バイオグラフィー研究
On biographic
Studies
Bernard of Cluny (or, of Morlaix or Morlay) was a twelfth-century
French Benedictine monk, best known as the author of De contemptu mundi (On
Contempt for the World), a long verse satire in Latin.
バイオグラフィー(biography) は、バイオとも呼ばれ、ある人(第三者)の人生について書かれたものである。なお、バイオグラフィーは、日本語の伝記(DEN-KI)に完全に対応する名 詞ではない。中国では伝(zhuan)は儒教の六経に対する注釈書であるが、通常は「伝XX」と書き、それによる伝えである意味の接頭語になる。自分自身 (一人称)のバイオグラフィーは、オートバイオグラフィー(Autobiography)とい うが、その対応訳語は自伝とほぼ合致する。
以下の記述は、ウィキペディア(英語の)当該記事 "biography"を基にしたもの である。
バイオグラフィーは、個人のプロフィールや履歴( curriculum vitae, résumé)と異なり、その人の家系の来歴、誕生から死まで、場合によっては、その人が後世にもたらしたものについても書かれる、歴史編年的な色彩のつ よいものである。
バイオグラフィーは、ノンフィクションのジャンルとされるが、憶測や推論、ないしは間接的証 拠や証言によるものは、フィクションにおいても可能である。ウンベルト・エーコ『薔薇の名前(Il nome della rosa)』架空の 人物のバイオグラフィーはフィクションに属するが、そのスタイルは、主人公が、登場人物を、不可解な殺人事件の舞台になる修道院の文脈の中から、そして、 読者には、その歴史的事実(=史実)に関連づけて描写している。
西洋のバイオグラフィーには、「オーソライズされた バイオグラフィー(authorized biography)」という表現があり、これはバイオグラフィーの本人や遺族などが「正統なもの」として承認されたものである。日本ではあれば政府が公 認した「国史のようなもの」がそれに相当するが、政府という主体をどこに求めるのかという意味で、オーソライズド・ステーツ・ヒストリーと「国史」はまた 異なる。自分自身(一人称)のバイオグラフィーは、オートバイオグラフィーと先に表現したが、その嚆矢は西洋では聖アウグスティヌスに遡る。オートバイオ グラフィーは通常一人称で書かれるが、カエサルの『ガリア戦記』のように、著者が自分が歴戦した記述の登場人物を一 人称ではなく三人称で記載するようなスタイルもある。また、一人称で書かれたバイオグラフィーも、ゴーストライター(著者として現れない匿名の作者)が書 くものがあったり、最近の傾向であるが、共著や、自著なのだが誰それの協力という表記とされるバイオグラフィーもあり、書かれる人物が実在する場合のバイ オグラフィーは、版に記述が変化したり加筆修正されることがある。
Third Volume of a 1727 edition
of Plutarch's Lives of the Noble Greeks and Romans printed by Jacob
Tonson |
Einhard as scribe |
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John Foxe's The Book of Martyrs,
was one of the earliest English-language biographies. |
James Boswell wrote what many
consider to be the first modern biography, The Life of Samuel Johnson,
in 1791. |
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Eminent Victorians set the
standard for 20th century biographical writing, when it was published
in 1918. |
Saint Augustine of Hippo wrote
Confessions, the first Western autobiography ever written, around 400.
Portrait by Philippe de Champaigne, 17th century. |
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横幅500ピクセル |
Interview UMBERTO ECO - DERRIÈRE LES PORTES
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