かならず 読んでください

ローマン・ヤコブソンによる言語の二軸理論

Biaxial theory of language use by Roman Jacobson

解説:池田光穂

ロマン・ヤコブソンRoman Jakobson, 1896-1982)は、フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure, 1857-1913)の2つの精神性の対比、すなわち、特殊化しようとする精神(esprit particuraliste)と統一化しようとする精神(esprit unificateur)の対比からはじめる。

「言語活動の獲得とは、ある個人がその言 語体系に組みこまれてゆくことであるように思われます。これがきわめてはっきり見てとれるのは、喃 語から語の分節への移行過程においてです。そこではデフレーションと呼んでいる事態が起こります。つまり豊かな喃語が突然消失し、幼児はその言語体系で使 われていない音だけではなく、その言語体系にとってきわめて有用な多くの音さえも失ってしまうのです。幼児の発音能力は、その音節を区切って発音する能力 に依存しているわけではなく、音素の対照とその表意的価値の獲得に依存しているのです。幼児が合体する厳密な秩序が、幼児に音素の言語的価値の可能性を示 唆するわけです。こうして、ヤコブソンは「もろもろの音素対立の体系が意味作用へ向かってゆく」と定義することになります」[メルロ=ポンティ 1993:28:訳文は少し変えています]。

「ヤコブソンは、彼の理論を失語症に適用 することによって……、言語活動の所有は、音素の統合に依存していることになりますから、逆に失語 症は音素体系の崩壊の結果生ずるにちがいありません。ヤコブソンは、すべての真性失語症患者において、この音素体系が規則的に解体してゆくこと、そして一 時的な平衡回復をともなうことがよくあることを確認しています。……失語症のある患者は、失認症や失行症にはかかっていないにもかかわらず、ある種の言葉 を発音できません。しかし、これらの語が失われるのは、それがある部分の全体をなしている場合だけです。ここでヤコブソンは、フッサールがおこなっている [言語と]チェス・ゲームとの比較を援用しています」[メルロ=ポンティ 1993:30-31:訳文は少し変えています]。

「ヤコブソンはその論文の後半部になって はじめて音素の定義に取り組み、こう言っています。「音素とは、ある語を他の語——その音素以外は その語と等しい音素からなる他のすべての語——から区別するような言語活動の要素である。つまり、音素とは言語活動の弁別的要素にほかならない」」[[メ ルロ=ポンティ 1993:28:訳文は少し変えています]。

「音素は語を弁別する要素であり、その語 が事物に関係するのですから、音素体系の障害は、本来の言語活動の障害と同じ様相を呈し、同じ結果 をもたらすことが多いのです。例えば、同音異義化がそうです。ヤコブソンは例として、Rippe(肋骨)とLippe(唇)という2つのドイツ語を引いて います。……(1)意味了解能力は健在で、音素識別能力だけが損傷された患者の場合。患者はもはや/l/と/r/とを区別できないので、2つのものに同じ ひとつの言葉を使わざるを得ません。つまり、彼にとってこの二語は同音異義語になってしまいます。(2)音素識別能力は健在で、語意了解の能力を失った患 者の場合。患者は言葉の意味を失っているので、彼にとってはたしかに、音の響きの異なった二語なのですが、しかし、それらの言葉は彼にとって意味をもたな いので、彼はもはやそれらを区別することができません」[メルロ=ポンティ 1993:31-32:訳文は少し変えています]。

「いずれにしても問題になるのは、言語能 力の障害かシンボル機能の障害なのです。音素論者たちは、もはや「シンボル機能」という概念を、語 にだけ限って使うように制限したりはしません、彼らは、音素体系をそこに統合します。というのも、彼らは音素と語のあいだに密接な平行関係のあることを確 かめているからです。音素と語は、言語連鎖のうちにあって、それらが部分として含まれている全体を差異化する要素なのです」[メルロ=ポンティ 1993:32:訳文は少し変えています]。

※ローマン・ヤコブソンによる言語伝達の 構成因子とその機能



リンク

文献



Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099