かならずよんで ね!

情動と理性

Emotion and Rationality

池田光穂

☆——情動は、それ自身の本質を、その特定の構造を、その出現法則を、その意味をもってい る。それは人間的=現実に、外部からつけ加わるようなものではあり得まい。逆に、人間自身が己れの情動をひき受けるのであり、したがって情動とは、人間的 実存の有機的な一形態なのである——ジャン=ポール・サルトル [1939] 3)[→情動の文化理論

☆——感情とは、そのために身体の作用力が増したり減ったり、促進されたり妨害されたりする 身体の変容、およびこの変容の観念のことであると私は理解する—— バールーフ・デ・スピノザ[1675][→情動の文化理論

☆——満足あるいは嫌悪のさまざまな感じは、それらを引き起こす外的事物の性質よりも、それ によって快や不快を感じさせられる各人に固有の感情にもとづいてい る。そのため、他の人が嘔き気を催すものに、ある人は歓びを覚え、恋の激情はしばしば誰にとっても謎であり、あるいはまた、他方の人にはまったくどうでも よいことに、一方の人は強い反感をおぼえる、といったことが起る——イマヌエル・カン ト[1764]2)[→情動の文化理論

★このページでは、情動理性、とりわけ、情動(すなわち感情)はどれだけ理性を裏打ちするのか?また、それ に関する、(既存の)神経科学あるいは認知科学的知見は、これまでの西洋哲学の知的伝統をどれだけ裏打ちするのか?について検証する。


・情動と理性の関係は、古代から人を悩まして きた。

・ストア派によると、人にある種の感情が起こることは、その本人に害ま たは益があることと関係しており、また、その判断であると考えた。

・アントニオ・ダマシオ以前から、感情と判断に何らかの関係をもち、そ の判断には、理性的ないしは合理的メカニズムがあるのではないかと考えてきたのである。

・進化論では、情動は、理性よりも、原始的なものだとして決めつけられ てきた。そのため、理性よりも情動が優先するのは未開人(=今日先住民と呼ばれる人)や動物なのだといわれる偏見が、多くの人たちにも認められる。

・情動は直感的なもので、心に位置して、すぐに表出するものだと見なさ れる一方で、理性的判断は、計算づくで多少なりとも脳のなかでじっくり考えられるものだという、二項対立図式を人々はもっている。
・情動には、恐怖、怒り、喜び、プライド、悲しみ、嫌悪、恥、軽蔑などがあり、それらは理性的判断を邪魔をするものだと考えられている。

・ 経済学者は、人間をホモ・エコノミックス(経済的人間)とみなして、合理的かつ功利的判断をするものであり、また、経済活動をそのように位置づけなければ ならないという使命をもってきた。それゆえ、経済において情動について考えることはなく、むしろ、意図的に無視を続けてきた形跡がある。行動経済学の誕生 以降、情動がもたらす判断と合理的判断の間を架橋しようとする試みがようやくはじまっている。

・情動(=感情)は理性的判断を邪魔をするものだと考えられているにも 関わらず、合理的判断を裏付けるものだという信念が、現代社会にまったくないとは言えない。
・好きとか嫌いとかいう直観的判断が、自分の未来にとって有益なものに結びつくことがあり、また、人々はそのような直観に素直に従うべきだという世間的知 恵の価値が失われることはない。また、不道徳なものに出会った時の「嫌悪」の情動は、それを避けようとする点で、否定的な破断につながり、機能的には、 (結果的であるが)合目的であることが多い。

・情動には、理性からみて、役に立たない面があると同時に、情動な理性 的判断に貢献していることもある。
・それゆえ、(1)理性よりも情動の価値が重要(=情動主役説)、(2)情動は理性的判断を裏打ちする重要な心的メカニズム(=情動の支援仮説)、そして (3)理性があくまでも主なのだが情動的判断が時には役に立つことがある(=情動の補助仮説)の3つの位置づけがあるように思われる。

・高等動物になるつれて、情動を他の個体につたえるコミュニケーション 能力が発達することはダーウィンが指摘し、情動は先天的能力であるが、同時に後天的な学習することもダーウィンは指摘している。
・ここでのダーウィンの関心は、情動(感情)と情動表現(感情表現)を霊長類とりわけ人間が身につけていることは、なんらかの社会性の発生と関係している と考えているようだ。

・ 進化心理学者もまた、ダーウィンの主張を反復する傾向にある。情動の多様性とは、進化的適応の結果であると考え、そのような情動の多様性がうまれたのは、 人間が子孫をより多く繁殖させる(=生殖の成功を最大化させる)ことと関係している、あるいはそのように「設計」されていると考える傾向にあるようだ。

・そこで進化心理学者の間では、そのような情動のレパートリーと進化的 意味を発見するゲームに邁進することになる。たとえば、蛇や蜘蛛をみて、ギャッと恐怖心を抱く感情(=バイオフォビアという)は有害な生物を忌避して、安 全な方向に逃げることに役立つと考えるのである。逆に水のせせらぎや大自然をみて感動する(=バイオフィリアという)のは、ストレスを回避して、自分の気 持ちをリフレッシュするために合目的な行動だと「解釈」するのである。
・また神経生理学者や認知科学者たちは、脳にそのような複数の情報処理の回路があると、そのような「解釈」を裏打ちする。すなわち、蛇を見た時に、恐怖で 仰け反るのは、視床から扁桃体への素早い反応がおこり、今度はもう一つものは、前頭前野において「蛇だ回避しよう」という多少なりとも時間のかかる(と 言ってもミリ秒単位)理性的判断で、これらの2つの回路は、生物学的には合目的なものになる。
https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rstb.2009.0194

ソマティック・マーカー仮説と は、神経学者アントニオ・ダマシオ(1994, 2005)が主張する説で、外部からある情報を得ることで呼び起こされる身体的 感情(心臓がドキドキしたり、口が渇いたりする)が、前頭葉の腹内側部に影響を与えて「よい/わるい」という ふるいをかけて、意思決定を効率的にするのではないかという仮説。この仮説にしたがうと、理性的判断には感情 を排して取り組むべきだという従来の「常識」に反して、理性的判断に感情的要素はむしろ効率的に働くことになる(→「ソマティック・マーカー仮説」)。


「理性とは、物事を意識的に理解し、論理を適用し、新しい情報や既存の 情報に基づいて慣習や制度、信念を適応させたり正当化したりする能力のことである。 哲学、科学、言語、数学、芸術など、人間の特徴的な活動と密接に関連しており、通常、人間の持つ特徴的な能力であると考えられている[理性は合理性と呼ば れることもある]。」(→理性の定義
「合 理性とは、理性的であること、つまり理性に基づ いていること、理性にかなうことである。合理性とは、自分の信念が自分の信じる理由と一致していること、自分の行動が自分の行動の理由と一致していること を意味する。「合理性」は、哲学、経済学、社会学、心理学、進化生物学、ゲーム理論、政治学などにおいて、さまざまな専門的意味を持つ。」(→理性の定義
「解 釈学的循環(ドイツ語: hermeneutischer Zirkel)とは、テキストを解釈学的に理解するプロセスを表す。これは、テキスト全体に対する理解は個々の部分を参照することによって確立され、個々 の部分に対する理解は全体を参照することによって確立されるという考え方を指す。テキスト全体も個々の部分も、互いに参照することなしに理解することはで きない。しかし、この循環的な解釈の特性は、テキストを解釈することを不可能にするものではなく、むしろ、テキストの意味はその文化的、歴史的、文学的文 脈の中で見出されなければならないことを強調するものである。」(→理性の定義

★情動が理性を狂わす典型例は、恋愛である。以下のカトゥルス(Gaius Valerius Catullus)の詩句を思い起こされたい

“Misero quod omneis Eripit sensus mihi: nam simul te, Lesbia, aspexi, nihil est super mi, Quod loquar amens. Lingua sed torpet: tenuis sub artus Flamma dimanat; sonitu suopte Tintinant aures; gemina teguntur Lumina nocte.”

[“Love deprives me of all my faculties: Lesbia, when once in thy presence, I have not left the power to tell my distracting passion: my tongue becomes torpid; a subtle flame creeps through my veins; my ears tingle in deafness; my eyes are veiled with darkness.” Catullus, Epig. li. 5]

「恋はあわれな私からすべての感覚を奪った。なぜなら、レスビアよ、私はお前に会うと、とたんに理性を失い、言うべき言葉も知らず、舌はもつれ、えも言われぬ火が五体に拡がり、耳は鳴り、眼は闇に閉ざされるからだ」——カトルス(3:5)

出典:Catullus, et in eum commentarius M. Antonii Mureti, 1554.

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