はじめによんでください

植民地・帝国主義時代の2つの時相

Two temporalities of colonialism

池田光穂

西洋世界による、世界の植民地主義(colonialism) ないしは帝国主義(imperialism)については、識者によりさまざまな意見があります。しかし、大きく分けて次の2つの時相で理解するのがいいで しょう。

帝国主義リンク集

︎★帝国主義︎植民地主義▶︎︎帝国主義と人種主義▶︎文化と帝国主義帝国主義的ノスタルジー︎︎▶︎大陸の帝国主義生態学的帝国主義︎︎ジョン・アトキンソン・ホブスンの帝国主義論︎▶︎︎▶︎▶︎


(i)1500-1776年期

最初は、スペイン王国による新大陸進出から、西欧の国々がその方法をまねた第1の時相です。おおまかに1500年から1776年です。

1776年の第1期の完了とは、アメリカ合衆国の独立の年をさしています。アメリカ合衆国は、現在の北アメリカの東海岸の13の植民地が連合し て英国から独立したことを指します。アメリカには北米先住民がおり、植民者は北米先住民と軍事的衝突を含む排他的な関係と植民地社会に同化したり共存する という複雑な関係を保っていました。皮肉なことに、独立以降、植民者は「白人の支配者」となって、アメリカ大陸の内的な植民事業(言い方を変えるとと先住 民の土地の収奪[先住民に土地所有の概念がなかったとしても「白人」の立場からみれば収奪に相当します])をはじめることになります。

(ii)1800-1905年期

次は上掲にあげたアメリカ合衆国の内的植民地の開始時期ですが、西欧は19世紀には、それまでのゆるやかなアジア・アフリカに対する植民地事業 が激変して、海外各地に軍隊の派遣や平定を通した植民地事業が本格化します。その理由は、ヨーロッパ各地でおこった、市民革命(アメリカ独立の13年後に バスティーユ襲撃を期にフランス全土に騒乱がはじまり、フランス革命の契機になります)と、1799年のブリュメール18日のナポレオン・ボナパルトによ るクーデターと、その後のヨーロッパ全土の騒乱と侵略戦争——「政治的解放」というレトリックが使われます——と、それが沈静化した後におこる、ヨーロッ パ列強の成立です。それにより、国内の国民統合が苛烈になり、また、アジア・アフリカに対する海外各地に軍隊の派遣や平定を通した植民地事業が本格化しま す。その背景には、市民社会の安定と、産業革命による、工業生産と流通の活発化がおこなわれます。つまり、アジア・アフリカの植民地は、それまでの希少産 品(例:香辛料や陶磁器工芸品)の生産地から、原材料の産出地(例:プランテーション・エステート経営による茶・バナナ・砂糖・綿花などの栽培、鉄鉱石や 石炭の生産地、金やダイヤモンドのなどの宝石・貴金属生産)に変貌します。つまり、西欧にとって、植民地は魅力ある資源になります。

そのような状況の中で、現地の土着の人々は、(1)熱帯地の産品を生産に従事する労働者として有用な資源になります。しかし、同時期に、人種に 関する科学が成立し、概ね有色人種を「白人」より劣った人間とみなしたために、さまざまな偏見や、文化の違いによるディスコミュニケーションがおこりま す。権力をもつ「白人」は、有色人種を対等なものとして認めず、さまざまな虐殺や虐待事件が発生します。

いずれせよ、1905年までに、全地球の85%が公的あるいは非公式的に西欧の「帝国」の支配・管理下におかれたといいます。

(iii)1905年以降の状況

それでは、そのような西欧列強による世界の分割の事業がなぜ1905年までなのでしょうか? 実際にアジア・アフリカの多くの国が独立するのは 1960年代になってからです。

その根拠は1905年の第一次ロシア革命の勃発と、国際情勢の後押しのもとですすめた日露戦争にあります。

日露戦争(Russo-Japanese War, 1904-1905)は歴史的には、西欧列強の一翼をになっていたロシア帝国が極東での闘いで非西欧の列強(プレイヤー)とみなされて いなかった小国の日本 との戦争に敗北するという画期的な出来事でした(それゆえに「第零次世界大戦」という表現もあります)。また、戦争によるロシア国内の膨大な戦費の調達に よりロシア経済——ユーラシアの東側はアメリカ合衆国同 様の内的植民地でもありました——の混乱と、ロシアでの労働者による政権奪取への動きです。

これ以降、西欧大陸では政治的不安がつづき、植民地・帝国主義にもとづいて、帝国の領土を獲得する事業はおわり、植民地の争奪戦が開始されま す。それは海の向こうの植民地ではなく、ヨーロッパ国内の騒乱が、海外の帝国の領土の色分けを変えるというパターンに変化します。

英国の歴史家ホブスボウムによると19世紀は第一次世界大戦がはじまる1914年に終わると表現していますが、このような大混乱は第一次世界大 戦と、戦間期の不安定な時期と第二次世界大戦が終わるまでつづきます。

第二次大戦後は、中国革命の成功があり、東西冷戦がおこり、植民地の独立闘争にソビエトが介入する事態がつづき、1960年代の独立期以降もこ のながれがつづきます。

★ハンナ・アーレントの「帝国主義の時代」

それに対してハンナ・アーレントの「帝国主義の時代」は、『全体主義の起源:2.帝国主義』(2017:3)によると、次の時代の期間です。

1884年から1914年です。

1884年は、アフリカ争奪戦(scranble for Africa)と汎ナショナリズム運動がはじまり、第一次大戦がはじまるまでの間になります。

●日本の植民地主義の歴史的発展(マーク・ピーティーの議論)

マーク・ピーティー『植民地―帝国50年の興亡』浅野豊美訳、読売新聞社(1966)/慈学社(2012)

第1章 帝国の由来と環境

第2章 帝国の形成―1895-1922

第3章 帝国の発展―1895-1945

第4章 日本の植民地思想―理念と矛盾

第5章 帝国の政治的統合―支配の日本型システム

第6章 帝国の経済的統合―開発と搾取

第7章 帝国の社会的変容―教育と文化移入

第8章 植民地の日本人―移民と定住

第9章 植民地からの反応―台湾・朝鮮・南洋

第10章 帝国と総力戦の重圧―1937-1945

第11章 日本植民地の遺産と現代的意味


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■文献

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

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