン理論 |
46 |
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フロイト理論における因果 |
46 |
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原因の裂け目と再切断 |
46 |
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近代科学と主人 |
47 |
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フロイトの自己分析と確信 |
47 |
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反復の機能 |
48 |
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行為としてあらわれる反復 |
50 |
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外傷体験と反復 |
50 |
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主体の抵抗と行為としての反復 |
51 |
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現実的なものとテュケー |
53 |
アリストテレスのテュケー |
一次過程と夢 |
55 |
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燃える子どもの夢と出会いぞこねとしての出会い |
56 |
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表象代理に関する発言と現実的なもの |
58 |
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糸巻き遊びの解釈 |
59 |
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テュケーとデモクリトスのデン |
61 |
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運命としての反復 |
65 |
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統辞論について |
65 |
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主体の分裂——燃える子どもの夢 |
66 |
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視覚の分裂、目と眼差し |
68 |
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姿をあらわさない眼差し |
70 |
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眼差しがあらわれる場 |
72 |
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アラゴン、対立旋律 |
75 |
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私は私が私を見るのを見ていた |
76 |
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メルロ=ポンティの手袋の裏返し |
77 |
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眼差しとはなにか |
78 |
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サルトルの眼差し論 |
79 |
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遠近法とアナモルフォーズ |
80 |
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ホルバインの「使節たち」 |
82 |
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視覚とはなにか |
85 |
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線としての光から散乱する光へ |
86 |
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波間のきらめきの意味 |
88 |
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メルロ=ポンティの知覚論との交錯 |
83 |
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擬態と見かけ |
91 |
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なぜ絵画は人を魅了するか |
94 |
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視角の領野を可能とするもの |
97 |
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画家の仕事 |
98 |
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昇華としての絵画の機能 |
100 |
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対照的な事例による説明——イコンと近代主教画 |
103 |
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メルロ=ポンティの絵画論 |
104 |
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始まりへの退行 |
105 |
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目の貪欲 |
105 |
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転移についての一般的な理解 |
113 |
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セミネール転移とフロイトの大義 |
116 |
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反復 |
117 |
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ゴルディアスの結び目、転移のパラドックス |
118 |
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転移の欺瞞により提示される真理、対象a |
120 |
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知っていると想定されたもの |
125 |
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私は嘘をついている |
127 |
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大他者の大他者は存在しない |
-- |
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デカルトにおけるコギトと我の差異 |
128 |
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簗(やな)のシェーマと対象a |
130 |
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転移は無意識の現実の現勢化である |
137 |
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無意識の現実=性的現実 |
138 |
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リビドーの中性化に対する批判 |
140 |
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精神分析と解釈学 |
140 |
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退行における第三者 |
141 |
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内の8の字のトポロジー、重なり合いのリビド |
142 |
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転移における分析家の欲望、アンナ・Oの想像妊娠におけるブロイアーの
欲望 |
143 |
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転移を語ることにおける分析家たちの欲望、ビリディアナ |
145 |
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鏡としてのシャッター、簗(やな)のシェーマ |
124 |
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精神分析における基本概念、フィクションとしての欲動 |
147 |
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欲動の衝迫 |
149 |
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精神分析における満足 |
151 |
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欲動の目標 |
152 |
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欲動の対象 |
152 |
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欲動の源泉 |
153 |
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モンタージュ欲動 |
154 |
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欲動と欲動運命の構成と愛に関する全体性の拒否 |
159 |
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部分欲動と分析における性的なもののあらわれ |
160 |
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性的なものとシニフィアンの網目 |
161 |
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弓のたとえ、性欲動の終着点としての死 |
161 |
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欲動の往復運動 |
162-164 |
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発達論批判と欲動の現れの変化 |
164 |
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裂け目とひし形 |
165 |
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見ることの快 |
165 |
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サドマゾヒズム的欲動と倒錯の構造 |
166 |
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テクストのシェーマ |
171 |
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セミネールの転移における真理 |
171 |
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部分欲動と愛の区別 |
172 |
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性器的欲動の位置づけ |
173 |
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フロイトの心的生活の3つの双極構造と愛 |
253 |
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性別化 |
175 |
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欲動の働きと往復運動 |
177 |
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se faireによる欲動 |
178 |
se faire=自らをなになにさせる |
器官としてのリビドー、代理としての対象a |
179 |
対象a:
「(1)
〈他者〉の欲望。これは、主体の欲望の原因としての役割を担い、享楽およびその喪失の経験と密接に関係づけられる(たとえば乳房、まなざし、声、糞便、音
素、文字、何でもないようなものなど)。(2)
現実的なものの領域に位置づけられる、象徴化のプロセスの残余。たとえば、論理的な例外やパラドックス、文字や言語のシニフイアン性」 |
心的生活の3つの対極構造と主体の現れ |
180 |
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欲動のもつ2つの面 |
181 |
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愛と幻想 |
181 |
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ラカンの力動論 |
185 |
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2つの欠如 |
186 |
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部分欲動は本質的に死の欲動 |
187 |
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非現実的な器官としてのリビドー |
187 |
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切断、縁、裂け目、主体から主体への回帰 |
189 |
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アファニシス |
188 |
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幼児のディスクールは大他者にむけられる |
189 |
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ひし形の論理 |
190 |
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ヴェル |
191 |
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分離をめぐるシニフィアン連鎖 |
193 |
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表象代理は表象にあらず |
197 |
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疎外における表象代理の位置、最初のカップリング |
199 |
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分離の論理 |
199 |
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デカルト懐疑 |
201 |
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デカルト分離 |
204 |
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分析家の欲望と科学なるもの |
209 |
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知っていると想定された主体と転移 |
210 |
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嫌疑から信頼へ |
210 |
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欲望の仕組み、欲望しないことと欲しないことは同じ |
212 |
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分析家の欲望と転移 |
213 |
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原抑圧と疎外 |
213 |
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パブロフ実験におけるシニフィアンの関与 |
214 |
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シニフィアンのカップルの固まりと包合 |
199 |
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精神病と不信仰 |
215 |
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糸巻きあそびと対象a |
216 |
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愛の水準 |
217 |
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快の水準における倫理の破綻 |
218 |
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欲動の働き |
219 |
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取り込みと投射 |
221 |
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Ichの領域と、大他者の領域 |
222 |
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父性隠喩の式 |
223 |
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隠喩の式批判 |
224 |
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還元不能なシニフィアンの出現 |
225 |
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狼男 |
226 |
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転移、騙しとしての愛 |
228 |
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分析家の欲望、主人の欲望 |
229 |
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自我理想と同一化 |
230 |
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対象aの機能と分離 |
231 |
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声という対象 |
232 |
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セミネールの自己評価 |
237 |
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精神分析とまやかし |
237 |
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転移と同一化 |
240 |
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対象aと分析家の乳房 |
241 |
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内8のトポロジー |
243 |
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まやかしと生贄 |
246 |
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彼岸の愛 |
247 |
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文献
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099