現場力
Genba-ryoku, empowerment faculty and sensibility in practice
現場力(げんばりょく)とは、実践の現場で人が協働する時に育まれ、伝達することが可能な技能で あり、またそれと不可分な対人関係的能力などの総称のことをさす。
■現場(げんば;genba, on site, in situ) とは、私たちが何かの活動を行なっているときに、その前に広がる時空間のことである。現場は、英語では、オンサイト(on site)、ラテン語ではイン・シチュ[イン・サイチュ:in situ]という。現場という時空間で発揮される人間の力(コナトゥス:conatus)のことを、現場力と いう。
しかしながら、現場力の多くは、その当事者の中に身体化され、本人が気付かないものとして、しば しば表現される。ウィリアム・ジェイムズ(William James)の次のことばは、現場力の当人にとっての「非自覚性」を見事に表現している。
「何かを上手く成し遂げるためのやり方とは、逆説的に聞こえるかもしれないが、自分がその何
かを行っているかどうかを、まったく気にかけないことである」(The Gospel of Reflection, Talks to
teachers and to students. p.131)[source
from Internet]
現場力は、現場にある物理的な力だけでも、個人に備わる能力だけでもない。その両方 の性質を有するものである。言い換えると、現場力は、現場にあるのでも、個人にあるのではなく、現場と個人がマッチした場に現れる、つまり現場と個人の間 の場に生み出される、人間の具体的な技能ないしは具体的な能力のことである。
現場力が観察できる場と条件とは次のようなものである。(括弧内)はその条件の抽象的属性をさ す。
(1)人々が共同して動いたり、働いたりする場所、(場所性・状況性)
(2)人々が共同して働いているという必要最低限の身体の意識やアイデンティティ、(意識 性)
(3)作業を遂行する場所や物理的道具、(物理性・道具性)
(4)人々が相互にコミュニケーションすることを可能にするメディア[共通言語ないしはそれ に類似するコミュニケーションツール]、(媒介性)
そして最後に
(5)参加する人たちの個々の身体、(身体性)である。
従って、人がある具体的な現場力について言及しようとする時には、上記の場と条件に関する記述が 不可欠となる。
現場力は、現場で働く人の意識や行動を通して理解されることもあるし(=現場力理解の受動性)、 その場に居合わせた観察者が理解することもある(=現場力理解の能動性)。
他方、当事者には認識されていないが、観察者が発見できる可能性がある。その場合には上記の現場 力の場と条件に関する要素に着目すれば、現場力についての大まかな説明を得られることができる。(「大まかな説明が得られる」とは、その具体的な現場力 を、その現場にいない人が記述や解釈を通して理解することができるという意味である)。
人間の技能や能力のひとつである「現場力」を、あえてこのような記述概念をもって説明しないとな らない理由は次のとおりである。つまり、
(1)現場力は、人間個人ないしは集団に所有されるような技能や能力として把握することがで きない。
(2)現場力は、コミュニケーション能力あるいは、その延長上に位置づけられる性質をもつ。
(3)現場力は、きわめて社会的な概念である。
以下、この3つの観点について説明してみよう。
【1】現場力の非所有的性格
現場力は、単純に人間主体に帰属するようなものではない。(1)人間の技能や能力(ともに faculty)は、しばしばその人の個人の身体や意識に内在するという考え方があるが、現場力という概念はそれを拒絶する。現場力の研究は、そのような 考え方をとらず、対人関係性の中や現場にある空間的特性や機械との協調行動に関連づけられる技能や能力が、実際に存在する経験的事実から出発する。
しかしながら、他方で、現場力は、たんじゅんにみんなの協働能力であると理解することも正確 ではない。なぜなら、それはこの技能・能力(=現場力)が、個人ではなく集団にある、というふうに理解されてしまいそうだが、そうなると今度は、技能や能 力を集団が「所有」しているという考えに帰着するからである(なぜなら現場力は商品のようにトレードすることができないから)。経営学分野で経験主義の理 論的抽象度が低い(つまり粗雑な)現場力に関する業績の中には、このような見解をとるものもあるが、集団の能力の積算は、個人の能力の積算以上ものがある という経験的事実以上のものを分析する能力は欠けている。
【2】現場力の伝達可能性(→現場力はよくノンバーバルコミュニケーションと錯認されるが、実際 は、バーバルとノンバーバルとの混成コミュニケーションである)
(2)現場力は、その現場で構成される概念であると同時に[冒頭で書いたように]伝達するこ とが可能なものである。もちろん、伝達することが可能であるから「所有」することができるという考え方に戻ってしまう可能性がある。従って現場力は伝達可 能だが、所有は不可能であるというイメージでとらえ直すには、現場力を次のようなイメージで捉えることを提案する。つまり、現場力とはコミュニケーション におけるメッセージそのもの、ないしはメッセージ理解力であると考えるのである(引用図はスティーヴン・トゥールミンの『議論の技法』モデル)。
【3】社会的な概念としての現場力
口頭における伝達とその理解を、現場力における要素のひとつであると考えてみよう[→〈聴覚優位〉の問題]。その場合の現場力を決定する要因は、言語の理解力、文脈決定性、 そして音声能力や聴力などの身体特性などである。現場力を単にメッセージと考えると、その伝達的側面だけが過度に協調されるが、メッセージが社会性——冒 頭で対人関係的能力と書いたのは社会性に関与することである——をもちうるのは、技能を評価し、再生産——世代を超えて伝達される——されるからにほかな らい。そうすると、(3)現場力はなんらかの社会的な概念である、ということにもなる。
したがって、現場力を研究する研究は、次のような分野の横断的な協力がなければならないだろう。
心理学、認知科学、哲学、社会学、文化 人類学、生物学、経営学、医学、看護学、福祉学、コミュニケーション科学、インターフェイス人文学などである。
なお、現場力(げんばりょく)は日本語の語感が不可欠な文化的に特異的な概念(local knowledge)である。したがって、英語に翻訳する場合は、Genba-Ryoku と呼ぶしか、現時点では説明できない概念である。もし、上記のことが文化の相違を超えて人間一般に通用する技能や能力であると仮定すると、その翻訳は、 (1)そこに参与する(in practice)人たちを(2)力づける(empower)もの、つまり(3)技能(faculty)的なるものであるということが記されなければなら ない。[→ハーバート・サイモン(1999)のいうところの「パターン認識」 と現場力には何らかの関係があるかもしれない]
現場力をデザイン力という観点から問い直せばどうなるだろうか? ドナルド・A・ノーマンは、デ ザインの手順が複雑化することに対して、7つの対応策を提案している(その中の3番目はいわゆる「見える化」である)。日本の経営学者たちの理論的センス のまったくないアドバイスに比べてはるかに、現場的センスがすぐれていないだろうか? 私たちは大いに恥じなければならない。[→「CO*-DESIGN 用語集」]
見える化とは、現場で触知できないこともふくめて図の形で示してやることである。下記は、NASA が作った国際宇宙ステーション(ISS)の衝突リスクの分布(青[low]←→赤 [high])を見事に「見える化」して表現している——宇宙船の中で居住するものにはこれはわかりにくいので、居住区と作業区などを内部の色分けが必要 になる。
★結論:現場力は見える化(みえるか)できる
また、上記の説明において、技能を所有するという観点や説明を弱めて、コミュニケーション・メッ セージそのものないしは、それに与る能力という観点から考えると現場力によって力づけられるのは、他者のみならず自分じしんであるので、力づけるという他 動詞がもつ行為を、自動詞ないしは再帰動詞のように自分に自身にも振り向けるという意味で、力づける[力づけられる]ことの感受性 (sensibility)も現場力に含まれよう。それらを総合すると、現時点での「現場力」の[文化特異的な]翻訳としては、Genba-ryoku, empowerment faculty and sensibility in practice、あるいはempower in situ, situated empowerment process ということに落ち着く。
現場(Genba)+力(ryoku):Genba-ryoku, empowerment faculty and sensibility in practice; empower in situ, situated empowerment process. なお人によっては「げんばりき」と読ませる向きもありますが、これは耳で聞いたときに、日本語を母語とする人以外には 混乱をまねくので、ここでは「げんばりき」とは発音せず、「げんばりょく」と読ませます。
文献
サイト内リンク
キーワード
ゆらぎ、即興、老人力*、実践知、臨床知、場(ゲシュタルト心理学ないしはクルト・レヴィ ン)、フィールドワーク、建設現場、現場監督、現場の豊かさ、現場の猥雑さ、……
*老人力(ろうじんりょく)=「加齢による衰えを肯定 的に捕らえる言葉。慣用句として「最近あなた耳が遠くなったわね」「ほう、ワタシにも老人力がついてきたようだな」というように使う」(出典:はてなダイアリー「老人力」、 2006年11月10日)
※ただし、この用法における力は、あくまでも個人に備 わる/身に付く能力という点で所有可能なものをさしており、私が文中で説明した現場力概念の非所有的性格からは、ほど遠い用法であることは指摘しておきた い。このような〈力〉を所有できるかのような錯認に関しては、本サイト内の私のエッセー「現 場力について」の中の「ひとはなぜ〈現場力〉の把握に失敗するのか」を参照の こと。
ビジネス(経営学)分野における現場力の用語法が、問題含みのものであるとあるという指摘は 下記の文献中に掲載しました。
[著者紹介 author]池田光穂(大阪大学名 誉教授)
中央アメリカ地域をフィールドにする文化人類学(とくに医療人類学)が専門です。
国際保健医療協力のボランティアとしての活動経験から、多元的医療体系についての文化人類学的 理解について長年研究をしてきました。保健医療協力の現場は、異文化を含めたさまざまな社会的背景をもった人たちとの交渉が欠かせません。そのため臨床コ ミュニケーションプロジェクトの活動メンバーであると同時にそのマネージメントの仕事をしています。研究関心はどんどん広がってゆくほうがよいというのが 私のモットーです。最近は「現場力」に関する理論的考察や、中央アメリカの先住民族の人たちの文化的アイデンティティと国民国家の関係、資本主義経済システムの土着的展開、さらには生物医学の研究室の民族誌方法論の開発も手がけ ています。一見難しそうな研究テーマですが、論理立ててみると現代社会の諸問題に取り組まれている他の研究と多くの共通点が見つかります。