身体
body, cuerpo humano
ラテンアメリカにおける身体症状と臓器の関連図
解説:池田光穂
「身体とは、言説と権力の体制が自らの書き込む場であり、法的で生産的な権力関係にとっての結節点あるいは結合手段である」(バトラー 2023:55)
身体とは、胴体あるいは〈からだ〉の多くの部分を占める本体の部分ないしは全体のことである。ふつう私たちが、身体(しんたい、からだ)という
場合は、人間の身体を前提にして、動物の身体、あるいは自動車のボディのように筐体(きょうたい:箱型)ないしは中身のつまった筒体(きょうたい:筒型)
の部分を指し示す。身体はまた、頭部と切り離され、胴体の部分を言うことがあったり、心身二元論(しんしんにげんろん)のように、こころ(ハートあるいは
ブレイン)と切り離される人間の身体の胴体の部分をわけて見るという時の、こころ以外の部分をさすことがある。
では、身体観(body concept)とは、病気観と同様、対象になった人た ちに共 有されている「身体」に関する見方を説明し、かつその社会に含まれる「身体」の隠喩的な連関から構成さ れる論理の体系のことである。……(より詳しくは「身体観」を参照せよ)
自分たちの身体や心をどのように観て、どのように感じ、そしてどのように考えるのかという観点については、その民族が慣れ親しんだ社会や文化によってし ばしば共通点が見られる。
例えば、ラテンアメリカ人は対人関係における自分自身の心の不安を「神経([西]nervio, [葡]nervo)」という実体に帰して周囲の人に病気であることを訴える。ジャワにおけるラター(latah)とは、突如として卑猥あるいは口汚い言葉 を吐く状態であるが、当人以外には好ましいものとは見なされていないが、かといって治療しなければならない病気とも見なされない。ジャワにおける社会対人 関係の慎み深さからみると、病理とされないことが不思議である。不躾なラターの状態は、ジャワの民族文化の中では寛容されている。肩凝りは、日本人や長期 滞在の在日外国人が持つ固有の身体表現である。そのため人および機械によってマッサージされることに、癒される経験を持つ人が多い。このことは、我々日本 人にとっては、何の疑いもなく経験・理解していることなので、発達成長の中でどのようにして私たちの共通の身体の経験や認識を形作るのか当事者の説明だけ では分かりにくい。しかし、日本在住が長ければ民族差を超えて共通の経験をもつことが可能になるために、この身体疲労表現は学習可能な身体経験なのであ る。それゆえこれらは参与観察を含む民族誌的考察が必要になる好例である。
体 液理論ないしは体液病理学(humoral theory, humoral pathology)とは、広義には(1)身体の健康や病気の状態を、体液あるいは(身体の)構成要素の均衡や不調和 によって説明する理論である。身体を構成する諸要素は抽象化された実体でもあるが、必ずしも液状のものである必要はない。さまざまな民族 (民俗)医学のなかにこの種の病因論が見られる場合、体液理論という用語が使われる。これが文化人類学における一般的な用法である。紀元前5-4世紀の古 代ギリシャのヒポクラテス派の医学に起源を発し、紀元 2世紀のガレノス(Galenos)により集大成された医学理論をさす場合である[Smith 1979]。したがってこの医学は総称としてヒポクラテス・ガレノス学派と呼ばれることもある。古代ギリシャ・ローマの伝統によると、人間の身体は血液、 粘液、胆汁、黒胆汁の4つの液体的要素から成り立ち、人間の健康状態や気質は各人がもつ4つの要素のバランスと風土との関係のなかで決定すると考えられ た。それゆえにこの理論は、四体液学説と呼ばれることもある。
人類学においては、アジアの医学の諸体系を比較検討したC・レスリーらが、1970年代に 入って初めてこの医学の特徴を全体論と体液説に求めたことで、 その理論的研究が始まる。他方、同じ時期に開発人類学の調査において、M・ローガン(Michael H. Logan)が、中央アメリカにあるグアテマラのマヤ系先住民の中に、古代ギリシャ・ローマの体液理論によく似た現象を見つけた。それが熱/冷理論 (hot-cold theory)にもとづく身体観や病気・健康観であり、マヤ人のみならず広くメソアメリカと呼ばれる地帯に分布していた[Logan 1973,1977]。この場合の熱と冷という要素は温度による分類ではなく、抽象的に概念化されたものであり、個々の食物や薬物、体質のみならず病気あ るいは風土などの環境要因にもこの二元分類(dichotomy)を用いて説明するというものである[池田 2004:194-7]。ローガン[1973]は、この事実の報告を通して、保健プロジェクトにおける住民独自の健康概念の把握することの重要性を説いて いた。人びとの身体への関心や理解ぬきに、近代的な衛生概念を導入することは不可能だと考えたからである。
しかしながらこのユニークな現象への関心は、それを応用することよりも、この理論の起源がどこに由来するのかということに向かっていった。15 世紀末以 降メソアメリカを含む新大陸はスペイン植民地となったが、宣教師たちによってもたらされた医学は、ヒポクラテス・ガレノス学派のそれであった。この事実が 後にしてG・フォスターをして様々な民族誌の比較や植民地時代における医学理論の伝播の検証を行わしめることになる。その結果、新大陸における熱/冷理論 が、もともと受け入れる素地のあった先住民の伝統の上に融合されたという考え[e.g. Madosen 1968]をフォスターは放棄し、新大陸の体液理論は、実は旧大陸由来の医学的伝統に他ならないと結論づけるようになる[Foster 1994]。新大陸の民俗医学を調査すれば、熱/冷理論のほかにも邪視(evil eye)など、フォスターの医学的伝統の伝播説を支持できるような類似の文化事象を発見することができる。だが彼の研究成果は、それほど多くの共感者を作 り出さなかった。彼の歴史的伝播論は、現地社会の文化を反映する体液理論[e.g. Lopez Austin 1974]という当時の多数派に支持されていた文化主義の命題にそぐわなかったからだ。その意味において、体液理論は非西洋医学の特性を担う表象として当 時すでにその硬直した学術的意義を担わされていたことになる。それゆえ研究者の関心は、社会的文脈に即した民族誌上の細かい検討よりも、医学理論が伝播し た結果であるのか、あるいは土地固有であるのかという二者択一の議論に限局されるようになっていった。
なお、グノーシス思想には、体液病理(な いしは四体液説)の考え方や、その思想的構成要素をみることが多い。
しかしながら人類学において体液理論が脚光を浴びるようになる半世紀以上前に、近代医学は体
液理論という発想自体に再び光を投げかけようとしていた。そ の試みは生理学者のW・キャノン(Walter
Cannon)によるホメオスタシス理論やH・セリエ(Hans
Selye)のストレス学説などにみることができる。彼らは、身体を循環する体液のシステムの安定性維持のメカニズムや、体の一部分の損傷や心理的影響に
よって生理学システムの崩壊の神経化学的根拠を明らかにすることを通して、細菌という要素還元的な理論展開によりすでに成功を収めていた細菌病理学の後塵
を拝していた生理学の知的復権に成功した。これらの研究はブードゥー・デス(呪術による殺害)研究やレヴィ=ストロースの「呪術師とその呪術」や「象徴的
効果」論文(原著はともに1949年。『構造人類学』に所収)などの人類学的実証研究に刺激を与え、医学と文化人類学の架橋する知的貢献をもたらした。こ
れらの先駆的研究は文化表象と生理的心理的実体の間にある社会的な媒介の問題を取り扱っていたのである。
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