かならずよんで ね!

フィールドワークの時空間

Chronotope in Fieldwork

池田光穂

フィールドワークのミニマムな定義は次のようなもの である:「フィールドワーク (field work)とは、研究対象となっている人びとと共に生活をしたり、 そのような 人びと[インフォーマン ト(informant, 情報提供者)]と対話したり、インタビュー(interview, 面接問答)をしたりする社会調査活動のこと、である。また、フィールドワーカー (fieldworker)とは、フィールドワークをして調査をする人のことをさす」→「フィー ルドワークとはなにか?」)

ここでの重要なプレイヤーは、フィールドワーカーと インフォーマントである。その関係性を表象する印象的な写真がある。 Julian Steward (1902–1972) と、先住民のチーフと思われる男性、たぶんLouis Billy Princeのツーショットの写真である。「たぶん」と書いているように、これはスチュワートのアーカイブから取られたものなのであるが、Louis Billy Princeという男性の存在は、多分という推測の中でしか復元できない。「英雄として人類学者」(スーザン・ソンタグの言葉)そして「脇役としてのイン フォーマント」のフィールドにおける「知と権力」をめぐるマクロ政治的な権力的落差が、そこにあるのだろう(→「学際研究を継続させる要因」)。

Unidentified Native Man (Carrier Indian) (possibly Steward's informant, Chief Louis Billy Prince) and Julian Steward (1902–1972) , Outside Wood Building, 1940

クロノトポスとは、クロノトポス( chronotopos 英語:Chronotope)とは時空間のことである。ミハイル・バフチンが使って有名になった概念である(→「ラテンアメリカなど存在しない!!」)。

バフチンの時空間の解説である。

「文学が、歴史のなかの実在の時間・空間と、そのなかで自己を開示してゆく歴史的実在の人間とをみずからの ものとする過程は、複雑で断続的な道筋をたどってきた。しかも、文学がみずからのものとしてきたのは〔実在 の時間・空間のすべてではない〕。人類の発展の歴史の各段階で近づきうる、時間と空間の個々ばらばらな局面 である。それに対応して〔文学が〕つくり上げてきたのも、現実のうちからみずからのものとした局面を反映し 芸術的に精錬するのに適したジャンルの方法である。/ 文学がこのように芸術化してみずからのものとしてきた、時間的関係と空間的関係との本質的な相互連関を、 ここではクロノトポスと呼ぶ (「クロノトポス」とは、文字通りに訳せば「時空間」である)。これは、相対 性理論(アインシュタイン)を基盤にして導入され基礎づけられた用語で、今日数理的な自然科学において使わ れている用語である。しかし、われわれにとって重要なのは、この用語が相対性理論においてもつ専門的な意味 ではない。われわれは、この用語を、ほとんど比喩として文学研究の領域に移入する(ただし、ほとんど比喩と してであって、まったく比喩としてではない)。つまり、われわれにとって重要なのは、この用語のうちに、空 間と時間とは切り離しえないということが示されている(つまり、時間が空間の四次元として示されている) 点である。さらに、ここでは、時空間なるものを、文学の形式・内容上のカテゴリーと解してゆく(したがつて、 文学以外の他の文化の領域における時空間については、ここでは触れない)」(バフチン 2001:143-144)。

では、フィールドワークに時空間の概念を持ち込むこ とはどういうことだろう? 端的に言うとフィールドワークは「時間を消費して、 空間を移動するワーク」であると言うこともできる。

地域と研究テーマの関係については、次のような関係 も描くことができる(→「学際研究を継続させる要因とは何か」 を参照せよ)。

マルチサイトエスノグラフィーと古典的エスノグラ フィーの位相: Multi-Site Ethnography means using dynamic approrch or Traveling Ethnographic Approarch ("field concept" in the Transnationality Studies in Japanese)

そのように考えると、フリーダ・カーローの絵画もま た、クロノトープだということができると思う(→「クロノ トポスとしてのラテンアメリカ」)


ボーダーグノーシス:「ワルター・ミグノーロの「境界のグノーシス」について

「境域を超える(Crossing- Borders)」という意味の限りなく個人的な秘技的特質のことである。それを「境界越境のグノーシス」と呼ぼう。「境界越境のグノーシス」は、実際に それを行った人/行っているひとには、きわめて多義的な意味をもつ。この意味によき意味しかもたない人は、不法な労働移民や難民(経済および政 治)が無理にでも禁じられた国境を越境して領域侵犯(transgression)のイメージを抱くことができない、哀れな人たちである。他方で、審査官 に取り調べをうける、賄賂を要求される、軍人から銃を向けられる、などなど、領域侵 犯(transgression)のある経験者は、ビジネスエリートが、境域を超えた(Crossing-Borders)を能天気に称揚する際に、「な んて幸 せな人なのだろうか!」と感慨を新たにするだろう。それぐらい価値の広がりがあるのである。

Walter D. Mignolo, Local Histories/Global Designs: Coloniality, Subaltern Knowledges, and Border Thinking. Princeton University Press.

"Local Histories/Global Designs is an extended argument about the “coloniality” of power by one of the most innovative Latin American and Latino scholars. In a shrinking world where sharp dichotomies, such as East/West and developing/developed, blur and shift, Walter Mignolo points to the inadequacy of current practices in the social sciences and area studies. He explores the crucial notion of “colonial difference” in the study of the modern colonial world and traces the emergence of an epistemic shift, which he calls “border thinking.” Further, he expands the horizons of those debates already under way in postcolonial studies of Asia and Africa by dwelling in the genealogy of thoughts of South/Central America, the Caribbean, and Latino/as in the United States. His concept of “border gnosis,” or sensing and knowing by dwelling in imperial/colonial borderlands, counters the tendency of occidentalist perspectives to manage, and thus limit, understanding." - https://press.princeton.edu/books/paperback/9780691156095/local-historiesglobal-designs

●ゲーテにとってのクロノトープ

「美学についてのゲーテの発言ははなはだ矛盾してい る、しかもそれは彼の創造の歩みのべつべつの時代のあい だだけでなしに、同一の時代にもみとめられるのである。最も注目すべき点は、ゲーテがそうした矛盾をけっし て克服ないし緩和しようとはせず、また(シラーとは反対に)自分の美学上の諸々の見解を一個の体系にまでみ ちびくことを少しも望まなかったことである(それをこころみる研究者は、ある程度ゲーテの意志にそむくこと になる)。/ さまざまの時代と思潮が、ゲーテの美学上の見解にその痕跡をとどめている啓蒙主義、〈疾風怒濤〉、ドイ ツ古典主義、そしてロマン主義。ゲーテの円熟した創作のうちに、それらの痕跡は共存しているのである。啓蒙 主義の精神にのっとって、ゲーテは学問と芸術のあいだにきっぱりと境界線をひかずに、一個の作品のなかでの 両者のむすびっきを許容していた。啓蒙主義の美学とむすびついているのが、典型化への彼の傾向、典型(タイプ)にたい する彼の格別の嗜好である。ロマン主義とむすびついているのが、散文ではまった<不可能な非合理的で逆説的 な洞察が詩においては可能であるとするゲーテの主張である。個性についての彼の理解のしかたもやはりロマン 主義的である。ドイツ古典主義とむすびついているのが、観照の優位である。/ 格別の意義を有するのが、至高の原理は行為であり純粋に生活上の能動性であって、認識ではないとするゲー テの一般哲学的な主張である。ゲーテのこの信念が生まれたのは、いまだ〈疾風怒濤〉時代にであり、それが最 も明瞭な表現をみるのは「初稿ファウスト」においてなのだが、彼はそれを生涯保持しつづけたのである。この 信念が、観照についてのゲーテの理解をも規定している。それは、対象の受動的な反映ではなくて、能動的な参 与としての観照なのである。このゆえに、芸術家は自然のいとなみを継承する創造者たりうるのである。 すべてのこれらの矛盾した定義を、ゲーテは融和させてなんらかの完成した体系にみちびこうとはしなかった。 しかしあなたは、もちろん、あなたの著書の課題が要求する一連の要因を分離して、それを、相対的にまとまり のあるものにしてしまつてかまわない。矛盾をほりさげる必要など少しもないのである」 ミハイル・バフチンのカナーエフ宛書簡〔一九六九年一月付〕。

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