はじめによんでください

批判的人類学を学ぶ学生たちへ: 大阪からの手紙

To Students of Critical Anthropology: A Letter from Osaka, Japan

池田光穂

批判的医療人類学と は、「医療人類学の一分野であり、健康の政治経 済や社会的不平等が人々の健康に及ぼす影響を考察する上で、批判的理論と地に足のついたエスノグラフィ的アプローチを融合させたものである。健康を分析 し、その決定要因を説明する上で、純粋に生物医学的な要因よりも、むしろ社会的関係の構造に重きを置く。 CMAは、人間の健康は生物社会的・政治生態学的な産物であるという考えから出発している。その結果、CMAは健康科学や社会科学において、健康と病気の プロセスを自然化する傾向に批判的である」批判的医療人類学)。

This presentation proposes a Critical Medical Anthropology (CMA) for the era of global health, drawing on my experience of introducing CMA in a university educational context. Before emerging CMA, Japanese already had the name Social Medicine (Sozialmedizin) from the 1920s, which was influenced by R. Virchow; the shift from German-style Hygiene to American-style Public Health after 1945 was not due to an independent decision by the Japanese medical society, but to a post-war change in the ruling regime. CMA was more influenced by Marx than Virchow, which is manifested in the term 'Political Economy of Health' as its antecedent form. I studied medical anthropology via social medicine after volunteering for a Primary Health Care programs in rural Central America in the mid-1980s. This has given me a critical view of public health and a bottom-up way of thinking about constructing people's health. While Global Health policy expands the perspective and scope of what public health has captured from above by operating the WHO, international NGOs or governments, the ethnographers of CMA seek construct local health from the bottom. Both sides are required to dialogue on how to intervene with local people and respect their self-determination.
本発表では、私が大学の教育現場で批判的医療人類学(CMA)を 導入した経験から、グローバルヘルス時代のCMAを提案する。CMAが登場する以前、日本では1920年代からすでにR.ヴィルヒョーの影響を受けた社会 医学(Sozialmedizin)という名称があった。1945年以降、ドイツ式の衛生学からアメリカ式の公衆衛生学に移行したのは、日本の医学会が独 自に決定したのではなく、戦後の支配体制の変化によるものであった。CMAはヴィルヒョーよりもマルクスの影響を受けており、それは「健康の政治経済学」 という言葉を前身とする形で現れている。私は、1980年代半ばに中米の農村部でプライマリー・ヘルスケア・プログラムにボランティアとして参加した後、 社会医学を経由して医療人類学を学んだ。そのおかげで、私は公衆衛生に対する批判的な視点と、人々の健康を構築するためのボトムアップ的な考え方を身につ けることができた。グローバル・ヘルス政策が、WHOや国際NGO、政府などの運営によって、公衆衛生が上から捉えてきたものの視点と範囲を拡大するのに 対し、CMAのエスノグラファーは、ボトムから地域の健康を構築しようとする。地域住民にどのように介入し、彼らの自己決定を尊重するか、双方の対話が求 められている。
健康の概念

〈病 む〉ことや〈治る〉ことを学問的に厳密に定義することは容易ではない。まず病むことや治ることの具体的な諸相は、人間の個別な出来事であり、それを一般的 な用語でとりまとめることは困難だからである。 この〈病む〉ことの個別性や多様性は経験的事実から傍証することができる。1980年代中頃の中央アメリカ・ホンジュラス西部のメスティソ農民における病 気の語彙について調査していた時に、私は単純な事実を発見した。つまり、病気に関する語彙は、治療や治癒に関する語彙よりも多様で豊かであるということだ [池田 2001:255-260]。これは、一方では病気の具体的な成り立ちが予期も原因も不明瞭であり当てずっぽうも含めて多様で曖昧なところから出 発することに起因するからであろう。そして、治療においては、病気の成り立ちについて文化的説明が行われる際にはいくつかのパターンに収斂されるようであ り、その中から限定的な選択を通して、最終的に病気が治るときには、その結果は〈治る〉と〈治らない〉の判別レベルまで縮減されることにも起因する(図の 上半分を参照せよ)。人間は多様に病み、そして一様に治癒する。このことは、全世界の開発途上地域における保健政策において、しばしば中央政府が健康的な 生活のために声高に主張する具体的な対策——消毒や衛生——がなかなか普及成功しない歴史的事実とも関連している[池田 2001:43]。なぜなら、人 間が多様に病むことを無視し、選択肢を与えない近代医療で施術しようとしたからである。(→「人は多様に病み単純に治る(テーゼ)」)
薬剤耐性菌と公衆衛生

薬 剤耐性菌の例として多剤耐性結核菌(Multi- Drug Resistant Tuberculosis, MDR-TB)をあげる。途上国における結核対策は、担菌の可能性をもつ患者を発見し、その喀痰を採取し、その患者に投薬しながら、患者を監視(サーベイ ランス)するというシステムで通常おこなわれている。この単純なシステムでは多剤耐性が生じることは考えにくい。したがって、多剤耐性の発生には複数の医 薬品の機会的濫用が考えられる。[監視下におかれる患者にとって]長期の投薬とそこから生まれる多剤耐性菌の発生には、主に2つの系列の要因の問題が絡む ように思われる。ひとつは製薬企業が長期にわたる薬品の売り上げを確保しようとする市場の原理である。これにより濫用が生まれる素地ができる。ただし、こ れだけでは薬剤が同一の種類で販売されている場合には問題が起こらない。多剤耐性を生む潜在力をもつ複数の薬品が「医薬品選択の自由」という市場原理のも とで濫用されないと、事態が生じないからだ。図C.では水平に左から右へ移行する実線の矢印の系列がその最初のものである。他方、患者にとって医薬品の調 達を公的なサービスだけで受け入れることができない以上、患者はOTC(Over The Counter, 店頭で直接購入できる)医薬品に依存せざるをえない。長期にわたる投薬は、病状管理に医学的に適切な知識をもたなかったり、定期的な医薬品購入が経済的理 由で阻害された時、医薬品の不適切利用という事態が引き起こされる。こういう事態は、原疾患の疫学的存在がなければ起こりえない。右上から左下に移行する もうひとつの系列が交錯してはじめて薬剤耐性菌が生じる。このように多剤耐性菌の発生には2つの系列の要因が重なって生じるとひとまず解釈することができ る(→「持続可能性の意味と医療人類学」)。  
key words; clitical medical anthropology, political ecomomy of health, Virchow, Marx













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