はじめによんでください

認知症・経済格差・社会関係資本・トラウマ-レジリアンス

Dementia, economic inequality, social capital and resilience against trauma experiences

池田光穂

Is Inequality Bad for our Health?, Norman Daniel et al, Book entited above, is very not only challenging but also provocative. The real problem is if their message is true or bullshit.

認知症は、生活習慣病のような病気かどうかということが、社会関係資本と の関係を論じる時にはポイントになります。

マーガレット・ロックアルツハイマーの謎に、エピジェネシス(後天的に遺伝 子的要素が発現)が問題になるのかという議論がありました。(→「エピジェネティクスepigenetics)」=研究/学 問の名称)

βアミロイド・マフィアは、MCIの発現にも特定の遺伝子の発現と関係するといって、実験研究を継続しています。

正義論はですね、ノーマン・ダニエルは、もともとジョン・ロールズの研究者なのですよね。ロールズのあの電話帳みたいな「正義論」

ケイパビリティ論のヌスバウムもジョン・ロールズ批判をやっています。

こういう人たち(=ケイパビリティ論者)は、健康は身体の状態では なく、健康は人権や権利として考えています(→「生活の質(Quality of Life, QOL)」)。

それから、疾患と経済的格差は、因果関係ではなく、相関関係で調べようとしています。経済関係と社会関係資本(social capital) とは正の相関があるというのが連中 の基本的考え。

社会関係資本論(ソーシャル・キャピタル)のロバート・パットナムは、 もともと北イタリアで、市民政治参加と社会関係資本の関係を調べていました。

パットナムはハーバードなので、公衆衛生の連中(イチロー・カワチ)は、共同研究はじめました。

そうしたら、経済関係、社会関係、そして健康には、つよい相互相関があると信じるにいたりました。

この文献は、この関係を因果関係として、経済格差をなくしたらもっと健康になるので、医療に資本を投下するよりも、インカムあげて、かつ収入格 差を下げたほうがいいという結論にいたりました。

ヌスバウムは、ノーベル賞のアマルティア・センとつるんでいますので、このひとたちのラインは、先にいったように、人間が不健康なのは、経済格 差よりも、権利承認のレベルが低いというタイプの思考法をするひとたちです。

社会関係資本とのからみですから、健康は健全で幸せな状態です。その意味でも疾患のある人でもアルツハイマーでも、連中のケイパビリティが保全 されていると、そいつらは健康となります。

でも医療の専門家を共同研究者に交えているので、イリイチのように、医療=健康を阻害する第1要因とは考えません。

そもそも、健康論なんか興味ないのです。健康になるための方策という「微分係数」が重要なのでおます。

カワチは、公衆衛生学者ですから、健康の医学定義を踏襲しています。

『健康格差と正義』は、ボストンの雑誌にのった記事ですから、医師会やまともな医者は、ダニエルズを主張をガイキチ扱いして相手にしていませ ん。そのあたりの温度差が読み取れるので、この本はメチャ面白いです。

共同研究を含めて、学問の挑戦というものは、このようにやらねばならないという見本です。現時点では、どちらも勝者とはいえない状態ですが、健 康は正義問題だという新たな認識——ヲタ的な公衆衛生ではなく社会医学的な公衆衛生の復権——を提示した点で、革命的な意味を僕はもつと思います。

その意味では、社会関係資本のパットナムは、ハーバードでもまだ穏健なほうです。でも健全な社会を希求する意味では実践的です。ただし、これは ロールズも含めて、ヨーロッパ型の正義でしょう?というつっこみどころはあります。文化人類学者ががんばらねばならないのですが、そこまで勉強して答えよ うとする気迫のあるやつは少ない。

もちろん社会資本(社会関係資本)に対する 文化人類学者や社会学者からのもっともシンプルで重要な批判はこれである:「ロバート・パットナムのコミュニティの定義は狭すぎる。コミュニティの衰退を 食い止めなければならない彼の正義感はわかるが、コミュニティが衰退の危機に瀕しているのだろうか。古くは電話、現在ではインターネットの普及を通して、 コミュニケーションの概念が拡張した結果、コミュニティはさまざま新たな形態をもって登場しすぎている。その証拠は、コミュニティのユーザーから意見を聞 けばもっとも用意にわかる。ロバート・パットナムのコミュニティの定義は狭すぎるどころか、古すぎるのである」と。

《閑話休題》

「……わが国は世界最長寿国であるとともに少子化が同時に進行し、人口の急激な高齢化が進んでいます。この傾向は今後10年先も続くということ で、そうした先を見据えたときに、高齢者の健康づくりの目標として、健康余命のさらなる延伸、QOLの向上、政策課題であります健康格差の縮小に加えて、 プロダクティビティの増進というものも目標に挙げてもいいのではないか、このプロダクティビティというのは、高齢者の持っている潜在的な能力です。就業、 無償労働、ボランティア、相互扶助、保健行動、こうしたものを社会の中でしっかり発揮できる環境を整えていくことが重要だろうと思います。/健康余命のさ らなる延伸に向けては、高齢者を一くくりにできません。前期高齢期というのは、日本の高齢者は若返っておりますし、今、健康課題が集中しますのは後期高齢 期だと思います。その時期はさまざまなことが原因になりまして、虚弱化ということが生じるわけですけれども、これをどう先送りするかということが最大の課 題であると思います。/高齢者のプロダクティビティの増進に関しましては、就労とか社会参加を促進する環境を整えるということがキーポイントだと思いま す。両者を通じて生活の質の向上が図られる。健康格差の縮小に向けては、環境の整備ということだと思います。/そうした高齢期の健康づくりの枠組みを、左 側に「個人の行動変容」、右側に「良好な社会環境の実現」ということでまとめさせていただきました」(新開委員発言:2012年1月12日)——新開省二 (地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター研究部長(社会参加と地域保健研究チーム)

2012 年1月12日 第3回次期国民健康づくり運動プラン策定専門委員会 議事録

《閑話休題:02》

「私は農村医学は基盤である農村の遅れた半封建制を医学的立場から解明することによって,より前進した明るい農村社会を造るために寄与しなけれ ばならないと考え,その方策の一つとして農村社会階級区分の実態調査と,農村社会階級間における医学上の不均衡について明らかにした。結核,母子保護,脳 溢血,体位,急性伝染病等については進歩した予防医学と治療医学とともに,それらを完全に適合させ得る社会的条件が心要であることを力説して結語とする」 (国見辰雄 1945-1955:124)。この言葉は、今日における社会体制と健康格差を論じたヘルス・ディスパリティの論文の趣すらある。

■健康日本21(第二次)とは(厚生労働省)

「「健康日本21(第二次)」は、平成25(2013)年度から10年間の計画であり、その基本となる方針や理念、具体的な目標などについて は、健康増進法第7条に基づき厚生労働大臣が定めることとされている「国民の健康の増進の総合的な推進を図るための基本的な方針」(以下、「基本方針」と いう。)の中に盛り込むこととし、平成24年7月10日付けで、この基本方針の全部改正を行い、厚生労働大臣が告示しました。」(出典:健康日本21(第二次)分析評価事業

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