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クロノトポスとしてのラテンアメリカ

A mi latinoamérica como crono-tópico

井上大介(創価大学)・池田光穂(大阪大学)

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クロノトポスとしてのラテンアメリカ
地域研究から「ラテンアメリカらしさ」のエスノグラフィーへ
(読み上げ原稿 ver1.0)

——オクタビオ・パスが、我々が母体から出てきた時に宙返りをして、それが一生続くという表現している(第9章孤独の弁証法より)が、その宙返りは「真に死ぬほど苦しく」て「死に至るまで終わらない」そうだ。

——君は、アンナ・カレーニナを轢いた機関車の運転手の気持ちになったことがあるのか?『パースペクティヴィズムの実習問題集』より

——(ラテンアメリカは)アングロアメリカと対立する概念である。すなわ ちアングロアメリカという概念が存在しないと、ラテンアメリカという概念すらその存 在が怪しくなる。池田光穂「ラテンアメリカという概念
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本発表で報告者たちはエスノグラフィー(民族誌)のカテゴリー概念としての(1)「ラテンアメリカ」概念の不可能性を論証します。つまりLatin- American Ethnography というのものは存立不可能な虚構であることを示します。次に、前者とは矛盾しますが、地域研究のアリーナとして当然視されているラテンアメリカが、(2) 文化研究の対象領域として研究可能でありかつ妥当な概念であることもまた主張したいと思います。
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一般的な定義では、南アメリカから中米地峡を北上して中央アメリカ、メキシコ、そしてカリブ海島嶼地域を包括する地名がラテンアメリカです。この地域の民 族的多様性は言うまでもありませんが、その国家言語もスペイン語、ブラジル=ポルトガル語、フランス語、そしてスリナムやガイアナのように非ロマンス語が 話されます。
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もし、私たちが「ラテンアメリカ概論」という内容を授業で1セメスター話すとします。その際にEl Libertador(解放者)であるシモン・ボリーバルのことに触れないとすれば、それはモグリの教師(unqualified teacher)だとの誹りを受けかねません。ウィキペディア日本語にはこう書かれてあります。

「シモン・ボリバルとして知られるSimón José Antonio de la Santísima Trinidad Bolívar Palacios Ponte y Blanco, 1783年7月24日生まれ1830年12月17日死亡)は、南米大陸のアンデス5ヵ国をスペインから独立に導き、統一したコロンビア共和国を打ちたてよ うとした革命家、軍人、政治家、思想家である。……早いうちに妻を亡くしたことがきっかけとなって、その後の生涯をラテンアメリカの人々の解放と統一に捧 げた」。

文字通りラテンアメリカの人々と地域にとっての大恩人ですが、この短い説明の中にラテンアメリカは政治的に解放されるべき用語として位置付けられていることを確認してください。

しかし、なんと驚くべきことにボリバルの存命中にラテンアメリカという用語はありませんでした。
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チリの自由主義政治家Francisco Bilbaoが1856年の「共和国連邦会議(Congreso Federal de las Repúblicas)の席上でAmérica Latinaと命名したのが嚆矢だと言われています。この用語は、産業革命時に英国の新大陸への覇権拡張に対抗して、……
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フランス領カナダ、ルイジアナ、ガイアナならびにメキシコへの軍事介入を試みていたナポレオン3世の経済顧問ミッシェル・シュヴァリエ(Michel Chevalier)がラテンアメリカのフランス語L'Amérique latine(ルメリク・ラティーン)を頻繁に使うようになり、同地域の政治家の間に膾炙することになりました。当時の新大陸は、アラスカならびに北米沿 岸部に覇権を確立しようとしてたスラブ民族ロシア、イギリスを中心としたアングロ・サクソンに対抗して、フランスはパンラティニズム(Pan- Latinism)を主導してそれに応えようとしました。Pan-Latinismとはイタリック語族のひとつのだったラテン語(ロマンス語)を話す人た ちの政治的統一を謳うイデオロギーで、新大陸ではJosé María Torres Caicedoや旧大陸ではJean Charles-Brun(ジャン・シャルル-ブラン)などのイデオローグがいました。
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というわけで、ラテンアメリカという概念には歴史に由来する地政学的イデオロギー以外にほとんど何の意味もなく、冒頭に述べたこの地域に存在する、言語・ 文化・「人種」・宗教・国民国家は著しく多様で雑多であり統一的概念を見出すことは不可能です。すなわちこれがエスノグラフィー(民族誌)のカテゴリーと しての「ラテンアメリカ」概念の不可能性を証明する歴史的理由です。

さて、ここで聴衆の皆さんには次のような誤解を解きたいと思います。すなわち私たちは「ラテンアメリカという文化的概念が地政学的イデオロギーによって汚染されているのは良くない」という考えをもっているのではないかという危惧のことです。
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それに対抗して、私たちは「クロノトポスとしてのラテンアメリカ」あるいは、ミハイル・バフチン(1937)に倣って「ラテンアメリカは chronotopeそのものである」と考えてみたいのです。クロノトープを取り上げることは、バフチンの言語哲学において時間と空間の構成が言説(バフ チンの場合は小説の言説)を通してどのように表現されるのかということを考えることに他なりません。

そこで重要になると考えられるのが、ラテンアメリカという統一像をもたない広大な時空間を分割するモナドとしての国民国家とその国民たちです。具体的には まずこの地域のモナドに分割される諸空間は各民族や「人種」のエスノグラフィーを包摂する単位としての国家群(nations)に分節化されながら利用さ れています。他方で、ラテンアメリカを生きる主体が使う各国家言語はリンガフランカとしての共通のトークンをもつと同時に、国境(ボーダー)を巡ってさま ざまな浸透と不浸透の作用をもたらす複雑な現象と連動しています。そして、これらの相互作用の多様性がラテンアメリカの全体性の概念把握を困難なものとし ています。

ラテンアメリカは私たちにとって縁遠い存在ではありません。戦前から1960年代終わり頃までつづく「中南米移民」やまた逆方向の「ニッケイ移民」文化を 通して、文化的循環がみられます。また、断片的でステレオタイプが横溢していますが、それ自身が文化研究の重要な題材になります。
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ここではボーダーのこちら側と向こう側での出来事の生起の共通性と相違点について不可思議な知恵(グノーシス)について考えてみましょう。ヴァレンティン =イヴ・ムデンベ(Valentin -Yves Mudimbe, 1941- )は、彼の著作『アフリカの発明:グノーシス、哲学、知識の秩序』[1988]において、西洋がその(統一的なものを持ちえない)広大な地域をアフリカと してまとめるために旅行記や滞在記、行政文書などに用いた哲学や認識論の総体が動員されてきたものをグノーシス(知恵)と呼びました。エドワード・サイー ドの言うところのオリエンタリズムを産みだしてきた知と権力の混成体のようなものです。オリエンタリズムは、西洋を非西洋と区分する境界の西洋の側のグ ノーシスだというのです。では、非西洋の側にはそれがないのか?しばしばサイードの議論を継承する人たちはそれをオクシデンタリズムと呼びました。しかし ながら、この議論の問題は西洋と非西洋の境界(ボーター)は維持されたままで、オリエンタリズムとオクシデンタリズムのグノーシスの間の交換の様態につい ては、いまだ未解明のままです。

アルゼンチン生まれの記号学者・思想家であるワルター・ミグノーロ(Walter Mignolo, 1941- )は、それを表象される側(=被征服者)にもムデンベの言うところのグノーシスが共有されていると指摘します。またそれどころか、それは国民国家の国境と いうボーダーのみならず、男と女、麻薬やポルノグラフィのプロバイダーと消費者、正常と異常、日常文化と霊的な超自然、ヘテロセックスとホモセクシュア ル、などなど、それらのボーダーの間でさまざまなグノーシスの形態があるといいます。
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ミグノーロは北米のラグナ先住民の作家レスリー・マーモン・シルコ(Leslie Marmon Silko, 1948- )の長編小説『死者の暦(The Almanac of the Dead)』[1991]に登場する米墨国境からアフリカさらにはラテンアメリカを境にする図像と文字による不思議な五百年間の暦を手がかりに、境界を超 えるさまざまな人たちのクロノトポロジカルな知恵を「ボーダー・グノーシス」と名づけました[Mignolo 2000:10-11,25]。

ではシルコが小説において描いたこのようなめくるめく世界を、我々は本当にエスノグラフィー(民族誌)の中に書き込む(inscribe)ことなど可能な のでしょうか?では、そのことを考えてみましょう。エスノグラファー(民族誌家)は、同一の「文化領域」に属する空間のなかで現地調査と文献研究にもとづ きエスノグラフィーをまとめあげるという、ナレーターとしての性格をもちます。
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ヴァルター・ベンヤミンのニコライ・レスコフの作品についての考察である「物語作家」[1936]は手仕事の喪失としての「まっとうな何かを語る人」との 出会いが稀になっていくことを、喪失の物語として描いています。ラテンアメリカの場合、冷戦対立、冷戦構造のもとでの内戦と内戦後の司法的修復、先住民問 題、考古学上の発見と国威発揚、自由貿易問題と経済圏、権威主義的独裁政治、麻薬のルートとカルテル間の国際連携と反目さらには米国からの薬物政策への介 入などで、喪失の物語としてエスノグラフィーという余地が入る気配は1950年代にはすでに消失していたともいえます。
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和平合意にいたるグアテマラの内戦後期の状況を描いたA Finger in the Wound(1999)の作者ダイアン・ネルソンにいわせれば、グアテマラの政治状況の変化はまるで「ジェットコースターに乗っている」様に目まぐるしく 変わります。人々のアクチュアリティのターンオーバーが早すぎるわけです。

もし私たちがグノーシス的な状況のなかにおけるグノーシスそのものをエスノグラフィーとして表現するのであれば、その方法論もグノーシス的なものでなけれ ばならない、という言挙げはあまりにも、民族誌家が堅持してきたリアリズムから遠ざかるものであり、それは非難されるべきものなのでしょうか?
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最後に、オクタビオ・パス(1914-1998)を手掛かりにして考え「直して」みたいと思います。

パスの『孤独の迷宮(El laberinto de la soledad)』は、1950年の出版以来、長らく、多くの人とって代表的なメキシコ人論・メキシコ文化論・メキシコ社会論だと理解されてきました。 1968年10月2日のトラテロルコの悲劇(虐殺)によりインド大使を辞任したパスは翌年10月30日テキサス大学オースティン校でハケット記念講演に就 きます。それが『迷宮』の後書き(Postdata)になって加筆出版されます。その中でこの書物が出版以来「メキシコなるものについての哲学」や「国民 性」との関連で議論されてきました。しかしながら、実際はそうではないと彼は断言します[パス 1982:229]。パスのこの言あげは、メキシコのグノーシス的な知識人である彼が、自分に当てはめられた知識人の役割を見事にすり抜けるような口上に も聞こえます。しかしながら、彼の言葉に耳を傾けましょう。パスは言います「メキシコらしさとは、本質ではなく、歴史である」と[パス 1982:229]。つまりこういうことです。対象とする文化領域を、本質化することなく歴史的に再定位することで、パスの助けを借りて、私たちは「ラテ ンアメリカらしさ」のエスノグラフィーを手に入れることができるのではないか、と。
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広大で多様な時空間であるクロノトープとしてのラテンアメリカが、これまでの指摘を通して文化研究の対象領域として研究可能でありかつ「ラテンアメリカらしさ」としてグノーシス的な知識の集積として記述可能なのではないか、そのようなことをお話ししました。

フィールドワークの時空間(Chronotope in Fieldwork)

追記:2021年8月7日
この論文の視座はクロノトポスといいながら、いまだに、トップダウン的発想でした。ボトムアップ的考察の必要性を感じています。これが再考のための里程標となる基準論文です。
マイケル・タウシグ「アメリカの構築」『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』金子遊ほか訳、水声社、2016年



この発表(2021年5月29-30日)では、発表 者たちはエスノグラフィー(民族誌)研究の対象としての「ラテンアメリカ」と いう概念が不可能であることを論証する。と同時に、地域研究のアリーナとして 当然視されているラテンアメリカが、地域文化研究の対象領域として研究可能であることを主張する(→「旧版のページ」)。

前者では、ボーダー・グノーシスという概念(後述) を使い、不可能性を論証する。つまり、まずこの地域は「ラテン」という歴史的起源をもつ連辞符がエトニーに由来し、現在は各民族のエスノグラフィーを包摂 する単位としての国家群(nations)に分節化されている。しかし、他方で、それぞれの国家語がラテンアメリカを生きる主体が使う言語はリンガフラン カとしての共通トークンをもつと同時に、国境(ボーダー)を巡ってさまざまな浸透と不浸透の作用がもたらす複雑な現象がみられる。これらの相互作用がラテ ンアメリカの全体性の概念把握を困難なものにしている。

後者の説明は、グローバルな諸現象と共通しかつ連動 しながらも独自の可能性をもつことを「メキシコらしさ」についてのオクタビオ・パスの議論を参照にしながらクロノトポスとしての「ラテンアメリカらしさ」 の重層的でかつ多様なクロノトポロジカルな歴史概念として提示したい。

ミハイル・バフチンの小説(物語)論は、(1)クロ ノトポス、(2)ポリフォニー、(3)ダイアロジックに特徴づけられるという[池田 Online]。クロノトポス(chronotopos, Chronotope)とは時間と空間が複合されたもの(我々の経験世界はクロノトピックな性格を持つ)。これはミハイル・バフチンが使っ て有名になった 概念である。つまり、ラテンアメリカは時空間による広がりをもつ、地政学的に構築さ れたイデオロギーそのものである

さて、エスノグラファー(民族誌家)は、同一の「文 化領域」に属する空間のなかで現地調査と文献研究をもとづきエスノグラフィーをまとめあげるために、ナレーターとしての性格をもつ。ヴァルター・ベンヤミ ンのニコライ・レスコフの作品についての考察である「物語作家」[1936]は手仕事の喪失としての「まっとうな何かを語る人」と出会うことが稀になって いくことを、喪失の物語として描いている。ラテンアメリカの場合、冷戦対立、冷戦構造のもとでの内戦と内戦後の司法的修復、先住民問題、考古学上の発見と 国威発揚、自由貿易問題と経済圏、権威主義的独裁政治、麻薬のルートとカルテル間の国際連携と反目さらには米国からの薬物政策への介入などで、喪失の物語 としてのエスノグラフィーという余地が入る気配は1950年代にはすでになくなっている。そして、ラテンアメリカ地域の各地から報告される エスノグラフィー の多くは当該地域の人々の「アクチュアリティ」を伝えるものが多い(→「『暴力の政治民族誌』を舞台裏から読む」)。

ヴァレンティン=イヴ・ムデンベ(Valentin -Yves Mudimbe, 1941- )は、彼の著作『アフリカの発明:グノーシス、哲学、知識の秩序』[1988]において、西洋がその(統一的なものを持ちえない)広大な地域をアフリカと してまとめるために旅行記や滞在記、行政文書などに通底する哲学や認識論の総体が動員されてきたものをグノーシス(知恵)と呼んだ。エドワード・サイード の言うところのオリエンタリズムを産みだしてきた知と権力の混成体のようなものである。アルゼンチン生まれの記号学者・思想家であるワルター・ミグノーロ (Walter Mignolo, 1941- )は、それを表象される側(=被征服者)にもグノーシスが共有されており、北米のラグナ先住民の作家レスリー・マーモン・シルコ(Leslie Marmon Silko, 1948- )の長編小説『死者の暦(The Almanac of the Dead)』[1991]に登場する米墨国境を境にする図像と文字による不思議な500年間の暦を手がかりに、国境に住む先住民のクロノトポロジ カルな知 恵を「ボーダー・グノーシス」と名づけている[Mignolo 2000:10-11,25]。つまり、帝国/植民地の国境地において住まうことによる感じとられ知りえることが、ボーダー・グノーシスなのである。

オクタビオ・パス(1914-1998)『孤独の迷 宮(El laberinto de la soledad)』は1950年の出版以来、長く、メキシコ人およびメキシコ文化論・メキシコ社会論だというふうに理解されてきた。1968年 10月2日 のトラテロルコの悲劇(虐殺)によりインド大使を辞任したパスは翌年10月30日テキサス大学オースティン校でハケット記念講演に就く。それが『迷宮』の 後書き(Postdata)になって加筆出版される。その中でこの書物は出版以来「メキシコなるものについての哲学」や「国民性」について 議論されてきた が、そうではないと彼は断言する[パス 1982:229]。自分の関心は、「我々」=メキシコ人は、自分の著作が示すもの と言われてきたものが「仮面」であり、その背景に潜むものにあると、自 分自身へのこれまでの評価の方向性を訂正(=弁明)する。パスは言う「メ キシコらしさとは、本質ではなく、歴史である」と[パス 1982:229]。対象とする文化領域を、本質化することなく歴史的に再定位することで、パスの助けを借りて、我々は「ラテンアメリカらしさ」のエスノ グラフィーを手に入れることができるのである。

キーワード:クロノトポス、オクタビオ・パス、ラテ ンアメリカらしさ、ボーダー・グノーシス

*井上教授は2021年4月〜2022年3月まで は、大阪大学COデザインセンター招へい教員(教授)である。

クレ ジット:井上大介(創価大学) 池田光穂(大阪大学)「クロノトポスとしてのラテンアメリカ:地域研究から「ラテンアメリカらしさ」のエスノグラフィーへ」

●様々な考察ポイント

ラテンアメリカという概念
Concepts on Latin America
このページは、ラテンアメリカという用 語と概念が、イスパノアメリカ(や対概念とされるアングロアメリカ)と並んで、政治的あるいは地政学的概念であり、文化的中立性などを担保することができ ないことを証明(ないしは主張)するために作られたものである。
ラテンアメリカ1825年
Latin America in 1825
ラテンア メリカは北アメリカ大陸のメキシコをふくみ、南米大陸のガイアナ・スリナムをふくまない。ラテンアメリカは中南米と呼称される場合もあるが、図に合う正確 な表現ではない[1987『ラテン・アメリカを知る事典』平凡社]」
ラテンアメリカ概念の虚実
Illusion of both America Latina and Latin America
ラテンアメリカという言葉は、ナポレオ ン3世[1808-1873]の時代の1860年代、イギリスに次ぐ産業力と財政力を誇っていたフランスで生まれた。フランスの政治経済学者であるミシェ ル・シュヴァリエ[1806-1879]は、フランスの海外進出の知的基盤を固めるために、ラテン語を起源とする言語を持ち、ローマ・カトリックという共 通の文化的伝統を持つ国々の連帯を促すことを目的とした「パン・ラテン」という外交政策を最初に提案した。
帝国医療とラテンアメリカの身体
On Imperial Medicine and the Collective body of Latinamerica

ポストコロニアル
postcolonial, post-colonial
ポストコロニアルとは、ポスト(後の、という時間的 概念)、コロニアル (植民地的、という空間的ならびに精神的概念)という造語法によるできた言葉で、植民地主義以降の、あるいは脱植民地状態(コロニアルな状況の後に/終焉 後の)という意味がある。
植民地・帝国主義時代の2つの時相
Two temporalities of colonialism
西洋世界による、世界の植民地主義 (colonialism) ないしは帝国主義(imperialism)については、識者によりさまざまな意見があります。しかし、大きく分けて次の2つの時相で理解するのがいいで しょう。
歴 史哲学講義
Vorlesungen über die Philosophie der Geschichte
「序論がヘーゲル主義の歴史哲学における核心部分である。本論は、第一 部に東洋世界、第二部にギリシア世界、第三部にローマ世界、第四部にゲルマン世界が続き、ヘーゲルの世界史論が展開される。停滞的な東洋古代の世界を提示 しつつ、これとは対照をなす発展の歴史を辿ったヨーロッパ史に焦点を当てた構成をとっている。ヘー ゲルは、ヨーロッパにおける世界史の展開というものを、ギリシア・ローマ時代を萌芽として定めつつ、中世のゲルマン世界を経て、彼の講義を聴講した学生た ちが生きた近代の立憲君主国家プロイセン王国へと移行するものとして提示し講義を展開した。そのため人々が因習や迷信に支配され未だに文明化を遂げていな いアフリカなど熱帯地域や自然環境が厳しい極地は講義対象から除外されている[3]。ヘーゲルは歴史考察のパターンを三つに分類する。事実 そのままを同時代的に記録した「初歩的歴史」と、個人や民族、宗教など個別的な事柄を対象にしつつ、歴史から何かの意味や教訓を引き出そうとする「反省的 歴史」、そして世界史そのものを大づかみに把握して、歴史を動かした指導原理や駆動 力を見出して、思弁的に考察して思想によって整合化させつつ、全体史的に普遍的な原理に再構築した「哲学的歴史」とに分類した。ヘーゲルは 自身の歴史認識は「哲学的歴史」に属していると位置付けている[4]。」《理性主義》《歴史の法則性》《哲学と神学の融合》《歴史の方向性》《歴史の構成 要因》《人種観》《文明論》——ウィキペディア「歴史哲学講義
バフチンの 3つの概念
1)クロノトポス、2)ポリフォニー、3)ダイアロジック
クロノトポスとは、「時間と空間が複合されたもの(我々の経験世界はクロノトピック な性格をもちます)。 小説(物語)は時間と空間に関する描写が含まれますが、 それら(すなわち時間と空間)の関係は、お互いが相互に特性づけられ、性格づけられます。空間の拡がりはないにもかかわらず、長い時間概念や循環的時間の なかで物語が表現される(例:地方の歴史や民話のように物語の空間的範囲は狭く凡庸だが、時間的経過や変化は人間の一生よりも長い)こともあれば、空間の 変化と時間の経過に深い展開の意味が込められているもの(例:英雄が遍歴し困難に立ち向かいながら成長したり、挫折したりすること)がある。」


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