認知症コミュニケーション(2016)シナリオ(A):02
「ハンサムなスポーツマンで、いつでもきちんとした身なりをしていた夫でした。ですが、だんだんとスーツにネクタイとシャツを合わせることが難 しくなり、私が前の晩に彼の洋服を全部並べておくことが習慣となりました。ただ私には、そんなことすら恥ずかしくて、他人にはとても相談することなどでき なかったのです。
1973年のちょうどそのころ、夫は脳卒中をわずらい半身麻痺になりました。それまでのブルックス・ブラザースの仕立ての良いスーツの代わり に、毎日ジャージだけを着る生活となりました。そして、そのジャージですらも、すぐに食べこぼしで汚してしまうのでした。言葉も不自由となり、以前は流暢 な文章を書くことで生計を立てていたビジネスマンが、単語一つ発することさえうまくできない人に変わってしまったのです。神経科の医師にも理学療法士にも 回復は難しいと言われましが、補助具と歩行器とを使って、非常にゆっくりでしたが、なんとかまた歩けるようにはなりました。あのころは家族もそうですが、 夫自身が一番つらかったと思います。自分ではどうにもならないというもどかしさは、妻の私にさえ計り知れないものだったと思います。
そのうち、夫は私や子どもたちのことはおろか、自分が家にいるのかどうかさえもわからなくなり始めました。彼はあるときには、家のドアが聞かず に大声を出して怒鳴り散らしているかと思えばまたあるときには昔どおりの夫に戻り、生まれたばかりの私たちの小さな赤ちゃんを見て涙を流すこともありまし た。
それでも彼の症状はどんどん悪くなっていきました。私が彼の現状に少し慣れてきたと思えるころには、それ以上にひどくなっているということの繰 り返しでした。時には夫と生まれたばかりのわが子のオムツを、一緒に替えてあげなければならないこともありました。私はこんなことを続けることはできない と思いながら、ただただ途方に暮れるばかりでした。
もう限界だと思ったのは、繰り返し家のドアを開け外へ出ようとする夫に——まるで現状から必死に逃げだそうとしているかのように——幼いわが子 がついて行こうとする光景を見たときでした(そのころはまだドア用の安全装置など開発されていませんでした)。夫とわが子が勝手に外へ出てしまう前になん とかしなければならない——私はそう思い、とりあえず新しいドアノブを高い位置に取り付け、古いほうのドアノブはそのままの位置で空回りするだけのものに 改良しました。これで、子どもはノブに手が届かなくなりました。しかし、私にとってもっと驚きだったのは、夫には「新しいノブ」という「物それ自体」を、 理解することができなかったということでした。夫は、ただ空回りするだけのノブを何度も何度も回していたのです。
実は、この小さな出来事が私の生き方に大きな変化をもたらしたのです。その第一は、割れそうな卵の殻の上を歩くようにビクビクするのではなく、 周りの環境と私の対応とを、夫の病気に対してポジティブに変えていこうと決意したことです。そして次に、私はもともと負けず嫌いな性格なので、この現状 を、どうしても負けることのできない一つの新しいゲームとしてとらえることにしました。そのゲームは「やるぞ」という心の準備が必要なゲームで、日常の衣 食住を含むすべてのことを対象とするものでした。
そう考えると、行動の変化や認知機能の衰えといった夫の症状に対して、いちいちクヨクヨするということがなくなりました。少し変かもしれません が、神経科の医師に夫の病気は回復の見込みがないこと、そして死に至る疾患であると告げられたことが、ある意味心の支えとなったのです。それはこのゲーム が永遠に続くものではなく、ゲームの間だけ全力投球すればいいと思えたからです。
今ここにいるのは、私が大切にしてきた人ではなく、夫の体に宿った別人であると考え、感情も切り離し、その日一日を、いや一分一秒を、家族が生 き残っていくためだけに生きていく決心をしたのです。それは、自分にかまうことは当分忘れ、しばらくの問、今日一日の現実に立ち向かうということでした。
シ ナリオリンク:【ちゅうい!】それぞれのシ ナリオに基づく討論と予復習 をしないと先に進んでもPBL学習の効果が期待できません。
シナリオファイル(pdf):【ちゅうい!】 それぞれのシナリオに基づく討論と予復習をしないと先に進んでもPBL学習の効果が期待できません。
リンク
文献
Copyright Mitzub'ixi Quq Chi'j, 2016
Do not paste, but
[Re]Think our message for all undergraduate
students!!!