「我々は我々の身体の持続についてはきわめて非妥当な認識しかもつことはできない」——スピノザ『エチカ』第2部定理30(畠中尚志訳)
PROPOSITIO XXX : Nos de duratione nostri corporis nullam nisi admodum inadæquatam cognitionem habere possumus.
以下は、身体コミュニケーション2016の記録(部分)である。このページを軸にして、身体コミュニケーション(body communicationではなくsomatic communication と訳す)について考える。
【詳細情報】
- 講義題目:身体の働きかけを通して心や意識におけるコミュニケーションを考えよう!
- 授業の目的と概要: 身体は、心や意識と対比され、これらに従属して機能するものとして説明されます。しかし身体には、心や意識の働きと
も言える特性を見て取ることもできます。身体として「ここにいる」ことでその場の雰囲気が変わり、「他者の傍らにいる」ことで知らぬ間に潜在的な交流を開
始しています。積極的に何かに向かおうとするのも、身体です。身体を通した世界との交流は、多くの言葉を生み出してきました。そのような多様な身体と心
(意識)の関係についてワークショップ型の授業を通して考えます。
- 学習目標:
- (1)身体にかかわる議論(身体論)の多様な論点について自らが体得したことを、言語化することを通して、他者に伝えることができる。
(2)〈身体〉の多様な働きを、社会的実践であるコミュニケーションとの関連に焦点を当てて捉え直すことができる。
(3)その捉え直しを通して、コミュニケーションのあり方に別様の意味を発見し、それについて、他者に自分の意見を表明することができる。
- 履修条件:身体をつかうダンスやエクササイズをおこないますので、動きやすい服装でおこしください。ただし、身体や五感に関するハンディ
キャップをお持ちの方にも可能なように授業を構成しています。受講前にお知らせください。
- 特記事項:なし
- 授業計画:〈身体〉コミュニケーションは、人と人とがじかに接する対面コミュニケーションと、そこに生起する他者との差異の経験から始ま
ります。そのためこの(実習形式を取り込んだ)講義は、教員からの多様な事例や事象の提示、履修者同士の共同討論、及び身体ワークショップを取り入れた参
加型授業として運営されます。
- 授業計画(各論):
- 身体の多様性:身体の具体的な諸相についてブレインストーミングする。
- 身体の多様性(2):身体の具体的な諸相についてブレインストーミングしたものを、整理してプレゼンテーションする。
- 感じることと動くこと:実際に身体を動かして、感じることを経験し、それを言語化する実習をおこなう。
- 感じることと動くこと(2):実際に身体を動かして、感じることを経験し、それを言語化したものを、対話と討議を通して他者に伝え
る。
- 拒絶と受容:身体運動のもつ限界について、拒絶と受容というテーマで議論する。
- 拒絶と受容(2):身体運動のもつ限界について、拒絶と受容というテーマで議論したことを、もとにして、それをダンス表現でおこな
う。
- 言葉の喪失と生成:言葉が失われる経験について、各人が事例をもちより議論する。
- 言葉の喪失と生成(2):言葉が失われる経験について、各人が事例をもちより議論したことを通して、言葉抜きでのコミュニケーション
/言葉以外でのコミュニケーション/言葉を補完するコミュニケーションについて、身体の動かし方について創案し、それを実践してみる。
- 文化的習慣とその多様性:異文化の身体所作に関する文献や映像資料をとおして、身体表現の文化的多様性や多元性について議論する。
- 文化的習慣とその多様性(2):文化の身体所作に関する文献や映像資料をとおして、身体表現の文化的多様性や多元性について議論した
ことをもとに、異文化の身体表現や舞踊などを《模倣》してみる。また、その経験を各人とシェアする。
- 笑いと協働:お笑い芸人の身体所作と言語活動について、映像資料等を使って分析し、笑いと身体運動の協働について、話し合う。
- 笑いと協働(2):11.笑いと協働で、分析したことを元に、お笑いのシナリオとコレオグラフィ(=身体所作に関するシナリオ)を創
案し、実際のお笑いショーを身体を使って表現してみる
- 〈身体〉コミュニケーションの可能性:これまで学んできたことを、〈身体〉コミュニケーションとして位置づけて、総括的な議論をおこ
なう。
- 〈身体〉コミュニケーションの可能性(2):(承前)これまで学んできたことを、〈身体〉コミュニケーションとして位置づけて、総括
的な議論を引き続きおこなう。
- まとめの身体ワークショップ:授業として、言語にとって〈身体〉コミュニケーションとは何かにつて議論すると同時に、身体が議論的な
理論生産にどのように寄与できるのか、考え、身体というコミュニケーション手段をつかって表現し、感想を述べ合う。
- 授業形態:講義
- 授業外における学習:http://www.cscd.osaka-
u.ac.jp/user/rosaldo/160214shintaiCom.html
にて、事前学習が必要な文献や資料を指定します。また有益なURLリンクを紹介します。過去の身体コミュニケーションの授業も紹介しておりますので、是非
アクセスして、予習復習に御利用ください。
- 教科書:特にありません
- 参考文献:授業毎に関連する書籍と文献を紹介します。
- 成績評価:平常点(60%)、レポート(40%)。グループ討論への参加度も評価に含めます。
- コメント:
- なぜ〈身体〉を問い、〈からだ〉を動かし、そして討論をおこなうのでしょうか?
発声がうまくできない人が、ある必然性に迫られて声を誰かに届けようとしたときに、つまり相手の側に強く惹きつけられたときに、声が生まれてきたと言わ
れます。これを、『ことばが劈かれるとき』の著者である竹内敏晴は、「からだが世界へ向かって自己を越える」状態だと言いました。ここでのコミュニケー
ションを支えたのは、〈身体〉というものです。何かに関心をもって耳を傾けるときも、何かを拒絶するときも、誰かと一緒に場を作るときも、いつも〈身体〉
がそれを支え、抵抗し、促しています。こうしたコミュニケーションの原初として働く〈身体〉を捉え直すことは、「コミュニケーション」とは何であるのか
を、その根源から捉え直すことになります。
〈身体〉はコミュニケーションの基盤になっていますが、その働きを自覚することは容易ではありません。「暗黙知」という言葉が生まれたのはそれゆえで
す。他者との間で緊張感が生まれるとき、他者へ言葉が届いた実感がもてないとき、あるいは、他者の振る舞いに否応なく引きこまれるとき、そこでは何が起
こっているのでしょうか?。閉ざされ、病み、歪む、あるいは開かれ、超え出て行こうとする〈身体〉。こうした〈身体〉の営みを、実際に動き感じながら、演
じ考えながら、創造的に発見するために、ダンサーによる身体ワークショップを取り入れます。
感じたり経験したことを可能な限り言語化することから始めたいと思います。それを履修者同士で交換することによって、自覚せずに経験していたことを発掘
し、また個々人の経験や意見の差異を提示し議論することによって、〈身体〉の新たな論点を発見していくことを目指します。
- キーワード:身体コミュニケーション、身体論、現場力、実践知
- 受講生へのメッセージ:関連科目としてCSCDで開講している、臨床コミュニケーション関連の授業があります
【その他】
【有益なリンク先など】