琉球遺骨返還運動にみる倫理的・法的・社会的連累 (ELSI)
Ethical, Legal, and Social Implication of the Ryukyuan
Repatriation Movement for Human Remain
ア メリカ人類学会連合年次大会(カナダ・バンクーバー、2019年)で発表したタイトル は、“Stealing remains is criminal”: Ethical, Legal, and Social Issues of the repatriation of human remains to Ryukyu islands, southern Japan(リンク先 は発表予稿)でした。今回、これを改造して、日本平和学会2020 年秋季研究集会(オンライン開催、2020年11月7-8日、横浜市立大学)にて分科会「琉球人遺骨にとっての平和とはー『研究による暴力』に対する先住 民族の抵抗と祈り」(仮題:松島泰勝座長)の中で発表することになりました。そのための、論文構想発表ノートです。
以 下に、1.学会発表の要約、2.これから計画する投稿論文の見取り図、そして、3.各 章の章立てを提示します。
1. 学会発表の要約
京都大学が保管する琉球民族の遺骨の返還を求める「琉球遺骨返還請求訴訟の原告団と 弁護団」 の活動を中心に、地裁への提訴の原告と被告である京都大学、さらに被告に「学術的アドバイス」をおこなった日本人類学会会長の篠田謙一氏の3つのプレイ ヤーズを法廷内外の論争を描写、紹介した。最後に、それらの対話に関与する文化人類学者は、そのいくつかの論点を整理する手がかりとしてELSI(倫理 的・法的・社会的連累)として観点で考えると、見えてくるものがあると発表で指摘した。
2. これから計画する投稿論文の見取り図
科学研究における植民地主義=「倫理的連累」プラス「法的連累」プラス「社会的連 累」
倫理的連累=謝罪と赦し、慰霊行為の実施
法的連累=謝罪と赦し、研究倫理の確立プラス先住民権の確立
社会的連累=先住民権が社会全体に受け入れられ、先住民に対するヘイトが抑制さ れること
【連累】れんるい:implication
オーストラリアの移民であるモーリス=スズキ氏(2013:65-67)は、先
住民アボリジニへの過去の収奪や虐殺と彼女自身の関係を「罪」ではなく「連累(implication)」であると結論づけた。つまり、過去の不正義に対
して責任がオーストラリアに住む自分自身にあるという。それは法律用語である事後共犯(an accessory after the
fact)の現実を認知するという意味である。彼女による連累の感覚を次の文章は的確に表しているので引用する:「わたしは直接に土地を収奪しなかったか
もしれないが、その盗まれた土地に住む。わたしは虐殺を実際に行わなかったかもしれないが、虐殺の記憶を抹殺するプロセスに関与する。わたしは『他者』を
迫害しなかったかもしれないが、正当な対応がなされていない過去の迫害によって受益した社会に生きている」。また責任と連累の関係を次のようにいう「『責
任』は、わたしたちが作った。しかし、『連累』は、わたしたちを作った」(共に モーリス=スズキ
2013:67.※引用文にある部分強調は省略した)。-
モーリス=スズキ,テッサ(2013)『批判的想像力のために:グローバル化時代の日本』平凡社.
3. 各章の章立て(英語=10,000語)
0)考古学・人類学の政治的機能について再考する
1)「日本人の起源」論というアカデミック同化政策の諸相を明らかにして、それを批 判する
2)琉球人の遺骨の物語の叙述=ものがたり(=「語りは出来事の報告ではなく、出来 事そのものである」モーリス・ブランショの言葉)
3)琉球遺骨返還請求訴訟論争における「倫理的・法的・社会的連累(ELSI)」を 考察する
4)科学研究における脱植民地主義とはなにか?/科学・学術研究の中に植民地主義=
コロニアリズムを読み取る。脱植民地化とはその学問の外部からの批判あるいは内部批判ではなく、科学・学問をおこなう者への「反省」と捉える。
4. 結論
| 倫理的側面 |
法的側面 |
社会連累/社会連関的側面 |
★修復的司法と遺骨返還の論理
【遺骨の真の返還は精神的修復の過程をなす】
謝
罪が自己目的となるとたんなる土下座をさせるクレイマーカスタマーとは変わりません。返還も泥棒が居直って「返せばいいんだろうと」被害者に毒づけば、被
害者のみならず司直すら義憤に駆り立てられます。修復的司法では、謝罪は、加害者がそのことについて反省して、被害者に赦しを求めることです。被害者の側
が赦しを与えないかぎり次のステップにはすすめません。赦しを求める加害者は、本当に自分たちに赦しが与えられるのか、赦しを「待つ」という姿勢が求めら
れます。被害者は本当に「赦すことができるのか?赦す権限を自分たちは持っているのか?——遺骨が戻っても生きているものは納得しても亡くなった霊は赦し
てくれるのか?」煩悶します。加害者とみなされる側は被害者にたんに赦しを請えばいいわけではなく、被害者たちがうける超時間的な煩悶にも共感することが
できるまでは、赦しはありえません。さらに次のステップとして、被害者が「加害者たちの赦しを受け入れる」ことができて、はじめて和解というものが成立し
ます。修復的正義の実践は法的正義の実践よりもはるかに時間的に過去と未来を巻き込むプロセスであることを、ご理解ください(→「修復的司法」)。
Links (琉球遺骨)
Links (アイヌ遺骨)
Links (倫理や物語)
Bibliography
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Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
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