適応主義
Adaptationism
池田光穂
「「適応主義」とは、生物の進化における自然淘汰の重要性、進化の説明の構築における重要
性、進化研究の目標の定義に関する見解の一群を指す。適応主義の支持者あるいは「適応主義者」は、集団内の個体間の自然選択が形質進化の唯一の重要な原因
であると考える。また、彼らは通常、自然選択のみに基づいた説明を構築することが進化生物学における進歩の最も実りある方法であり、この努力は適応の進化
を理解するという進化生物学の最も重要な目標に取り組むものであると考えている。もう一つの重要なアプローチである「多元主義」は、形質進化の重要な原因
として、自然選択に加え、歴史的偶発性や発生的・遺伝的制約を挙げる。多元主義の支持者、あるいは「多元主義者」はまた、形質の自然選択的な説明を構築し
ようとする試みは、説明を進歩させるための最も実りある方法ではなく、適応を理解することは進化生物学におけるいくつかの重要な問題の一つに過ぎないと主
張することが多い。適応論をめぐる「論争」は、一般に適応論者と多元論者の間で行ったり来たりしているものと理解されている。
生物学者と哲学者は最近、この論争の理解を深めるために3つの重要な貢献をしている。第一に、適応主義のさまざまな「味」の違いを明確にしたことである。
これは、この論争の生物学的、哲学的利害関係を明確にするのに役立った。第二に、適応主義の主張に対する証拠の基準を明確にしたことである。これにより、
自然淘汰に関する主張の実証的検証をどのように構成すればよいのか、また、その検証結果が適応主義に関してどのような意味を持つのかがより明確に理解でき
るようになった。この解明は、まだ完全には実現されていないが、科学の実践とこの実践に対する哲学的理解の両方を改善する可能性を秘めている。第三に、形
質進化における非選択的影響の潜在的役割についての理解が深まった。」(スタンフォード哲学事典)。
●スティーヴン・ジェイ・グールドの反適応主義
「グールドはリチャード・ルウォンティンとの共著論文「サンマルコ大聖堂のスパンドレルとパ ングロス風パラダイム」を執筆し[24]、ネオダーウィニズムを「適応万能論 」(ウルトラダーウィニズム、ウルトラ汎選択主義、ハイパー適応主義など)と呼んで批判した。彼らによれば、適応万能論とは「生物が持つ形質を全て 適応と見なし、それらしい適応話を造り、検証を試みない立場」である。この論文は 1,600回以上も引用され、彼の最も有名な論文の一つとなった。グールドは「適応していない原因」として発生の制約、歴史の偶発性を重視し、特に発生学 的理解ぬきの進化学は不十分だと指摘した。そして適応万能論を基盤としている社会生物学は根本的に間違っていると批判した。グールドとルウォンティンは適 応主義に変わるアプローチが必要だと述べ、弁証法的生物学を主張したが、具体的な手法を提案することはできなかった。薬理学者ワーナー・カーロウらは、 グールドが言うように「超正統」ダーウィニストは過度の極端化をしており、局地的、一時的な環境要因を無視しているとグールドを支持している[25]。
ジョン・メイナード=スミスは適応主義へのこの批判を適切で健全なものと評価した[26]。同時に、適応主義が十分役に立つアプローチであると擁護した [27]」。G.C.ウィリアムズも同様に批判を好意的に受け止め、それでも適応主義は役に立つアプローチであり「グールドが何故そこまで自然選択を過小 評価するのか理解に苦しむ」と述べている[18]。ウィリアムズ以外にも、多くの進化学者はグールドが本当は適応主義者なのだと考えていた。リチャード・ ドーキンスはグールドが 周期ゼミの周期的な発生を対捕食者戦略だと説明することを引き合いに出し、誰であろうと生物の複雑な機能を説明する時には適応主義者とならざるを得ないの だと指摘した。ジョン・オルコックは、適応主義アプローチを取るのは仮説構築のためであり、自然は全て適応しているという「信念を告白しているのではな い」と指摘している。適応主義者が適応についてたびたび話すのは、(適応の副産物について語ることもできるが)生物の複雑な機能を解明することに価値を見 いだしているからだとのべ、適応的アプローチに基づいて立論され、予測、検証が行われたケースを挙げている[28]。
グールドは 歴史の偶発性を強調した。陸上脊椎動物の手足が6本(昆虫のように)ではなく、3本(カンガルーはしっぽを足のように使う)でもなく、4本なのは偶然に過 ぎないだろうと主張した。メイナード=スミスは海棲だった我らの祖先が水中で上下に安定して移動するには、飛行機と同じように前方に二つの翼、後方に二つ の翼を備えるのが最も良いことを示し(彼は元航空技術者だった)、自然選択は4本足を好んだだろうと述べた。ドーキンスも進化の歴史に偶発性がある事は認 める。しかし隕石の衝突や遺伝的浮動の偶発性は表面的に類似しているだけであり、それを進化のメカニズムに含める事は適切ではないと指摘している [29]。いずれにしろ偶発性は検証できず、検証する手立ても見つからない[30]。
グールドは外適応という概念を提唱した。これはダーウィンの前適応と基本的には同じものであるが、グールドによれば二つの異なる意味を持っている。ひとつ はある機能のために選択によって形作られ、そのあと他の機能を担うようになった形質のこと。二つ目はそもそも何かの適応として形作られたのではなく、他の 適応の副産物として形作られ、現在は別の機能を持っている形質のことである。例えば鳥の羽は空を飛ぶためではなく体温保全の機能を持って形成されたかも知 れないとグールドは述べる。デイビッド・バスは「鳥の羽が体温保全のために生まれたのだとしても、その後明らかに飛ぶ機能のために自然選択によって修正さ れている」と述べ、グールドが適応と同じ意味で外適応を用いていることを指摘した[31]。
グールドは多くの形質が副産物だと主張し、適応主義は適応でないものも適応だと考える恐れがあり「危険なうえに誤りだ」と述べた。そのたとえに挙げたのは 扁桃腺である。扁桃腺はしばしば感染症によって摘出される。コスミデスは、「より危険なのは、機能仮説が考慮されないことだ」[32]と述べ、扁桃腺の欠 如が長期的に患者に与える影響を調べるには扁桃腺がどのような機能を持っているかを調査せねばならず、それはまさしく適応主義だと考えている。
「ある形質が何かの副産物だという仮説が支持されるためには、“何か”が何かが示されなければならない」[33]。副産物説や外適応は適応主義と同じよう に厳密に科学的な検証を受けねばならないが、ジョン・トゥービーらはグールドは検証を行っていないと指摘している。またオルコックはグールドが適応万能論 と呼んで社会生物学を批判するとき、具体的な適応万能論的仮説の例を挙げていないと指摘する。例外はE.O.ウィルソンとデイビッド・バラシュである。し かしグールドの批判に反して、バラシュは自説を小規模ながら検証し、(予備実験であったので)検証の不十分さを認め、その後パーマーらが再検証しているこ とを明らかにした。「バラシュが仮説を作りながら検証しなかったという批判は、誤解を招くというような生やさしいものではない[28]」。
このような論争が社会生物学の悪用を掣肘し、適応主義を健全に強化し、それぞれの発展に繋がったと評価する人もいる[34][35]。一方でオルコックや ダーウィニアン精神科医マイケル・マクガイア、アルフォンソ・トロシーらは、社会生物学の発展に対して批判が十年以上も変わっていないことを指摘し、社会 生物学の発展は通常の学問と同じように、内部の批判と競争によってなされたと述べた[36]。
グールドは後に、湖が干上がったり隕石の衝突のような激変による大量絶滅と、中立的な遺伝子の浮動も歴史の偶発性の一部に含め、自然選択はそれらの事象を
説明できないために不十分だと主張した[37]。ジョン・トゥービーは「グールドが直面している苦悩を考えれば、彼を笑える人はいない」と述べている
[38]。」出典:https://x.gd/oLuBq)
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