はじめに よんでください

琉球人遺骨返還運動と文化人類学者の反省

Reflection of a cultural anthropologist on repatoriation activism by Ryukyuan Indigenous People at Autumn of 2020.

第4回琉球人遺骨問題を考える対話シ ンポジウム『ちゃーなとーが!学術の責務 -返還による植民地主義的関係の修復―』(zoom映像版) 2021.09.

池田光穂

キーワード:琉球民族遺骨返還請求訴訟、倫理的・法 的・社会的連累、研究倫理、後ろめたさ

1. はじめに

2018年12月に京都地裁に提訴された、いわゆる 琉球民族遺骨返還請求訴訟に関心をもち、そのおよそ2019年夏以降私は、その心情的な支援者になった。昨年11月のバンクーバーでのアメリカ人類学連合 大会では、本シンポジウムでもご一緒している、太田好信さん、瀬口典子さんが主宰する学会の分科会の発表者として、琉球とアイヌへの遺骨の返還にまつわる 研究倫理の問題について論じた。また本年2020年4月からは日本学術振興会科学研究費補助金・基盤(A)「先住民族研 究形成に向けた人類学と批判的社会 運動を連携する理論の構築」研究代表者・太田好信九州大学名誉教授のもとで、原告団団長の松島泰勝さんと私はともに共同研究者になるという研究仲 間であり かつ連累(implication)関係になった。この発表では自分の専門分野である文化人類学あるいはその下位領域である医療人類学の一研究者として、 研究史のなかで、自分がもつ学問の来歴と、この遺骨返還請求訴訟が私たち文化人類学徒に投げかける研究倫理上の反省——倫理的・法的・社会的連累 (Ethnical, Legal and Social Implications, ELSI)——について考える。

2. 倫理的・法的・社会的連累という不思議なスローガンの社会的効用

エルシー(ELSI)とは、倫理的・法的・社会的連 累(=含意、インプリケーション)/事象=イシューの頭文字表現(アクロニム)である。なお、インプリケーションを連累 と訳すのはテッサ・モーリス=スズキ氏に倣っている(2013:65-66)。これは、従来の研究倫理の枠組みを拡張して、理工系・医歯薬保健系、人文社 会系を問わず、あらゆる研究者がエルシーに関わっていることを自覚を促す社会的試みのひとつである。この言葉と概念の起源は古く、1988年にヒューマ ン・ゲノム・プロジェクト(HGP)が始まったときに、遺伝学者でHGPのジェームズ・ワトソン(James Watson, 1928- )がプレスコンファレンスで突如として述べたものである。そのため、HGPを扱うNIH——現在はその下位部局である国立ヒューマンゲノム研究所 (NHGRI)が管轄——は急遽そのような体制を整備したと言われている(Cook-Deegan 1995)。

エルシー(ELSI)の重要性は、この用語を乱暴に 振り回して研究費や活動経費を取得するということにあるのではなく、そのような破廉恥な行為そのものが、エルシー(ELSI)という理念に反するものであ ることを自覚することにある。ワトソンのELSI提案の際に法律家として関わったローリー・アンドルーズは、その著書『ヒト・クローン無法地帯』(紀伊國 屋書店、2000)において、ワトソンが後年になって「私(=ワトソン)は,討論ばかりしていて実際には何も行動を起こさない監視団を望んでいた」と吐露 したという。私(=池田)は研究費を取得するための受け皿としてのELSI研究が「破廉恥な行為」であり「エルシー(ELSI)という理念に反する」と主 張したが、日本では、ワトソンがかつて望んでいたように「討論ばかりしていて実際には何も行動を起こさない監視団」が、遺骨返還請求訴訟などを題材とし て、その意義を適切に討論することに切り返し、実用的にも研究倫理的にも妥当な新たな解釈を提案することで、科学者集団がELSIを「うまく飼いならせな い」どころか、科学を悪用する邪悪な手をもつ科学者たちの気の緩みが(逆に)ELSIという概念が隠し持つ正義の牙に、その手を噛まれてしまうことすらあ るのではないかと考えるものである。

3. 文化人類学者が自然人類学という「学問の暴力」に背を向ける理由

19世紀初頭における骨相学 (phrenology)の隆盛、さらに、1859年のダーウィン『種の起源』やその前後における人類学会の創設、さらには、進化主義人類学の誕生は、世 界の「未開人」の人骨収集とその研究に拍車をかけることになった。『種の起源』公刊後から6年目にマドリードで人類学協会が設立されたその年に、北海道函 館での英国人アイヌ墳墓盗掘事件が起こっている(植木 2017:6-22)。日本の人類学会の創設は東京大学の学生坪井正五郎による実質的アマチュアの同好研究会として1884年から始まると言われる。その 4年後には、日本の自然人類学の実質的な創設者である小金井良精が二ヶ月弱にわたる北海道人骨収集旅行にでかけアイヌ人骨を少なくとも166体の盗骨と副 葬品を持ち去った。この年に、American Anthropologistが創刊され、米国の文化人類学の父、フランツ・ボアズがようやく定職に就いた。

1945年の敗戦前には「人類学」は、今日の自然人 類学、解剖学、生物学、博物学、人文地理学、民俗学、民族学(後の文化人類学)などがボーダレスに入り混じった学問領域だった。頭骨研究は計量的研究が徐 々に洗練されてきて、いわゆる科学化を遂げるが、その研究スタイルの嚆矢になったのが膨大な私設コレクションをもとに科学化を実行した京都帝国大学教授の 清野謙次(1885-1955)である。清野謙次はのちに、琉球や奄美大島でやはり集中的に人骨を収集することになる、三宅宗悦(1905-1944)や 金関丈夫(1897-1983)の実質的指導者である。

1945年の敗戦後に、占領政策の一環として軍事的 インテリジェンスとしての戦前の民族学的伝統が批判され、アメリカ合衆国流の四分類人類学が東京大学を中心に日本に導入される。四分類人類学は総合人類学 と呼ばれ、戦前の日本のボーダレス混交傾向になりがちな人類学を、(1)先史考古学、(2)言語人類学、(3)自然人類学あるいは生物人類学、そして (4)文化人類学(民族学、社会人類学)の4つの柱に分類して、それぞれの領域の基礎を学ぶと同時に、関連性を持たせながらも、1つないしは2つのの分野 を深掘りするという教育システムをもたせたものである。

そのような中で、隣接分野の自然人類学の研究者たち が、当時はまだ存在しなかったインフォームド・コンセント抜きに、そして、盗掘まがいに、さらには違法性や常人の嫌悪を認識しながらも「情熱をもって」人 骨の収集に励んだことは、当時の文化人類学者たちも認識していたはずである。文化人類学者もまた、人類文化についてのさまざまな「謎」——それは文化人類 学者たちが研究調査を正当化するために勝手につくりあげたパラダイム上の問題でもあった——に取り組んでおり、調査される者を踏み台にして、同業者の間で 功名を争っていたからである。和人の大学者よりも夭折や先に逝ってしまったアイヌ文学者や言語人類学者たちに恨まれているような気になるのは私だけであろ うか?

文化人類学者————少なくとも私には————が自 然人類学者の被調査者に対する「過去の犯罪」の糾弾に声高に踏み込めないのは、文化人類学のかつての学問的活動にも、ELSI的瑕疵を感じているからでは ないか。あるいは、かつての同業者に対して叱責をするのなら、まず自分たちの歴史的反省を踏まえた上でだろうという時間稼ぎのための「矜持」というものが あるかもしれない。それが不道徳な「沈黙」であることは言うまでもない。そのような「沈黙」を躊躇することなく恥じて、語り始めねばならないと私は思う。

4. 琉球人遺骨返還運動の研究を通して見えてきたもの

訴訟運動を理解するために私はいくつかのインター ネットのウェブページを作ってきた。例えば「金関丈夫と琉球の人骨につ いて」「琉球遺骨返還運動にみる倫理的・法的・社会的連累」 「遺骨や副葬品を取り戻 しつつある先住民のための試論」「霊性と物質性:アイヌと琉球の遺骨副葬 品返還運動から」「篠田謙一博士の〈研究ために人骨資料が必要〉という修辞の分 析」「琉球コロニアリズム」などである。このようなページ は、琉球のみならず、研究倫理とアイヌ遺骨というテーマで、この数年間の私の研究の関心の反映で もある。後者のテーマについては、「アイヌ遺骨等返還の手続きについて考えるページ」 「個人が特定されないアイヌ遺骨等の地域返還手続きに関するガ イドラ イン(案)」「先住民遺骨副葬品返還の研究倫 理」「アイヌ遺骨等返還の研究倫理」「遺骨は自らの帰還を訴えることができるのか?」「アイヌとシサムための 文化略奪史入門」「遺骨はすべからく返還すべし」などがある。

このような作業を通して、いくつかのことが見えてき た。まず、人類が長い間に培ってきた、頭骨にもつ複雑な宗教的あるいは物神崇拝(フェティシズム)の驚きべき多様性と複雑さ。それは首刈り習俗から今日の 犯罪集団における見せしめの首級まで。マルセル・モースとアンリ・ウベールの『呪術の一般理論の素描』の中に、科学になりそこなった科学という表現がある が、宗教的感情も含めて呪術がもつ頭骨や遺骨に関する複雑な感情は、今日の自然人類学が人類進化を探るために頭骨の計測やDNAの採取が必要だと固執する 科学の頭骨をみる見方のなんと狭量で平板なことか。単に「ある遺伝情報を引き出すための物質」にまでその価値が下落されている。

遺骨を民族の霊が休む場所に戻してあげることを尊重 するために努力したい気持ちと、自分の親族の遺骨など(酷く毀損されない限りは)どうなっても構わないという極端な唯物論者というもうひとつの私の共存。 私が前者を擁護するためのレトリック(修辞)は、自然人類学者に向かって「君の肉親の遺体が目の前に実験や研究のために提示された時に、君にはそれに耐え ることができるのか?」という言上げである。だが、これも訴訟原告の人たちに確信犯とされている金関丈夫の親子孫の頭骨の写真に『人類学雑誌』誌上におい て、そのpdf画像を眺める時に「どうぞ研究してください」という科学の「真理」のために、血も涙もないのではないかと思われる極端な唯物論者の自分の姿 を見ているような錯覚を覚える————私のHP「金関丈夫と琉球の人骨 について」で見ることができるのでググってください。

さらに遺骨の収集の物語といえば、私にとっては、次 の3冊の興味ふかい書物が思い起こされる。北海道での過酷な強制労働の中で亡くなった旧植民地の中国や朝鮮の労働者たちを発掘する浄土真宗の僧侶である殿 平善彦さんの『遺骨:語りかける命の痕跡』かもがわ出版(2013)。沖縄で遺骨発掘のボランティアとして関わり、琉球の戦場で亡くなっていったすべての 人の最期をみとどける使命感に取り憑かれた具志堅隆松さんの『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ:サトウキビの島は戦場だった』合同出版 (2012)。そして、戦没者の遺骨収集に専門の自然人類学者として数多く参加し、その「終わらない戦後」の体験を記録しつづけた、昨年急逝した楢崎修一 郎さんの『骨が語る兵士の最期:太平洋戦争・戦没者遺骨収集の真実』筑摩書房(2018)。この3冊の読書の思い出に還るたびに、遺骨などどうなっても構 わないはずの唯物論者の私が、自分の骨も含めて形ある限り遺された生者と「語りつづける権利」が死者の側にあるだろうと改めて確信するのである。

5. おわりに

このようにみると遺骨返還訴訟は、遺骨を研究材料に する科学研究の倫理的・法的・社会的連累に関わる問題を徹頭徹尾議論し尽くする現場であるが、そのことが実現した(=訴訟が成功した)暁には、かならず、 それに加えて歴史的でかつ倫理的な「霊的な連累」がその次の課題として浮上することだろう。その時こそ、遺骨の収集に関わる上の三冊につづく第四作目が書 かれることであろう。

クレジット 日本平和学会2020年度秋季研究大会, 2020年11月8日

●あとがき:2021年6月にDennis Normileさ んから松島泰勝さんと共に取材をうけて、以下のような報道が「サイエンス」誌上で報道されました。

Okinawans seek return of forebears’ remains, collected decades ago for research

"..(...)...The plaintiffs say Kyoto University rebuffed requests to discuss the issue, so in 2018 they took the matter to court. The case is slowly making its way through the legal system, further delayed by the pandemic. To put pressure on the university, last month the plaintiffs pleaded for international support at a briefing for foreign correspondents in Japan. Holding the remains violates the constitutional right to freedom of religion, because the Okinawans don’t have the opportunity to venerate their ancestors, says Yasukatsu Matsushima, an economist at Ryukoku University who is one of the plaintiffs. He adds that the United Nations Declaration on the Rights of Indigenous Peoples calls for the repatriation of indigenous human remains. The bones taken from one of the sites, the Momojyana tomb, are believed to include those of members of the royal family of the Ryukyu Kingdom, which was based on Okinawa Island. Japan absorbed the kingdom into its empire in 1872 and dissolved it 7 years later...(...)...Whatever their origin, those early inhabitants were joined by later waves of migrants crossing into western Japan from the Korean Peninsula. It was long believed that the intermingling of these groups produced a distinctive, homogeneous Japanese population. However, recent DNA studies suggest “there is huge [genetic] diversity among Japanese,” says Mitzuho Ikeda, a cultural anthropologist at Osaka University. DNA analyses of the bones could shed light on those early migration patterns, and Matsushima worries Kyoto University is keeping the bones to extract DNA for analysis. For now, however, it appears that no one is studying the remains. Tsuyoshi Tamagushiku, a descendant of the Ryukyuan royal family and a party to the lawsuit, says he was unaware the bones had been removed from the Momojyana tomb until reading news about the issue several years ago. It is still a tradition, he says, for Okinawans to make pilgrimages to the tomb. “I feel extremely angry [to know] that I had prayed in front of the tomb when there were no ancestral bones within,” Tamagushiku says. He and the other plaintiffs say Japan is out of step with the international trend of returning remains and artifacts to Indigenous groups. The Japanese government, however, does not recognize the Okinawans as Indigenous. But from a cultural anthropology point of view, “The Ryukyuans are an Indigenous people,” Ikeda says. For Tamagushiku it is more personal. He just wants “to have my ancestors rest in peace in their own proper resting place.”" - Okinawans seek return of forebears’ remains, collected decades ago for research. doi:10.1126/science.abj9792

「原告団によれば、京都大学はこの問題について話し 合うよう要請したが拒否されたため、2018年に裁判を起こしたという。この裁判は、パンデミックの影響でさらに遅れながら、ゆっくりと法制度を通して進 んでいる。京都大学に圧力をかけるため、原告側は先月、在日外国特派員向けの説明会で国際的な支援を訴えた。沖縄県民は先祖を崇拝する機会がないため、遺 骨を保管することは信教の自由に対する憲法上の権利に違反すると、原告の一人である龍谷大学の経済学者、松島泰勝氏は言う。彼は、先住民族の権利に関する 国連宣言は、先住民族の遺骨の本国送還を求めていると付け加えた。遺跡のひとつである百按司墓から持ち出された骨には、沖縄を拠点としていた琉球王国の王 族のものが含まれていると考えられている。日本は1872年に琉球王国を帝国に吸収し、その7年後に琉球王国を解体した。長い間、これらの集団の混血が、 独特で均質な日本人の集団を生み出したと信じられてきた。しかし、最近のDNA研究によれば、「日本人には大きな(遺伝的)多様性がある」ことが示唆され ている、と大阪大学の文化人類学者である池田光穂氏は言う。松島氏は、京都大学が分析用のDNAを抽出するために骨を保管していることを心配している。し かし、今のところ、この遺骨を研究している人はいないようだ。琉球王家の末裔であり、訴訟の当事者でもあるたまぐしく・つよし氏は、数年前にこの問題に関 するニュースを読むまで、百按司墓から骨が運び出されたことを知らなかったという。沖縄の人々が墓に巡礼するのは、今でも伝統的なことだと彼は言う。「墓 の中に先祖の骨はないのに、墓の前で祈ったということに)非常に憤りを感じています」とたまぐしく氏は 言う。彼と他の原告たちは、日本は先住民族に遺骨や遺品を返還するという国際的な流れから外れていると言う。しかし、日本政府は沖縄県民を先住民族とは認 めていない。しかし、文化人類学の観点から見れば、「琉球人は先住民族です」と池田氏は言う。たまぐしく氏にとってはもっと個人的なことだ。彼はただ「先 祖を自分たちのしかるべき場所で安らかに眠らせてあげたい」だけなのだ。」

リンク(日本学術振興会の科学研究費補助金への関連 性)

文献(文中で書籍名を示さなかったもの)

その他の情報

● 2020年度「科研」分担研究者分の報告

研究概要:本科研を含む研究資料をまとめて、グアテ マラ先住民の内戦の経験とそこからの克服過程について書籍についてまとめた。研究分担者の松島教授が主宰する学習勉強会で講演し、その内容を本にまとめ た。COVOD-19の蔓延に際して先住民を含む中米の感染状況と政府の対応について報告した。学会発表において、アイヌならびに琉球の遺骨返還や、この 問題に取り組む政治運動にける伝統的な保守とリベラリズムの政治思想の位置を検討し、今後どのような展開を遂げるのかについて報告した。

著作

論文

研究発表

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Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

Acknowledgement; This work was supported by JSPS KAKENHI Grant Numbe 20H00048.

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