かならず読んでください

ポルノグラフィー的想像力

Pornographic Immagination


Pastel portrait of Susan Sontag commissioned by the Gay & Lesbian Review for the 2009 May-June cover

池田光穂

ポルノグラフィー的想像力(英語原文)▶とりあげられるテキスト: →L'Histoire d'O (1954) - Pauline Réage︎▶L'Histoire de l'Oeil (1928) - Georges Bataille︎▶︎︎Madame Edwarda (1937) - Georges Bataille▶︎Trois Filles de leur Mère (1926) - Pierre Louÿs▶︎︎L'Image (1956) - Catherine Robbe-Grillet▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎︎

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「ポルノグラフィをめぐる議論をはじめる には、まずこの単語がポルノグラフィーズという複数であ ること少なくとも三種類があるを認め、それらをひとっずつ検討してゆくことを誓う必要が ある」49

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49 「ポルノグラフィをめぐる議論をはじめる には、まずこの単語がポルノグラフィーズという複数であ ること少なくとも三種類があるを認め、それらをひとっずつ検討してゆくことを誓う必要が ある」
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SFとのジャンル的接近「もううひとつの どこかいかがわしいサブジャンル、 すなわちサィエンス・フィクジョンのそれよりも低いわけではない。(文学形式として、ポルノグラ フィとサイエンス・フィクションは、いくつかの興味深い点で互いに似ている。)」

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「驚くべき量のエロ本のアウトプットはキ リスト教の性的抑圧の膿を出 す遺産であると同時にまったくの生理学的な無知に由来するものとされ、これらの古い欠陥がいまや より直接的な歴史的諸事件、そして家族の伝統的なあり方や政治的秩序の劇的変化や両性の役割の不 安を誘う変化がもたらす衝撃により、こじれてしまったということになる。(ポルノグラフィの問題 は「移行期にある社会のジレンマだ」とグッドマンは数年前の工ッセーで述べていた。)こうして、 ボルノグラフィそのものについての診断としては、ほぼ完全に合意ができているといえるだろう。不 一致が生じるのは、ボルノグラフィの拡散がもたらす心理的.社会的な結果をどう判断するかという ことについてであり、したがって戦略と方針をどう決めてゆくかということにある」
「道徳方針の、より理解のある設計者ならまちがいなく「ボルノグラフィ的想像力」というものが存 在することを認める用意があるにちがいない」

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文 学のうちに数えていいポルノグラフィ本の素材になっているのは、まさに、人間の意識のもっと も極端なかたちだ。性に執着する意識が、まずは芸術としての文学のうちに入ることができるという 点には、疑いなく多くの人が同意してくれるだろう。肉欲をめぐる文学だって?いいじゃないか。 だがかれらはその同意に、通常、それ自身を無効化するようなひとつの付帯条項をつける。かれらは、 作者が作者自身の強迫観念を描くにあたって、それが文学でありうるためには、適切な「距離」を置 <ことを求めるのだ。そのような某準はまったくの偽善であり、ただポルノグラフィにふつう与えら れる価値が、結局のところは芸術ではなく精神医学と社会問題に属するものだけだということを、ま たもや暴露するにすぎない。(キリスト教が賭け金を上げ、徳の根にあるものとしての性行動を監視 するようになって以来、私たちの文化においてはセックスに関わるすべては「特別な例」とされ、奇 妙なほど首尾一貫しない態度を呼び起こすようになった。)ヴァン・ゴッホの絵画は、たとえ彼の描 き方が表象手段の意識的な選択というよりも彼自身の狂気、そして描いているとおりに現実を見てい たことに負っているように思えたとしても、芸術としての地位がゆらぐことはない」

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「作品の中で実現された独創性・徹底性・正統性、そして狂った意識その も のがもつ力にあるのだ。芸術という観点から見ると、ボルノグラフィ本が体現する意識の排他性は、 それ自体、異常だとも反文学的だとも言えない」

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「ポルノグラフィ的想像力が提案する宇宙は、ひとつの全的な宇宙だ。そ こに投げこまれるすべての 関心を、呑み込み、変容させ、翻訳する力をもっている。すべてを、このエロティックな命令の、ひ とつの交換可能な通貨にしてしまうのだ。すべてのアクションは一セットの性的交換だと考えられる。 こうして、ボルノグラフィがなぜ両性のあいだの決まった区分を拒むのか、なぜどのようなものでも 性的嗜好や性的タブーがつづ<ことを許すのかは、「構造的に」説明がつく。バイセクシャルである こと、インセストのタブーに対する軽視、その他、ポルノグラフィ的物語でおなじみの特徴は、交換 の可能性を増す要素として機能する。理想的には、誰もが他の誰でもと、性的関係をもつことが可能 になるのだ 」

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「しかしポルノグラフィ的想像力は、心的絶対主義の一形式としてのみ理 解されればいいというもの ではないその産物のあるものは、より多くの同情あるいは知的好奇心あるいは審美的洗練をもっ て見ることができる(顧客というよりは通という役目をもって)ようなものかもしれな」

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「ポルノグラフィが汚いからではなく、ポルノグラフィが心理的にいびつ な者たちの支 えとなり道徳的に罪のない者たちへの虐待になりうるということを憂慮するために、ポルノグラフィ に反対し樵悪感を抱く、見逃せない数の少数派が存在する。私もおなじような理由でポルノグラフィ に対する嫌悪感をもち、ポルノグラフィがどんどん手に入りやすくなっていることの結果について不 安に思ってもいる。けれどもその憂慮には、的外れなところがないだろうか。ほんとう に賭けられて いるものは何なのか?それは知識の使用法に関する心配だ。すべての知識は危険だという考え方は ありうる、なぜなら知る人、潜在的に知ることができる人として、誰もがおなじ条件についているわ けではないのだから。おそらく大部分の人々は、「より広い範囲の経験」など必要としていない。繊 細で広範な心の準備を抜きにしては、経験と意識の拡大など、大部分の人にとっては破壊的なことだ ろう。だったら私たちは、他の種類の知識が大量に手に入る現況、また機械による人間の能力の変換 /と拡大に対する楽観的な同意への、私たちの無謀な無限の信頼を、何が正当化してくれるのかと問わ なくてはならない」
ソンタグさんはポルノグラフィーを論じながら情報横溢社会を批判する。 俺たちの身の回りにいる、あの愚かな情報科学者どもに聞かせたい。
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「ポルノグラフィとはこの社会で流通する多くの危険な商品のひとつにす ぎないの であり、さほど魅力的には見えないとしても、人間の苦しみという点にかけて、人間共同体にとって、 たとえ命に関わるほどではなくとも、安上がりに手に入る物のひとつなのだ」
「自分の隣人の能力に対するこの慢性的な相互不信——実際それは人間の意識の能力にはヒエラルキーがある と考えているわけだ——には、全員を満足させる解決策はない。人々の意識の質がそれほどまでに大 きく異なるとき、それが解決されることなどありえるだろうか」
個人間の相手の能力に対する不信感と、意識の多様性という現実があるた めに人間の知性が「対話相手」としてのAIに阿る時に、そこにはピグマリオン効果しか生じ得ないだろう。
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SUSAN SONTAG: SEVEN THESES FROM ‘THE PORNOGRAPHIC IMAGINATION

The pornographic imagination has its peculiar access to some truth. This truth—about sensibility, about sex, about individual personality, about despair, about limits—can be shared when it projects itself into art.
ポルノの想像力には、ある真実への独特のアクセスがある。この真実、つまり、感性、セックス、個人の人格、絶望、限界についての真実は、芸術に投影されることで共有される。
Everyone, at least in dreams, has inhabited the world of the pornographic imagination for some hours or days or even longer periods of his life; but only the full-time residents make the fetishes, the trophies, the art.
誰もが、少なくとも夢の中では、人生のある数時間、数日、あるいはそれ以上の期間、ポルノの想像の世界に住んだことがある。しかし、その世界に住み続ける者たちだけが、フェチやトロフィー、芸術作品を生み出すのだ。
That discourse one might call the poetry of transgression is also knowledge. He who transgresses not only breaks a rule. He goes somewhere that the others are not; and he knows something the others don’t know.
その言説は、越境の詩とも呼べるものであり、知識でもある。越境する者は、単に規則を破るだけじゃない。他者がいない場所へ行き、他者が知らないことを知っているのだ。
There is, demonstrably, something incorrectly designed and potentially disorienting in the human sexual capacity—at least in the capacities of man-in-civilization. Man, the sick animal, bears within him an appetite which can drive him mad.
人間の性的能力、少なくとも文明社会における男性の能力には、明らかに何か設計上の誤りがあり、混乱を招く可能性がある。人間は、病気の動物であり、彼を狂気に駆り立てる欲望をその内に秘めている。
Such is the understanding of sexuality—as something beyond good and evil, beyond love, beyond sanity; as a resource for ordeal and for breaking through the limits of consciousness—that informs the French literary canon [Histoire de l’œil and Histoire d’O, among others] I’ve been discussing.
このような、善悪、愛、正気を越えたもの、試練や意識の限界を打ち破るための資源としてのセクシュアリティの理解が、私がこれまで論じてきたフランスの文学の定説(『Histoire de l『œil』や『Histoire d』O』など)の根底にある。
There’s a sense in which all knowledge is dangerous, the reason being that not everyone is in the same condition as knowers or potential knowers. Perhaps most people don’t need ‘a wider scale of experience’. It may be that, without subtle and extensive psychic preparation, any widening of experience and consciousness is destructive for most people.
ある意味で、すべての知識は危険であると言える。その理由は、誰もが知 識者または潜在的な知識者と同じ状況にあるわけではないからだ。おそらく、ほとんどの人は「より幅広い経験」を必要としないだろう。繊細で広範な精神的な 準備がなければ、経験や意識の拡大は、ほとんどの人にとって破壊的なものになるかもしれない。
In the last analysis, the place we assign to pornography depends on the goals we set for our own consciousness, our own experience.
結局のところ、ポルノに割り当てる位置は、私たち自身の意識や経験に対して設定する目標によって決まるのだ。
https://www.maramarietta.com/eroticism-in-fiction/sontag-pornographic-imagination/


『反解釈』問題について

Susan Sontag, 1933-2004 年譜(情報はおもにウィキペディア日本語「スーザン・ソンタグ」 による)

リンク

文献

その他の情報

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

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Mitzub'ixi Quq Chi'j