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現場力

Genba-ryoku, empowerment faculty and sensibility in practice


池田光穂

現場力(げんばりょく)とは、実践の現場で人が協働する時に育まれ、伝達することが可能な技能で あり、またそれと不可分な対人関係的能力などの総称のことをさす。

しかしながら、現場力の多くは、その当事者の中に身体化され、本人が気付かないものとして、しば しば表現される。ウィリアム・ジェイムズ(William James)の次のことばは、現場力の当人にとっての「非自覚性」を見事に表現している。

現場力は、現場にある物理的な力だけでも、個人に備わる能力だけでもない。その両方 の性質を有するものである。言い換えると、現場力は、現場にあるのでも、個人にあるのではなく、現場と個人がマッチした場に現れる、つまり現場と個人の間 の場に生み出される、人間の具体的な技能ないしは具体的な能力のことである。

現場力が観察できる場と条件とは次のようなものである。(括弧内)はその条件の抽象的属性をさ す。

従って、人がある具体的な現場力について言及しようとする時には、上記の場と条件に関する記述が 不可欠となる。

現場力は、現場で働く人の意識や行動を通して理解されることもあるし(=現場力理解の受動性)、 その場に居合わせた観察者が理解することもある(=現場力理解の能動性)。

他方、当事者には認識されていないが、観察者が発見できる可能性がある。その場合には上記の現場 力の場と条件に関する要素に着目すれば、現場力についての大まかな説明を得られることができる。(「大まかな説明が得られる」とは、その具体的な現場力 を、その現場にいない人が記述や解釈を通して理解することができるという意味である)。

人間の技能や能力のひとつである「現場力」を、あえてこのような記述概念をもって説明しないとな らない理由は次のとおりである。つまり、

以下、この3つの観点について説明してみよう。

【1】現場力の非所有的性格

【2】現場力の伝達可能性(→現場力はよくノンバーバルコミュニケーションと錯認されるが、実際 は、バーバルとノンバーバルとの混成コミュニケーションである)

【3】社会的な概念としての現場力

したがって、現場力を研究する研究は、次のような分野の横断的な協力がなければならないだろう。

心理学、認知科学、哲学、社会学、文化 人類学、生物学、経営学、医学、看護学、福祉学、コミュニケーション科学、インターフェイス人文学などである。

なお、現場力(げんばりょく)は日本語の語感が不可欠な文化的に特異的な概念(local knowledge)である。したがって、英語に翻訳する場合は、Genba-Ryoku と呼ぶしか、現時点では説明できない概念である。もし、上記のことが文化の相違を超えて人間一般に通用する技能や能力であると仮定すると、その翻訳は、 (1)そこに参与する(in practice)人たちを(2)力づける(empower)もの、つまり(3)技能(faculty)的なるものであるということが記されなければなら ない。[→ハーバート・サイモン(1999)のいうところの「パターン認識」 と現場力には何らかの関係があるかもしれない]

現場力をデザイン力という観点から問い直せばどうなるだろうか? ドナルド・A・ノーマンは、デ ザインの手順が複雑化することに対して、7つの対応策を提案している(その中の3番目はいわゆる「見える化」である)。日本の経営学者たちの理論的センス のまったくないアドバイスに比べてはるかに、現場的センスがすぐれていないだろうか? 私たちは大いに恥じなければならない。[→「CO*-DESIGN 用語集」]

見える化とは、現場で触知できないこともふくめて図の形で示してやることである。下記は、NASA が作った国際宇宙ステーション(ISS)の衝突リスクの分布(青[low]←→赤 [high])を見事に「見える化」して表現している——宇宙船の中で居住するものにはこれはわかりにくいので、居住区と作業区などを内部の色分けが必要 になる。

★結論:現場力は見える化(みえるか)できる

また、上記の説明において、技能を所有するという観点や説明を弱めて、コミュニケーション・メッ セージそのものないしは、それに与る能力という観点から考えると現場力によって力づけられるのは、他者のみならず自分じしんであるので、力づけるという他 動詞がもつ行為を、自動詞ないしは再帰動詞のように自分に自身にも振り向けるという意味で、力づける[力づけられる]ことの感受性 (sensibility)も現場力に含まれよう。それらを総合すると、現時点での「現場力」の[文化特異的な]翻訳としては、Genba-ryoku, empowerment faculty and sensibility in practice、あるいはempower in situ, situated empowerment process ということに落ち着く。

現場(Genba)+力(ryoku):Genba-ryoku, empowerment faculty and sensibility in practice; empower in situ, situated empowerment process. なお人によっては「げんばりき」と読ませる向きもありますが、これは耳で聞いたときに、日本語を母語とする人以外には 混乱をまねくので、ここでは「げんばりき」とは発音せず、「げんばりょく」と読ませます。


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[著者紹介 author]池田光穂(大阪大学名 誉教授)

中央アメリカ地域をフィールドにする文化人類学(とくに医療人類学)が専門です。

国際保健医療協力のボランティアとしての活動経験から、多元的医療体系についての文化人類学的 理解について長年研究をしてきました。保健医療協力の現場は、異文化を含めたさまざまな社会的背景をもった人たちとの交渉が欠かせません。そのため臨床コ ミュニケーションプロジェクトの活動メンバーであると同時にそのマネージメントの仕事をしています。研究関心はどんどん広がってゆくほうがよいというのが 私のモットーです。最近は「現場力」に関する理論的考察や、中央アメリカの先住民族の人たちの文化的アイデンティティと国民国家の関係、資本主義経済システムの土着的展開、さらには生物医学の研究室の民族誌方法論の開発も手がけ ています。一見難しそうな研究テーマですが、論理立ててみると現代社会の諸問題に取り組まれている他の研究と多くの共通点が見つかります。



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