か ならず読んでください

文化としての政治

Introduction to Geertz' Interpretation of Culture, 1973

解説:池田光穂

I 3
・イデオロギーが「おとろしい」用語と して使われてきたわけ
・イデオロギーの言わば自己言及性(マンハイム)
・それゆえマンハイムは「価値判断を含まないイデオロギー概念」の探求(構築)に着手する、pp.4-5
・ゼノンのパラドクスと、マンハイムのパラドクスとの類似(脱色しても脱色しても無垢の差は縮まらない)
・イデオロギーのイデオロギー概念を解消しようと努力するマンハイム、または「イデオロギーの終焉」終焉。
・イデオロギー抜きの社会科学は「客観性」への到達願望か?
・イデオロギー抜きの社会科学は、自分の探求している内容や手法が「洗練」されていない、というコンプレックスによるのか?(7)
・イデオロギーが社会学的分析を拒む(分析が不適切だから?)

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1)社会科学は、価値判断を含まないイデオロギー概念を手にしてない
2)その理由は方法論的な欠如ではなく、理論的な不備による
3)社会的心理的文脈を吟味するのではなく、イデオロギーを象徴的に取り扱うときに、このようなジレンマが生じる
4)意味というものを巧妙に扱う概念装置を完成させるべき
5)研究対象をより正確にとらえること(そうでないと)「おとなしい嫁」を探せと言われて死骸をもちかえる愚かな少年(ジャワの民話)にならないように (7)
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II

・イデオロギー概念のほとんどは価値判 断的=侮蔑的である(8)。
・スタークの議論を引きながら、イデオロギーという用語にはさまざまなマイナスのイメージが付与されていることを指摘。
・つまり、イデオロギー研究とは、知識社会学とは異なり、その知的誤謬をしてきすることにあると認識されている(9)
・シルズにおいても、その扱いは同様(10)
・あの慎重なタルコット・パーソンズも同じような路線を主張する(11)——有害な「二次的」選択性——
・社会科学の分析に、イデオロギーほど中傷されているのに、なぜそれが残留しているのかは謎のまま(12)
・レイモン・アーロンの「知識人の阿片」でも同様
・シルズのイデオロギーに対する病理的な嫌悪は、異端審問官の異端に対する態度に通底する(13)
・イデオロギーがもつ先験的な虚偽性の意味を保持させるのは、論点先取的な誤 りにも覚える(14)
III
14
・イデオロギーの病理解剖的な様相にス トーリーはすすむ。とりわけ、社会心理的な説明。
・イデオロギーの社会的決定要因は、利益説と緊張説(15)
・利益説には多くを踏み込まない(15)
・利益説の問題は、心理的には貧困であり、社会学的には骨太すぎること(16)
・果てしのない闘争史観(17)
・利益説も、緊張説も、両方とも、心理的であり、社会的説明でもある(18)
・緊張説の出発点は、社会の「慢性的な不統合状態」からはじまる(18-19)
・社会的摩擦が個人的摩擦に反映される(19)そして絶望状態を産む(20)
・イデオロギー的思想は、この絶望に対する(ある種の)反応である(20)——象徴的はけ口など
・この表現は、病理的(医学的)に説明=表現される(20)
・以下、洗浄(カタルシス)論的、意欲論的、団結論的、弁護論的
・洗浄=カタルシス論は、安全弁論的で、スケープゴート的(21)
・意欲論
・団結論(21)
・弁護論(22)
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・緊張説とそのの限界(24-25)
・いずれせよ、社会と心理の関連を関連づけて説明するイデオロギー説明説の問題点が列挙されている(26)
IV
26
・社会科学理論は、マルクス主義、ダー ウィニズム、功利主義、観念論、フロイト学説、行動主義、実証主義、操作主義など、主知的な運動から影響をうけてきた(26)
・(他方)生態学、動物行動学、比較心理学、ゲーム理論、サイバネティクス、統計学の方法論的革新から影響をうけてこなかった。
・例外のひとつバークの「象徴行為」論。
・哲学者の仕事も、文芸批評家の仕事も影響を与えていない(26)。
・比喩言語を理解できないので、イデオロギーの手の込んだ苦痛の叫びに還元してみることとなる(27)
・サットンの「タフト・ハートレー法」の理解。組織労働者は「奴隷労働法」とラベル(28)。
・奴隷労働者を見下すような見解が(事例引用)には含まれている。(29-)
・それは比喩の企て(30-)
・奴隷労働という表現は、複雑な象徴的行為であることを示唆(33-34)
V
34
・人間の思考は公共的活動であり…… (34)
・思考が外にあるアプローチ=外在説
・象徴モデルと世界の状態の過程と付き合わせる活動(35)
・引用、想像的思考とは……(35)
・引用、象徴モデルとは……(37)
・人間を政治的動物とするのは(41)
・イデオロギーの説明に(41-)
・エドマンド・バークのイデオロギー論(批判)
・「教えられざる感性の人」(42)——エドマンド・バーク
・【イデオロギーは大衆の政治的緊張への反応だ】
「イデオロギーの機能とは、政治 を意味あるものとするような権威ある概念を与えることによって、すなわち政治を理解し得るような 形で把握する手段としての説得力あるイメージを与えることによって、自律的な政治を可能とするこ とである。事実ある政治体系が、受け入れられてきた伝統の無媒介的支配から、すなわち一方で宗教 的ないし哲学的規律の直接的で細部にまでわたる導きから、他方で慣習的道徳の省みられることのな い教えからまさに自らを解放し始めるとき、形式化されたイデオロギーが最初に現われ根を張る傾向 にある。自律的政体が分佑することは、政治的行為について、独立しった文化的モデルが分化す ることをも意味する。なぜなら政治的行為に特定しない古いモデルは、そうした政治体系が要請する ようなたぐいの導きを与えるには、あまりに包括的にすぎるか、具体的にすぎるか、だからである。そう/ したモデルは、超越的な意味を負わせて政治的行動を束縛するか、習慣的判断のうつろな現実主義に 縛り付けて政治的理念を窒息させるかである。ある社会の最も広汎な文化的方向付けも、最も実際的 で「実用的な」方向付けも、ともに政治過程の妥当なイメージを与えるに充分でなくなったときに、 イデオロギーは社会的政治的な意味と姿勢の源泉として決定的重要性を帯び始める」(42-43)

・イデオロギーの積極的解釈(44)★
VI
45
・イデオロギーの醸成の場はどこにあ る?(45)——イデオロギーの跋扈は途上国(=ギアツの言葉では「新生国家」)にある
・ラマルティーヌの詩(46)——このあたりの解説はベネディクト・アンダーソンの表現に似ている?
・インドネシア近代国家における適応と失敗のプロセス(47)
・ヒンドゥ時代のジャワ(48)
・イスラムとヒンドゥ(49)
・パンチャシラ(51)
・マニポル・ウスデク(54)
・イデオロギーとリアル・ポリテークが混乱したインドネシアの分析(56-57)
・インドネシアは政治的実験の場

・イデオロギーの科学的研究の出発点(58)
VII
58
・なぜ、ケネス・バークの引用からこの セクションははじまるのか?(58-59)
・【批判的想像的作品】
「批判的想像的作品とは、それが生まれた状況により提示された問題に対する解答である。それは単 なる解答ではなく、戦略的解答であり様式化された解答である。というのは同じ「はい」と言うにし ても、「よかった!」を意味する調子の時と「残念!」を意味する調子の時とでは、様式や戦略に違 いがあるからである。そこで私はさしあたっての作業上、「戦略」と「状況」の間に区別を設けるこ とによって、批判的ないし想像的性格の作品とは……状況を包囲するために様々な戦略を用いること である……と考えることにしたい。こうした戦略は状況を測り、状況の構造とその目立った内容物に// 名前を付けるが、それらに対する姿勢を含むような形で名前を付けるのである。/ このような見方をしても、いかなる意味でも個人的ないし歴史的主観主義にくみすることにはなら ない。こうした状況は本物である。それらを処理するための戦略には公共の内容がある。状況が個人 と個人の間で、あるいはある時代と時代の間で重なり合う限り、その戦略には普遍的意味がある ——ケネス・バーグ『文学形式の哲学(Philosophy of Literary Form)』」(58-59)
・科学とイデオロギーの差異の解説(60-61)
・「ヒットラーが自国民の悪魔的自己嫌悪を、聖書に依拠して呪術的に腐敗するユダヤ 人像に映し描 いたとき、彼はドイツ人の意識を歪めていたのではなかった。彼は単にそれを客体化していたのであ る——広くみられた個人的神経症を、強力な社会的力へと変容させていたのである」(ギアーツ(下)1987:62)。
・言説により人を動員させる機能がイデオロギーであるが、それを働かせるためには、言説のシンボル的操作が必要だということか?(62-63)
・【科学とイデオロギーの関係】——イデオロギーと「科学(あるいは常識)の共犯関係?を最後に描写するギアーツ。でも科学を信じているギアーツの別の姿 がある。
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・「しかし、科学とイデオロギーが相異なる企てであったとしても、相互に関連してい ないわけではな いイデオロギーは確かに社会の条件と方向について経験に基づく主張 を行なうが、評価を行なうの は科学の(そして科学的知識が欠如する場合には常識の)役目である。イデオロギーに対するものとし ての科学の社会機能とは、まずイデオロギ——それが何であるか、それがどのように機能するか、 それを生むものは何か——を理解すること、次にそれを批判し、それに現実との妥協(必ずしも降伏/ ではない)を強いることである。社会問題の科学的分析という欠くべからざる伝統が存 在することは、 極端なイデオロギーを生まない保証として最も効果が大きいものの一つである。なぜなら科学的分析 というものには、政治的理念が依存し尊重すべき実証的知識の源泉として、比類のない信頼性がある からである。科学的分析はそうした阻止機構として唯一のものではない。既に述べたように、当該社 会の他の強力な集団が奉ずる競合的イデオロギーの存在もまた、少なくとも同じくらい重要である。 また全体的権力の夢がそこでは明らかに幻想としかなり得ない自由な政治体系も、また伝統的期待が 常に裏切られるわけではなく伝統的思想が根源的に無能力であるわけでもない安定した社会条件も、 同じくまた重要である。しかし自らの見解については静かに妥協を拒む科学的分析は、おそらくその どれよりも不屈である」(62-63)
1
75
【表題なし】
2
81
【ナショナリズムの四段階】
・言語問題(86-)
3
90
【エセンシャリズムとエポカリズム】
4
100
【文化の概念】
・当初は「文化を学習された行動」と同一視(100)
・パーソンズは、文化の概念を「人間が自らの経験に意味を与える準拠枠としてのシンボルの体系」にした(101)
・「意識が精神を疲弊させることがないように、ナショナリズムのイデオロギーもナ ショナリズムを疲弊させることはない」(105)
・「しかし、意識が精神を疲弊させることがないように、ナショナリズムのイデオロギーもナショナリ ズムを疲弊させることはない。ナショナリズムのイデオロギーがなすことは、選択的であり完全では ないが、ナショナリズムを明瞭に表現することである。そのイデオロギーを組みたてている直喩、隠喩 、修辞的言い回しは本来巧妙なからくり、つまり、集合的自己再規定のプロセスの諸側面のどれか を顕現させ、エッセンシャリストの誇りやエポカリストの希望にはっきりとした象徴的な形を与え、 それによって、その誇りや希望がただ漠然と抱かれるものではなく、言葉で語りうるもの、発展させ たり、ほめたたえたりできるもの、そして利用できるものにするために考案された文化的装置なので ある。イデオロギー的な教義を組みたてるということは、漠然としたムードであったものを一つの実 際の力に作りあげる(あるいはそうしようとする——成功より失敗の方が多い)ことである」(105)
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・【ナショナリズムは宗教に似て……】
・「ナショナリズムは幾分宗教に似て現代世界では評判が悪いが、それは、宗教と同様、多少やむをえ ないところがある。その二つの間で(時には二つが重なって)、宗教的頑迷とナショナ リズムの憎しみ は、いまだかつてなかった猛威をもって人間性を破壊してきたが、今後、その破壊はますます激しく なるに違いない。しかし同時に、やはり宗教に似ているのだが、ナショナリズムは歴史上のもっとも 創造的な変化のいくつかでその推進力となったのであり、これからも、今後起きるであろう変化の多 くで同じような働きをするであろうことは間違いない。であるから、ナショナリズムの非難にはあま り時間を費さず——それは自然現象を呪うようなものだ——、むしろ、ナショナリズムがなぜそのよ うな形態をとっているのか、ナショナリズムがその母胎である社会を創造するにしても、どのように して社会から遊離しないようにしているのか、さらには現代文明の全体構造を解明することに多くの 時間を使う方がよいであろう」(107)
I
112
・【多様な国家領域=空間を統治するこ と】言語、人種、宗教……
・「われわれがインドの地方自治主義に ついて話している時には宗教の相違をもいっているのであり マラヤにおける地方自治主義を話している時は主に人種の遠いを、コンゴの場合だったら部族の違い を問題にしている。しかしこれらが一つの共通見出しでまとめられることは単なる偶然ではない。こ れらの現象は何らかの点で類似性をもっている。地域主義がインドネシアにおける政府に対する不満の の主題であり、モロッコの場合はそれは慣習の違いである。セイロンの少数派タミール人は宗教、言 語、人種、居住地域、社会慣習の違いによって多数派シンハリ人と区別される。イラクの少数派はシー ア派と多数派スンニ派を分けるものは実質的にはイスラム教内の宗派の違いだけである。アフリカに おける汎民族運動は主に人種に基づいているが、クルド地方では部族主義に、ラオスではシャン土侯 国に、タイでは言語に基づいている。しかしこれらの現象もすべてある意味でまったく同じものであ る。これらは一つの明確に規定しうる研究分野をなしているのである」(114)
・アイデンティティの探求(116)
・英文は本文中に"primordial"は110箇所以上に使われている
II
118
・【】
・「ここに含まれている問題の本質をよ り正確に言うと、新興国は社会として考えた場合、本源的紐帯 (primordial ties)に基づいた深刻な人心の離反をきわめて受けやすいということである。本源的紐帯と は、社会的存在 の「与件」——より正確には、文化とは必然的にそのような事にかかわるのであるから、「与件」とみ なされるもの——から生じるもの、つまり主として直接的接触と血縁関係を意味するが、さらには、 特定の宗教集団に生まれたということ、特定の一言語、場合によってはそのうち一方言をしゃべるとい うこと、あるいは特定の社会慣習に従うといったことに由来する所与性を意味する。血とか言語とか 慣習といったものを同じくするということはそれだけで、口では言い表わせない、時には圧倒的な強 制力をもっていると考えられている。人は事実上、血縁者、隣人、宗教を同じくする人びとに縛られ ている。それは個人的情愛や実際上の必要性とか共通の利害あるいは課された義務の結果であるだけ ではなく、少なくとも大部分はその紐帯そのものがもっている何らかの計り知れない絶対的な重要性 のためでもある。そのような本源的紐帯の一般的な強さ、またその中で どのようなものが重要なのか は人によって、社会によって、また時代によって異なる。しかしほとんど誰にとっても、どの社会で/ も、そしてたいていどの時代でも、そうした結びつきは社会的相互作用から生まれるというよりは、 むしろ自然な——人によっては精神的なと言うのであろう——親近感から生じるようにおもえる」(118-119)
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・本源的感情と帰属意識
・「新興国が直面している問題、つまり部族主義とか地域主義とか自治主義などとさまざまに呼ばれて いる問題を、とりわけ不吉で険悪なもの、深刻で解決困難なものにしているのは、まさに、本源的感 情と国民としての感情の間の直接的な相魁がこのような形で具体的に現われること——「他のどの集 団にも属したくないという強い願望」——なのである。ここで言っているのは単なる競合対立する帰 属意識のことではなく、同じ統合レベルにおける同じ範曙の対立する帰属意識である。どの国でもそ うだが、新興国でも他にたくさんの対立する帰属——階級、党派、仕事、組合、職業などの紐帯—— がある。しかしこれらの紐帯によって形成された集団は実際には自立可能な最大の社会単位、つまり/ 独立の一国家たりうるものとみなしえない。複数の帰属のあいだの葛藤が起きるのは、その政治的完 全性が原則として疑われることのない、ほぼ完全に受け入れられた終着共同体の中でのみである。し かも、その葛藤がいかに深刻なものになろうと、そのような集団としての存在そのものを脅かすよう なことは、少なくとも意図的にそうするようなことは、ない。脅かされるのは政府、あるいは政府的 なものであるが、しかし、最悪の場合でも——たいていは本源的感情が充満した時——、国家そのも のの基盤を危くすることはない。なぜなら、国家とは何であり、どのようなものであるべきかについ て、代案をもっているわけではないからである」(120-121)
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《本源的感情を支える要素》

・1. 擬似的血縁関係(122)
"Assumed Blood Ties. Here the defining element is quasi-kinship. "Quasi" because kin units formed around known biological relationship (extended families, lineages, and so on) are too small for even the most tradition-bound to regard them as having more than limited significance, and the referent is, consequently, to a notion of untraceable but yet sociologically real kinship, as in a tribe. Nigeria, the Congo, and the greater part of sub-Saharan Africa are characterized by a prominence of this sort of primordialism. But so also are the nomads or seminomads of the Middle East--the Kurds, Baluchis, Pathans, and so on; the Nagas, Mundas, Santals, and so on, of India; and most of the so-called hill tribes of Southeast Asia."

・2. 人種(122)
"Race. Clearly, race is similar to assumed kinship, in that it involves an ethnobiological theory. But it is not quite the same thing. Here, the reference is to phenotypical physical features--especially, of course, skin color, but also facial form, stature, hair type, and so on--rather than any very definite sense of common descent as such. The communal problems of Malaya in large part focus around these sorts of differences, between, in fact, two phenotypically very similar Mongoloid peoples. "Negritude" clearly draws much, though perhaps not all, of its force from the notion of race as a significant primordial property, and the pariah commercial minorities--like the Chinese in Southeast Asia or the Indians and Lebanese in Africa--are similarly demarcated."

・3. 言語(123)
"Language. Linguism--for some yet to be adequately explained reasons--is particularly intense in the Indian subcontinent, has been something of an issue in Malaya, and has appeared sporadically elsewhere. But as language has sometimes been held to be the altogether essential axis of nationality conflicts, it is worth stressing that linguism is not an inevitable outcome of linguistic diversity. As indeed kinship, race, and the other factors to be listed below, language differences need not in themselves be particularly divisive; they have not been so for the most part in Tanganyika, Iran (not a new state in the strict sense, perhaps), the Philippines, or even in Indonesia, where despite a great confusion of tongues linguistic conflict seems to be the one social problem the country has somehow omitted to demonstrate in extreme form. Furthermore, primordial conflicts can occur where no marked linguistic differences are involved, as in Lebanon, among the various sorts of Batak-speakers in Indonesia, and to a lesser extent perhaps between the Fulani and Hausa in northern Nigeria."

・5. 地域(123)
"Region. Although a factor nearly everywhere, regionalism naturally tends to be especially troublesome in geographically heterogeneous areas. Tonkin, Annam, and Cochin in prepartitioned Vietnam, the two baskets on the long pole, were opposed almost purely in regional terms, sharing language, culture, race, and so on. The tension between East and West Pakistan [now separated into Bangladesh and Pakistan] involved differences in language and culture too, but the geographic element was of great prominence owing to the territorial discontinuity of the country. Java versus the Outer Islands in archipelagic Indonesia, and the Northeast versus the West Coast in mountain-bisected Malaya, are other examples in which regionalism has been an important primordial factor in national politics."

・5. 宗教(124)
"Religion. Indian partition is the outstanding case of the operation of this type of attachment. But Lebanon, the Christian Karens and the Moslem Arakenese in Burma, the Toba Bataks, Ambonese, and Minahassans in Indonesia, the Moros in the Philippines, the Sikhs in Indian Punjab and the Ahmadiyas in Pakistan, and the Hausa in Nigeria are other well-known examples of its force in undermining or inhibiting a comprehensive civil sense."

・6. "習慣/慣習"
"Custom. Again, differences in custom form a basis for a certain amount of national disunity almost everywhere, and are of especial prominence in those cases in which an intellectually and/or artistically rather sophisticated group sees itself as the bearer of a "civilization" amid a largely barbarian population that would be well advised to model itself upon it: the Bengalis in India, the Javanese in Indonesia, the Arabs (as against the Berbers) in Morocco, the Amhara in-another "old" new state--Ethiopia, and so forth. But it is important also to point out that even vitally opposed groups may differ rather little in their general style of life: Hindu Gujeratis and Maharashtrians in India; Baganda and Bunyoro in Uganda; Javanese and Sundanese in Indonesia. And the reverse holds also: the Balinese have far and away the most divergent pattern of customs in Indonesia, but they have been, so far, notable for the absence of any sense of primordial discontent at all."

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[A] gross and merely empirical classification can nonetheless fairly easily be devised, and should prove useful as a rough-and-ready guide to a wilderness otherwise uncharted, and facilitate a more incisive analysis of the role of primordial sentiments in civil politics than is possible in terms of "pluralism," "tribalism," "parochialism," "communalism," and the other cliches of common-sense sociology:

1. One common and, relatively speaking, simple pattern seems to be that of a single dominant and usually, though not inevitably, larger group set over against a single strong and chronically troublesome minority: Cyprus with Greeks and Turks; Ceylon with Sinhalese and Tamils; Jordan with Jordanians and Palestinians, though in this last case the dominant group is the smaller.

2. Similar in some ways to this first pattern, but more complex, is that of one central--often enough in a geographic sense as well as a political--group and several mediumly large and at least somewhat opposed peripheral groups: the Javanese versus the Outer Island peoples in Indonesia; the Irrawaddy Valley Burmese versus the various hill tribes and upland valley peoples in Burma; the central plateau Persians and the various tribes in Iran (though, again, this is not strictly a new state); the Atlantic Plain Arabs encircled by the diverse Berber tribes of the Rif, the Atlas, and the Sous; the Mekong Lao and the tribal peoples in Laos; and so on. How far such a pattern is to be found in black Africa is unclear. In the one case where it might have crystallized, with the Ashanti in Ghana, the power of the central groupseems to have, at least temporarily, been broken. And whether in a new state the Baganda will be able to maintain [or, perhaps now, regain] their dominant position vis-a-vis the other Uganda groups through their greater education, political sophistication, and so on, and despite their comprising but about a fifth of the population, remains to be seen.

3. Another pattern that forms an internally even less homogeneous type is a bipolar one of two nearly evenly balanced major groups: Malays and Chinese in Malaya (though there is also a smaller Indian group); or Christians and Moslems in Lebanon (though here both groups are actually aggregates of smaller sects); or Sunnis and Shiis in Iraq. The two regions of Pakistan, although the Western region is far from wholly homogeneous within itself, gave that state a sharply bipolar primordial pattern, which has now torn it in half. Vietnam before partition tended to take this form--Tonkin versus Cochin--this problem now having been "solved" with the assistance of the great powers, though reunification of the country might revive it. Even Libya, which has scarcely enough people to develop decent group conflicts, has something of this pattern with the Cyrenecia-Tripolitania contrast.

4. Next, there is the pattern of a relatively even gradation of groups in importance, from several large ones through several medium-sized ones to a number of small ones, with no clearly dominant ones and no sharp cut-off points. India, the Philippines, Nigeria, and Kenya are perhaps examples.

5. Finally, there is simple ethnic fragmentation, as Wallerstein has called it, with multiple small groups, into which somewhat residual category it is necessary to toss much of Africa, at least until more is known about it.14 One proposal, issuing from the nothing-if-not-experimental Leopoldville Government, suggesting a grouping of the Congo Republic's estimated two hundred and fifty or so separate tribal-linguistic groups into eighty autonomous tribal regions, which would then be organized into twelve federated states, gives something of an indication of the extent to which such fragmentation can go, and the complexity of primordial allegiances it may involve.
III
134
・【本源的感情の管理という難問】
・「本源的感情を囲内秩序の中に封じ込めることは、政治的近代化というものが本来そのよう な感情を静めるのではなくむしろひき起こす性質をもっているため、一層難しい。主権のあり方が植 民地制から独立政治体制に変わるということは、単に権力が外国人の手から自らの手に移るというこ と以上のことである。政治生活の全パターンが変わるということであり、支配されていた者が国民に 変身するということなのである。植民地政府は近代以前のヨーロッパの貴族政治体制のイメージで作 られていたので、同じように無関心、無理解である。つまり彼らは自分たちが支配している社会の外 にいるのであり、またその社会に対する働きかけは気まぐれ的でむらがあり、することに一貫性がな い。これに対して新興国の政府は、少数独裁的ではあっても、国民と無関係ではありえず、国民に注 意を払っている。その政府は支配している社会の真只中にあるのであり、政府の成長につれて社会に 対する働きかけはより持続的、包括的で目的をもったやり方でなされるようになる」(134)

IV
146
【インドネシア】148
【マラヤ】153
【ビルマ】159
【インド】164
【レバノン】170
【モロッコ】176
【ナイジェリア】184

V
190
・【結論】
・「本稿で分析した事例すべてにわたって、発展に関して少なくとも一つの共通した傾向がうかがえる。 すなわち、他から明確、厳密に区別された伝統的な本源的集団を、より散漫な単位にまとめあげるこ とであり、その単位の暗黙の準拠枠は特定の地域の揚ではなく「国」である——社会全体が新しい市 民国家に取り固まれているという意味で——。その一まとめにする際の主原理はさまざまである——/ インドネシアの場合は地域、マラヤでは人種、インドでは言語、レバノンでは宗教、モロッコでは慣 習、ナイジェリアでは擬似的親族関係——。ミナンカパウ族であるに加えて外島民ともなる、ドゥレ ング族であるうえにカチン族になる、マロン派であると同時にキリスト教徒になる。単なるエグバ族 というよりヨルバ族となる、といったことも含めて、そのプロセスは、どこまでそれが進んでいるか は国によっても、また同じ国の中でもいろいろではあるが、共通している。それは、各地域の場で文 化的に異なる諸集団が長期にわたって直接接触することによって生じる本源的な同類感と異類感、が 国際社会の枠組の中で同様の相互活動を行なうより大きく定義された集団にまで拡張されることであ る」(190-191)

Culture and politics in Indonesia / ed.by Claire Holt, thaca : Cornell Univ.Press , 1972 の書評論文

I
208
・「一国の政治はその文化のデザインを 反映している」(208)
II
212

III
218
・正統性の問題;「正当性という古典的 な問題——いかにして一部の者は他の人びとを支配する権利を受けるようにな るのか——は、長期にわたる植民地支配の中で、規模は全国的であるが実体はそうでない政治システ/ ムが形成されたような国では、とりわけ深刻である。国家が、単に大権を掌握し自らの国民から己を 守ること以上のことをするためには、その行為は、その国家を自分たちのものとみせかけられている 人びと、つまり国民に密着しているように——すなわち、意味を拡大、敷衍すれば、彼らの行為であ るかのように——思わせなければならない。これは単なる合意の問題なのではない。人は、自分自身 の行為を、自身がそれを行なったのだと認めるためには、その自身の行為を是認する必要がないのと 同じように、政府の行為を、それに自身が組み込まれているものとみなすためには、その政府の行為 に賛同する必要はない。これは直接性の問題であり、国家の「行なう」ことを、もともとは熟知し理 解可能な「われわれ」から発しているものとして経験する、ということの問題である。何らかの心理 学的手品的な説明がいつも政府の側、また最善の場合にはその国民の側で用いられる。しかし、国が 二百年以上も外国人によって統治されていた揚合には、統治者が交代したにしても、それよりはるか に巧妙なトリックを必要とする」(218 -219)
IV
222

V
228
・別のアポリア:「社会科学者がどう主張しようと、社会現象の中には、 それが与える影響が直接的で深甚、あるいは 決定的なものでありながら、それが本当に起きるまで、その重要性を正しく評価することができない ものがある。そのようなもののひとつに大規模な内乱があることは確かである」(228)
・論文の末尾は、ブルクハルトの引用で締められる。
・【論文の末尾はのブルクハルトの引用】
・「異なる民族聞の大小さまざまな違いを一不すことは可能かもしれないが、それらを公平に評価す るということは人間の洞察力には与えられていない。一民族の性格、良心、罪について本当のこ とは永久に分らない。欠点も、それが特性、時には美徳として現われるような側面をもっている のであるから。全民族について十把一からげ的な批判をすることが好きな者にはそうさせておけ ばよい。ヨーロッパの人びとは、たがいにひどい扱いをすることはありえでも、たがいを審査す/ るということは幸いにしてできない。現代社会のあらゆる面におのれの文明や業績を織り込んで いる偉大な民族は、その弁護者と告発者のどちらをも無視することができる。理論家の許可など あってもなくても、どちらでもよいのだ[J. Burckhardt, The Civilization of the Renaissance in Italy, 1954:318]」(233-234)


I
238

II
244

III
255
・【結論】「……政治家というのは二面 性 をもっているものであって、いずれの面も確かにあるのであり、そういう複雑な立場にいるのだ、と 分け知り顔に言うことも、正しくないであろう。彼らについて確信をもって言えない、少なくともは っきり、詳しく分っていないのであるなら、その入り混った声を分別して、彼らがそれぞれ何を言っ ているのかを聞き出し、そのイデオロギー傾向を正しく見きわめられるようにしなければならない。 そのようなことをするためには、過去の攻治が現在の政治に及ぼしているイデオロギー上の影響 ——今の場合で言えば模範的リーダーシップ、衰退するカリスマ力、演劇的国家術——を正確に測定/ することが必要不可欠である。そして、最後にもう一言いわせてもらえば、人類学はそ のようなこと を行なうのに理想的な立場にある。少なくとも、人類学が、太平洋のある島で、ともすれば忘れがち であったこと、つまり、その島は孤立してあるのではない、ということ を今思い出すことができるな らば」(260- 261)
脚注
261


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