心理人類学の流れ
Outline of development of Psychological Anthropology
解説 池田光穂
[アウトライン]
・「心理人類学 Psychological Anthropology」という名称そのものは、Francis L.K. Hue の同名の編著(1960)による。
・1960年代以前には、“文化 とパーソナリティ”(1940年代に命名された)と呼ばれていた(一連 の学派・方法)ことをさす。
・「文化とパーソナリティ研究は、学習とゲシュタルト心理学*、および若干のフロイト理論を非西 洋世界*に適用しようとするものであったが、その焦点は文化が個人に与える影響を解明する点にあった」(ガバリーノ,1987:154/*訳語改変)
・1920年代に米国においてフロイトの精神分析学が流行し、人類学にも膾炙する。
(→特異なところでは、ハンガリーの精神分析家・人類学者G・ローハイム(1891-1953)がいる。彼の人類学上 における評価については、ロビンソン『フロイト左派』せりか書房、1972:85-149、およびクラックホーンの『文化人類学リーディングス』 (1968)所収論文、pp.142-3、を参照。後期の代表作はG・ローハイム『精神分析と人類学』上・下、小田・黒田訳、思索社、1980 [1950]がある。)
・20年から30年代は、米国内で少年非行や思春期の情緒障害の問題が社会的にもクローズアップ されていた。
・E.Sapir「社会内の行動における無意識的な型」(1927)/個人が言語を学ぶように、 文化パターンも無意識的に学習されるものである。
・エドワード・サピアは、民族 誌における人びとの個人差や感情について配慮が足りないという不満を抱いていた。そのために心理学の理論と方法を導入すべきだと考えたのだった。ただし、 彼自身はパーソナリティ研究をテーマにしたフィールド調査は行なわなかった。
【下図の説明】(→自我とエスの関係、より)
「このような名称を使うことで、記述と理解の面でど のような効用があるかは、いずれ明
らかになろう。われわれにとっては個人とは、一つの心的なエス、未知で無意識的なもの
である。自我はその表面にのっているのであり、自我からその核として知覚(W) シス テムが形成される。これは図解すると次のようになる。
自我はエスの全体を覆うものではなく、肺が卵の上 にのっているように、知覚(W)システムが自我の
上にのっている範囲に限って、自我はエスを覆ってい るのである。自我とエスの聞に明瞭な境界はなく、自 我は下の方でエスと合流している。/
しかし抑圧されたものもエスと合流するのであり、 その一部を構成するにすぎない。抑圧されたものは、
抑圧抵抗によって自我と明瞭に区別されるのであり、 抑圧されたものはエスを通じて自我と連絡することができる」(フロイト
1996:221)。「自我は「聴覚帽」をかぶっているが、脳の解剖学的な経験から、この帽子は片側だけにあることが示されている」(フロイト
1996:222)。
・The social edges of psychoanalysis / Neil J. Smelser, Berkeley, Calif. : University of California Press , c1998s
・1930年代アメリカで、文化人類学のなかに心理学、精神医学(とくに精神分析)を取り入れる 風潮がおこる。
・影響を与えた理論は、おもに学習理論、行動主義心理学、ゲシュタルト心理学、当時の児童心理学 などである。フロイト理論の影響は少なかった。(1938年の Freud,"Totem und Tabu" は、人類学者にとっては冷やかに見られた。その代表例は Malinowski である。Malinowski に対しては、Geza Roheim による批判(1943)がある。/フロイト理論がより受け入れられるのは1940年代以降になってからである)
・R.F. Benedict によるズニ・インディアンをはじめとする一連のインディアン研究、心理的なタイポロジー論("Patterns of Culture", 1934)、無文字社会における精神異常の研究("Anthropology and Abnormal", 1934)。
・ルース・ベネディクトに おいて、社会が個人のパーソナリティを形成する過程は文化化(enculturation)とされた。(※社会が異なれば、そこに帰属する人々の思考の様 式も異なる、という見解はE.デュルケムおよびその学派においてすでに指摘されていた。彼らは思考の型を「集合表象」と呼んでいた)。
・M. Mead によるサモ ア("Coming of Age in Samoa", 1928)、マヌス、ニューギニア("Growing up in New Guinea", 1930)における性格形成の研究、およびその著作が米国の一般の人びとに広く読まれた。その結果、性差と気質("Sex and Temperament", 1935)、育児様式とパーソナリティについての関心が高まった。
■ 関連ページ:文化とパーソナ リティ
・シカゴ大学「インディアン教育調査プロジェクト」(1941〜)における、人類学者、心理学 者、精神分析学者の大規模共同研究。
・(A.I. Hallowell の Ojibwa 研究。ロールシャッハとTATを用いたテスト、歴史研究など多角的な視点から、彼らのパーソナリティが物質的な文化変容を受けながらも保持されていること を描写した。)
・フロイト理論の導入に関して精力的であったのは Abram Kardiner である。精神分析学者である彼は、リントン(Ralf Linton)やデュボア(Cora DuBois)とともに、人びとの「基本的パーソナリティ構造」が、育児様式である「第一次制度」によって形成され、さらに宗教や神話などの「第二次制 度」を作り上げるという図式的な解釈を打ち立てた。
・第二次大戦下における「国民性研究 National Character Study」に、ベネディクト("Chrysanthemum and the Sword", 1946)、ミード、ベイトソンらが関与する。
1945年 "The science of man in the world crisis"(Ralph Linton, ed.)New York : Columbia University Press , 1945より出版される
實業之日本社ならびに新泉社より(1952, 1975)翻訳される:内容一覧
内容:上巻 人類学の範囲と目的(ラルフ・リントン)
社会と生物学的人間(H.L.シャピロ) 人種の概念(W.H.クログマン) 人種心理学(オットー・クラインバーグ)
文化の概念(クライド・クラックホーン,ウィリアム・H.ケリー)
社会諸科学における操作用具としての基礎的パーソナリティ構造の概念(エイブラム・カーディナー) 文化の公分母(ジョージ・ピーター・マードック)
文化変化の過程(メルヴィル・J.ハースコヴィッツ) 文化変容の社会心理学的側面(A.アーヴィング・ハロウェル)
世界現状の文化的展望(ラルフ・リントン) 世界資源の現状(ハワード・A.マイヤホフ)
内容:下巻 人口問題(カール・サックス) 変化するアメリカ・インディアン(ジュリアン・H.スチュアード)
植民地の危機の将来(レイモンド・ケネディ) マイノリティ・グループの問題(ルイス・ワース)
植民地行政における応用人類学(フェリックス・M.キーシング) インディアン主義政策の考察(マニュエル・ガミオ)
現代文明社会に適用されたコミュニティの研究と分析の技法(カール・C.ティラー) 新しい社会的習慣の習得(ジョン・ドラード)
コミュニケーション調査と国際間の協力(ポール・F.ラザースフェルド,ジェネヴィーヴ・ナプファー)
国家主義、国際主義と戦争(グレイソン・カーク) 解説(蒲生正男)
・図式的な解釈への批判が出てくる。
・ホワイティングとチャイルド(John Whiting and Irvin Child)による文献研究が、HRAFを使って行なわれる。
・文化によるパーソナリティ研究そのものは完全に衰退するが、人類学領域への心理学的な関心はよ りひろい文脈のなかで復活する。祖父江孝男によると、そのような研究テーマには「心理的態度や情緒などパーソナリティの部分についての研究、文化変容のな かにおける心理的不適応の問題、精神衛生、文化と精神異常、宗教や俗信その他、種々の文化現象に関する心理学的研究」「認識の構造」などである。これら は、ひろく「心理人類学」とよばれる領域を形成することとなった。(雑誌として Ethos, Journal of Psychoanalystic anthropology)
【関連するリンク】
/医療人類学プロジェクト: Medical Anthropology Project in Japan(MAP-J)/植民地状況における心理学/比較文化精神医学/文化とパーソナ リティ/病気観/アフォーダンス/古典的学習とは?/文化人類学12の知的伝統/医療人類学の四象////////////
【文献】
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