Ode for Dietrich Bonhoeffer, 1906-1945, and Chusai OOSHIO, 1793-1837
Frontalporträt mit Idealisierung
vergleichbar mit Christusdarstellungen; betonter Blick und die
schöpferische Hand als Werkzeuge des Künstlers
僕は世直しという言葉を 冠したら?と研究員の岡野彩子さんに提案したところ、彼女はそのまま研究会として組織してくださった。世の中の矛盾や理不尽について考える大学と市民の集 いを続けてこられた岡野さんにまず感謝したい。僕がここで言いたいのは「社会問題」や「革命」ではなく他ならぬ「世直し」という用語をなぜ提案したかとい うことである。結論を先に言えば「世直し」にある徹底的にナイーブな純粋さと、あらゆる政治的プログラムに含まれるようなずる賢さ(狡知)の欠如という性 格に僕は魅了されている、そのことである。世直しは良い意味でも悪い意味でも、つねに現在時(Jetztzeit)に係留されており、その顔は未来に向け られている。
さ て岡野さんは、ルター派の牧師ディートリッヒ・ボンヘッファー(1906-1945)の研究家であると同時に、ナチスドイツの強制収容所の中でドイツ降伏 の1ヶ月前に処刑された、この思想家の「現代的意義を問う」宗教研究者でもある。ボンヘッファーは牧師でありながら一方でガンジーの非暴力抵抗の思想に共 鳴しながらも、ヒトラー暗殺計画に関わったのは、ナチスドイツに翻弄されたユダヤ人を含む名も無き政治的暴力の犠牲者への共感と義憤ゆえである。そして、 逮捕後の短い期間の深い思索と相まって「剣をもって抵抗する」ことの意味についても徹底的に考えた。ゆえに彼は世直しの思想家だ。ボンヘッファーを語る岡 野さんは、彼を歴史の中に留めておく後ろ向きのタイプの研究家ではない。ボンフェッファーを見る彼女こそが、現在時から未来に向けて考える人である。
ところで大阪出身の人なら世直しと聞くと、やはり反射的に想起するのが大塩中斎(平八郎, 1793-1837)であろう。中斎は儒学者(陽明学)であると同時に奉行所の与力——今の刑事行政と司法と警察がミックスした執行官——あったが、義憤 に燃える孤高の人であったのか、今でいう奉行所の内部告発を果敢におこなった人だ。他方で切支丹禁制後二百年以上経っているにもかかわらずその異端の探索 と摘発を行った人でもある。与力引退後に平八郎の乱の蜂起と失敗で自害するが、最初から反骨の抵抗家だったわけではなく、元与力として人脈を使って最後ま で行政や豪商に助言をおこない、天保期の飢饉の回避のための努力を続けていた。彼が独学で収めた陽明学は幕府の朱子学からみれば異端であり、また蜂起の直 前における軍事訓練の名目は、他の地方で発生した民衆叛乱への鎮圧目的であると周囲には説明していたらしい。周到な政治プログラムを立てるマルクス主義の 革命家と大いに異なり、大塩は体制側の人間であり、最後の最後まで自分の武力を蜂起に使うのか、それとも民衆叛乱の鎮圧に使おうとしているのか不明な人物 である。
僕が「世直し」という言葉に魅了されるのは、この宙づりの緊張感と、現在時に呪縛され何とかしなければと具体的に「ことおこし」する際に向かう 顔が未来を向いていることなのである。
世直し研究会の設立経緯を記載したURLは https://goo.gl/VNpNw9 (短縮URL)にあります。
■クレジット:池田光穂「世直し研究の「思想」について考える」
「仮に沖縄人に扇子の代わりに日本刀を与え朱子学の代わりに陽明学を教えたとしたらどうであったろう。幾多の大塩中斎が輩出して琉球政府の役人はしばしば腰を抜かしたにちがいない」——伊波普猷(1909)
++++++++++++
リンク
文献
その他の情報
Copyright Mitzub'ixi Quq Chi'j, 2018
Do not paste, but [Re]Think our message for all undergraduate students!!!