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音と感覚のエスノグラフィー:マヤ・ケクチの民族音楽学

Anthropology for Sensory Experience : An Ethnomusicology and Ethnography of the Q’eq’chi’ Maya in Guatemala

滝奈々子・池田光穂

Iglesia de San Juan Chamelco, Departamento de Alta Varapaz, Guatelama.

"Q'eqchi' (/q'eqt͡ʃiʔ/) (K'ekchi' in the former orthography, or simply Kekchi in many English-language contexts, such as in Belize) are a Maya people of Guatemala and Belize. Their indigenous language is the Q'eqchi' language. Before the beginning of the Spanish conquest of Guatemala in the 1520s, Q'eqchi' settlements were concentrated in what are now the departments of Alta Verapaz and Baja Verapaz. Over the course of the succeeding centuries a series of land displacements, resettlements, persecutions and migrations resulted in a wider dispersal of Q'eqchi' communities into other regions of Guatemala (Izabal, Petén, El Quiché), southern Belize (Toledo District), and smaller numbers in southern Mexico (Chiapas, Campeche).[3] While most notably present in northern Alta Verapaz and southern Petén,[4] contemporary Q'eqchi' language-speakers are the most widely spread geographically of all Maya peoples in Guatemala.[5]"- Q'eqchi'

本 書はグアテマラ共和国アルタベラパス県を中心 に居住しているマヤ系先住民ケクチの音を中心とした感覚経験のエスノグラフィーである。/登場人物はわずかな例外を除き仮名である。/一人称単数は、本書 の著者のひとりの、わたし(滝)と、引用符内における私を区分し、複数はわたしたち(滝と池田)と同じく引用符内の私たちと区別し、 著者のひとりの池田は固有名詞で使用する。/文献ならびに注は、必要かつ最小限として、★に番号を付して巻末に略記し、文献リストで示すという方法をとっ た。/先住民言語やラテン語など、英語とスペイン語以外の表記は(欧文の書名や雑誌等を含む)はイタリックを体をもちいた。/本書において以下に示す主要 な概念用語は、以下の通りである。1. 峰の霊(tzuultaq'a) ツルタカ、山や丘の神。mountain spirit (Wilson 1999:53) ;2. 影の霊 (muhel) ムエル、影の霊 ; 3.  息の霊 (musiq') ムシク、呼吸、息に宿る霊 ;4. 宇宙観 (cosmovisión) コスモヴィシオン、コスモロジー、世界観  ;5.  供物(mayejak)マヤハク、奉納物、供物を用いる儀礼(マヤハク儀礼)  6.  ハープ (arpa) アルパ、楽器 7.  シウ病(xiw)シウ=驚愕によりひきおこされる病気や症状。スペイン語のsustoに相当」。https://doi.org/10.18910/85580

"Quizás el sonido y la música rozan una ontología vibracional, en lugar de ser realmente el núcleo de una. Por eso, como han sugerido Michael Taussig, Jayna Brown y otros, pueden estar relacionados con la curación.  Quizás cualquier práctica que tenga sentido -y las subculturas sónicas son ciertamente una cuestión de práctica, como indica Julian Henriques en su libro Sonic Bodies- debe trabajar necesariamente en el límite de un espacio que nunca puede habitar completamente como práctica, pero que puede empujar a uno hacia, y también recibirlo.  La anticipación, el miedo, el deseo antes de salir, por ejemplo, pero también la luz cegadora del día, la sensación de aire frío en la piel expuesta cuando se sale de una sala de baile o de una fiesta." -https://soundstudiesblog.com/tag/sonic-ontology/

「音や音楽は、振動的な存在論というより、むしろそ の境界線上にあるのかもしれない。つまりマイケル・タウシグやジェイナ・ブラウンなどが示唆しているように、ヒー リングと関係があるのかもしれない。 おそらく、意味をなすあらゆる実践は——そして、フリアン・エンリケがその著書『音的身体(Sonic Bo)』で指摘しているように、音のサブカルチャーは確かに実践の問題なのだが——、実践として完全に宿ることはないが、人を押しやり、また人を 受け入れることのできる空間の端で働くことを必然としているのだろう。 それは例えば、外出前の期待、恐怖、欲望だけでなく、ダンスホールやパーティーを出るときの眩しい光、露出した肌に感じる冷気の感覚などのように」-https://soundstudiesblog.com/tag/sonic-ontology/

★滝奈々子・池田光穂『』「第9章 まとめ——感覚経験の人類学にむけて(抄)」『音と感覚のエスノグラ フィー : マヤ・ケクチの民族音楽学』より

章立て


第1章
音と感覚のエスノグラフィー
第 1章 音と感覚のエスノグラフィーでは、このエスノグラフィーという物語を語るわたし(滝)が、2004年にパアパ村の夜において峰の霊(ツルタカ)の 存在をはじめて感じた時の経験を記した。そのことが、わたしのケクチの宇宙観への理解とそれに関わる祭礼音楽の意味へのさらなる探究をもたらしたのかにつ いて述べた。音響的な身体とは、音と響き合いつつ共鳴する身体であるが、わたしの専門である民族音楽学であると同時に、もうひとりの著者池田の助けを借り てその知のあり方がわたしにとって開かれつつある文化人類学が、当たり前におこなう人々の語りの収集における「現場の声」もまた、調査者の心に響く音響で あることを、本書の記述から通して明らかになった。民族音楽学は、このように音楽を紡ぎ出す人びとの音的経験を、楽器の発展や変化の歴史や、そして語りや 行動を記述することを通して明らかにすることを本書の記述の主眼とした。したがって民族音楽学者は、このような音のエスノグラフィーを編む文化人類学者の ことなのである。音楽を通して二つの学問は融合するのだということを改めて実感した。
第2章
信仰と宇宙
第 2章 信仰と宇宙では、調査対象であるグアテマラのマヤ系先住民ケクチ の人々の宇宙観を明らかにするために、人びとが住むこの土地に、植民地征服以降にカトリック信仰が入ってきて、名実ともにカトリック信徒を表明するように なった時には、伝統的な宇宙観とカトリック信仰は完全に相互に融合して、独特の世界観・宇宙観を形成するにいたったことを示した。ケクチにとり宇宙の始原 はこれまで、他の先行研究で明らかにされてきたようなマヤ文明全体でみられるような要素や世界観を共有し、さまざまな異同があるものの、それらの異同をケ クチ自身が再解釈し、未来に向かって開かれた態度をもっていることの一端を紹介した。また、人びとは共通の宇宙観の中に、共通な身体イメージをもつことか ら、共通の疾病観と病気の原因論、そして発症のメカニズムを理解し、それに対する対処行動を発動させる。それを、驚愕を原因とするシウ病と、その治療に深 くかかわる場所の霊(ゲニウス・ロキ)としての峰の霊との複雑な関係の位相について記した。
第3章
音楽家ドン・フランシスコ一家
第3章 音楽家ドン・フランシスコ(Francisco Xi’ Cau, 1932-2014)一家は、これまでの分析的なトーンから 転調して、わたし(滝)が、本書において、最も多くを知的ならびに道徳的恩義を負うているドン・フランシスコ・シ・カウとその一族のあり方に焦点を当て た。そこでは、ケクチにおける音楽家の活動や、練習(ensayo)や儀礼行為などの日々の実践、それにまつわる生業の有り様、作曲や音楽に関わる想いな どを叙述した。
第4章
キリスト教祭礼音楽
第 4章 キリスト教祭礼音楽では、教会やカトリックの年間の祭礼を通した 信仰と音楽とのあり方について描写することを心がけた。ここでは、それまでの宇宙観の比較的理論的な素描や物語の登場人物の概要を説明した後に、具体的に このエスノグラフィーに登場する人たちが、音響的身体としてケクチの宇宙観のなかに位置付けられるかについて説明した。そこには、音響的経験に絡まる、視 覚、聴覚、嗅覚、飲酒飲食を通した味覚、そして楽器を奏でるときに演奏者のみが触知可能な触覚経験の位相を、未経験の読者に理解可能なように示したつもり である。著者たちの主眼である、感覚経験の人類学理論の構築において、この第四章と次の第五章がもっともちからを入れて叙述した箇所であることは言うまで もない。
第5章
マヤ司祭と呪術師の儀礼
第 5章 マヤ司祭と呪術師の儀礼では、前章のカトリック祭礼音楽から、よ りケクチの「本来」——つまりネイティブと理想化される——の宇宙観なるものに触れるためのマヤ司祭と呪術的儀礼をとりあげた。カトリック祭礼音楽はコ ミュニティの共同体的儀礼実践であり、組織化された音楽が用いられるが、こちらは呪文や祭文の比重がおおくなる声の世界で占められる儀礼空間での出来事で ある。また儀礼空間においては、影の霊や峰の霊という霊的存在が深く関わるので、そこで経験されるのは聴覚に加えて、視覚や嗅覚における経験が重要にな る。とりわけ聴覚経験では、人工的な楽器ではなく、野外での儀礼などで天然の音が介入する機会が多く、ケクチの始原的空間が「こうであったのだ」というこ とが儀礼に参加するたびに追体験することができる。それゆえ、マヤ司祭や呪術師は聴覚が研ぎ澄まされ、遠くで聞こえるチェーンソーの音が、木々や自然の苦 痛の叫びとして、彼/彼女らの身体に直接響いてくるのである。マヤ司祭と呪術師の儀礼は、まさに現在進行中の感覚経験のエスノグラフィーのための資料を提 供する。
第6章
マヤハクと音楽
第6章  マ ヤハクと音楽は、感覚経験のエスノグラフィーに新たな着眼点を 提供する章である。マヤハクとは、いわゆる供物あるいは奉納物のことである。マヤハクは、宇宙観や信仰のような抽象物が、具体的な物質として姿を現す—— すなわち物象化されるために、外部からやってきた私たち人類学者にとって触知することが容易で、かつマヤハクを前にさまざまな質問をすることで、エスノグ ラフィーにとって重要な活動であるインタビューをおこなうことが可能になる。他方で、マヤハクという用語と概念は、個々の供物のような具体的で多様な姿を とると同時に、宇宙観や信仰のような他の抽象的な実体と、その哲学的な位相関係を明らかにする必要も生じる。マヤハクを記述しその概念を正確に把握するこ とは、感覚経験のエスノグラファーにとっても重要な試金石になる。
第7章
影の霊と息の霊と身体と
第 7章は「影の霊」と「息の霊」が身体、とりわけ、民俗病や自然現象に おける障がい(例:作物の不作)とどのような関係を取り結ぶのかについて叙述が中心である。そのなかでユニークな存在は「息の霊」すなわちムシクである。 ムシクは息であると同時に、楽器などが振動して音となって我々の耳に到来するものである。楽器は演奏者によってムシクという音楽を奏でられると共に、それ は「息の霊」であるために、演奏家は、楽器に命を吹き込む理解されるのである。息=霊=生命力という想像の連鎖は、ケクチの人たちが豊かに説明すると同時 に、民族音楽学者であり文化人類学者であるわたしたちにも理解可能な概念である。さらに、それは生命力という概念を構成するために、息であり霊が枯渇した 状態であるシウ病(本書でも指摘されるようにこれは新大陸のスペイン語で表現されるスストすなわち驚愕病のことでもある)の病因論と治療選択にも関連す る。つまり、第七章は、ケクチの民族医療における疾病論を論じている医療人類学的考察の記述でもあるのだ。
第8章
女性の物語
第 8章女性の物語は、グアテマラ内戦期が人びとの心と身体(からだ)に 与えた影響を考察する。本書はケクチの人びとの感覚経験のエスノグラフィーであるゆえ、当然、人びとが経験した現代史の過酷な経験を避けて通ることはでき ない。内戦の記憶やトラウマは、彼らの感覚経験にも影響をおよぼし、現在のケクチの人たちの身体と心を形づくっている。著者のひとりの「わたし(滝)」 は、女性であり、同じく内戦期にグアテマラ西部高地の別のマヤ系先住民を調査した池田は男性である。ジェンダーのバイナリー論理は、調査者のジェンダーア イデンティティを形作り、また、調査対象の関心に良い意味でも悪い意味でも、意味の不均衡な形成をもたらす。本書は、わたし(滝)のケクチでのフィールド ワークが基盤になっているために、当然のことながら、グアテマラの女性の経験や人生そして精神的トラウマは、調査者として取り扱うのみならず、人間として 深く関わり、感情経験として時空を超えた連なりを意識せざるをえない。
第9章
感覚経験の人類学にむけて

"The Q'eqchi' language, also spelled Kekchi, K'ekchi', or kekchí, is one of the Mayan languages, spoken within Q'eqchi' communities in Guatemala and Belize."(→「マヤ人」)

●滝奈々子[博士論文:※本書に先行する論文]「ケクチ・マヤ(グアテマ ラ 高地) の祭礼音楽における民族誌的研究 : 音と身体のコスモロジー」の章立て

本博士論文は、グアテマラ共和国アルタ・ベラパス県 のコバ ン町とサン・フアン・チャメルコ町周辺に暮らすマヤ系先住民であるケクチの人びとの祭礼音楽について、音楽人類学的な記述と解釈をおこなった民族誌的研究 である。土着的な信仰に基づく祭礼や儀礼における音楽を主軸に、1960年から1996年まで36年間に及んだ内戦とそれに伴うマヤの人びとの大量殺戮に より、深刻な被害を受けた人びとが、音楽的経験をとおして、みずからの生と存在を再構築する力を獲得して行く過程を描きだすものである。その背景にあるケ クチの音と宇宙観(コスモヴィシオン)の関係、諸祭礼における感覚の働き、さらに音と身体をめぐるケクチ固有の観念を明らかにしようと試みる。

音 と感覚のエスノグラフィー : マヤ・ケクチの民族音楽学.

音の存在論(sonic ontology)
「音 や音楽は、真に核となる振動的な存在論というより、むしろその境界線上にあるのかもしれない。つまりマイケル・タウシグやジェイナ・ブラウンなどが示唆し ているように、ヒーリングと関係があるのかもしれない。 おそらく、意味をなすあらゆる実践は——そして、フリアン・エンリケがその著書『音的身体(Sonic Bodies)』で指摘しているように、音のサブカルチャーは確かに実践の問題なのだが——、実践として完全に宿ることはないが、人を押しやり、また人を 受け入れることのできる空間の端で働くことを必然としているのだろう。 それは例えば、外出前の期待、恐怖、欲望だけでなく、ダンスホールやパーティーを出るときの眩しい光、露出した肌に感じる冷気の感覚などのように」-https://soundstudiesblog.com/tag/sonic-ontology/.

"Perhaps sound and music border on a vibrational ontology,  rather than being truly the core of one. This is why, as Michael Taussig, Jayna Brown, and others have suggested, they can be concerned with healing.  Perhaps any practice that is meaningful — and sonic subcultures are certainly a matter of practice, as Julian Henriques indicates in his book Sonic Bodies — must necessarily work at the boundary of a space that it can never entirely inhabit as a practice, but which it can push one towards, and also receive one from.  The anticipation, fear, desire before one goes out, for example, but also the blinding daylight, the sensation of cool air on exposed skin when one leaves a dancehall or a party."- https://soundstudiesblog.com/tag/sonic-ontology/
- Michael Taussig,  Mimesis and alterity : a particular history of the senses. Routledge , 1993.
- Jayna Brown, Black Utopias: Speculative Life and the Music of Other Worlds, Duke Univ Press, 2021.
- Salome Voegelin, Listening to Noise and Silence: Toward a Philosophy of Sound Art.Continuum , 2010.
-  Julian Henriques. Sonic Bodies: Reggae Sound Systems, Performance Techniques, and Ways of Knowing. 2011.
音的経験のエスノグラフィー(ethnography of sonic experience)
音 楽は民族ごとにさまざまな様式の音楽が存在する。音楽や人びとの音的経験もまた、記譜の形で記録し、また身体記憶として呼び戻す(=それは「演奏」や「再 演」と呼ばれる)ことが可能である。民族音楽学は、このように音楽を紡ぎ出す人びとの音的経験を、楽器の発展や変化の歴史や、そして語りや行動を記述する ことを通して明らかにする。この記録された書物や録音を「音的経験のエスノグラフィー(ethnography of sonic experience)」と呼ぶ(滝と池田 2021:14)。
-滝奈々子と池田光穂『音と感覚のエスノ グラフィー』CO*Design SP4, 2021.より
音のちから(sonic force)
心身を浄化したり、困難に立ち向かうなど、治療の手立てとなり、生きる ちからの源泉となる作用のことを、このように言う(滝と池田 2021:11, 74)。 -滝奈々子と池田光穂『音と感覚のエスノグラフィー』 CO*Design SP4, 2021.より

●ケクチ(Q'eqchi')民族について( https://en.wikipedia.org/wiki/Q%CA%BCeqchi%CA%BC より)

Q'eqchi' (/qʼeqt͡ʃiʔ/) (Kʼekchiʼ in the former orthography, or simply Kekchi in many English-language contexts, such as in Belize) are a Maya people of Guatemala and Belize. Their indigenous language is the Q'eqchi' language.

Before the beginning of the Spanish conquest of Guatemala in the 1520s, Q'eqchi' settlements were concentrated in what are now the departments of Alta Verapaz and Baja Verapaz. Over the course of the succeeding centuries a series of land displacements, resettlements, persecutions and migrations resulted in a wider dispersal of Q'eqchi' communities into other regions of Guatemala (Izabal, Petén, El Quiché), southern Belize (Toledo District), and smaller numbers in southern Mexico (Chiapas, Campeche).[3] While most notably present in northern Alta Verapaz and southern Petén,[4] contemporary Q'eqchi' language-speakers are the most widely spread geographically of all Maya peoples in Guatemala.[5]
Q'eqchi' (/qʼeqt͡ʃ/) (旧正書法では Kʼekchiʼ 、ベリーズなど多くの英語圏では単に Kekchi) は、グアテマラとベリーズのマヤ族の一人である。先住民の言語はQ'eqchi'語である。

1520年代にスペインによるグアテマラ征服が始まる前、Q'eqchi'族の集落は、現在のアルタ・ベラパスとバハ・ベラパスの県に集中していた。その 後何世紀にもわたって、土地の移動、再定住、迫害、移住が繰り返され、グアテマラの他の地域(イザバル、ペテン、エルキチェ)、ベリーズ南部(トレド地 区)、メキシコ南部(チアパス、カンペチェ)に少数が散在するようになった。 [3] アルタ・ベラパス北部とペテン南部で最も顕著に見られるが[4]、現代のケクチ語使用者はグアテマラの全マヤ民族の中で地理的に最も広く拡散している [5]。
History

Not much is known about the lives and history of the Q'eqchi' people prior to being conquered by Spanish conquistadors; however, it is known that they were a Maya group located in the central highlands and northern lowlands of Guatemala. Their land was formerly known as Tezulutlan or “the land of war" and the Q'eqchi' people were ruled by a king and had their own laws and government. When the Spanish began their conquest, the Q'eqchi' were hard to control due to a dispersed population. Bartolomé de las Casas was given permission to try to convert the Q'eqchi' people to Christianity, however, only a small portion was converted and the church lost all ability to govern the Q'eqchi'. This led to the exploitation of the Q'eqchi' by plantation owners and slavers.[6]

During the nineteenth-century plantation agriculture was a big part of the Q'eqchi' people's lives. This led to the seizure of the Q'eqchi''s communal land by plantations and the service of the Q'eqchi' to farm the plantations. By 1877, all communal landownership was abolished by the government which edged some of the Q'eqchi' to move to Belize. This seizure of communal land along with the effects of the Spanish Conquest created long-lasting poverty in the Q'eqchi' people.[6]
歴史

スペインのコンキスタドールによって征服される以前のケクチ族の生活や歴史についてはあまり知られていませんが、グアテマラの中央高地と北部の低地に位置 するマヤのグループであったことは知られています。彼らの土地はかつてテズルトランまたは「戦争の土地」として知られており、ケクチ族は王によって支配さ れ、独自の法律と政府を持っていた。スペイン人が征服を始めたとき、ケクチ族は人口が分散していたため支配が困難だった。バルトロメ・デ・ラス・カサスは ケチ族をキリスト教に改宗させる許可を得たが、改宗したのはごく一部で、教会はケチ族を統治する力を失ってしまった。そのため、農園主や奴隷商人によるケ クチ族の搾取が行われるようになった[6]。

19世紀には、プランテーション農業がQ'eqchi'の人々の生活の大きな部分を占めていた。このため、プランテーションによってQ'eqchi'の共 同所有地が奪われ、Q'eqchi'はプランテーションの農作業に従事することになった。1877年までに、すべての共同土地の所有権は、ベリーズに移動 するQ'eqchi'の一部を編んだ政府によって廃止された。スペインの征服の影響と一緒に共同土地のこの発作はQ'eqchi'人々の長期的な貧困を作 成した[6]。
Religion

Traditionally the Q'eqchi' people believe in the Tzuultaq'a” which are the gods of the mountains and valleys. However, they have mixed those beliefs with the beliefs of the Catholic church. Some of the Q'eqchi' believe in the Christian God and celebrate those who hold to Roman Catholicism the saints. They also believe that Tzuultaq'a'  presides over nature and dwells in the caves of the mountains. They also have three specific religious specialists that are from the Tzuultaq'a' side of their religion. There are the ilonel which are the curers who use different types of herbs and ceremonies. The aj ke (seers) who advise and predict things in the village. The last is the aj tul which are believed to be the sorcers who can cast spells. They also believe in similar rituals to those in other Latin American countries like the celebration of the Day of the Dead. They also prefer a ritual to the dead which consists of wrapping the body in a petite which is a straw mat. They are then buried with items they would need for the journey into the afterlife.[7]
宗教

Q'eqchi'族は伝統的にTzuultaq'aという山や谷の神々を信仰している。しかし、その信仰はカトリック教会の信仰と混ざり合っている。 Q'eqchi'族の一部はキリスト教の神を信じ、ローマカトリックを信仰する人々を聖人と称えている。また、Tzuultaq'a'が自然を司り、山の 洞窟に住んでいると信じている。また、Tzuultaq'a'側の宗教として3つの専門家がいます。ilonelは様々な種類の薬草と儀式を使われる治療 者である。aj ke(アハ・ケ・占い師)は、村に助言を与え、物事を予言する。最後に、呪文を唱えることができる魔術師と信じられているaj tul(アハ・ツル)がいる。また、「死者の日」を祝うなど、他のラテンアメリカ諸国と同様の儀式が信じられている。また、死者に対する儀式として、死体 をプティテと呼ばれる藁筵で包むことを好む。彼らはその後、来世への旅に必要なアイテムで埋葬される[7]。
Marriage

Marriage in the Q'eqchi' culture is not so different from the culture of arranged marriages in the Hindu religion. Marriages are arranged by the parents of the children. The parents of both children meet over time and if all goes well the children are married. This happens at the ages of 12 to 15 for the women and 15 to 18 for the males. After that the family would look very similar to the normal family picture; a mother, a father, and a couple of children. When it comes to inheritance parents usually give the property and assets to the child who offers to care for the parents during their life.[8]
結婚について

Q'eqchi'の文化における結婚は、ヒンズー教のお見合い結婚の文化とそれほど変わらない(???)。結婚は子供の親が決める。お互いの子供の親が時 間をかけて会い、うまくいけば子供たちは結婚する。女性は12〜15歳、男性は15〜18歳で結婚します。その後は、母親、父親、子供たちという、一般的 な家族構成と同じような形になる。相続の際には、親は通常、親の面倒を見ることを申し出た子供に財産や資産を与える[8]。
Food and agriculture

The agricultural production of the Q'eqchi' people consists mostly of subsistence farming. This means they only farm for the needs of their families not external markets. At first the Q'eqchi' were polycultural. The plants they farmed were edible weeds, banana plants, and other companion crops. They also acquire some of their food from wild plants and some villages still hunt. However for most present day Q'eqchi' people today their food comes from the corn fields. This comes mainly from a time where plantations dominated the Q'eqchi' society. From the 1880s to around the 1940s the plantation owners forbid the growing of any crops other than corn and beans, so they could easily identify which crops belonged to them. This created a corn-dependent diet of the Q'eqchi' people.[8]

While corn doesn't prove very profitable for the Q'eqchi' economy or their diet it does have other merits. The Q'eqchi' use agriculture as a way to commune with God the creator in a very physical and spiritual way. It was a way to feel like a co-creator when planting new life into the soil. All the parts of planting, cultivating, and harvesting are all rituals and worship in their religion.[9]
食料と農業

Q'eqchi'族の農業生産は、ほとんどが自給自足農業である。つまり、外部の市場ではなく、自分たちの家族の必要性だけを満たすために農業を営んでい るのです。当初、Q'eqchi'族は多作であった。食用雑草、バナナ、その他のコンパニオン作物を栽培していた。また、食料の一部は野生植物から得てお り、一部の村では現在も狩猟を行っている。しかし、現在のQ'eqchi'族のほとんどの人々の食料は、トウモロコシ畑から得ている。これは主にプラン テーションがQ'eqchi'社会を支配していた時代に由来する。1880年代から1940年代頃まで、プランテーションのオーナーはトウモロコシと豆以 外の作物の栽培を禁じていたため、どの作物が自分たちのものかを簡単に見分けることができたのである。そのため、ケクチ族の食生活はトウモロコシに依存す るようになった[8]。

トウモロコシはQ'eqchi'の経済や食生活にあまり利益をもたらさないが、他のメリットもある。ケクチ族は農業を、創造主である神と肉体的、精神的に 交わる方法として使っていました。土に新しい生命を植えることで、共同創造者のような気分を味わうことができるのです。植えること、耕すこと、収穫するこ とのすべての部分が彼らの宗教における儀式であり、崇拝である[9]。

Contemporary Issues

The QHA, which is the Q'eqchi' Healers Association, are an association of indigenous healers that have come together to share their forms of conservation and botany. The QHA along with the Belize Indigenous Training Institute funded a project which would develop a traditional healing garden and culture center. Here the Q'eqchi' Healers shared their similar methods that had been passed down to them in the hopes of preserving rare plant life and educating their community. They are preserving the biodiversity of their region by coming up with different options other than wild harvesting as well as was to propagate and cultivate many rare plant species.[10]
現代の課題

Q'eqchi' Healers Association(QHA)は、先住民のヒーラーの団体で、保全と植物学の形態を共有するために集まっている。QHAは、ベリーズ先住民研修所とと もに、伝統的なヒーリングガーデンとカルチャーセンターを開発するプロジェクトに資金を提供した。ここでQ'eqchi'ヒーラーは、希少な植物の保護と 彼らのコミュニティの教育を期待して、彼らに受け継がれてきた同様の方法を共有した。彼らは、多くの希少な植物種を繁殖させ栽培するだけでなく、野生の収 穫以外の異なる選択肢を考え出すことで、地域の生物多様性を保全している[10]。
https://en.wikipedia.org/wiki/Q%CA%BCeqchi%CA%BC
https://www.deepl.com/ja/translator

EM研究者(滝の修士時代のメンター)

文献・書誌情報

リンク

その他の情報

"La biblia relata que Dios es amor (1 Juan 4:8). Esta es una de las razones por las que muchos no entienden el verdadero significado de amar, porque no conocen a Dios. El amor de Dios es más que sentimientos, es entrega, sacrificio, dedicación, perdón, corrección, etc. El amor requiere sacrificio y entrega, por eso Dios entregó a su hijo por la humanidad. "Si haces todo en base al amor es imposible que tengas malos resultados".​ Solo debes asegurarte de saber el verdadero significado del amor y así saber si lo que haces, lo haces por amor o por otro sentimiento no por conveniencia." - Amor de Dios.

「聖書は、神は愛であると教えている(第1ヨハネ4:8)。多くの人が愛の本当の意味を理解 していないのは、神を知らないからである。神の愛は感情以上のものであり、降伏、犠牲、献身、赦し、矯正などである。愛には犠牲と献身が必要であり、だか らこそ神は人類のために御子をお与えになったのです。「愛に基づいてすべてを行うなら、悪い結果を招くことはあり得ない」2 愛の本当の意味を知ることで、自分のしていることが愛からなのか、それとも便宜的なものではなく他の感情からなのかを知ることができる」ウィキペディア・ スペイン語「神の愛

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