ラカンの欲望グラフ
Lacanian term glossary
人
間の欲望は〈他者〉の欲望である——「ジャック・ラカンは、現代の批評理論に重要な影響を与え、フェミニズム(例えば、ジジュディス・バトラーやショシャーナ・
フェルマンなどを通して)、映画理論(ラウラ・マルヴェイ、カジャ・シルバーマン——「スクリーン理論」に関連する様々な映画学者)、ポスト構造主義(シ
ンシア・チェース, ジュリエット・フラワー・マッカネルなど)といった異質なアプローチに影響を与えたことが証明されている。
そしてマルクス主義(ルイ・アルチュセール、エルネスト・ラクラウ、シャンタル・ムフ、フレドリック・ジェイムソン、スラヴォイ・ジジェクなど)であ
る。) ラカンはまた、ジークムント・フロイトとのポストモダン的な決別として理解できるものの模範的な存在である。つまり、ラカンは「自己」や「真理」といった単純な概念に疑問を呈し、その代わりに、私たちの意識的な生活だけでなく無意識的な生活も組織する言語的・思想的構造によって、いかに知識が構築されるかを探求している。フロイトが有機的なモデルに誘惑され、神経学的な、したがって性的発達の「自然」な原因を見出そうとし続けたのに対し、ラカンは、人間主体が社会秩序に入り込むことを理解するより適切な言語的モデルを提供した。このように、行動の身体的原因(カセクシス、リビドー、本能など)よりも、特に言語を通じて、人間主体が自分自身や他者との関係を理解するようになる思想的構造に重点が置かれた。実際、ラカンによれば、言語への参入は、それ自体が物質的であるというあらゆる感覚からの根本的な断絶を必然的に伴う。ラカンによれば、人は常に現実(私たちが自分を取り巻く世界だと信じ込ませている空想の世界)と実在(言語を超えた、したがって表現可能性を超えた存在の物質性)とを区別しなければならないのである。言い換えれば、主体の発展は、言語の中で、そして言語を通して「現実」の感覚を構築する必要性から、《現実の終わりなき誤認》によって可能となる。
私たちは「現実」の言語的・社会的バージョンに依存するあまり、(現実の)純粋な物質性が私たちの生活に噴出することは、根本的に破壊的なものになる。し
かし、現実は、私たちの人工的な言語的・社会的構造のすべてが必然的に破綻する(ことを運命付けられている)岩盤のようなものだ。現実と私たちの社会的法則、意味、慣習、欲望などとの間のこの緊張が、私たちの心理的生活を決定している。私たちの無意識でさえ、言語の影響から逃れることはできない。だからこそラカンは、『無意識は言語のように構造化されている』と主張するのだ」(https://bit.ly/3usMCtP)
「「斜線を引かれた主体」と読む。私(=ブルース・フィン
ク[Bruce Fink])が論じているように、主体には二つの側面がある。(1)言語のなかに/によって疎外されたものとしての、去勢(=疎外)されたものとしての、「死ん
だ」意味の沈着としての主体。ここでの主体は、〈他者〉によって、すなわち象徴的秩序によって侵食されているので、存在を欠いている。( 2
)他なるものが「自分自身のもの」になる主体化のプロセスにおいて、二つのシニフイアンの問に走る閃光としての主体」(→「ラカンの用語の解説」)。 |
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「対象α、対象( a) 、小文字のa (ρetit
a) 、対象a (objet a) 、小文字の対象α(petit objet a)
などと書く。1950年代初期には、自分自身に似た想像的他者。1960年代および、その後には、それには少なくとも二つの側面がある。(1)
〈他者〉の欲望。これは、主体の欲望の原因としての役割を担い、享楽およびその喪失の経験と密接に関係づけられる(たとえば乳房、まなざし、声、糞便、音
素、文字、何でもないようなものなど)。(2)
現実的なものの領域に位置づけられる、象徴化のプロセスの残余。たとえば、論理的な例外やパラドックス、文字や言語のシニフイアン性」。 |
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「主のシニフイアンあるいはーのシニフィアン。命令する、あ
るいは掟としてのシニフイアン。孤立している場合、それは主体を服従させる。いくつかの他のシニフイアンと結びついた場合、主体化のプロセスが生起し、意
味の/としての主体が帰結する」。 |
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「他のあらゆるシニフィアン、あるいは他のすべてのシニアイ
アン。四つのディスクールにおいては、それは知をひとつの全体として表象する」。 |
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「〈他者〉。これは多くの形式を持つ。たとえば、あらゆるシ
ニフイアンの宝庫あるいは貯蔵庫、〈母=他者〉語、要求としての〈他者〉、欲望としての〈他者〉、享楽としての〈他者〉、無意識、神」。 |
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「斜線を引かれたA」と読む。欠如するものとしての、構造的
に不完全なものとしての、その欠知へとやってくる主体によって不完全なものとして経験される〈他者〉」。 |
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「〈他者〉のなかの欠知のシニフイアン。〈他者〉は構造的に
不完全なので、その欠如とは〈他者〉に本来的に備わっている特徴であるが、その欠如はいつも主体に対して現れているわけではなく、たとえ現れているときで
さえ、いつも名づけることができるわけではない。このシニフィアンは、その欠如を名づけるものである。それは象徴的秩序全体の投錨点であり、他のあらゆる
シニフイアン(S 2)
と結びついているが、精神病においては((父ーの一名〉としては)排除されている。女の構造に関するラカンの議論においては、それは言語の物質性や実体
に、よりいっそう関係している(そしてそれゆえにシニフィアン性としての対象α と関係づけられる)ように思われる」。 |
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「欲望あるいは享楽のシニフイアンとしてのファルス。打ち消
すことはできない」。 |
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「象徴的秩序と関連づけられるファルス関数。話す存在が、言
語のなかに存在しているために、それに対して従属しているところの疎外」。 |
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「「少なくともひとつのx
がある」を意味する論理学的な量記号。ラカンの仕事において、その後には通常、ある関数が、たとえばφx
が続き、その場合次のように読むことができる。「フアルス関数の作動を受けているx が少なくともひとつある」」。 |
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「古典論理学においては、否定の記号(‾)は量記号に先行す
る。しかしながらラカンは、量記号に傍線を引くことによって別の種類の否定(不一致discordance
に関わる否定)をつくりだしている。それは概して「( …ーのようなものは)ひとつたりとも現実存在しない」を示している。とはいえ、そのようなx
は現実存在しないと言うことは、そのようなx が外存在しないということを決して意味しない」。 |
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「「あらゆるX について」(X
は林檎、人物、要素など、何でもかまわない)、あるいは「(いかなる)すべてのX
についても」を意味する論理学的な量記号。ラカンはこの古い量記号に、「X の全体について」という新たな定義を与える」。 |
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「ラカンが〔論理学的な〕否定に加えた改訂によれば、否定の
傍線がこの量記号のうえに引かれているとき、それは「X の全体ではない」(X はたとえば女)、あるいは「x のすべてではない」、「すべてのX
が‾というわけはない」を意味する。このマテームはしばしば、〔こうした論理学的な規定とは〕独立して、女の構造を持つ者によって潜在的に経験されるかも
しれない〈他なる〉享楽を示す」。 |
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「このダイアモンドないし菱形(poînçon)
は、次のような関係を指し示している。すなわち、「包含一展開一連接一離接」 (Ecrits 1966. p. 634) 、疎外(v)
と分離(^)、大なり(> )と小なり( <)などの関係である。最も単純には、「‾ との関係において」あるいは「‾
への欲望」と読まれる。《「斜線を引かれた主体」〈菱〉「a」》(→次項)は、対象との関係における主体、
あるいは対象を欲望している主体、という意味になる」。 |
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「幻想、たいていは「根源的幻想」を表すマテームないし公
式。「対象との関係における主体」と読むことができ、このような関係は菱形が持っているあらゆる意味によって定義される。対象a
を、主体を〈他者〉と出会わせる享楽のトラウマ的経験と理解すれば、この幻想の公式は次のことを示唆している。すなわち、主体はそのような危険な欲望と
ちょうどいい距離を維持しようとして、誘引と反発のバランスを繊細に取るということである」。 |
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「欲動(フロイトの仕事の翻訳においてしばしば「本能」と呼
ばれる)を表すマテームで、(欲求や欲望ではなく)要求との関係における主体に関わっている。幻想——欲望を含む——の公式は、しばしば神経症における欲
動へと還元される。なぜなら、神経症者は(他者〉の要求をその欲望とみなす(誤解する)からである」。 |
以 上の用語の解説は、フィンク(2013: 247-249)より原則引用している——加筆等の変更もなされている可能性があるため、正確を期するためには出典を参照されたい。
PSYCHOTHERAPY
- Jacques Lacan(https://www.youtube.com/watch?v=5OnhOXq7m4w)
● 想像的関係と無意識のスキーム
大文字のSからa'(小文字の他者)を経由してa で顕された自我(moi)に到達する経路が、鏡像段階。鏡像段階では点線でしか示されていない。大文字のS(エス=超自我)から、自我(a)へは実践も点 線もない。自我(moi)はA(大文字の他者)と、鏡に映った他者(a')すなわち、小文字の他者からの承認があって存在する。A(大文字の他者)は、超 自我(Es)にも部分的に投射している=この経路が無意識であり、大文字のS(エス=超自我)に完全に投射されていない。鏡に映った他者(a')から自我 (moi)に投射する経路が想像的関係(relation imaginaire)という(→「ジャック・ラカン理論のスコラ的解釈」)。
◎ ジャック・ラカンの人生
「ジャッ ク=マリー=エミール・ラカン(Jacques-Marie-Émile Lacan、1901年4月13日 - 1981年9月9日)は、フランスの哲学者、精神科医、精神分析家。 初期には、フランスの構造主義、ポスト構造主義思想に影響力を持った精神分析家として知られていた。 中期では、フロイトの精神分析学を構造主義的に発展させたパリ・フロイト派(フランス語版)のリーダー役を荷った。 後期では、フロイトの大義派(仏:École de la Cause freudienne)を立ち上げた。 新フロイト派や自我心理学に反対した。アンナ・フロイトの理論については、フロイトの業績を正しく継承していないとして批判し「アナフロイディズム」と呼 び、「フロイトに還れ」(仏:Le retour à Freud)と主張した。1901年、カトリックのブルジョワ階級の家に生まれる。初め独学で哲学を学ぶが、転学しパリ大学に移り、25歳の頃にアンリ・ クロード教授のもとで精神神経学を学ぶ。1928年、ラカンはパリ警察庁に入庁し、精神監察医ガエタン・ドゥ・クレランボー(クレランボーは後に鏡の前で 拳銃自殺)のもとで学ぶ。ここで精神病者の犯罪に親しく触れることとなり、犯罪心理学の研究を深めてゆく。師クレランボーの自殺を契機に、徐々に、犯罪心 理学のみならず、フロイトの精神分析学に傾倒していった。 1932年、ラカンは、パラノイア女性エメを描いた学位論文『人格との関係から見たパラノイア性精神病』を発表し、博士号を取得。 さらに、アレクサンドル・コジェーヴのヘーゲル講義などに参加した。ここにはジョルジュ・バタイユも参加しており、当時友人であった。ちなみに、バタイユ は、当時女優をしていたシルヴィア・バタイユと結婚生活を送っていたが、1933年には別居していた。シルヴィアは、ジャック・ラカンと愛人関係となり、 1938年に2人の間には女児が生まれた。 1940年からナチス・ドイツによるフランス占領が続き、1944年にパリ解放がなされるまでの間、ナチスによる検閲がラカンの論文にもなされたが、これ に対してラカンは精神科医にしか理解できない文体で記述したため、ドイツ兵士たちには全く意味不明だとされ、検閲の手から逃れた。[1][2]この戦時中 の記憶が、その後のラカンの文体に残っている。 1953年1月、パリ精神分析学会会長に選ばれる。 しかし、会長就任後、サシャ・ナシュトとの間に亀裂が生じ、同協会は内紛状態となる。結局、会長就任からたった5カ月で不信任案が可決されてしまい、ラカ ンは会長職を辞任する。この騒動で、パリ精神分析学会は分裂した。ラカンは、ダニエル・ラガーシュらとともに、「フランス精神分析学会」を新しく立ち上げ るに至った。 1964年、自ら「パリ・フロイト派」を立ち上げた。だが、同派も結局1980年に解散することになった。1981年8月に大腸癌の手術を受けたが、縫合 部が破れて腹膜炎と敗血症を併発した。同年9月9日にモルヒネを投与されて亡くなった。ラカンの最後の言葉は、「私は強情だが・・・消えるよ。」だった [3]。ラカンの私生活の、滑稽かつ悲哀を帯びた実像を描いた小説に、フィリップ・ソレルスの『女たち』がある。20年以上にわたりセミネール(セミ ナー)を開き、「対象a」「大文字の他者」「鏡像段階」「現実界」「象徴界」「想像界」「シェーマL」などの独自の概念群を利用しつつ、自己の理論を発展 させた。セミネールの開催場所は、当初はサンタンヌ病院であったが、後にルイ・アルチュセールの計らいによって、パリ・ユルム街の高等師範学校となった。 参加者には、ラカン派の臨床家だけでなく、ジャン・イポリット(哲学者、ヘーゲルの専門家)、フランソワ・ヴァール(フランス語版)(スイユ社編集者)な どもいた。 アルチュセールはある時期まではラカンの業績を非常に高く評価していた。のちにラカンの娘婿となるジャック=アラン・ミレール(ラカンをして「唯一私のテ クストの読み方を知っている人物」と言わしめた)はもとアルチュセールの学生であったが、ラカンの講義を受けてはどうかとアルチュセールに助言されたこと がきっかけで、ラカンに接近することとなった。ラカンは初期の博士論文を除いてまとまった著作を書いていない。[4]ラカンは、セミネールを録音すること を拒否していたが、録音する聴衆が多いため、受け入れていた。 生前の著書として『エクリ』(Écrits、「書かれたもの」の意)があるが、この『エクリ』も時期を異にして発表された論文の集積であり、その多くは口 頭発表の原稿である。なお、『エクリ』は邦訳が刊行されているが、原書より難解である(=つまり意味不明:引用者)との指摘がある[5]。また、ラカンの弟子たちは、セミネールを出版 するべく努力したが、師匠であるラカンを満足させる水準を満たすことができなかった。しかし、最終的には、ジャック=アラン・ミレール(ラカンの娘婿で弟子)が編集した『精神分析の四つの基本概念』が、ラカンの許可を得て出版された[6]。 『エクリ』はその難解さにも拘らず、フランスで20万部以上のベストセラーとなった[7]。 ラカンの死後、ラカンの草稿・原稿類の管理は、ジャック=アラン・ミレールが行っている。2001年になって、『エクリ』に収録されなかった論文を集めた 『他のエクリ』(Autres Écrits)が出版された。近年になり、未公刊だったセミネールの内容が、順次公刊されつつあり、日本での邦訳も進みつつある。1950年代までのラカ ンは、カトリックの熱烈な信者であったと言い伝えられており、弟マルク=フランソワ修道士を通じて、ローマ法王への拝謁を望んでいたという。この拝謁の願 いは結局かなわなかった。1960年代になるとカトリックに疑問を持ち始めるが、1975年あたりから再びカトリックへの信仰に戻ったのではないかと言い 伝えられる。しかし晩年のラカンが本当にカトリックの信者であったかどうかについては不明であり、この件に関してはフランスの出版社間で裁判まで起きてい る。フランスではいわゆる「ラカン派」は、ラカンの死後、内部の分派抗争のためにさまざまの団体・派閥に分裂して活動することとなった。 フロイトの大義派 いわゆる「正統派」は「フロイトの大義派」およびパリ第8大学精神分析学科を拠点に、ジャック=アラン・ミレールを中心とした分析家たちが研究と教育を通 じて活動している。 国際ラカン協会 ジャック=アラン・ミレールの教育分析を担当したシャルル・メールマンは別の団体国際ラカン協会(仏:Association Lacanienne Internationale)を設立し、「正統派」とは独立に活動している。 パリ精神分析セミナー アルゼンチン出身のJ=D・ナシオ(フランス読みでは「ナジオ」)は、ラカンが信頼していたとされる僚友であるフランソワーズ・ドルトの協力を得てパリ精 神分析セミナー(仏:Les Séminaires Psychanalytiques de Paris)を主宰し、独自の方法でラカン理論の再解釈を精力的に展開している。 世界精神分析協会 フランス国外にもラカン派精神分析学の影響は及んだ。アルゼンチンやブラジルなど南米方面では世界精神分析協会(仏:Association Mondiale de la Psychanalyse)が「フロイトの大義派」と連携しつつ活動している。 国際精神分析学会との和睦 かつてラカンおよびパリ・フロイト派を「破門」した国際精神分析学会(英:International Psychanalytical Association)内部でも、ラカンを研究しようという動きもあり、以前の緊張関係は緩んできている。 ロンドン新ラカン派 これと並行してロンドンにも新ラカン派(英:New Lacanian School)が旗揚げされ、「フロイトの大義派」と人的交流を持つに至っている。」(ウィキペディア「ジャック・ラカン(Jacques-Marie-Émile Lacan, 1901-1981)」より)
リ ンク
文 献
「フランスの精神分析家 J.ラカンが記述した,人間の子供の6ヵ月から
18ヵ月までの形成時期を指す言葉。鏡像段階は,主体の構造という観点に立つとき,発達の基本となる重要な時期である。子供は鏡の中に自分と同じ姿をした
像を見つけて,これに同一化しながら,自我の最初の輪郭を形づくる。これは将来の自我像のひな型になる。この時期の特徴を詳しく記述することによって,個
人の精神発達のみならず,個人間の攻撃的な関係についても知識が増
し,また精神の想像的な働きが個人の発達において果たす役割について解
明が進んだ」ブリタニカ国際大百科事典)
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