はじめによんでね!

責任論

On Responsibility

池田光穂

ミハイル・バフチンの用語では言表 (utterance)と表現さ れているものには、なんらかの責任性が伴っている。言表のもっとも典型的な例は、現代社会を生きる私たちにしばしば要求される説明責任 (accountability)である。しかしながら説明 責任が発生する論理的前提には、その発話「以前に」対話者からの呼びかけに応える実践から生まれる責任すなわち、応答責任 (responsibility)があり、この応答責任とは対話の連鎖のなかで他者がしばしば要請するものである。私たちが実践をとおして発話をし向ける 理由であると考えられるこの2つの責任は、対話が用意する発話者と応答者のあいだの論理、すなわち対話論 理から論理的に引き出せるものであり、それは降って湧いたような近年流行りの「科学者の社会的責任」や「技術者倫理」のような命令語法的な教育上の原理で はない。公害運動に携わってきたまさに英雄的と後に称されるようになる研究者たちが、価値中立を護持する御用学問から、苦悩する民衆と共にある「生きた 学問」に転向する契機になるエピソードとしてしばしば語られるのが、研究室を出て人びとの生活と同じ水準に立った時に直面したときに、フィールドにいる人 たちに対して目撃者になりながら、他方で自分たちを表現する言葉を失うことである。失語症ならぬ失対話症に陥ってしまうのだ。それは本来、大学という社会 空間が市井の人たちと対話を可能にする言語も持っておらず、より積極的に言えば、その動機や欲望すら持たなかったからである。市井の人たちを市民と言い換 えたときに、問題に「関心あり憂慮している人」びとであると、ある種のパターナリズムの対象化していることは、やは り対話の相手としての市井の人よりも、何かをしてあげたいという屈折したパトロンの論理がかいま見える。私たちが失対話症に陥るのは、空疎で抽象的な対象 を対話者に仕立てるシャドウボクシングであり、それはモノローグを続けることに他ならない。モノローグに他者は不要だからだ。失対話症とは、失対話者症、 すなわち自分と同一性をもちながら同時に差異を絶対に消失させない他者の存在の欠如の状態のことである。すなわち、対話行為とは責任性がともなう実践なの である。

★ヤスパースの『戦争の罪』を受けて、鶴 見俊輔(1991:168)は「責任」をつぎの5つのカテゴリーに分類する。

●責任論リンク集

環境汚染の責任を誰が負うべきか?
事 後的な環境汚染の除去などの費用負担は、現在では「汚染者負担原則」 (Polluter-Pays Principle, PPP)と言われるが、これはOECDが1972年に採択したものに由来する。したがって、公害も同様、受動喫煙の咎は、日本たばこ株式会社(JT)とそ の大株主の日本政府が負うべきなのである。
見ることの責任性
見ることが、無条件に〈責任の関係〉を つくってしまうとは考えられないように思われる。見ることが〈責任の関係〉をつくりあげる条件とは何 なのか? 臨床コミュニケーションの観点から考えてください。
研究不正とどのように向き合うか?
〈現場から考える〉とは,……応答責任 と説明責任を,実践の現場で発話——正確には対話——をとおして言語化することである。倫理性 とは,私たちの相互作用の実践中から生まれるが,行為は発話性という性格を持つのだ。
刑法39条をめぐって
刑法第39条「1.心神喪失者の行為 は、罰しない。 2.心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」
犠牲者非難
犠 牲者非難とはvictim blaming の訳語で「その人の不幸を自業自得であると非難する」という言語行為をさします。「肺ガンになったのは、おまえがタバコを吸っていたからだ」 、「性病になったのは、遊びすぎたんじゃない?」 、「いじめは、いじめられる側にも原因がある」という構図をもつ責任追及の論理で、病気になった「犠牲者」を結果的に非難することです。これらは、原因と 結果を客観的に関連づけるという検証思考を停止して、《自分がそう思う偏見を自己正 当化する完全な誤った判断》です。
安心して徘徊できる社会は可能か?
2016 年12月8日朝日新聞において報道された、同年12月1日の民事訴訟の最高裁判決を報じる記事は、認知症の人を「安心して徘 徊させる社会」が未だ到来していないことを示唆する重要な指摘があると私は判断しました。なぜなら、JR東日本の車両に飛び込んでしまった当時91歳の老 人は事故でなくなり、その民事賠償責任を問う裁判が10年近くおこなわれたからです。今般のケースは、日ごろの介護努力があり、徘徊させてしまったがゆえ の鉄道事故に関して、賠償責任を問うことができないと最初に判例が決定したことになります。そのことについて詳しく解説してみましょう。

リンク

文献

  • 鶴見俊輔「戦争責任の問題 (1959)」『鶴見俊輔集9 方法としてのアナキズム』pp.159-172、筑摩書房、1991年
  • Die Schuldfrage  / Karl Jaspers ; herausgegeben von Dominic Kaegi, Schwabe , 2021 . - (Karl Jaspers Gesamtausgabe, Bd. 1/23)
  • 責罪論  / カール・ヤスパース [著] ; 橋本文夫訳, 理想社 , 1965 . - (ヤスパース選集, 10)
  • その他の情報

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