An
Ode for Metaverse Ground Zero
2021
ウェブでエスノグラフィーを描く、 グラフィーは記述だが、グラフィティは楽書(らくがき)だそうだ、 おれたちが平面をみても両眼視のような立体を「見る」 ことができるのは、脳の中の視覚情報処理なんだ、 だから、マーク・ザッカーバーグがメタに社名を変えた 2021年がメタバース元年なんだよ |
【おことわり約款】このページの内容は完
全にデタラメかもしれません。「はじめに
よんでね!」と「でたらめを見破る方法」を見てから以下にお進み
ください。
00●電脳空間(サイバースペース)はアイデンティティを 解放する
︎サイバーパンク▶︎サイバーパンクにおいて倫理は可能か?▶サイバー人類学︎︎▶サイ バー政治学︎▶︎︎サイバー人類学者▶サイバー倫理学 ︎▶︎︎サイバー空間における 宗教▶︎サイバーコミュニケーション学入門▶︎︎サイバーパンク・エスノグラフィー▶電脳レリギオ︎▶︎︎バイオパンクに倫理は可能か?▶エスノグラファー︎▶メタバー ス(メタヴァース)︎︎▶サイバーパンク倫理学︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎
【メタバースを定義する】そのコスモロジーについて、君たちに講釈しよう。「メタバース」という言葉は、「メタ」という接頭語と、「バー
ス」という語幹(「ユニバース」からの逆変換)からできている。 この言葉は、一般的に、将来
のインターネットの概念を説明するために使われている。広い意味でのメタバースは、仮想世界だけでなく、拡張現実の全領域を含むインターネット全体を指す
場合もある。この言葉は、1992年に発表されたニール・ステファンソン(Neal Town Stephenson, 1959-
)のSF小説「スノークラッシュ(Snow Crash, 1992)」の中で生まれた。この小説では、現実世界のメタ
ファーを用いた3次元の仮想空間の中で、人間がアバターとしてお互いに交流し、ソフトウェアエージェントとも交流している。ステファンソンはこの言葉を、
仮想現実をベースにしたインターネットの後継者という意味で使った。メタバースに似た概念は、1981年に発表された小説『True
Names』の中で、サイバーパンクというジャンルの小説にさまざまな名前で登場している。ステファンソンは『スノークラッシュ』のあとがきで、この小説
を書き終えた後、メタバースに似た初期のMMORPGであるHabitat(棲み家)について知ったと述べている(→「メタバースにおける係留点について」)
01◎シンギュラリティ狂想曲——もし可能でも永劫回帰というジレンマあり
無 限、有限、人間が身体を持つということが有限性。身体の老化を実感している。この身体の牢獄性はプラトン。だからレイ・カーツワイル先生 が悪あがきする「シンギュラリティ狂想曲」。人間と機械の位相 が逆転するシンギュラリティでは、一部は自分の情報がサイバーにアップロードされる。哲 学的 に言うと主知主義。でも無意識もアップロードされることを、カーツワイル先生はご存知ない。だからカーツワイル先生は主知主義のバカ決定。さらに、思考実 験としてのシンギュラリティがもし「成功」だとしても、電脳世界で不死の思考能力を得たカーツワイル先生は、永劫回帰——「存在の耐えられぬ軽さ」——を 未来永劫に経験することになる。つまり、シンギュラリティの時代の辞書に自己嫌悪の文字はニャイ! あるいは、シンギュラリティ帝国の時代は、ナルシストどもがうじゃうじゃいる?! 難儀や〜な〜♪ 永 劫回帰(Ewig Wiederkehren)とは、フリードリヒ・ニーチェの思想で、超人的な意思によってある瞬間とまったく同じ瞬間を次々に、永劫的に繰り返すことを確 立するという行為実践のことであるが、一般には、一回限りの経験がなんどもなんども繰り返されるという意味にとってもよい。そうしてきたときに、人間はそ のような退屈さとこっぱずかしさに耐えることができうるだろうか?その人の人生は、永久に続くのである。意図的に死ぬこともできず、永劫回帰に耐えること ができるのか?そこで、ニーチェは、それを耐えうるためには、人間には「超人的な意思」備わっていなければならないと、論理的かつ弁証法的にはニーチェの 思想に繋がるのである。
02◎オイラはマトリクス主義者
マトリクスの世界、映画館の中のSF、攻殻機動隊の中で しか存在しないものだったが、今の我々ではお金があれば実現できることになりつつあ る。有限か無限かというのではなく、わしは6割有限で4割無限、みたいなことも出てくる。以前はシャーマンなど特殊訓練しないとできなかったことを、今は 誰でもサイバーとリアルを往還することができる。はかない夢、無駄な抵抗、納得するのであればいい。デジタルバーチャルデバイドもあるはずだ。
03◎エデュケーションとラーニング.
エデュケーションとラーニング。狩 猟採集民がムチでしばきながら蛇から虎まで、それはエデュケーション。エデュケーションの繰り返しがラー ニング、量から質。工学研究科、情報学研究科だけじゃだめ、文学部哲学科を混ぜないと。ラーニングのラーニングゴールがあるものにはエデュケーション、対 して、無定形のラーニング(→「『学習する社会を創造す る』を読む」)。
Education, n.: The process of bringing up a child, with reference to forming character, shaping manners and behaviour, etc.; the manner in which a person has been brought up; an instance of this. Also figurative. Cf. upbringing n. 2. Now rare or passing into 4a (-> The systematic instruction, teaching, or training in various academic and non-academic subjects given to or received by a child, typically at a school; the course of scholastic instruction a person receives in his or her lifetime. Also: instruction or training given to or received by an adult; see adult education n. at adult adj. and n. Compounds 3, further education at further adj. 2. Also: an instance of this.). 1527 Inventory Goods Henry Fitzroy 44 in Camden Misc. (1855) III By example of good education, as well in noryture as good lernyng.(OED)
エデュケーション:人格形成、マナーや行動の形成に言及することを通した子供を育てる過程=プロセスのこと。 あるいは、学校で子供に与えられる、または子供が受ける、様々な学問的および非学問 的科目に関する体系的な指導、教育、または訓練。人が一生の間に受ける学問的指導のコース。【他律的です】
Learning, n.: 1. The action of learn v. a. The action of receiving instruction or acquiring knowledge; spec. in Psychology, a process which leads to the modification of behaviour or the acquisition of new abilities or responses, and which is additional to natural development by growth or maturation; (frequently opposed to insight). c897 K. Ælfred tr. Gregory Pastoral Care Pref. (Sweet) 3 Hu giorne hie wæron ægðer ge ymb lare ge ymb liornunga. (OED)
ラーニング:学習する行為(=知識習得すること)。と
りわけ心理学では、行動の修正または新しい能力や反応の獲得につながる過程=プロセ
スで、成長や成熟による自然な発達に追加されるもの(しばしば洞察と対立する)。【基本的に自律的です】
04◎シャーマン様の世界
シャーマンは複数のリアルを生きている。その根拠は、マルチナチュラリズム とマルチカルチュラリズム (multiculturalism)の両方を生きるからだ。シャーマンとはちがって、われわれは、因果的な探究、宇宙因果的な説明の中に住んで安心して いる。ヒューム的な批判が生きるわけである(ヒューム亭デイビッド「異能の 人を探しにゆくフィールドワーク」)
05◎ヒュームとオーティズム
オー ティズム者(Autism Spectrum Characteristic, ASC, ASD) はいつものルーティーンじゃないと不安になる。ヒュームは正しいが、その時代はキリスト教、神は全部同じやろと言ったらまずいが、ヒュームを飼い慣らす推 論は形而上学的なもの。制約、心、アイデンティティ。その世界に同調しているが、心を鬼にしてあまのじゃくになる(→「倫理なんてクソくら えと思うココロがその入り口」「ヒューム「動物の理性について」」)。お前は自分のアイデンティティをわ かっ ているのか?1ダースくらいのレパートリー以外にあるのか?と学生に問う。フロイトの深層心理、PTSD、解明されていない心の闇がある。いろんなアイデ ンティティ、夫、父、愛人、先生、SMクラブ会員として、のアイデンティティがある。
06◎パターン・レコグニションを可能に するのはアイデンティティの消去である
ウィリアム・ギブソン『パターン・レコグニション』の読者として、みたいなことをカウントしたら鬼のようにアイデンティティがある。その場 その場のモナド、粒子のようにはかない。バブル。臓器移植したら拒絶反応、脳天ファイラー。池田さんの脳を移植したらMさんがいきなり変なスイッチ笑が入 る。では、アイデンティティって何か。インターネットのソフトウェア、いっこずつのコンピュータの方が自分のアイデンティティを持っている。主人である ユーザが指を怪我したら持ち主と認識しない。アイデンティティのインテンシティはコンピュータの方が強い。放浪犬と飼い主の再会。ひよこの人形と人間。ア イデンティティは中範囲ならいい。阪大のセンター長、くらいな。究極のアイデンティティとなると、持っていないと思われるやつの方が強いかも。
【雑な引用】『パターン・レコグニション』のシノプシス「ケ イスは新製品の売れ行きを直感的に判断できる「クールハンター」。 ファッション業界を中心とした企業から相談を受け、そのジャッジにより生計をたてて いる。彼女の興味の中心は“フッテージ”。“フッテージ”はネット上 にランダムに流されている断片的な映像で、ストーリーもないが、抜群の完成度を誇る。クライアントからロンドンでの仕事を得たケイスは友人 のフラットに居をかまえる。最終的なタスクは“フッテージ”の正体を探ること。広告 界の新しい分野を切り開きたいというのが目的だ。半強制的に探索に協力することになったケイスは、タキ(いまだったらナカモト・サトシか?)という日本人が“フッテージ”の正体の一部を解読したという情報を仕入 れ、日本へと旅立った...。サイバーパンクの王者ギブスンが、現実世界を舞台 に描いたスピード感あふれる極上のハイブリッド・エンタテインメント」https://bit.ly/3IEeakG.
▲▲▲▲07◎マルチバース〈対〉ユニ
バース;ガチ対決
マルチバースの集合体がユニバース。アイデンティ ティは複数あっていいし、ちゃらんぽらんでいい。単一のアイデンティティのアイデオの中で いい。コミュニケーションが断たれての自殺志願者、こういうのがマルティバースは軽減してくれる可能性がある。健全な人たちは確固たるゆるぎないアイデン ティティを持っている。アイデンティティは外部世界との支え合いでできているフラジャイルなもの。メタバースがアイデンティティを支えてくれる。人間の首 尾一貫性。モノエシックス、カントの唯一、他者と自己の中に単一の価値基準を担保する。自分がされて嫌なことを他人にしない。倫理、約束事を築いていく。
「シュレーディンガーの猫」の含意/Participants in the Beautiful Leg Contest wear pillow cases over their heads so that the judges can see only their legs. New Jersey, US, 1951.
「神はサイコロを振らない」「量子論年表」
08◎マルチバースにおいて「不死」は可
能か?——可能でも永劫回帰というジレンマあり
テレビゲームの世界では不死。複数の死に方を選択することが可能。ゲーム空間における死の複数性、複数の経路。これは大きな可能性の獲得。 Eスポーツ、ブレイブマシーンインターフェースがあれば四肢がなくてもプレイ可能。リアルの模倣ではない、血が噴き出すようなものではなく、全く違う表現 になるかも。めちゃくちゃ強いプレイヤーの正体が猿かもしれない。動物実験、アニマルライツは? マルチスピーシーズ人類学の連中がやっている。
09◎オワコン・サイバー人類学の終焉を
想像せよ?!
サイバー人類学は、情報が溜まってくるとリアルな空間からサイバー空間に いって、リアルに持ってくる。メタバースの価値観をリアルに持って くることで、我々のリアルの価値観を反省してくれる。リアル、バーチャルという概念。時空間的な概念。ニュートン的な。ジャック・ラカンの幼年期、欲望、 スキーマ。アイデンティティというトルソー。zoomのアヒル、画像処理を知らない人にとってはマジック、引田天功。心の中にマルティプルスクリーン、着 物のようにレイヤーのあるものを着替えて複数のアイデンティティを生きることができる。医学的な倫理をクリアしないといけないが、重度のトラウマ患者への 治療手段になれるかも。人間の可能性というのは、宇宙空間や月の裏側にもいけちゃうし、たいがいのことをやってしまった、わかってきた気がする。でも、俺 たちのことを何もわかってないよね、と思われているはず。池田先生が大学=イコール=オワコンと思っていたとしても。
10◎多元的リアリティ Ver
2.0 ( Multiple
reality is Mixed
reality,
really?)
メタバースの世界がマルチになるのは、いろんな世界の多元性を担保することだ。検閲やセンサー、メタバースのディープ化にはつながらない、 よ。体の中に免疫機能があるように、必要悪だが、警察や裁判所やマフィアやドラッグディーラーやヤクザや殺し屋のダーティーワークがある。意味論的には、 クライムフィクションや映画では、我々の日常生活のアクティブにしている感、だね。人を憎んだり殺したりしてはいけない、と言われるが、心の中でぶちのめ すことはある(それが「思想心情の自由」)。自身でコントロールできるか。代償として武道やゲームでガス抜き。メタバースがそれを可能にするのでは。他方 で、メタバースの中でも深みを増していく可能性もある。
パノプティコン、中央監視システム。民事不介入という考えもあるが、個人の 尊厳や命を守る制度に警察等がスイッチを入れて免疫のように取り締まる。94年からインターネットを始めたが、当時は人口が少なかったのでネットワーク管 理者になって論文を見た。ハッキングが出てくるので、免疫システムのようにイミューンプログラミング、オートマティックにアラートを出せるよう、常に監視 下に置いておけるシステム。それオンリーではダメで、コラボが必要だった。AIが判断を人間がフォロー。
11◎安易な対話モデルにノーをつきつけ
よ
逃げ込んではいけないのは「人間は対話だ、コミュニケーションだ」とい う気合の部分。メタバースでは、さまざまなアイデンティティが交錯する場。コミュニケーションの言語、音声中心の言語、表記に換えたコミュニケーションだ けでいいのか。五感に変わるインターフェース、非言語的なインターフェースが必要。ブレイン中心主義ではなく。アウトサイダーアート、心が病んでいる人と コミュニケーションできないが、ノーマルと言われている人のあずかり知らぬところかもしれない。強迫的なコミュニケーションの概念に縛られている。心が病 んでいる、障害を持っている人に、対等な人間と思わずにスイッチが入って幼児語でしゃべる。それはオプティマルな方法じゃないかもしれない。芸術という既 存のジャンルに、アールブリュット。コミュニケーション、一緒にいるだけでいい。会ったことない人に伝えようなどと邪悪な気持ちを持たないこと。そこまで いくと、メタバースのことを知ってやろう、正しい在り方を提唱してやろうというのは邪悪な考え方。放っておけ、と言ってもいい。サイバーパンクで倫理は可 能か?30年前から書いている。メタバース、好きにやれば?笑 人間とAIがいい感じにやる。っていうのでもいいのでは。保護的にやるのはよくないが、リ スクについて、犠牲者や破綻というインシデントは徹底分析が必要。偶然の世界、ユニバースの世界の原理にひっぱられるかもしれないが、我々自身の手で未来 を変えることができるのか。これはやってみるしかない。後悔しないこと。起こっても自分のことじゃないからいいか。一生懸命やったからいいでしょ、という 努力の記録は必要だが。法科的な議論は必要。フォーマルでもインフォーマルでも記録、アーカイブは役に立つ。気づいたときに引き出せることが重要。
12◎メタバースは「ランディ・バース」 ではない(これは、いうまでもありません。神様仏様バース様はタイガーズのユニフォームを脱いだあとオ クラホマの上院議員まで務められました。慶賀なり!!)
Randy Bass
(b. 1954 )
13◎メタバースをデザインする?メタ バースによりデザインされる(→「コミュ ニケーション・デザイ ン・シンキング」)
「デ
ザイン・シンキングあるいはデザイン思考とは、1.デザインを
生み出す思考という意味と、 2.思考の過程がデザイン化(実践に先立って計画や理念がある)したもの、という2つの意味があ
る。デザインとは、先行する問題や課題に取り組むための心の計画のことである。ただし、思考とは、デザインそのものだという見解からは、「デザイン思考」
という呼称は、冗長語法であるという批判もある。つまり、
デザイン思考という用語法には、撞着語法があるために、その用語そのものが(矛盾を秘めた)自己批判的用語であるとも言える(→「デザイン・シンキング批判」)」
◎以上の主張を双六(すごろく)のかたち にして、ボードゲーム化したのが下記の図です。A3以下でプリントアウトしてご家庭で、職場でお楽しみ ください:メタバース寿ぎ双六(metaverse_sugoroku01.pdf)
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