Manaism
解説:池田光穂
アニミズム、トーテミズムの議論につづいて注目されたのはマナ(mana)です。マナイズムは、 メラネシアの宗 教概念を理解するための用語で、死霊(=死人の幽霊)や死んだ人のたましい(魂)には、多くのマナが含まれるという。マナという(物理的な力以外で)生き ている人を苦しめたり、場合によっては助けたする。なぜなら、死霊や魂はちから、つまりマナをもっているからなのだと説明される、そのような信仰形態を、 マナイズム(manaism, マナ信仰)という。ロバート・ヘンリー・コドリントン(Robert Henry Codrington, 1830-1922)が、この信仰について、最初に記述したので、そのように呼ばれる。
マナは、もともと1891年にコドリントン(Robert Henry Codrington, 1830-1922)により紹介されたメラネシアの宗 教概念を理解するための用語でした。
(再掲)マナは、もともと1891年にコドリントン
(Robert
Henry Codrington, 1830-1922)により紹介されたメラネシアの宗
教概念を理解するための用語でした。 彼によると、マナは「良いことにも悪いことにもあらゆる用途に使われ、それを所有したりコントロール するとき に有益で偉大なちから(力)となりうるものあり、端的に物理的な力とは峻別されるもの」であるといいます。(Mana is “A force altogether distinct from physical power which acts in all kinds of ways for good and evil and which is of the greatest advantage to possess or control.” ) コドリントンによると、死霊(=死人の幽霊)や死んだ人のたましい(魂)には、多くのマナが含まれま す。その ために(物理的な力以外で)生きている人を苦しめたり、場合によっては助けたりします。なぜなら、死霊や魂はちから、つまりマナをもっているからなのだと 説明されます。 ※ロバート・ヘンリー・コドリントン(1830年9月15日、英国のウィルトシャー州ウォートン
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1922年9月11日)[1]は聖公会の牧師であり人類学者で、メラネシアの社会と文化について最初の研究を行った。彼の研究は、現在でも民族誌の古典と
して位置づけられている。コドリントンは「宣教師の最初の任務の一つは、自分が働い
ている人々を理解しようとすることである」[2]
と書き、彼自身もこの価値観に深く傾倒していたことが伺える。コドリントンは、1867年から1887年まで、ノーフォーク島のメラネシア伝道学校の校長
として働き、メラネシアの人々と密接に関わりながら、彼らの社会、言語、習慣について深い知識を得ていった[1]。また、モタ語をはじめとする「メラネシ
ア語」を集中的に研究した[1]。 |
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コド
リントンよりも後進のマレット(Robert
Ranulph Marett,
1866-1943)は、アニミズム理論(animatist
theory)の特殊なものをマナイズム(マナ信仰,“Manaism”)と名づけようと提唱しました。なぜなら世界中の「原始的あるいは未開(ともに
primitive)」な人たちは、生きている=活力のあるようにみえるもの、あるいはそうでないものの全ての事物がもつ、個人を超えた(非人格的な)力
つまり物体化されていない超自然的な力を信じているからだと彼(=マレット)は考えました。それらの力は、結局のところ、物理的な力で表現される(例:モ
ノが壊れる、天災がおこる、飢饉になる、人が傷病する)のですが、それを起こすちから(力)は、物理的なものを超えている(=「超自然,
supernatural」の言葉の本来の意味)と「未開人」は考えているのではないか。マレットは、そのようにマナイズムの説明をするのに仮説をたてま
した。 1910-11年のオックスフォードの人類学学士クラス:前列座っているのが教授陣で前列最右翼がロバート・マレット。 Oxford University Anthropology Diploma class of 1910-11, back row. In front are the triumvirate, the three anthropology professors, left to right: Henry Balfour, Arthur Thomson, and Marett.(Wikicommon) |
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しかし、その後「原始的な宗教」を説明するために頻繁に使われるようになり、広く普及した。マナは、 ひとこと で言えば、一種の超自然的力であり、何に対しても伝播することができ、その効力をあらわすものです。 マルセル・モース(Marcel Mauss, 1872-1950)によれば、マナ(Le Mana)は、事物が有するある種の資質であり、人間や事物に 宿ることのできる実体であ り、またそれがもつ力(=作用)としてさまざまな形であらわれるといいます。 |
一般化されたイメージとしての「マナ」は、現代日本のマスメディアなどでよく使われる「パワー」と似たものだ と考えればよいでしょう。その「パワー」が人間のみならず、事物(もの自体)にも宿り、また事物から人間にその「パワー」が伝わります。マナはそのような イメージでとられられるものです。
では、なぜメラネシア起源の特殊なある概念が、広く議論されるようになったのでしょうか?。それはトーテミズ ムと同様、19世紀から20世紀の初頭にかけては、宗教というものがどのような呪術から生ま れてきたのかという議論が盛んだったからです。
トーテミズム、アニミズムと同様、マナも宗教の原初形態の一種とみなされ、どの信仰のタイプがいちばん古いか という論争と議論がさかんに交わされました。例えば、アニミズムを宗教の起源とするタイラーに対して、人類学者マレットはマナをアニミズムに先行する形 態、すなわちプレアニミズムのなかに、このマナへの信仰があると主張しました。
だが、先にも述べたように、歴史的により古い形態の証明は決着がつかず、同時代を生きていた「未開社会」の信 仰を歴史的に古いものだとする科学的証拠は存在しないために、この議論は文化人類学内部においてはやがて下火になりました——しかしながら21世紀の現代 においても宗教の起源への人類の関心は衰えず、考古学者(例:Steven Mithen)や進 化心理学者のなかには「未開宗教」の学説の歴史的展開を十分に咀嚼せずに、自分の都合のよい「人類宗教の進化」を論じる人たちがおり、その議論は形を変え て現在でも進行中であります。
この時代の背景を知るには「プレ人類学 (pre-anthropology)」を参照にしてください。
リンク
文献
鎮忘斎教授の猿にもわかる文化人類学プロジェクト協 賛
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
【補足説明】