ゴジラと現代社会
El Godzilla y la sociedad moderna
グ アダルーペ聖母(Nuestra Señora de Guadalupe)の顕現
ゴジラ
原作:香山滋、監督:本多猪四郎、脚本:村田武 雄・本多猪四郎、特殊技術:円谷英二、音楽:伊福部昭
『ゴジラ』(1954)昭和29年
ゴジラ
海棲爬虫類から陸上獣類に進化する過程の生物とい う設定。 海底の洞窟(どうくつ)に潜んでいたゴジラが、水爆実験のために太古からの眠りを覚まされ、口から高熱放射線を吐きながら東京湾から上陸する。都心を破壊 し、海中へ去るが、芹沢博士が発明した最終兵器オキシジェン・デストロイヤー(水中酸素破壊剤)によって滅ぼされる。
母子が居住しているところにゴジラが襲いかかる状 況のなかで、母親が幼子につぶやく:「もうすぐお父ちゃん[さん]のところにゆくのよ」(「お父ちゃん」とは第二次大戦で戦死した夫のことをさす)
監督:本多猪四郎 特技監督:円谷英二
原水爆実験の影響で、大戸島の伝説の怪獣ゴジラが復活し、東京に上陸。帝都は蹂躙され廃墟と化した。ゴジラ抹殺の手段はあるのか・・・。戦後の日本映画界
に特撮怪獣映画というジャンルを築いた、記念すべきゴジラ映画第1作。核の恐怖を描いた、本多猪四郎の真摯な本編ドラマと、円谷英二のリアリズム溢れる特
撮演出が絶妙のコンビネーションを見せ、「ゴジラ」の名を一躍世界に轟かせた傑作。
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映像表象における意味の切り取りは、一定のルール によって、つまり読み手が共有しているルールにしたがって解釈される。これを、映像表象の 文法と呼んでおこう。
◆物語論
◆水爆の被害
・水爆の被害により「安住の地が奪われた」
→第五福竜丸
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■第五福竜丸事件
1954年(昭和29)3月1日、南太平洋ビ キニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、同環礁東方160キロの海上で操業中の日本のマグロ 漁船第五福竜丸が「死の灰」を浴びた事件。
同年3月14日静岡県焼津に帰港。乗組員23 名は「急性放射能症」と診断され、東大病院と国立第一病院に入院、治療を受けた(→第 五福竜丸)。
9月23日には無線長・久保山愛吉が死亡す る。同船が積んできたマグロからは強い放射能が検出された。
1954年5月には日本各地に放射能雨が降り 始めた。この事件は国民に強い衝撃を与え、核兵器禁止の世論が急速に盛り上がった。
翌55年8月、広島での第1回原水爆禁止世界 大会開催へとつながっていく。第五福竜丸は67年廃船処分となって東京の夢の島に捨てられ ていたが、市民団体の保存運動の結果、76年6月同地に都立の展示館が完成、保存されている。
荒 敬「第五福竜丸事件」『ニッポニカ2003』
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DVD版『ゴジラ』(東宝で2001年にリリース されたもの)における24のチャプターとそのタイトル
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登場人物
●ゴジラ:“水爆実験のため太古の眠りから醒めた 海生は虫類から陸上は虫類への進化途上にある生物”(山根博士の説明);“村の娘を生け贄 に捧げてきた大戸島に伝わる伝説の魔獣”(大戸島古老の説明)。
●山根博士:古生物学者、恵美子の父親、(妻はい ない)、ゴジラの命名者(行政)、映画唯一のゴジラ擁護者。
●山根恵美子:博士の娘、芹沢の発見の秘密を最初 に知る。
●尾形:東洋サルベージの社員、恵美子の恋人。
●芹沢博士:オキシジェンデストロイアー(水中酸 素破壊剤)の発明者。戦傷で顔に傷。
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・無差別攻撃される船舶
・大戸島島民たち
最初の犠牲者としての漁民:目撃の予兆
新聞記者の到来 ・ゴジラの最初の目撃
山根博士の踏査と放射能汚染
・科学者(山根博士)による国会証言
・水爆実験の公開をめぐる問題:
山根博士は、水爆がゴジラの住処(生態系)を脅 かす。
国会の審議 ・電車のシーン:
踊り子の娘「せっかく長崎の原爆から逃れてきた大 切な体」
・フリゲート艦隊による爆雷攻撃
マーチ音楽をバックに流した映像が、テレビの中
のシーンに転移し、さらにそれを見る山根博士一家のカットへ移行する。
・団らんでテレビをみる山根博士一家(母親の不 在)
ゴジラを殺したくない山根博士
・洋上のダンサー(ダンサーは電車内の映像に対比 される)
ドシンドシンという足音:『ジョーズ』における 表題音楽
・不思議な生命力を究明することの生物学的な意 味。
水爆をも生き延びてきた
・芹沢博士「山根博士の養子なる人物」
「戦争さえなかったらあんな酷い傷にならなくてす んだ」(芹沢博士)
・芹沢への紹介の労を依頼する新聞記者
・山根の娘・恵美子と青年緒方(宝田明)の恋人関 係の示唆、芹沢への許嫁の解消。
・芹沢の秘密の実験:
娘のショック
・ゴジラの最初の上陸の予兆
自衛隊による機銃掃射
逃げまどう人々 光を当てないで!と助言する山根博士。
失踪するEF58電気機関車に牽引される列車と 惨劇
(→列車事故:PTSDのルーツとしての鉄道脊 椎)
・ゴジラの上陸
・防衛隊の出動:
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〈全体の講評〉
ソンタグ(1971)のエッセイ「惨劇のイマ ジネーション」は、物語の展開(プロット)のタイプ論と言える側面をもっている。そして、 この表現形式に対する期待というものは彼女にはなく、惨劇のイマージネーションは歴史的に変化していないとか、SFそのものの空想が日常的なものに限界づ けられていることに、いらついているかのようだ。
〈ノオト〉(原文と出典箇所は竹内書房新社版によ る)
■「典型的な空想映画には西部劇と同じように すぐわかる定型があり、見慣れた眼には、酒場の喧嘩、東部からきた美人教師、人影のなく なった大通りでの射ち合いなどと同じように、古典的な要素からできあがっている」(p.235)。
■「わたしは空想科学映画を他の表現手段とは 無関係に論じたい。というのも、小説と映画は筋書きが同じ場合でも、その手段が根本的に違 うため、両者はまったく別のものになるからである」(p.238)。
■「空想科学映画は科学を語るものではない。 惨劇を語るものであって、これは芸術の最も古い主題である」(p.238)。
■「このような一般的惨劇が空想の対象として 好まれるのは、それによってひとがふだんの義務から解放されるからである」 (p.240)。
「この種の映画が与えるもう一つの満足感は、 道徳観(原文は道徳感)が極度に単純化されていること——つまり、残酷な、あるいはすくな くとも非道徳的な感情のはけぐちが与えられ、しかもそれが空想上のこととして道徳的に許されることである」(p.241)。
(→これに対するのが恐怖映画であり、(恐怖 映画においては)「これは、われわれが奇形を、人間範疇からはみ出た存在を見て味わう否定 しがたい喜びにほかならない。奇形に対する優越感が恐怖や嫌悪と種々な割合で混ざりあい、そのために道徳心の抑制が取り除かれて残酷を楽しむようになる」 p.241)。
■「空想科学映画によれば人工物(もの)を手 にしていない人間は裸である。〈もの〉はさまざまな価値を表わす、〈もの〉は強力である、 〈もの〉は破壊を受けるものである、そして〈もの〉は、外敵を駆逐したり環境の蒙った損害を修復するのに欠くことのできない道具である」(p.241)。
■「空想映画はこのうえなく独特的である」 (p.241)。
・チームのための殉教
■「『地球防衛軍』(本多猪四郎監督、 1957——引用者)がこの例で、最後になって離脱者が過ちを知って内部からミステリアンの宇宙 船を自分もろとも破壊する。『宇宙水爆戦争』(1955)では、包囲されたメタルーナ星の住人たちが地球制服を図るが、しばらく地球で暮らしてモーツアル トを好きになり、そのような非道な行為に耐えられないエクセターという名前のメタルーナの科学者のために、この計画は挫折する。エクセターは一組の魅惑的 な(男と女の)アメリカの物理学者を地球に戻したあと、自分の宇宙船を大洋に墜落させる。『蠅 The Fly』(1958)の主人公は、地下の実験室で物体交換機の実験に夢中になって、自分を実験材料にし、たまたま機械に飛び込んできた家蠅と頭と片腕を交 換し、怪物になるが、わずかに残った人間の意志をふりしぼって実験室を破壊し、自分を殺すように妻に命ずる。彼の発見は、人間の幸福のために、失われてし まう」(p.242)。
■「特に日本映画の場合にそうなのだが、必ず しも日本映画ばかりでなく、一般に、核兵器の使用や未来の核戦争可能性によって、大量の創 傷が現実に存在するという気持を観客は持たされる。空想科学映画のほとんどはこの創傷の証人であり、ある意味で、これを払拭しようとする試みである」 (p.243)。
・兵器
■「有史以前から大地に眠っていた超破壊能力 を持つ怪物が偶然眼をさますのは、〈爆弾〉の明らかな隠喩であることが多い」 (pp.243-4)。 「放射能の因果性——究極的には世界全体を核実験および核戦争の因果関係で考える——は空想科学映画が扱う考え方の中でも最も不吉なものである。宇宙は消 耗の可能性をもつようになる。世界は汚染され、燃えつき、枯渇し、廃物となる」(p.244)。
・「善い戦争」に対する欲求
■「空想科学映画の好戦性は平和への希求、す くなくとも平和共存への希求にもちゃんと通じている、科学者の中には、地上の交戦国が正気 にかえって戦闘を中止するのに他の天体からの侵入者が必要であったという内容に、大げさに注目している人がいる。多くの空想科学映画の主要なテーマの一つ ——戦闘場面のスペクタクルを充分にくりひろげるだけの予算も資材もあるので普通は色彩である——は、UN(国連)ファンタジー、連合戦争のファンタジー である」(p.245)。
■「空想科学映画に具体化されている道徳感の 単純化と国際統一という望ましい幻想には、それに寄りそうようにして現代の生存についての きわめて深い不安が潜んでいる……。空想科学映画は個人の精神状況についての抜きさしならぬ不安を反映している。……空想科学映画は非人格性に関する現代 のネガティヴな考え方を象徴する目下流行の神話である」(p.246)。
■「空想科学映画には社会批判はまったくな い、爪の垢ほどのほのめかしすらない」(p.249)。
■「心理的な観点から言えば、惨劇のイマジ ネーションは歴史の各時代を通じてたいして変わっていない。だが、政治的また倫理的観点から 見ると、大いに変わっているのだ」(p.250)。
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