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コナトゥスの表象としてのエヴァ

Eva as Conatus

池田光穂


Left: Lucas Cranach the Elder Cupid complaining to Venus early 1530s 82.1 x 55.8 cm Oil on synthetic panel, transferred from wood The National Gallery, London

Right: Adam and Eve painting by Lucas Cranach the Elder in the Courtauld Institute of Arts, London.

人類の知的好奇心と自発的能力つまり《能動性》の起 源はエバ(=イブ)にある。それに比べてアダムは、受容と寛容、ナイーブなまでの信頼心を美徳とする《受動性》の人間の起源である。

旧約聖書の創世記には、人間の起源ならびに「男・ 女」の起源について記してある。このことについて思いを馳せて、次のようなことを私はSNSで呟いた:「人類の知的好奇心と自発的能力つまり《能動性》の 起源はエヴァ(=イブ)に ある。それに比べてアダムは、受容と寛容、ナイーブなまでの信頼心を美徳とする《受動性》の人間の起源である」と。これは、これまで言われ てきたジェンダーの《性格》をめぐる、西洋世界の——ないしはユダヤキリスト教的な ——常識とは真逆のような主張である。私は蛇に唆されながらも、自分の 知的興味に従い、林檎を噛り、永遠の命をも投げ打ち、出産の苦しみを主体的に受け入れたエヴァに《人間本性の実存性》を見出す。このような鬼面人を驚かす ような《言説実践》を通して、私はいったい何をおこなおうとしているのか? 私はエホバの試練を、ここでは「ヱホバのチューリングテスト」と読んでみた い。アラン・チューリングとちがって、エホバの場合には、それに先行する人間のあり方はアダムにしかなかった。アダムは、エホバの教えを守る最初の人間で あった。蛇(やその背景にいる悪魔)に唆されながらも、自らの行為により切り拓いて、人間存在を新たに定義しなおしたのはエヴァそのものである。人間存在 のあり方を人間存在が決定することは、今日では《主体性=コナトゥス》と呼ばれている人間の基本的な能力であり、権利であり、またその主体性を育んでやら なければなら ないのは人間の責務となっている。(→「ヱホバのチューリングテスト」)

コナトゥス (conatus)とは、あるものが存在し続け、それ自体を高めようとする生得的な傾向のことである。これは心であったり、物質であったり、あるいはその 両方の組み合わせであったりするが、汎神論的な自然観においては神の意志と結びつけられることが多い。コナトゥスは、生 物の本能的な生きようとする意志を指すこともあれば、運動や慣性に関するさまざまな形而上学的理論を指すこともある。今日では、古典力学が慣性力や運動量 保存といった概念を用いているため、技術的な意味でコナトゥスが使われることはほとんどない(→「コナ トゥス」)。

旧約聖書・創世記・第3章:エバの主体性について、 よく理解すべし

  3:1さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が 言われたのですか」。 3:2女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、 3:3ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。 3:4へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。 3:5それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。 3:6女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたの で、彼も食べた。 3:7すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。3:8彼らは、日の涼しい風の吹く ころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。 3:9主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。 3:10彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。 3:11神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。 3:12人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。 3:13そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べま した」。 3:14主なる神はへびに言われた、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、 一生、ちりを食べるであろう。3:15わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえ は彼のかかとを砕くであろう」。3:16つぎに女に言われた、「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あ なたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」。3:17更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べた ので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。3:18地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食 べるであろう。3:19あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。3:20 さて、人はその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。 3:21主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。3:22主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、 善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。 3:23そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。 3:24神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。

Adam and Eve painting by Lucas Cranach the Elder in the Courtauld Institute of Arts, London.


Lucas Cranach the Elder Cupid complaining to Venus early 1530s 82.1 x 55.8 cm Oil on synthetic panel, transferred from wood The National Gallery, London

エーリッヒ・フロムの「創世記」解釈

「フロムの世界観の中心は、タルムードとハシディズ ムの解釈であった。彼 は、若い頃からラビ・J・ホロヴィッツに師事し、後にチャバド・ハシドのラビ・サルマン・バルフ・ラビンコウに師事してタルムードを学び始めた。 ハイデルベルク大学で社会学の博士号取得を目指す傍ら[、チャ バドの創始者であるリアディのラビ・シュヌール・ザルマンの『ターニャ』を研究した。また、フランクフルト留学中にネヘミア・ノーベルとルードヴィヒ・ク ラウゼに師事している。父方の祖父と曾祖父はラビで、母方の大叔父は著名なタルムード学者であった。しかし、1926年に正統派ユダヤ教から離れ、聖典の 理想を世俗的に解釈するようになる。フロムの人文主義思想の根幹は、アダムとイブがエデンの園を追放されたという聖書の物語に対する解釈で ある。フロムは、タルムードの知識をもとに、善悪の 区別がつくことは一般に美徳とされているが、聖書学者たちは、アダムとイブが神に背き、知識の木から食べることによって罪を犯したと考えるのが一般的であ ると指摘した。しかし、フロムはこの点について、従来の宗教的正統性から離れ、権威主義的な道徳観に固執するのではなく、人間が自主的に行動し、理性を 使って道徳的価値を確立することを美徳としている。権威主義的な 価値観を非難するだけでなく、アダムとイブの物語を、人間の生物学的進化と実存的苦悩の寓 話的説明として使われ、アダムとイブが「知識の木」 を食べたとき、自分たちが自然の一部でありながら自然から分離されていると認識したと主張している。アダムとイブが「知識の木」を食べたとき、自分たちは 自然の一部でありながら、自然から切り離されていることを自覚し、「裸」であり「恥ずかしい」と感じたという。フロムは、このような人間存在の分裂を自覚 することが罪悪感と羞恥心の源泉であり、この実存的二律背反の解決は、愛と理性という人間特有の力を開発することに見いだされるとした。し かし、フロムは 自分の愛という概念を、無反省な通俗的概念やフロイトの逆説的愛と区別している。フ ロムは、愛を感情ではなく、対人的な創造的能力であると考え、この創造的能力を、一般に「真の愛」の証明として持ち出される(ものとし)、 自己愛的神経症やサド・マゾヒスティック傾向の諸形態と区別していた。フロムは、 「恋に落ちる」という体験は、愛の本質を理解していない証拠だと考えている。 愛の本質とは、配慮、責任、尊敬、知識という共通の要素を常に持っていると考えていた。また、ヨナはニネベの住民をその罪の結果から救おう とはしなかった が、これは、ほとんどの人間関係において、配慮と責任というものが欠如しているという考えを示すものである。また、現代 社会では、相手の自律性を尊重する 人は少なく、ましてや相手が何を望んでいるのか、何を必要としているのかを客観的に知ることはできないと主張した」出典:「批判理論」)

★Lucas Cranach the Elder Cupid complaining to Venus の図像的解釈(https://artuk.org/discover/artworks/cupid-complaining-to-venus-114498

「エロティックな愛の神であるキューピッドは、蜂の 巣を盗んだ後、蜂に刺されたと母である愛の女神ヴィーナスに愚痴をこぼしています。ヴィーナスは代わりに視聴者に注意を向けます。彼女の細められた視線は 軽薄なように見え、リンゴの木の枝を握りしめており、聖書の誘惑者イブを思い出させます。 これは紀元前 3 世紀のギリシャの詩に基づいた道徳の物語ですが、ヴィーナスは 1505 年からクラナッハが働いていたザクセンの宮廷で着用されていたスタイルのベルベットの帽子と宝石で飾られたチョーカーを身に着けています。この詩は、人生 の喜びがどのように混ざり合っているかを説明しています。絵の上部の碑文にあるように、痛みを伴う。ヴィーナスは息子に、矢で負わせた愛の傷は、彼が経験 しているどんな肉体的な痛みよりもはるかにひどいものであると説明します。」

★旧クレジット:「人間の心的傾向性の二元論はジェン ダーメタファーに由来」

リンク

文献

引用

"In early philosophies of psychology and metaphysics, conatus (/koʊˈneɪtəs/;[1] Latin for "effort; endeavor; impulse, inclination, tendency; undertaking; striving") is an innate inclination of a thing to continue to exist and enhance itself.[2] This "thing" may be mind, matter or a combination of both. Over the millennia, many different definitions and treatments have been formulated. Seventeenth-century philosophers René Descartes, Baruch Spinoza, Gottfried Leibniz, and Thomas Hobbes made important contributions.[3] The conatus may refer to the instinctive "will to live" of living organisms or to various metaphysical theories of motion and inertia.[4] Often the concept is associated with God's will in a pantheist view of Nature.[3][5] The concept may be broken up into separate definitions for the mind and body and split when discussing centrifugal force and inertia.[6] - https://en.wikipedia.org/wiki/Conatus

"conatus — Definitions from Dictionary.com". Dictionary.com. Lexico Publishing Group. http://www.dictionary.com/browse/conatus Traupman 1966, p. 52; Traupman, John C. (1966), The New Collegiate Latin & English Dictionary, New York: Bantam Books, ISBN 0-553-25329-8 LeBuffe 2006; LeBuffe, Michael (2006-03-20), "Spinoza's Psychological Theory", Stanford Encyclopedia of Philosophy, Edward N. Zalta (ed.) Wolfson 1934, p. 202; Wolfson, Harry Austryn (1934), The Philosophy of Spinoza, Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press, ISBN 0-674-66595-3 Schopenhauer 1958, p. 357; Schopenhauer, Arthur (1958), Payne, E.F.J., ed., The World as Will and Representation 1, Clinton, Massachusetts: The Colonial Press Inc. Kollerstrom 1999, pp. 331–356; Kollerstrom, Nicholas (1999), "The Path of Halley's Comet, and Newton's Late Apprehension of the Law of Gravity", Annals of Science 59 (4): 331–356, doi:10.1080/000337999296328,


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