参加の概念
さんかのがいねん, the concept of participation
「報道であれ、広告であれ、高尚な芸術であれ、現代の コミュニケーションの傾向は、概念の理解よりも、過程に参加する方向に向かっている」。 (p.86)マクルーハンとジングローン編『エッセンシャル・マクルーハン』有馬哲夫訳、NTT 出版、2007年
参加(participation)とは、学習者が実践を生成する過程であると同時に実践共同体に関わる環境の変化についての過程のことである。したがって、参加
は、学習者の技能と知識の変化、周りの外部環境との学
習者との関係の変化、学習者自身の自己理解(内部環境)の変化から分析される。——池田光穂(1999)出典:「実践共同体・基礎用語・定義集」
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現場力研究において「参加」は重要な概念のひとつである。参加と聞くと、ふつうはレイブとウェンガーが提唱した「正統的周辺参加」の理論が気がかりになる。しかし、参加は日常語であり、その理論に呪縛される必 要はない。ここで私は、参加を次の3つの視点から考えてみよう。すなわち(1)参加の様態、(2)参加がもつ強度、(3)参加による効果、である。
まず参加の様態を明確にしよう。「お前は参加していない」という先輩(上司や教授)の叱責に後輩(部下や院生)が反発するように、ある社会活動 に参加しているとしても「何をもって参加しているのか」という意識は、参与者のあいだで多様な広がりをもつ。それは後輩の反発を受けた先輩が言う「君たち は意見を言うだけで活動に関わっていない」という反論が空虚に感じられるように、言葉をもって正確に表現することも難しい。にも関わらず、参与者たちが置 かれた状況(つまり現場)に即して、何をもって参加とみなすのかという点を明確にしなければ、議論は焦点をもたず迷子になってしまう。
実践共
同体における参加の概念
次に着目すべきは、参加がもつ強度(つよさ)である。もちろん、それはさまざまな社会活動を数値化したりやチェックポイントの個数で計測するこ とではない。参加の様態に関して、参与者たちが先の定義に一定の合意を示したならば、「はたしてどういうことが〈よく〉参加していると言えるのだろうか」 という議論が必要になろう。参加してからの時間経過、参与者間の関わりあい、本人および他人の評価、分業の有無、参加の場にみられる権力関係など、さまざ まな要素が、「参加の強度」に関連づけられて説明されることに気づくはずである。
最後は、参加による効果である。人が集団で活動している時には、その活動の理由が参与者によって充分に自覚され明確に語られる場合がある。他方 で、他者の眼からみると十全に参加している人じしんが「私は十分に参加していない」と表明して周囲の人が驚くことがある。つまり参加の効果をめぐり、その 評価に個人差があるということだ。しかし参加を通して、人は何らかの変化、つまり参加の効果を感じているのも確かである。参加による効果も、集団全体に対 してと、参与者個々人に対しては、それぞれ異なる場合もある。活動の時間軸の長短や周期性をみて、変化があるかどうかも、参加の効果を説明する重要な観点 になる。
現代生活において参加の重要性が叫ばれて久しい。しかし、参加の基本的な定義と、参加概念が我々の日常生活にもたらすものについて、上のように
自問すれば明らかなように、我々は必ずしも「参加」の意識を明確にもって行動しているわけではない。現場から「参加」を問い直すこととは、参与者が自分じ
しんで、ないしは対話を通して集団で、その都度、それらの問題に解答を与えていく行為である。そう考えると「参加」の概念の自己再帰的な検討は、まさに現場力の源泉であるとも言える。
現場における「参加」が、これまでの人文社会学においてどのように研究されてきたかについては、拙稿(池田光穂)の「参加の理論」を参照してください。
● トランスメディア主義が「参加の概念」を根本的に変える!
トランスメディア主義(transmedia project)が「参加の概念(concept of participation)」とコミュニケーション(human communication)を根本的に変える! ヘンリー・ジェンキンスのフリップを見てみよう!(約6分)
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