アイデンティティとイデオロギーの関係学
Semantic Relation between Identity and Ideology, SRBII
2020年1月30日 アイデンティティの人類学を論じるのにイデオロギーに一切触れない馬鹿がいるとは!?それらの交差は個人と社会の交差と同じ事だ。グレマスの四角形を描けよ!(垂水源之介FB)
2020年1月31日 《アイデンティティの文化人類学で考えるべきこと:01》
アイデンティティの文化人類学で考えるべきことを、アルジダス・グレマスの意味の四 角形から導出します。まず、僕は、イデオロギーをアイデンティティの対立項として考えよと言いました。しかし、それは直観からです。そのために、アイデン ティティで悩むこと、アイデンティティは不可欠という主張は、個人に帰着するものだという我々の常識を「含意関係」のグループのメンバーとして「措定」し ます。そうすると、個人の対立項は社会やコミュニティというのは、我々の常識ですのでそのように配置します(=それ以外の可能性はバジル・バーンスティン のグリッドとグループの議論を参照)。そこで、個人と矛盾関係にあり、社会・コミュニティの含意関係をもち、かつアイデンティティに対立するものは何かと いうことを想定しますと、イデオロギーという最初の直観が肯定できます。しかし、それ以外の可能性としては(マルクスの)イデオロギー批判概念に近く、含 意関係をもつヘゲモニーという言葉も思い浮かびます。この図では、イデオロギーとヘゲモニーという概念を抜きにして、アイデンティティの文化人類学を論じ ることの「愚かさの証明」は終わります。
《アイデンティティの文化人類学で考えるべきこと:02》
さて、前項ではイデオロギーとヘゲモニーを混在させましたが、イデオロギーとヘゲモ ニーは何らかの含意関係のある別個のメンバーであることも否定できません。なぜなら、ともにグラムシに欠かせない概念ですが、イデオロギーとヘゲモニーは 同じではないからです。そこで、社会・コミュニティの代わりに、ヘゲモニーを同入します。ヘゲモニーもイデオロギーも集合的な現象ですが、ヘゲモニーは、 対立するイデオロギーが選択という形で外部表象化されます。ではヘゲモニーの対立項で、アイデンティティの含意関係にあり、イデオロギーと矛盾するものは なんでしょうか?最初僕は、集合的アイデンティティとすぐに思いつきました。しかし、もうアイデンティティは最初の項目で使ったのではないか?はい、そこ での気づきは、アイデンティティは複数の顔をもつということです。つまり、僕がバカにしている文化人類学者はエリクソン的アイデンティティしか考えていな いわけですね。そうじゃないだろう?偉大なデュルケーム社会学は集団的アイデンティティとして集合表象という立派な概念をもっておる。そして、それは見え にくい(外部表象化されにくい)イデオロギーと矛盾関係にあることは明白です。そこで次の図が導出されます。これで第二の証明もおわりました。
●応用問題:ノーラン・チャートとの対照関係
ノーラン・チャートあるいはノーランの図式(Nolan Chart)とは、アメリ カ・リバタリアン政党の創設者であったディビッド・ノーラン(David Nolan, 1943-2010)が1996年頃から使い始めたもので、経済的自由を求める右派と個人的自由を求める左派のそれぞれの軸と、権威主義(あるいはポピュ リズム)あるいは「権威志向」と「自由放任(リバタリアン)」からなる組み合わせで、それぞれ「リベラル」と「保守」の性向をあらわせ、その中間の集団を 「中道」と、全部で5タイプの政治的オリエンテーションを描写している。
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