かならずよんで ね!

「骨集めが沖縄との縁:月の夜に墓地あさり:貴重になったアルバム」

私と沖縄(42)——沖縄タイムス1957年12月18日(夕刊)琉球学集説(天野鉄夫新聞切抜帳 8, 県立図書館K/07/43/8)より

1953年ごろの金関丈夫(九州大学医学部解剖学 教室の研究室)出典:(金関恕 1999:49)

私と沖縄(42)——沖縄タイムス1957年12月18日(夕刊)琉球学集説(天野鉄夫新聞切抜帳 8, 県立図書館K/07/43/8)——解説:池田光穂

「骨集めが沖縄との縁:月の夜に墓地あさり:貴重になったアルバム」(改行は池田による)

人類学の金関丈夫(かなぜき[ママ]・たけお)氏 も、沖縄との関係はふるい。

昭和四年の暮から五年にかけて「骨を集めにいった」のが琉球とのゆかりをつくった初めという。

平和な時代だから、戦後の遺骨収 集とイミがちがう。運天のホラ穴や各地の無縁仏を七、八十体あつめ、帰って”琉球人の人類学的研究”という論文を書き、博士になった。

氏が京大解剖学部助 手(ママ)のときで昭和五年のこと。「私の先生足達文郎(ママ)教授が琉球人の研究をしていた。東大の人類学教室に与那国から集めた骨があったが、数が少なく、鳥居龍蔵さんの本に運天には骨がたくさんあると書かれていたので、もっと集めてこいと沖縄いきを命じられたどこの人もそうだが、祖先崇拝の念が強い沖縄では、とくに墓のものをさわったり、骨をひろったり集めたりするのをイミきらっ、これが金関氏をこまらせた

い ままでこそ泊港はにぎやかだが、当時の泊はさびしい河岸だった。アカテバルというところに行路病人を埋葬した墓地があった。ちょうどいい、この骨をくださ いと那覇署に願いでた。警察はびっくりして、あるだけの書類や法規をひっくりかえしたが、先例がないと断られた。それでもぜひとたのんだ。署長が割にもの のわかった人で許してくれたが、こんどは掘りだすのに困った。人夫はこわがって手伝ってくれない。日が暮れた。幸い月の夜のだったが、人の気のない墓地に ひとりだ。掘って荷造りがまたひと仕事。夜なべで一つひとつ箱づめにし、人の通るところまで運んだ。荷車を借り、通りがかりの中学生をたのんで押しても らった。中身をいうと逃げだすので、わからないようにしていた」ストーブのはいった金関教授の個室だが背筋が冷たくなる話ぶりだった。

散歩や出歩くたびにバラバラの骨を集め旅館の床の間にある隠しにしまっていたが、掃除に来た女中がそこをあけキャーッと叫んだこともあった。荷造りの骨は宿のかたすみに積んでおいたが、中身をいうと追出されるのはきまっているから、ここでもだまっていた」苦労した話は沢山ある。

いくまえに伊波普ゆう[ママ]さんから名護の島袋源七郎[ママ]さんあ て紹介状をもらっていた。島袋さんは学校の先生をしていたが運天へいっしょにいってもらった。途中の道ばたに石棺がありフタをあけようとすると”中にハブ がはいっているかもしれない。あぶないから”とどめられた。誰かがいっしょにいくと、あすこはなんだ、ここはなにかある、とどめられ、ぜんぜん骨が集まら ない、しかたないので、あとはひとりで集めることにした案内してもらうのはありがたいがかんじんの骨が集まらないのに弱ったという。

「私は元来、踊りが好きでね。骨集めのあいまに芝居をみていた。当時儀保松男と いう俳優がいたが美男子で女連中は彼が出るとボーッとするくらいだった。私も彼が好きで友だちになり辻へもいったこともある。彼の出る組踊りは、台本から そこだけ写して覚えるほど熱を入れていた。彼は映画俳優になりたがって捕手でもいいから、なんとかならんだろうか、と相談されたこともあったが大いにいま しめたものだ」そうだねもうひとついいことをした思い出がある。

それは「あちこち写 真をとったが、どうしても顔写真をとらしてくれない。沖縄の人は写真をとるのをきらっていた。写真屋のやきこそないで捨てるのを集めることにした。那覇と 名護の写真屋を回った。部厚いアルバムにして、これを台湾へもっていった。戦争で沖縄は家財を焼かれた。川平朝申さんが、この写真をみて、あの人も知って いる。この人も知っている。ぜひほしいというのでぜんぶあげた。川平さんが持って帰りずいぶん喜ばれたようだ」おわりに資金さえあれば、す ぐにいまでも、また沖縄へ行きたいとこう話した。

「さきおと年の四月から五月にかけて日本学術会議の南方文化総合的研究の一環として波照間の調査をした。 与那国は台湾時代に調べた。昭和三十年と三十一年はやはり日本学術会議の奄美群島九学会連合調査で与論、沖永良部、喜界島を調べた。戦前、海南島、フィリ ピン、台湾を調べているので、だいたい山口ー九州を経て琉球列島ー台湾ーフィリピンと、南の関連を調査したことになる。だが、まだまだ沖縄にも残された問 題が多い。九大がこんど学術探検学会をつくった。手始めに八重山の調査をしようと計画している。資金ができしだい、いこうと思う。

香川県出身、六十歳。写 真は沖縄のジージガーミ、八重山のテイピクを飾った個室(九大解剖学教室内)で語る金関教授」


ジーシガーミ(厨子甕)東京国立博物館蔵:https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/547543

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