池田光穂
インディヘニスモ入門(アンリ・ファーヴル『イン
ディヘニスモ:ラテンアメリカ先住民擁護運動の歴史』染田秀藤訳、文庫クセジュ、白水社、2002 年/Favre, Henri., 1996.
L'indigénisme. (Que sais-je?, 3088), Presses universitaires de France.)(→ノートの別ヴァージョンはこちらです)
目次
- インディヘニスモとはなにか?
- 植民地時代におけるインディオの処遇
- 愛郷主義者のクリオーリョがみる先住民観
- 独立直後期
- 人種主義言説の起源と展開
- 混血を通して「白人化」が再びすすむ
- 文化主義
- マルクス主義
- 風土主義
- 第3章インディヘニスモの文学と芸術
- 第4章インディヘニスモ政策
- 第5章 インディヘニスモからインディアニスモへ
***以下コンテンツ***
【インディヘニスモとはなにか?】
- ・インディヘニスモの定義「インディオに好感を抱く世論の「動き」のこと」(p.7)
- ・インディヘニスモは、インディオを国家的問題だと考える政治・社会運動(p.8)
- ・「(ラテンアメリカ文化という名の)いわば西欧文化の精神的起源を西欧以外に求めようとするきわめてラテンアメリカ的な運動」
(p.12)
- ・インディヘニスモはナショナリズムに密接に関係しているのみならず、「ラテンアメリカにおいてナショナリズムが取り入れた特殊な形態」
(p.9)
- ・ポピュリズムの一種、社会主義的な傾向をもち、ロシアのナロドニチェストヴォ(1870-20世紀初頭のロシア革命運動一派の人民主
義)と比肩できるよ うなもの(p.9)
- ・インディヘニスモは、進歩主義運動で、ヨーロッパとは「異なる新しい文明が開化するような未来を築くための拠りどころを先コロンブス期
の過去に求める」 西欧文化の表象でもある(p.10)
- ・インディヘニスモの隆盛期、1920-1970年期(p.11)
- ・インディヘニスモは、インディオ自身の発想ではなく、クリオーリョとメスティーソが共に抱いた考えで、「インディオの名のもとに発言し
ようとしなかっ た」。にもかからず「インディオに代わって彼らの運命を決定した」(p.11)
【植民地時代におけるインディオの処遇】
- ・アントニオ・デ・モンテシーノス、バルトロメー・デ・ラス・カサス(共にドミニコ会)による、植民地政策批判→「黒い伝説」
- バルトロメー・デ・ラス・カサス『 インディアスの破壊についての簡潔な報告』
- ・セプルベーダ〈対〉ラス・カサス:先住民への戦争行為が正当化されるか?あるいは、その根拠としての先住民の位置づけ(人間、キリスト
教徒/異教徒等)
- ・バルセロナ法=インディアス新法(1542年)による、エンコミエンダの世襲制の廃止。
- ・先住民の資格は、インディアス枢機会議で採択された大量の法令によるもの(p.21)。
- ・複雑な性関係の帰結:メスティーソ、ムラート(白人と黒人の混血)、サンボ(インディオと黒人の混血)
【愛郷主義者のクリオーリョがみる先住民観】
- ・ヨーロッパ人探検家による新大陸=居住に適さない荒地説、に抗弁して、クリオーリョの知識人や宗教家が、ラテンアメリカの自然を讃美す
る。その美しい自 然の風景の中に、先住民が位置づけられる(例: Fuentes y Guzman 1642-1699, Recordacion
florida)。ただし、先住民文化は、生きている先住民よりも、先史先住民文化の象徴(ピラミッドなどの巨大建造物)を、クリオーリョの文化(文明)
としての領有するものだった(p.27)。
- ・ヨーロッパの文明と比肩するものが新大陸にあるという主張:インカでは、混血の王室の末裔カルシラソ・デ・ラ・ベガ(1539-
1616)『インカ皇統 期』が、ラテンアメリカに先住民文明の高貴な伝統の定番して普及(p.28)。
- ・ケチャ語の文章語化(p.29)。
- ・他方、クリオーリョの意識のなかではインディオの占める位置はほとんどなかった(p.30)。しかし、クリオーリョは、新大陸における
クリオーリョの政
治的・宗教的ヘゲモニーを確立するために、先住民表象を積極的に利用しようとした:その実例:グアダルーペ信仰(Pp.30-31)が、ペニンスラールの
信仰であるサラゴサのピラールの聖母信仰を凌駕した。ペニンスラールの司祭は、土着信仰のなかにみられるキリスト教徒類似の宗教実践や象徴(三位一体、十
字シンボル、断食や苦行、聖母マリアの顕現)を異端視したが、クリオーリョは反対に、使徒時代の福音の痕跡と考えた(p.32)。→[1830年ジョセ
フ・スミス・ジュニアのモルモン教と類似?!]
- ・サント・トマスの新大陸到来説——と聖トマスが先住民の土着の神格と同一視される:メキシコ=ケツアルコアトル、インカ=ビラコチャ、
ブラジル=パイ・ ズメー
- ・なぜ、反乱の領袖(ホセ・ガブリエル・コンドルカンキ、1741-1781)はトゥパック・アマル二世は、ラテン系のホセ一世を名乗っ
たか? (Pp.32-33)
- ・ミゲル・イダルゴ・イ・コスティーリャ(1753-1811)は、なぜグアダルーペの聖母マリアの御旗で1810年のメキシコ反乱を
戦ったのか? (p.33)
【独立直後期】
- ・クリオーリョのパトリアティズム的傾向は姿を消し、ナショナリズムは、パトリアティズムをむしろ意識的に排除するようになる。
- ・独立後は先コロンブス期の過去をふり返らなくなった。例えばアワナックというアステカの呼称よりもメキシコと呼ばれることを選ぶ。
(p.35)
- ・人種差別のという実態とは無関係に、市民の国民統合というイデオロギーのもとでは、白人、メスティソ、インディオという差異を、平等原
則のもとに解消さ せるものと考えられた。(p.35)
- ・1821年、ホセ・デ・サン・マルティン将軍はペルーで、先住民を個人的賦役労働をさせることも、また「インディオ」と呼ぶことも禁じ
た。1822年、 メキシコ議会は、公用語からインディオという用語を追放、公文書、私文書ともにその用語を禁止した(p.36)。
- ・同時に、先住民共同体は、法人格と法的保護を失うことになる。また、インディオに認められていた税の免除権も失い、人頭税が復活する。
さらに兵役もまた 付加された(p.38)。
- ・メキシコの(グアナファト出身の)ホセ・マリア・ルイス・モラ(1794-1850)は、クリオーリョも先住民もいない、いるのは富め
る者と貧しき者のみと言う。しかし、それには批判者もおり、オア
ハカ出身のカルロス・マリア・プスタマンテ(1774-1848)は、インディオが市民に姿を変えただけ
で、市民原則は、幻想であり、インディオはその高い代償を払ったと主張した。結果的に、インディオの市民化という解放は、結果的には村落の
インディオの農
奴化をすすめただけだと著者アンリ・ファーブルは主張する(p.37)。この現象を、共和主義体制以前の「外的植民地主義」から「国内新植民地主義」に代
わるようになったという(p.38)。
【人種主義言説の起源と展開】
- ・1846年に米墨戦争で領土が失われると、国内の政治的安定が失われ、マヤ人がユカタン半島で蜂起する(カースト戦争)。同時に、ペ
ルーとチリとの間で 戦争がおこる(1879-1883年)。
- ・言語学者フランシスコ・ピメンテル(Francisco Pimentel,
1832-1893年):メキシコには2つの民族がいる「青銅の人種に属する人間(=先住民)」と「異なる人種(=白人)」が敵対しており、前者は後者の
人種が滅びることを心待ちにすると主張。これは、カースト戦争が起こる原因を考えた末に、国民統合にとり、先住民問題を解消しないかぎり、統合があり得な
いことの主張だと思われている(pp.41-42)。
- ・ピメンテルによる国民の定義は「共通の信仰を奉じ、同じ思想に支配され、同じ目的を志向する人びとの集合体」(p.42)。
- ・19世紀中葉の先住民は人種主義的なパラダイムにより理解される存在であり、その劣等性は自明であった。ただし、19世紀後半の社会
ダーウィニズムが席
巻した時代の「先天的な劣等性」というコンセンサスはなかった。つまり、前者は、劣等性の理由は社会的なもので、国民的な統合をとおして、その差異が解消
されると考えていた。
- ・ピメンテルはそのような先住民の劣等性の原因をスペイン植民地主義にもとめた一人だった。ただし、先植民地時代にも新大陸の文明は遅れ
ており、スペイン の征服者たちがその遅れを是正してこなかったという、歴史的停滞という認識はあった。Pimentel, 1868.
"Memoria sobre las causas que han originado la situación actual de la
raza indígena y medios de remediarla"
- ・ペルーの社会学者ハビエル・プラド(1871-1912)も、先住民の停滞の原因は歴史的プロセスのせいであり、インディアス法の保護
的性格があったに も関わらず、差別と分離を生み出してしまったと批判する(p.43)。
- ・19世紀の社会理論家たちは、インディオはクリオーリョと混血によりメスティーソになり、それが国民的人種(raza
national)になることが期待されていた。インディオは国民の混血化により消滅することが予測され、また、そのことが国民の進歩に貢献することにな
ると考えていた。
- ・社会ダーウィニズムに基づく優生学思想は、旧大陸のものと同じく、新大陸における人種の混淆による「劣化」を予言するものであった
(p.44)。:カル ロス・オクタビオ・ブンヘ(1875-1918、アルゼンチン)、ホセ・インヘニエロス(1877-1925、アルゼンチン)。
- ・メキシコの理論家たちは、バスコンセロス(Jose Vasconcelos,
1882-1959)と同様、社会ダーウィニズムには異論をもつ人たちが主流?だった。フスト・シエラ(Justo Sierra Méndez,
1848-1912)は、メスティーソこそが「新しい人間」で、国民統合に貢献するものだった。
- ・アンドレス・モリナ・エンリケス(1866-1940)Los grandes problemas nacionales,
1909
において、メスティーソが、インディオならびにクリオーリョよりも優秀であることを「実証」した。その根拠は、クリオーリョは高度な文明をもっているが、
人種的にはヨーロッパ起源であるために、ラテンアメリカにおいて適応に失敗し、他方、インディオは、文化的には16世紀のレベルに留まっているが、環境適
応には強い。それゆえ、その混血こそが人種的に優秀であると結論づけた(p.45)。また、北アメリカの人種混淆が、ヨーロッパ人同士の混血であるために
(新大陸の適応には不適であり)インディオとヨーロッパとの混血であるメスティーソが一番優れていると結論づける。これは、米墨戦争における敗北感を混血
アイデンティティの確立によって埋め合わせるには好都合だった。
- ・「メスティーソは、最後にはインディオたちを取り込み、クリオーリョならびに外国人居住者との融合を完成させ、固有の人種となるだろ
う。したがって、メ
スティーソという人種はまったく自由に発展を遂げるだろうし、そうなれば、彼らは北のアメリカ人との避けがたい衝突に抵抗を試みるだけでなく、その戦いに
勝利を収めることになるだろう」(p.46)——原文当該箇所チェック
- ・バスコンセロス(Jose Vasconcelos,
1882-1959):La raza cósmica: Misión de la raza iberoamericana
Notas de viajes a la América del Sur Agencia Mundial de Librería,
Madrid [1925], 296 páginas, 1925.; Indología, una interpretación de la
cultura iberoamericana,
1926,:バスコンセロスの主張のポイントは、ダーウィンやスペンサーに対抗して、メンデリズムをもって、遺伝的交配により種が改良されると主張。混血
化は「世界の希望」。その帰結としてのラサ・コスミカ。彼によると現状を維持し続けようとする人は衰退にむかう、そのための混血化:「運命は、ラテンアメ
リカに生きる人種が個別に存在しつづけることではなく、それぞれの血を混じり合わせることを望んでいる。混血から生まれるもの、つまり、インディオと白人
の混血であるメスティーソや白人と黒人の混血であるムラートは、それぞれ、現在知られているすべての人種にとってかわる新しい人種の始祖となるのである」
(p.47)——原文当該箇所チェック。バスコンセロスによると、ラサ・コスミカ、すなわち五番目(具体的にどの四人種が先行するのか不詳)の人種は、熱
帯アメリカを中心にして普遍的な文明を作り上げることが約束された。
- ・ゴビノー(Joseph Arthur Comte de Gobineau,
1816-1883)もバスコンセロスも、ともに人種は交わる傾向であるとの予測を立てたが、前者は、人種そのものの破滅を、後者は、人間を完成するもの
と、まったく真逆の主張を展開した。
【混血を通して「白人化」が再びすすむ】
- ・混血の称揚には、ある種の矛盾があった。混血のなかに見られる先住民性という人種の特徴と、ヨーロッパ流の近代化を遂げる際に自らを白
人化したいという
欲望の折り合いをつける言説が存在しなかったこと。そのために、人種の混淆でうまれる混血種と、それが白人統治と同じ国家をラテンアメリカに樹立すること
を調停する「奇妙な」考えが登場する。ピメンテルは、中間的な人種の後に、人間集団は「瞬く間に白くなる」といい、インディオ的な身体特徴が消失し、クリ
オーリョ的身体特徴が現れるという。同じ、メキシコのビセンテ・リバ・パラシオ(1932-1896)は、インディオ、メスティーソ、クリオーリョの身体
的特徴の差異を列挙し、メスティーソからインディオ的特徴が消失するのに、1〜2世紀がかかることを「計算」したという(p.48)。
- ・人種主義的なメスティーソの未来には、メキシコと南米諸国では、かなりビジョンが異なり、先住民人口の少ないアルゼンチンでは、混血化
そのものの言説は
拒絶された。先住民人口の多い国家では、しぶしぶ混血化のイデオロギーを受けつけることになるが、それぞれの国家の知識人は、悲観的なタイトルのエッセー
のなかに、混血により、進歩から取り残されているメスティーソ側のエートスをかいま見させるものがある。ベネズエラのセサル・スメタ(1863-
1955)El Continente Enfermo. ボリビアのアルシデス・アルゲダス(1879-1946)Pueblo
Enfermo. のように悲観主義的な論調が支配していた(p.49)。
【文化主義】Pp.50-
- ・マヌエル・ガミオ(Manuel Gamio,
1883-1960)Forjando Patria (pro nacionarismo),
1916[祖国を創出して:ナショナリズムのために]の、ヨーロッパ的なるものへの決別宣言。ガミオのティオティワカン発掘、アルフォンソ・カソ
(Alfonso Caso,
1898-1970)のモンテ・アルバン、ペルーのフリオ・セサル・テリョ(1880-1970)のチャビン発掘——国家の役割は、先史考古学の遺跡を発
掘修復し、その威光を国民にしめすべきという、或る意味で「国学としての考古学」——ラテンアメリカのいくつかの国のナショナリズムに寄与する学問のあり
方——を確立せしめた。
- ・1880年マヌエル・オロスコ・イ・ベッラ(1818-1881)Historia antigua y de
conquiesta de Mexico.
メキシコの古代史を、人類社会の発展史として再定義したが、その際に、アステカの文明は、半野蛮状態とされて、他の諸民族と同じような扱いを受けた——ア
ステカが他の先住民の同格性を持ち得るようになる。ただし、それに対して、ガミオは La pobulación del Valle de
Teotihuacán,,
1922.にて、文化の相対性を時、それを優劣で比較すべきでないと主張した。ガミオは、ボアズの弟子でありボアズの「歴史的個別主義」からの見解であっ
た。ガミオは、ティオティワカンの発掘を通して、古代メキシコをアステカというステレオタイプから脱却し、古代メキシコの文化的多様性を強調した。そして
古代メキシコの先史文化を、その宗教思想の中に見て、古代から現在までの時間的超越性——言い方かえると文化価値のアナクロニスティックな意義——を強調
した(p.52)。ガミオの意義は、クリオーリョもメスティーソも、インディオの歴史的遺産を(自らのものとして)受け入れ、同一化するイデオロギー的な
必要性を説いたことにある。同時期に生まれたペールのビクトル・ラウル・アヤ・デ・ラ・トッレ(Víctor Raúl Haya de la
Torre, 1895-1979)の発明した「インドアメリカ」という名称の提案と、膾炙とも関連する。Alianza Popular
Revolucionaria Americana の創設者のひとり。
- ・モイセス・サエンス(Moisés Sáenz,
1888-1941):インディオは「わたしたちの肉であり骨である」M騙ico Integro, 1939,
「わたしは、インディオをインディオとして守ろうとする感傷的な人びとの集団に属しているのではない。わたしは、メキシコをインディオ的なものにしようと
試みる人たちのロマンティックで子供じみた幻想を共有しているわけでもない。また、わたしは、観光客のためにインディオに一風変わった趣を維持させるつも
りもない」(Pp.53-54)。
- ・"Mentira el indio triste. Falso el indio estulto. Ficción de
turista el indio que reposa en meditación pasiva, haciendo réplica a la
escultura de Rodin." in "Película del dieciséis," 作品集Carapan, p.96(pdf)
- ・文化主義者たちは、先住民の人種的特性の理解
よりも、文化的特質に着目してインディオを理解しようとした。
- ・ホセ・ロペス・ポルティーリョ・イ・ロハス(1850-1923), La raza indígena, 1904=個人は文明を共有する人種に属するという結論。また、インディオが都会に移住した時には、インディオと呼ばれないことから、人種
を区別する基準 には根拠がないと指摘。(pdfはネットで入手可能)
- ・ガミオは、白人との比較においてインディオに対する差別が存在することを指摘した。
- 《カソによるインディオの定義》
- ・「インディオとは。土着の共同体、換言すれば、非ヨーロッパ人的な身体特徴が支配的な共同体に属していると自覚し、好んで先住民語を口
にし、その物質的
かつ精神的な文化のなかに、かなりな割合で先住民的要素が含まれるような人のことであり、とどのつまり、自分たちのことを、周囲の他の集団から孤立した集
団を形成し、白人やメスティーソの集団とは異なるという社会的な認識を抱いている人のことである」(p.55)。
- ・文化派にとっては、混血化は、文化変容の意味になった:ゴンサロ・アギレ・ベルトラン(1908-1995)El proceso
de aculturación,1957,
- ・カソ, Indigenismo, 1958,
のなかで、先住民の劣悪な条件、とりわけ経済と保健衛生の面で改善することが文化変容にほかならないことを述べている。
- ・文化主義的伝統は、メキシコ革命のプロセスと密接に結びついた(Pp.57)。
【マルクス主義】pp.58-
- ・ラテンアメリカのマルクス主義受容は、1917年以降はアナルコ・サンディカリズムの思想受容からはじまる。このフレイムでは、イン
ディオは被抑圧「人 民」あるいは「無産者階級」とみなされ、インディオがおかれている状態を固有のものだとみる見方は希薄だった。
- ・マヌエル・ゴンサレス・プラダ(1848-1918):ペルー・チリ戦争での、ペルーの敗北の原因をインディオに愛国心が欠如している
ことだと説明し た。そのためには、インディオの国民への統合が
必要であり、その前段階にインディオの「解放」の
ため、土地権力の打倒が必要と考えられた(1904年)。 ゴンサレス・プラダにとって、インディオ問題は文化問題(すなわち教育問題)でも、人種問題でもなく、社
会経済問題だというわけである(Pp.58- 59)。
- ・ホセ・カルロス・マリアテギ(1894-1903)は、ゴンサレス・プラダのテーゼを受け継ぐ。Siete ensayos de
interpretación de la realidad peruana, 1928,
:「先住民問題はわが国の経済に起因している。問題の根は土地所有制度にある。大土地所有という封建制が残存するかぎり、行政的もしくは警察的な集団、教
育あるいは道路建設を通じて、先住民問題を解決しようとしても、その試みはことごとく、無益な、あるいは、二次的なものにおわるだろう」(Pp.59)。
つまり、インディオに対する経済的な重荷が、インディオを性格的に卑屈にする。インディオは自由に経済的な活力を行使できるようにして、近代経済は、その
個人に対して生産者と消費者という身分を手にする。インディオを生産の封建制から解放しないかぎり、ペルー国家は形成途上のままに留まるのだ。
- インディオの住む後進後発地帯は、アギーレ・ベルトランの Regiones de refugio, 1967.
とも言える経済空間で、植民地時代の遺制の結果で、やがて資本主義的な従属・搾取構造のなかに巻き込まれる。マリアテギは、ラテンアメリカの経済構造を、
封建主義と帝国主義が結びついた「半封建的」で「半植民地的な」地域であるとした(p.60)。
- ・マルクス主義者の中には、先住民の社会を原始共産制のイメージを投影するものとして称揚した理論家もいた。ボリビアのトゥリスタン・マ
ロフ(本名:グス タボ・ナバロ)La Justicia del Inca, 1926.
:インカは「豊かさに浸る国を作り出した。インカの法律は厳格で容赦がなかったが、公正なものであった。経済活動は見事なまでに整備され、規制されてい
た。豊作の年の収穫で、凶作の不作を凌ぐことができた(→J.D, The World until
Yesterday)。収穫したものは慎重に分配され、国家は整然とした体制を管理していた。……すべての人が生活に必要な最低限のものを所有し、各自、
幸福な生活に浸っていた。犯罪は知られておらず、帝国に暮らしていた人びとは例外なく、名誉という感情を抱いていた。彼らの犯した罪はただひとつ、怠惰で
ある」(p.61)。
- ・マルクス主義的な分析家は、伝統的なシステム(アイユ)を近代化は破壊することができなかったというトーンの論調を維持した:ペルーの
ヒルデブランド・ カストロ・ポソ:Nuestra Comunicad Indena, 1924. Del Ayllu al
Corporatismo Socialista, 1936,
- ・ポソによると、共同体ムキヤウヨ(生産、消費、融資をおこなう協同組合への自然発生的に変容することができた伝統社会)。
- ・これらの理論家の主張は、明らかに第三インターナショナル(コミンテルン、1919年創設)には異端のものであり、1929年にブエノ
スアイレスで開催
されたラテンアメリカ共産党会議では、インディオたちの闘争を反帝国主義運動とは位置づけられず、インディオ共和国を目指しているものとして批判された
(p.63)。インディオがネーション化して国家を求めているとは、ラテンアメリカの理論家たちには想像できなかった。彼らは、インディオはただ単に、被
搾取階級を形成する存在にすぎなかった。しかがってラテンアメリカの理論家にはインディオの国民としての解放という視点は最初からなかった。しかしコミン
テルンは、ネーションとしてのインディオの解放をラテンアメリカの共産党の計画のなかに盛り込ませることには、なんとか成功できた。
- 《ソビエト多民族国家論をめぐって》
- ・メキシコのビセンテ・ロンバルド・トレダーノ(1894-1968)は、ソビエト多民族体制論に感銘をうけ、Un viaje al
mundo del porvenir, 1936
(将来の世界への旅)を絶賛したが、自国(メキシコ)が多民族国家であることは否定した。ロンバルド・トレダーノによると唯一ネーションにあたるインディ
オは、ユカタン半島のマヤ人のみであった。彼は、地方自治体の境界とエスニック集団の境界を合致させるような行政改革が必要だと論じ、スペイン語の普及
と、現地語を音声表記体系にもとづき記法の確立が不可欠だと論じた。他方で、マルクス主義の定式化にしたがい、インディオ問題は、インディオがプロレタリ
アートになることを通して解消されることを信じ、先住民地域での工業化——ソビエトにおけるコーカサス地方のようにする——をまじめに考えた。
- ・マルクス主義派の論敵は文化主義派だったが、メキシコ革命において農地改革が先にすすみ、強い批判には至らなかった。
- ・ペルーでは、マリアテギ理論が(インディオの住む周辺農村地域からの都市包囲戦術論である)毛沢東理論との一致することから、ペルーで
は後者のゲリラ理 論が導入されたが、その他の地域では1960年代以降は普及しなかった(p.65)。
【風土主義】Pp.66-
- ・Telurismo(ポルトガル語):En el diccionario castellano telurismo
significa influencia del suelo de una comarca sobre sus habitantes.
- ・メキシコ:アルフォンソ・レイエス(1889-1959)
- ・ボリビア:フランツ・タマーヨ(1897-1956)
- ・アルゼンチン:リカルド・ロハス(1882-1956)
【第3章インディヘニスモの文学と芸術】Pp.71
-
- 1.文学:Pp.72-
- 2.絵画と造形芸術:Pp.82-
- 3.音楽、声楽、舞踊:Pp.94-
【第4章インディヘニスモ政策】Pp.102-
- (先住民の保護法/国家近代化のメンバーへの包摂過程)
- ・1910年 メキシコ革命はじまる
- ・1920年 ペルー憲法
- ・1922年 Vasconcelos 文化使節団
- ・1925年 ボリビア・先住民法
- ・1937年 エクアドル・先住民法
- ・1938年 米州会議/インディヘニスタ会議
- ・1939年 ペルーの移動舞台(p.106)(→Victor Raul Haya de la Torre,
1895-1979: APRA創設者)
- ・1940年 インターアメリカン・インディヘニスタ会議
- ・1943年 インターアメリカン・インディヘニスタ研究所創設(p.114)/Pueblo Hospital, Vasco de
Quiroga
- ・インディヘニスタ運動の評価(Pp.126-):「インディヘニスモは明らかに農民の生活改善を目指し、先住民をその生活環境のなかで
近代化しようとし
た。しかし、先住民の耕作地は近代化するどころか、誰もいなくなった。同じように、インディヘニスタたちは、彼らが肯定的に評価したものにかぎって、イン
ディオ文化を維持し、否定的に思えたものについては、それを西欧的な要素に代替させようとした」(p.130)
【第5章 インディヘニスモからインディアニスモ
へ】Pp.133-
- ・ここで、ファーブルがいう、インディアニスモは、今日における国際NGOなども参画した、原題の先住民(支援・復興)運動である。
- ・言語、政治、法などの領域に関わる。
- ・国家の発展モデルが消滅する。その結果、干渉主義かつパターナリズム的な政府が破綻した。
- ・インディヘニスモから、(新しい自由主義にもとづく)インディアニスモへ移行したと、アンリ・ファーブルは評価する。
- ・1. 発展モデルの消滅(pp.134-)
- ・1960年代から発展モデルは衰退傾向になる。(政府の公的セクターの後退)
- ・失業率の増加は、人口爆発のせい。雇用状況は悪化をたどる(p.136)
- ・先住民は都市に人口移動して、下層労働者化する。
- ・この時期には、メスティーソの労働者にもなれない、インディヘナ(インディオ)にも戻れないという状況が多発。
- ・同時に、この時期に、インディアニスタの組織が登場し、新しい帰属意識の創出を生むようになる(p.138)。
- ・ファーブルのインディアニスタの運動の描写はかなり辛辣=「ルンペン化した」先住民知識人が指導しているというのだ:「はやらない弁護
士や、元は大学教授で学校の教師、あるいは非合法なタクシーの運転手になった人たちなど、要するに従事している質素で不安定な仕事に似つかわしくない高等
教育を受けた専門家たちが率先して、もはや準拠すべき枠組みを失った人びとに対して、価値観やアイデンティティを与えることのできる文化を甦らせているの
である。……そのような……「インディオ性」への回帰は、いわば戦略的な[過去]への後退であり、無気力な状態にある人びとが自己を認識し、一般的に認知
され、そうして、集団として活動する能力を見い出すのを可能にすることを目指した戦術である」(p.138)。
- ・2. インディアニスタの組織(pp.139-)
- ・おびただしいほどの組織の数と多様性(p.139)
- ・大きな連合体としては、南アメリカ・インディオ協議会(CISA)
- ・組織間の抗争事例:メキシコ全国インディオ集団統合事業団(CNPI)は、母体のメキシコインディオ集団連合(CNPI)が先住民を代
表することに異義をもち競合している。コロンビアでは。インディオ協会(AICO)は、インディオ国家機構(ONIC)と代表権をめぐって競合している。
ボリビアでは、トゥパック・カタリ・インディオ運動が分解した。
- ・《言語運動》先住民の再認識とバイリンガル教育体制の確立を要求する(p.141)。
- ・《慣習法》の文字化と管理(p.141)
- ・《政治組織や制度》:そのなかには、西洋型の代表民主主義を拒絶したり、代替的な民主主義(「有機的な民主主義」)の提案も含まれる
(pp.141-142)
- ・《宗教儀礼の実践》ボリビアのティアワナコ遺跡での太陽信仰祭
- ・西洋型の文明に挑戦するが、それはハイブリッドになったり、対抗的になるが、ファーブルはかつての風土主義にちかいものになると指摘
(p.143)。
- ・他方、先住民人口には、インディアニスタ運動を前衛運動のようにみる人たちもでてくる(p.143)。と同時に、自分たちの目的を追求
する他の組織と同じようなものだというふうに理解する人たちもいる(p.144)。
- ・《カソリック教会の関わり》(pp.144-)、とりわけバチカン第二公会議(1962-65年)移行は、ラテンアメリカ国家に深くか
かわるようになる。inculturation (異文化の受容)を採用。
- ・1970年メキシコの人類学者たち De eso que llaman anthropologia mexicana,
1970
のマニュフェスト論文集を出版。旧世代は、単一的な近代化論と合致した進化論を支持。新世代は、文化相対主義にもとづき、持続性に関心をもつようになっ
た。適応の中に連続性を見いだし、文化変容は民族虐殺を意味し、新しいものを嫌う態度は民族的抵抗と解釈された。先住民性を存在論的に規定するような傾向
があった。つまり、多文化主義の承認と、それを可能するような(社会および自然)環境の受容。
- ・1970年代のプロテスタント福音主義者との対立の後は、カソリックも福音主義傾向をつよめる。ヨハネ・パウロ2世は、1987年チリ
のテムコで、マプーチェ先住民を前に、彼らの文化的アイデンティティを擁護するのは、教会の権利というよりも義務だと断言(p.145)。
- ・その後、国連は先住民族世界協議会(CMPI)に諮問的地位を与え、インディアニスタの組織は、直接間接を問わず、協議会に参加するよ
うになる(pp.145-146)。「差別防止と少数民族保護のために設置された下部委員会」に「先住民の権利に関する世界宣言」を草案するグループを組
織。
- ・1989年ILOは、それまで統合主義的な傾向にあった先住民「集団」に関する107条項を、先住「民」に関する169条に差し替えた
(p.146)。
- ・1992年リゴベルタ・メンチュウのノーベル平和賞受賞。
- ・3. 国家とエスニック集団による自主管理(pp.147-)
- ・1970年代以降、統合主義からの離脱。国家もインディヘニスモ政策を批判するようになる。
- ・メキシコINIの弱体化。国家経済計画(COPLAMAR)への統合。言語共同体に再編。1974年最高評議会の開催(パツクアロ)。
その後「メキシコ社会の特徴は、多民族、多文化であること」を宣言され、1991年の憲法修正条項4条に盛り込まれた。「メキシコは、権威主義的に新しい
状況から数々の結論を下し、統合主義的な政策からエスニック集団による自治管理政策へ移行したラテンアメリカ最初の国である」(p.149)。
- ・《自主管理体制の危機》「エスニック集団による自主管理政策は、財政および経済危機によって、にわかに社会危機が深刻化した1980年
代初頭から、一般化する傾向があった。そのとき、国家は破産寸前で、ポピュリズムを呪い、輸入代替的工業化という衰退したモデルと縁を切り、国際通貨基金
の厳しい監督下、市場の法則に従った」(p.149)。
- ・コロンビア:1980年代、麻薬カルテルと左翼ゲリラの時代。ようやく1991年、新憲法の条文で、文化的多様性が認められ保護対象に
なる。インディオ居住地の創設。先住民が議会に代表を送り込める(上院5名、下院2名を選出する特別選挙区の設置)。
- ・1985年グアテマラ憲法で多文化主義(1987年にはバイリンガル教育制度の制定)、1993年にペルーでも。
- ・1991年グアダラハラ・イベロアメリカ首脳会議。インディオ基金の設置。基金運営はボリビアのラパス。(米州機構インディヘニスタ協
会の衰退)
- ・再インディオ化傾向により、大衆の周縁化が進むという問題が再燃。
- ・《これはファーブルの記述ではなく池田のコメント》ネオリベラリズム政策のもとで、先住民は近隣の天然資源開発を受け入れるが、経済開
発の見返りに、環境破壊などの被害も被ることになる。
【終わりに】(p.154-)
- ・「ラテンアメリカでは国家が国民に優先する」(p.154)
- ・国家に抵抗してきた歴史を想起する時に、先住民の「抵抗」は、ナショナリズムの世論形成に大きな意味をもつようになる。
- ・「20世紀、近代化を模索する権威主義的で国家主義的な政府は、インディヘニスタの計画を自己のものとして取り込み、国民的アイデン
ティティ創出にやっきになった」(pp.154-155)
- ・《汎米主義の席巻》「北アメリカのようになることが、裕福な人びとの生活様式に見られるのと同じように、赤貧に喘ぐ人びとの願望や、こ
の上なく不利な立場に置かれた人びとの夢ともなった。換言すれば、インディヘニスモは、スペイン主義を敵と見なしたが、最終的にスペイン主義を妥当したの
は、インディヘニスモではなく、汎米主義なのである」(p.155)。
著者紹介(染田秀藤先生の解説による)pp.157
- 1937年12月マルセイユ生まれ。
- パリ大学社会学博士号
- メキシコの全国インディヘニスタ協会(INI)、リマ・フランス国立アンデス研究所客員研究員
- 1966年〜1989年 パリ・ラテンアメリカ研究所、先住民農村社会セミナー担当
- 1990年〜2002年当時 フランス国立科学研究センター(Centre national de la recherche
scientifique)調査研究部長
- Les Incas / Henri Favre, 2e éd. mise à jour. - Paris : Presses
universitaires de France , 1975, c1972. - (Que sais-je? ; . Le point
des connaissances actuelles ; no. 1504)/ インカ文明 / アンリ・ファーヴル著 ; 小池佑二訳, 東京
: 白水社 , 1977.9. - (文庫クセジュ ; 610)
- El movimiento indigenista en América Latina / Henri Favré,
Instituto Francés de Estudios Andinos : Lluvia Editores (2007)
- América Latina frente al desafío del neoliberalismo / Henri Favre
; [traducción, Anne-Marie Brougère, Zaida Lanning], Instituto francés
de Estudios Andios : Lluvia Editores (2002)
- El indigenismo / Henri Favre, Fondo de Cultura Económica (1998)
- L'indigénisme / Henri Favre, Presses universitaires de France
(1996).
リンク
文献
- インディヘニスモ入門(アンリ・ファーヴル『インディヘニスモ:ラテンアメリカ先住民擁護運動の歴史』染田秀藤訳、文庫クセジュ、白水
社、2002 年/Favre, Henri., 1996. L'indigénisme. (Que sais-je?, 3088),
Presses universitaires de France.)
その他の情報
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Remind Wittgenstein's phrase,
"I should not like my writing to spare
other people the trouble of thinking. But, if possible, to stimulate
someone to thoughts of his own," - Ludwig Wittgenstein
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