はじめによんでください

プレ人類学

Pre-Anthropology 

解説:池田光穂

プレ人類学(ぷれ・じんるいがく)とは、人類学以前 の学問という意味です。

さて、近代の文化人類学、 あるいは現代の人類学(Modern anthropology)は、マリノフスキー(1884-1942)『西太平洋の遠洋航海者』(1922)が出版される1920年代の初頭であると言われていま す。ただし、マ リノフスキーのみが文化人類学のただひとりの創設者ではありません。むしろ、マリノフスキーに代表されるように、1910年代中頃に、現地語を学び、長期 にフィールドワークをするという方法論と、民族誌という記録成果物が、他の人文・社会科学の領域に学問的影響力を与えるようになっ たということを、象徴的 に語っているにすぎません。

それでは、マリノフスキー以前の人類学は、どのよう な態勢でおこなわれていたのでしょうか?そして人類学の方法論はどのようなものとして捉えられていた のでしょうか?

マリノフスキー以前の文化人類学(人類学)にはいく つかの複数のストーリーを見出すことができます。思いつくまま書いてみましょう。

【20世紀後、1920年までの文化人類学】

1.マリノフスキーがポーランド・クラコフの物理学 の学生だった時に、彼を人類学に 誘った偉大な書物『金枝篇』を書いたジェームズ・フレイザー卿の影響。
2.マリノフスキーは後に機能主義を唱えるようになります(同世代のラドクリフ=ブ ラウン(1881-1955)も機能主義、あるいは構造機能主義——ただし内容はかなり異なる——を唱えるので話がややこしい)が、その以前の人 類学は、社会進化論の影響を受けた、進化主義人類学というものでした。英国の人類学の創始者で、進化主義人類学者のエドワード・B・タイラー(Sir Edward Burnett Tylor, 1832-1917)の存在。
3.北米では、フランツ・ボアズ(1858-1942)がアメリカ先住民の民族誌研究を通し て、弟子たちを育てていました。

【19世紀後半の人類学】

19世紀のアメリカの偉大な人類学者としてはルイ ス・ヘンリー・モーガン(モルガン とも表記:Lewis Henry Morgan, 1818-1881) の存在を忘れてはなりません。モーガンは鉄道会社の弁護士でもあり、アメリカの先住民の文化に対する理解者でもありました。また、19世紀の進化主義人類 学者として、フリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels, 1820-1895)を通して、人類史の発展に関するマルクス主義理論に多大なる影響を与えました。モーガンは、人間の親族構造の発展や進化について深い 関心をもって、世界の人々と文通をおこない、親族に関する形態や分類をはじめて(人類学的 に)理論的に考察することに貢献しました。

Lewis Henry Morgan, 1818-1881

また、チャールズ・ダーウィンの進化論は、神が世界を造ったというそれまでの宗教 的信念に大いなる疑問を与え、宗教的生活と世俗的生活の分離を促すことになりました。そのため、宗教にも「人類進化」の議論がもちこまれ、原始キリスト教 の姿や、キリスト教「以前」の宗教的類型論、あるいはキリスト教以外の宗教についての「比較宗教学」という学問が隆盛することになります。(→「トーテミズム」「マナイズム」 「アニミズム」)

Charles Robert Darwin, 1809-1882

【16世紀〜19世紀前半までのプ レ人類学

このころの知識は、人間に関する学問すち人類学(anthropology)という総合化よりも、地球の各地の民族に関する知識の学問 すなわち民族学(ethnology)としての集積が試みられていました。と いうのは、15世紀末の新大陸の発見に代表される大航海時代は、西洋社会が人類のさまざまな多様性について「発見」した時代でもありました。大航海時代を 可能にしたのは、長距離の遠洋航海ができるようになった帆船や、その後に発明される蒸気船(発明は18世紀後半ですが実用化は19世紀になってからです) さらにはディーゼルエンジン(1892年に発明されますが、本格利用は1920年代から)など、遠距離に大量の物流を運ぶ手段 の発明でした。このような発明の動機になっていたのは、アダム・スミス国富論(諸国民の富)』に代表される交易への関心であり、後には植民地主義や帝 国主義など、資本主義の高度な発展と世界の富の収奪と商品の循環に他なりませんでした。このような、人間や事物の世界的な流通は、世界の各地にすむ様々な 人間の多様性、すなわち「民族」や「部族」概念の発明であり、そのことへの知的な関心を 掻き立てることになりました。そこには、あらゆるタイプの、探検家、植民地官吏、宣教師、商人などがいましたが、彼らはまた、書き物を通して、世界の「民 族」の有り様についての知識を西洋社会にもたらしました。このような「民族」に関する知識収集の理由には、彼ら(=非西洋人)を支配するという動機もあり ましたが、その異質性に関して、知的なロマンを投影したり、憧れたりする対象でもありました。そのもっとも典型例が「高貴なる野蛮人(noble savage)」というものでした。モンテーニュ『エセー』(1-31)は、野 蛮(人)に対して、自然への憧憬に似た感情をもって統治されない気高さを称揚しました。またディドロは『ブーガンヴィル航海記補遺』という、実際に出版さ れた探検記『世界周航記』から着想を得て、架空の対話編の物語の中で、未開人は争いを行わない人間として理想化されて描かれていました。進化論の影響を受 けたモーガンやタイラーは、このような〈西洋人の観念で染まった未開人像〉から、事実と空想をより分けて、人間の原初の姿を理解しようとしました。それ が、(個別の)民族学(的記述のへの関心)から(総合化する)人類学(的理論への関心)への以降と、解釈することができます。

【エヴァンズ=プリチャードのマレット講演: 1950】

エヴァンズ=プリチャードが今から半世紀前に講演し たこの内容は、1922年にはじま る社会人類学の方向性をそれまでの自然科学(物理学や化学)をモデルにするものから、人文社会科学的伝統に“回帰?”しようとしたマニュフェストである。こちらをご覧ください

●クレジット:「プレ人類学」鎮忘斎教授の猿にもわ かる文化人類学プロジェクト協賛

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