「学問の暴力」という糾弾がわれわれに向けられるとき
遺骨返還運動と日本文化人類学: When the accusation of "academic violence" is
directed at us, we Japanese Anthropologists
私は、2018年12月に京都地裁に提訴された、 いわゆる琉球民族遺骨返還請求訴訟に関心をもち、2019年夏以降その心情的な支援者になった。この発表では文化人類学(医療人類学)の一研究者として、 自分がもつ学問の来歴と、この遺骨返還請求訴訟が私たち文化人類学徒に投げかける研究倫理上の反省——倫理的・法的・社会的連累(Ethnical, Legal and Social Implications, ELSI)——について考える。
エルシー(ELSI)とは、倫理的・法的・社会的 連累(=含意、インプリケーション)/事象=イシューの頭文字表現(アクロニム)である。なお、インプリケーションを連累と訳すのはテッサ・モーリス=ス ズキ氏(Tessa Morris-Suzuki, 1951- )に倣っている(2013:65-66)。これは、従来の研究倫理の枠組みを拡張して、理工系・医歯薬保健系、人文社会系を問わず、あらゆる研究者が エルシーに関わっていることを自覚を促す社会的試みのひとつである。
19世紀初頭における骨相学 (phrenology)の隆盛、進化論の科学的確立以前から隆盛を極めはじめる優生学思想、さらに、1859年のチャールズ・ダーウィン(Charles Darwin, 1809-1882)『種の起源』やその前後にお ける人類学会の創設、さらには、進化主義人類学の誕生は、世界の「未開人」の人骨収集とその研究に拍車をかけることになった。人類学は今日で言う形質人類 学と民族学(文化人類学)は機能分化しておらず、また相互の研究交流も境目のない状態であった。『種の起源』公刊後から6年目にマドリードで人類学協会が 設立されたその年に、北海道函館での英国人アイヌ墳墓盗掘事件が起こっている(植木 2017:6-22)。日本の人類学会の創設は東京大学の学生坪井正五郎による実質的アマチュアの同好研究会として1884年から始まると言われる。その 4年後には、日本の自然人類学の実質的な創設者である小金井良精が二ヶ月弱にわたる北海道人骨収集旅行にでかけアイヌ人骨を少なくとも166体の盗骨と副 葬品を持ち去った。この年に、American Anthropologistが創刊され、米国の文化人類学の父、フランツ・ボアズがようやく定職に就いたことは偶然の一致ではなく、ボアズもまた人骨収 集や「生きた民族」の展示も職業的に関わっている。
「人類学」は、今日の自然人類学、解剖学、生物 学、博物学、人文地理学、民俗学、民族学(後の文化人類学)などがボーダレスに入り混じった学問領域だった。頭骨研究は計量的研究が徐々に洗練されてき て、いわゆる科学化を遂げるが、その研究スタイルの嚆矢になったのが膨大な私設コレクションをもとに科学化を実行した京都帝国大学教授の清野謙次 (1885-1955)である。清野謙次はのちに、琉球や奄美大島でやはり集中的に人骨を収集することになる、三宅宗悦(1905-1944)や金関丈夫 (1897-1983)の実質的指導者である(→「日本文化人類学史」)。
アイヌの人骨の収奪や、アイヌ民族をわれわれの同 胞とみることなく「異類の他者」として、その客観的な表象としてのみ扱ってきた学問の倫理的姿勢を、哲学者の植木哲也(2011)氏は「学問の暴力」と呼 び、それを厳しく糾弾するのみならず、過去の歴史からの反省し学問が倫理的にノーマライズすべきであると主張している。
だが、このような歴史的な負債を負っているのは、 はたしてわれわれのキョウダイ学問である自然人類学(形質人類学)や考古学あるいは博物館学の関連分野だけなのか?文化人類学は「直接手を下したわけでは ない」ために、無垢であると言えるのだろうか?現在は人骨や副葬品あるいは考古学的遺物を扱わないから、過去の自然人類学者が犯した倫理上の瑕疵に対して 免責を主張できるのだろうか?私は、琉球民族遺骨返還請求訴訟の原告のメンバーではない。他方で、私は支援者として関わりながら遺骨が返還される法的権利 は原告に十分にあると思いながらも、遺骨の学問的価値が、形態計測から遺伝子(ゲノム)解析へとパラダイムシフトした際に、科学研究としての興味関心を覚 えることもする。
さらには、遺骨を民族の霊が休む場所に戻してあげ ることを尊重するために努力したい気持ちと、自分の親族の遺骨など(酷く毀損されない限りは)どうなっても構わないという極端な唯物論者というもうひとつ の私が共存する。他方、貴重な研究資料である言ってはばからない遺骨を保管する大学当局や県の埋蔵文化財センターに対して、私が彼/彼女ら情動に訴えて言 いたいことは「君の肉親の遺体が目の前に実験や研究のために提示された時に、君にはそれに耐えることができるのか?」という情動に訴える言上げを平気で私 は弄することもできる——矛盾するレトリックの共存である。
この2つの異なる気持ちをもつものの「対話」こそ が、両者のあいだのディスコミュニケーションを解消するために必要ではないか。このようにみると遺骨返還訴訟は、遺骨を研究材料にする科学研究の倫理的・ 法的・社会的連累に関わる問題を徹頭徹尾議論し尽くする現場であるが、そのことが実現した(=訴訟が成功した)暁には、かならず、それに加えて「歴史的で かつ情動的な連累」がその次の課題として浮上することだろう。日本の文化人類学者はこれらの問題や学術的課題から、つねに自由で無垢であるとは言えまい。
キーワード:遺骨返還運動、研究倫理、倫理的・法的・社会的連累(ELSI)、学 問の暴力
For all undergraduate students!!!, you do not copy & paste but [re]think my message. Remind Wittgenstein's phrase, "I should not like my writing to spare other people the trouble of thinking. But, if possible, to stimulate someone to thoughts of his own," - Ludwig Wittgenstein
クレジット:池田光穂「学問の暴力」という糾弾がわ
れわれに向けられるとき、第55
回日本文化人類学研究大会、2021年5月29日(土)~30日(日)、京都大学
●予行練習
「学問の暴力」という糾弾がわれわれに
向けられるとき:遺骨返還運動と日本文化人類学(ロングバージョン)です。上映時間約27分(560px) |
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1(クレジットのスライド) 「学問の暴力」という糾弾がわれわれに向けられるとき: 遺骨返還運動と日本文化人類学 池田光穂 |
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2 1890年代初期、ドイツの生物学者リチャード・セモン(Richard Semon, 1859-1918)はオーストラリア・クイーンズランド州北部への調査旅行のなかで、先住民と警察分遣隊との衝突で犠牲になったアボリジニーの人骨が収 集できるのではないか、と考えます。彼は「驚いたことに」と著作の中に記し、クックタウンの住人からは、白骨化させるためにブッシュのなかに遺体がそのま ま放置されていることを告げられます。セモンは続けて記します。 「私という人間性は、丁重に埋葬するためにこれらの人骨を入手するわけではなかった。それとは反対に、この哀れな犠牲者の人骨を科学的な目的のために確保 したいという熱い願望があった。オーストラリア人の頭蓋骨の一連の人類学的研究のためにはかなり興味深いものだったからだ」(Semon 1899:266; 引用はTurnbull 2020:935) |
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3 それから約20年後の1910年11月ケンブリッジの生物学者Elliot. L Grant-Watson(1885-1970)は、人類学者のAlfred Radcliffe-Brown(1881-1955)と、ジャーナリストで福祉ワーカーでかつアボリジニー研究を独学で身につけた人類学者(女性)の Daisy Bates(1863-1951)と共に、西オーストラリアのベルニエ島に滞在しています。そこで、Grant-Watsonは、母親と兄弟に手紙を書 き、次のように記しています。 「あと数夜を過ごした後に、(ラドクリフ=)ブラウンと私は墓掘り(burking)に出かけます。これは秘密だよ(Dead Mum[i.e. keep dead quiet] over this)。俺たちはシャベルを持って死んだニガーの女を掘り起こして箱につめて運びます。誰にもこのことは言いませんし、ベイツ夫人は何も知りません」 (Grant-Watson 1910; 引用はTurnbull 2020:935)。 |
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4 リチャード・セモンの時代は、ちょうど、小金井良精(1959-1944)がアイヌ人墳墓から現在わかっているだけで166体の頭蓋骨と副葬品を持ち帰っ た頃(1888年7月〜9月)です。また、グラント-ワトソンとラドクリフ-ブラウンのベルニエ島での盗骨をおこなった頃は、韓国併合(1910年)直後 の翌年に鳥居龍蔵が身体計測を含む朝鮮半島調査に着手する時期でもあります。奇しくもフランツ・ボアズの『未開人の心(The mind of primitive man)』の初版が出版されています。ボアズは、出版の10年前の1901年同じタイトルの論文のなかで「どの民族であれ、文明人と未開人を比較した場 合、精神的な体質の根本的な違いを推測させるような解剖学的な違いは見られ」ないとしながらも、その前の文章では「多くの解剖学的事実が、アフリカ、オー ストラリア、メラネシアの人種は、アジア、アメリカ、ヨーロッパの人種よりもある程度劣っているという結論を示している」と述べています。 |
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5 先住民の劣等性を身体的証拠から証明しようとしたり、植民国家の同化政策のなかで消失する文化や慣習を消失する以前に収集しておこうと精を出す「学問的情 熱」が存在したことは明白です。これを正当化する研究者の論理は、先住民の当事者には、その能力はないが、科学的なトレーニングを受けた研究者には、その 資格があるという学問的自負です。Rudyard Kiplingの「白人の責務(white man's burden)」に似て、それは高邁な精神でありながら、同時に研究対象になる人へのパターナリズムからなる植民地主義の研究者のエートスを独特に形作る ものです。 他方で、その資料収集の現場では「だまし」や隠蔽を含む後ろめたいものもあるようです。当時から現在まで、多くの証言記録によると、人骨の発掘——ある いより明確にいうと盗掘や墓暴き——に携わった人類学者たちは、時に躊躇し、時に嬉々として、時に隠密的に、時に、墓暴きに慄きながら雇用される現地の人 や先住民を叱咤激励しながら採集に邁進しています。言い方を変えると、人類学の人骨収集において、道徳的にアンビバレントな感情を完全に持たなかった人は むしろ少数派のように思われます。それにも関わらず、人類学者は現地の協力者と自分を鼓舞し、その行為を正当化するのは「学問の進歩」への寄与や「未知の (人種科学としての)人類学的知識」の解明であるように思われます。冒頭の生物学者リチャード・セモンや、ラドクリフ-ブラウンと共に墓掘りにでかけたグ ラント-ワトソンらの語りはその捩れた気持ちを如実に表しています。 |
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6 これまでの先住民研究が、植民地主義の文脈で発達し、現在まで大学や博物館の情報キュレーションの中で維持されてきて、そして、なおかつ現在においても、 私たちはその遺産(heritage)のなかで学術生産をしていることは、火を見るよりも明らかです。これを「人類学研究における歴史からの負債」と名付 けてもよいかと思います。これに対して、現在では植民地体制は克服され、民主的にかつ多文化共生主義的に是正されていると、一種の歴史修正主義的に居直る ことも可能です。にもかかわらず、そのような研究者は「歴史からの負債」に関して無知でもまた知らないが如き顔をすることには、セモンやグラント-ワトソ ン同様、道徳的躊躇もあるようです。それらからの回避方法は、「政治的にセンシティブな研究テーマや民族には近寄らない」またそのようなことを「避けて発 語する」あるいは「それらよりももっと考究すべき立派なテーマがあり、私はそれを行うのであり、避けているのではない」と言い訳することです。国連の「先 住の民の権利に関する国際連合宣言(Declaration on the Rights of Indigenous Peoples, UNDRIPs)」では、先住民あるいは先住民族の定義をその宣言のなかではおこなっていません。定義をせずに先住性ゆえに被差別の被害や不利益に被った 人と明示していますが、私がアイヌや琉球の先住民性について話すと、そのことの議論に加わろうとせず「歴史的時間の尺度を変えれば我々日本人も先住民族で ある」と言い訳されてしまいます。 しかしながら、意識しようがしまいが、私たちが先住民との関係の中で「歴史からの道徳的負債」を感じていない限り、そのような回避や否認を文化人類学的 に正当化することはできません。テッサ・モーリス=スズキ(2013:65-66)は、この精神的負債の概念を「連累」(=含意, implication)という言葉で的確に表現しています。 |
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7 オーストラリアへの移民である彼女は、先住民アボリジニへの過去の収奪や虐殺と彼女自身の関係を、「罪」の概念ではなく「連累 (implication)」であると結論づけました。つまり、過去の不正義に対しての責任がオーストラリアに住む自分自身にあると主張します。それは法 律用語である事後共犯(an accessory after the fact)の現実を認知するという意味があるそうです。彼女による連累の感覚を以下の文章は的確に表しているので引用します。 「わたしは直接に土地を収奪しなかったかもしれないが、その盗まれた土地に住む。わたしは虐殺を実際に行わなかったかもしれないが、虐殺の記憶を抹殺する プロセスに関与する。わたしは『他者』を迫害しなかったかもしれないが、正当な対応がなされていない過去の迫害によって受益した社会に生きている」。 また責任と連累の関係を次のように言います;「『責任』は、わたしたちが作った。しかし、『連累』は、わたしたちを作った」と。つまり連累は、私たちの未来における社会関係性を形作ることを要請する命令語法(imperative)であるということです。 |
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8 これまでの分科会報告の論者たちは、遺骨返還運動の原因を作ってきた人類学者の行状とその倫理的問題点やそれを生み出してきた学問的社会的背景について指 摘してきました。どのような来歴が理由であれ研究室に持ち込まれた先住民の頭蓋骨は研究され、レプリカがつくられ、人類進化を知る貴重な手がかりとして博 物館に展示されてきました。そして、先住民の権利についての熱心な支持者ですら返還に対して消極的な態度を示してきました。オーストラリアの考古学者 Derek John Mulvaney(1925-2016)は、親族がわかっている返還対象を除けば、自分たちの祖先の来歴を知りたい将来の先住民の考古学者のためにアボリ ジニの骨が研究機関に保存されることを望んでいたといいます(Mulvaney 1991)。実際、きちんとした倫理的手続きが踏まれれば、研究機関に保管されたままでもよいと考える先住民コミュニティがあるのも事実です。 それでは、研究倫理要項が作られればよいのか?というとそうではありません。研究倫理要項は、先住民遺骨を研究対象から外すという規定ではなく、「研究 を行うことを前提にした」研究の倫理的指針を定めたものにすぎません。2019年12月16日に提出された。日本人類学会、日本考古学協会、日本文化人類 学会(つまり本学会)による「アイヌ民族に関する研究倫理指針(案)」にも「返還」という文字が一言も出てこないことであきらかです。政府系の委員会であ る「これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル」に提出されたこの文書をめぐって、多くのアイヌ民族当事者の団体が異 論を投げかけたのは、皆さんもご承知の通りです。 |
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9 アイヌの人骨の収奪についてネグレクトし、アイヌ民族を私たちの同胞とみることなく「異類の他者」として、その客観的な表象としてのみ扱ってきた学問の姿 勢を、哲学者の植木哲也(2017)は「学問の暴力」と呼び、それを厳しく糾弾しています。そして植木は、過去の歴史を反省し学問を倫理的にノーマライズ させるべきであると主張しています。私たちの信じている学問が「暴力的」であると指弾されて、冷静である学会員は果たしておられるでしょうか? では、文化人類学は「直接手を下したわけではない」ために、無垢であると言えるのでしょうか?あるいは人骨や副葬品あるいは考古学的遺物を扱わないか ら、過去の自然人類学者が犯した倫理上の瑕疵に対して免責を主張できるのでしょうか?——いいえ、冒頭にあげたように文化人類学・社会人類学の黎明期から 自然人類学とは深い関係をもっています。他人事ではなく我々の親族同胞に関わることなのです。 |
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10 最後に私自身が抱える倫理的ジレンマについて触れて、この発表を終わることにします。じつは、私には遺骨を民族の霊が休む場所に戻してあげることを尊重す るために、先住民のみならずそれに苦しむすべての人たちに対して、何らかの貢献をおこないたいという気持ちがあります。他方、自分の親族の遺骨ですら(酷 く毀損されない限りは)どうなっても構わない(むしろ研究に役立つのなら自由に使ってもかまわない)という唯物論者というもうひとつの私が共存していま す。 |
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11 私には、この2つの異なる気持ち同士の「内なる対話」が必要です。それは私の外側にある社会のあいだでのディスコミュニケーションの解消につながるような 「外なる対話」との連累を感じます。つまり社会問題の解決とその処方せんが、私の心の葛藤を癒す(ないしは作り上げる)。そのためにも、日本の文化人類学 が長い歴史のなかで引き受けてきた「歴史からの道徳的負債=連累」とこれからもなお、対話し、これからの未来を切り開いてゆく必要があるようです。 |
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12 ご静聴ありがとうございました。大阪大学の池田光穂が「『学問の暴力』という糾弾がわれわれに向けられるとき:遺骨返還運動と日本文化人類学」のタイトルで発表させていただきました。 - Boas, Franz (1901) The Mind of Primitive Man. The Journal of American Folklore 14(52): 1-11. - Deloria, Vine (1969) Custer died for your sins : an Indian manifesto. Norman: University of Oklahoma Press. - Grant-Watson, E. L.(1910) Letter to Family, 25 November. Papers of E. L. Grant Watson, NLA MS 4950/11, National Library of Australia, Canberra. - Mulvaney, Derek John (1991) Past regained; future lost: The Kow Swamp Pleistocene reburials. Antiquity 65: 12-21. - Semon, Richard.(1899) In the Australian Bush and on the Coast of the Coral Sea .... London: Macmillan and Co. - Turnbull, Paul (2020) The Ethics of Repatriation: Reflections on the Australian experience. in "The Routledge companion to Indigenous repatriation : return, reconcile, renew" Cressida Fforde, Timothy C. McKeown and Honor Keeler eds., pp.927-939. Abingdon: Routledge. - Žižek' Slavoj , "Why Tolerance Is Patronizing. https://www.facebook.com/zlazloj.zizek/posts/2873355169371661/ - ブルデュ、ピエール(2020)『ディスタンクシオン』1,2.,石井洋次郎訳、東京:藤原書店. - 北海道アイヌ協会(提供, 2019)「アイヌ民族に関する研究倫理指針(案)」https://www.ainu-assn.or.jp/news/files/3b014e7a03b0c1567978f9a1da5f17b8e8813a5a.pdf - ミルズ、C.ライト(2017)『社会学的想像力』伊奈正人・中村好孝訳、東京:筑摩書店. - モーリス=スズキ,テッサ (2013)『批判的想像力のために:グローバル化時代の日本』東京:平凡社. - 植木哲也 (2017)『新版 学問の暴力:アイヌ墓地はなぜあばかれたか』横浜:春風社. クレジット:日本文化人類学会第55回研究大会・分科会「遺骨返還運動からの贈与」(主宰:太田好信)2021年5月30日F会場 |
■植木哲也『新版 学問の暴力』春風社、2017年読書ノート(→「日本文化人類学史」)
1.幕末の事件 |
1.1 英国人の犯罪 |
森村盗骨事件(1886年)の経緯とその顛末 |
1.2 背景にあったもの |
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2.明治と大正の発掘旅行 |
2.1 小金井良精と帝国大学 |
小金井良精のこと |
2.2 頭骨発掘旅行 |
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2.3 人類学的研究 |
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2.4 清野謙次の樺太遠征 |
清野謙次のこと |
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3.昭和の学術調査 |
3.1 「アイヌの医学的民族生物学的調査研究」82 |
児玉作左衛門(Sakuzaemon KODAMA, 1895-1970)による組織的なアイヌ人骨ならびに民族資料の収集 |
3.2 アイヌ墓地の大量発掘 |
・児玉の研究史の回顧における第3期(1951-1970)のアイヌの「伝統文化の消失」の言説は、今日の(札幌大学以降)常本照樹(Teruki TSUNEMOTO, 1955- )の主張に通底するように思われる。 |
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3.3 発掘人骨数 |
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3.4 研究の公表 |
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4.「人為的」損傷の研究 |
4.1 アイヌ頭骨の研究 |
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4.2 大後頭孔の「人為的」損傷 |
「人為的」損傷に関する当時の人類学者たちの関心 | |
4.3 児玉作左衛門の損傷研究 |
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4.4 人為説の撤回 |
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4.5 損傷研究の波紋 |
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5.発掘の論理と倫理 |
5.1 児玉作左衛門の倫理と論理 |
・小金井や清野に「ためらい」があることを指摘。他方、児玉にはそれがないことを指摘(pp.180-181) ・学術研究への〈意思〉が、それを凌駕することを指摘(p.182) ・研究の「緊急性」と研究者の「責務」 |
5.2 和人社会の反応 191 |
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5.3 アイヌの人々の反応 |
・遺骨の返還要求(p.204-) | |
5.4 発掘の論理のほころび |
・佐々木昌雄の「学者の責任と倫理」 |
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6.知の力 |
6.1 批判の高まり |
・アイヌ解放同盟(結城庄司ら)の質問(pp.222-223)(→「日本文化人類学史1972」) 1)第26回日本人類学会と日本民族学会の連合大会は、「アイヌ民族を滅亡したものとみなすか、現に存在し滅びることを拒否しているとみなすか」 2)同大会の参加者は、研究者を含めてこれまでのアイヌ民族を圧迫してきた和人に味方するものか、それともアイヌ民族の解放の側にたつものなのか? ・「『真理』であれば批判されることはない、という観念はいぜんとして生きている」(植木 2017:226) |
6.2 二種類の力 |
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註 |
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補章 遺骨の返還を求めて |
7.1 遺骨返還訴訟 |
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7.2 日本政府の政策 |
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7.3 返還の実現 |
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参考文献 |
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あとがき |
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新版あとがき |
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人名索引 |
■秋辺日出男… 282
■足立元太郎… 56
■阿部正己・・・12, 17,22,27, 131
■有馬英二… 90, 109, 123
■有馬元函....52, 55, 56
■石井四郎…77
■イタキサン......8, 9
■伊藤昌一…96, 100, 102, 103, 106, 108, 111,
114, 117-119, 125-128, 131,135,140,199
■伊藤博文… 37
■犬飼哲夫… 99, 130,131,224
■井上善十郎・・・89, 102, 109, 123, 124
■違星北斗… 213
■岩崎小弥太......86
■ヴァイス、F. H … 8-14, 17,22,24,27
■ヴァイス大佐… 18-21, 25
■ヴァルダイアー、W.V… 35
■ウィリス、W… 34
■ウェルトン、ダーナ… 282
■内村祐之… 77, 90, 110, 123, 124
■榎本武揚… 32
■エンスリー、J.J … 9, 10, 13, 14
■大塚武松… 18, 19, 28
■大場利夫… 117
■小川隆吉… 66, 67, 206, 207, 211, 272, 273,
276-278, 285,299,310,311
■小野塚喜平次… 85
■貝澤久之助… 213
■海馬沢博… 82,272
■ガウア、A.A.J … 14, 15
■加藤忠… 275,282, 310-312
■萱野茂… 206-208, 225
■ガル、F.J ・....9, 23
■川上哲… 282,311
■河村健夫… 275
■神田孝平… 37,68
■カンパー、P … 136
■北構保男… 172, 175
■清野謙次…71-78, 90, 110, 145-148, 151, 153,
154, 160, 162, 174, 180, 181, 184-186, 234
■金田一京助… 125, 189,197,216
■葛野次雄… 301
■クライナー、ヨーゼフ…282
■グリンム、F … 54,56
■ケミッシュ… 6-8, 10, 12, 13, 18
■源之助… 6
■小井田武… 14, 15
■小出秀実… 8, 11, 15, 28, 29
■河野広道・・・146, 147, 157
■小金井喜美子......59
■小金井良精・・・32-35, 37, 39-67, 69, 72, 73,
75, 76, 78, 110, 111, 113, 135, 142-145,
148, 153-155, 159, 162, 169, 172, 174,
175, 180, 181,192,234,304
■児玉作左衛門......29, 82-84, 89, 94-120, 122,
123, 125-131, 134, 135, 137-139, 142,
148-177, 180-189, 191-207, 210-213,
217-219, 222, 224, 227, 234, 238-240,
272, 277, 304-306
■児玉譲次… 131, 160, 161, 167-169
■児玉マリ… 165
■小信小太郎......213
■コペルニッキー、I … 141, 143, 148, 154,
163
■ゴルトン、F … 91
■今裕… 90, 93, 109, 123
■近藤重蔵・・・147
■サイード、E.W.…240
■佐伯浩......272, 276
■榊原徳太郎… 106, 117, 126, 127, 203
■坂野徹......69, 71, 78, 79, 89, 143
■佐久間象山・・・32
■桜井錠二… 85
■佐々木史郎…282
■佐々木利和… 282, 310-312
■佐々木昌雄......2 14-218
■差間正樹… 281,313
■佐藤幸雄......282, 310,312
■更科源蔵… 82,224
■椎久年蔵… 99-102
■シーボルト、ハインリッヒ• V・・・43
■シーボルト、F. フランツ・J.v … 43
■篠田謙一… 282,283,285,311,312
■清水裕二・・・300
■シュプルッハイム、J.G … 23
■シュラィエルマッハー、F.E.D … 35
■城野口ユリ…276-278, 281
■庄六… 7, 8, 10
■ショーペンハウアー、A… 35
■白井光太郎…43,45,61
■新藤鉊蔵(しんどう・しょうぞう)・・・11, 27
■新谷行......223
■菅原幸助・・・197, 198
■杉浦勝誠… 15
■鈴木文太郎… 92, 148, 149
329
■ダーウィン、C.R… 24,91
■高倉新一郎......131, 198,199,223,224
■高橋真… 110, 123, 124
■タレネッキー、A ・・・142
■チカップ美恵子......82, 205,224,238
■秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)・・・85
■千代吉… 6
■知里真志保… 131
■辻井達ー......282
■常本照樹… 282,285,310,311
■坪井正五郎… 42-46, 58, 61, 63, 68-70, 78,
79,142,143
■デイヴィス、J.B......20-22, 24, 25, 175
■ディキンズ、EV … 12, 14, 22
■デーニッツ、W… 34,43
■徳川慶喜......32
■トムソン、J.R・・・16
■豊川重雄… 108,206
■鳥居龍蔵… 41,65,69, 78, 79
■卜リキサン.. .. ..8, 9
■トローン、H … 6-13, 18, 20, 21, 27
■永井潜… 88-91, 93, 109, 123, 125
■長岡半太郎......86
■名取武光… 99, 100, 125, 131
■パークス、 H・・・ 11, 12, 18,19 , 22, 27
■ハウル、A・....9, 17
■ハクスリ、T.H … 24
■バスク、G..- .. 24, 25, 141, 175, 176
■長谷部言人… 78,95,200
■畠山敏… 281
■鳩沢佐美夫…213,214
■埴原和郎… 25, 175-177, 217
■馬場脩… 16, 56, 83, 125
■林善茂......223
■半沢信一… 117, 127
■東村岳史… 198
■兵庫頭(→杉浦勝誠)… 15
■平野博文… 276
■ファイヤアーベント、P.…216
■フィヒテ、J.G … 35
■フィルヒョー、R ・・・34, 35, 142, 143, 152
■福沢諭吉…231-233
■福家梅太郎(ふけ・うめたろう)… 43
■藤野豊… 92
■藤本英夫・・・172, 173
■布施現之助......95
■ブラック、J.R… 16, 17, 22
■古市公威… 85
■古屋芳雄・・・83, 89, 90, 93, 109, 123, 124
■ブロカ、P......23, 137
■フンボルト、K.W.v ・・・35
■べイコン、F … 230,232
■平次郎・・・8,9
■ヘーゲル、G.W.F ・・・35
■べルツ、E.v … 43
■ペンリウク… 51, 55
■星新一… 34,40,41
■ホフマン、T.E … 34
■ホルンビー、E … 19
■ホワイトリ、H......6-8, 13, 17, 18, 22
■本田晃… 299
■町村信孝… 274
■松野正彦… 113, 119, 128
■松村瞭… 78
■間宮林蔵… 147
■マル、J.... ..9
■マルチン、R・・・137
■三上隆… 289,300,301
■水野忠誠… 13,22
■箕作佳吉(秋坪の三男)… 68
■箕作直(みつくり・ただし?)… 68
■水口清・・306
■峰山厳・・174
■ミューラ―、L … 34
■ミルン、J…43
■撫養円太郎(むや・えんたろう)......54
■モース、E.S......43
■モートン、S.G … 23
■森林太郎(閾外)… 59
■モンタンドン、G … 142
■屋代善夫… 54, 56
■山口敏… 173, 174
■山口佳三… 302
■山崎春雄… 89, 102, 109, 123, 125, 127,277
■大和守(→小出秀実)… 8-11, 13-16, 22,
28,29
■結城庄司… 222,223
■米村喜男衛… 108
■レチウス、A.A … 136
■ロバートソン、R… 10, 13, 14
■渡瀬荘三郎・・・44,45
■渡辺洪基(わたなべ・ひろもと)......68
■渡辺左武郎......106, 108, Ill, 116, 117, 119,
127, 165
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『沙流川: 鳩沢佐美夫遺稿』鳩沢佐美夫著,草風館、1995年 |
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「「対談 アイヌ」は「とうとう二人だけになっちゃったな」というセリ
フから始まる。アイヌの女性と二人で対談を行うという形式の
「作品」の中で、彼は観光アイヌとしてしか生き延びてゆけないアイヌの現状を鋭く告発しながら、「シャモ(和人)」によって精神文化までも収奪されようと
しているアイヌ民族の危機を論じようとしている。もちろんそうした「シャモ」への告発は正当すぎるほど正当なのだが、「おんな(二十三歳)」として設定さ
れた対談相手は、そうした彼の告発の正当さを相対化し、それをいわば自己批評することによって、彼を日本人からも、そして告発するアイヌ民族からも孤立さ
せ、孤独な思索者(文学者)へと追い詰めてゆくのである。」川村湊 http://www.sofukan.co.jp/books/81.html |
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