TITLE>〈出産〉を経験するということ
Copyright (c) Kyoko SHIMAZAWA, 2003
〈出産〉を経験するということ
——モン・クメールの人々と近代的〈出産〉——
嶋沢恭子
<出産>を経験するということ
−モン・クメールの人々と近代的<出産>−
嶋澤恭子 (熊本大学大学院社会文化研究科)
Copyright (c) Kyoko SHIMAZAWA, 2003
【注】
(1)私が学んできた助産とは医療の中で管理された出産、つまり病院での出産を対象にすることを前提に教育され、また実践されてきた助産のことである。日本での助産は看護教育が前提にあるため、正確には看護婦助産婦(Nurse-Midwife)である。カナダ、オーストラリア、アメリカなどの先進国では看護教育を前提としない(生物医学モデルを中心に学ばない形での)Direct-Entry制の助産教育が登場している。
(2)調査助手のカイ(32歳)は1児の母であり、プロジェクトが契約調査員として採用したラオ・ルムである。彼女は大学の英文科を卒業後、援助団体の臨時スタッフとして働いた経験を持つ。運転手のウー(45歳)は元軍人で長期にゲリラ戦を戦ったラオ・ルムである。郡保健局の医師はD郡ではモン・クメール系のカム(50歳)、L郡ではラオ・ルムで医師のサイ(40歳)が同行してくれた。
(3)第1に、患者は膀胱結石除去手術の際の姿勢にさせられる。つまり「仰向けに横たわり、足を宙に上げて、曲げて開き、あぶみで押さえる」姿勢である。第2に、母親になるはずの女性は、手術の第1段階から鎮静剤を服用させられる。第3に、胎児が通らなければならない産道を広げるために会陰切開が行われる。最後に分娩をより効果的に行うために鉗子が用いられる[リッツァ1999:269]。
(4)助産婦が、出産の中心から周縁へ排除される興味深い記述として、フレクスナー報告書が挙げられる。1910年、「フレクスナー・レポート」によって、医学は規制された職業に高められたと讃えられている。ところが、この勧告の中には、「助産婦を出産の世界から一掃して産科医の立会いを推進し、産科の診察料を引き上げてこの分野に優秀な人材が入ってくるようにするため」キャンペーンを行なうという項目もあった。この助産婦排除キャンペーンの裏には、産科医たちの臨床経験の不足も問題があった。もし、「施療患者」になってくれる貧しい女性たちが助産婦を求め続けると、医学生に診察させる患者がいなくなってしまうだろう。助産婦に対する攻撃は、施設出産へと向かう波と一緒に高まった。しかも、この変化は、火付け役の医師だけが進めたのではなく、すぐに、女性達自身がその推進力になった。科学的に見えるものは全て崇拝する風潮の中で、もはや助産婦を呼んで出産するのは、医師の料金を払えない女性か、知能に問題がある女性だけだった[鈴木1997:271]。
(5)物理的に体内でとまった胎児を出す鉗子という新しい器具は一世紀もの間チェンバレン一族だけの秘伝として、一家に富と名声をもたらした。それまでは胎児を取り出すために手術をしたり砕頭器などで頭を潰すなどの手段を用いたりしていたので、母子を傷つけないこの方法は、当時爆発的に普及する[Edwaeds and Waldorf 1997:183‐184]。
(6)1970年代までには、アメリカに特徴的な「自然分娩」が提供されるようになった。アメリカの自然分娩はラマーズ法に会陰切開+鉗子+麻酔を組み合わせたものであった。安全・迅速・快適及び自分自身の主体的努力が全て含みこまれるというのである。この時期に、「自然出産」ではないとされていたのは、「無痛分娩」と「帝王切開」の二つであった[鈴木1997:223]。
(7)ラマーズのテクニックはソ連の生理学者パブロフと彼の有名な涎をたらす犬に由来する。強い子宮収縮をもうすぐ赤ちゃんが生まれる喜びの信号として受け止めるような条件反射を作ろうとし、それが成功して出産の痛みをなくす実用的な方法となった。それはソ連政府が全ての産科病棟に義務付けるほど大きな成果を上げた。
(8)フランスで精神予防性無痛分娩と呼ばれたこの陣痛コントロール法は大きな論争を呼んだ。出産を扱ったためか、ソ連の理論であるためか嫌悪感を抱かれた。ラマーズ法は、本国フランスでは精神予防性無痛分娩psycho-prophylactic method、あるいはASD:accouchement sans douleur(無痛分娩)とよばれた[Edwaeds and Waldorf 1997:79]。
(9)ブラジルのフォルタレーザでの行われた「望ましい産科技術」に関する会議で決議されたWHOの出産勧告のこと。
(10)バースマシンとは産前、出産、産後に使用される一連の医療介入のことで、その多くは技術的なものである[Wagner2002:4]。
(11)Austro-Asiatic言語グループに属し、今日のタイ人やミャンマー人が東南アジアの大陸部で支配的な言語集団となる以前にそこの住人であった人々が話す言葉を、ひとまとめにモン=クメール系諸語という。東南アジア大陸部の先住民族という扱いもされる[林1999]。全部で32民族あるが話す言語によって8つの下位グループに分けられる(付録:表1)。異なるグループ間での言語コミュニケーションは難しい。人口は約120万人でラオス総人口の22%を占める。[Chazee1999:51]。
(12)モン・クメール系諸族語の最大民族グループはカム(kammou)であり、おもに北部ラオスにいる。南ラオスにはアラック(halak)、タリアン(talieng)、カトゥ(katou)などの民族グループがいる。ラオスではモン・クメール諸族語を話す人々を一般にラオ・トゥン(中地ラオ人)の呼び名で呼ぶ。本稿では説明のない限りにおいてセコン県のモン・クメール系のアラック(halak)、タリアン(talieng)、カトゥ(katou)をさす。
(13)言語集団分類や民族誌では、ラオは言語文化的にタイ語族であるとともに、独立した民族名称として存在する。ラオとは、今日標準的な言語集団の分類では、タイ語諸族(Tai speaking People)のひとつになる。李方桂(Li Fang-kuei)の三分法にしたがうと、タイ・カダイ系諸語に属するカム・タイ語群チュワン・タイ語群の、南西タイ諸語に分類される言語の話し手である(紅河より南西部のタイ)[三谷1984:65-66]。
(14)クンブロム『クンブロム(・ラーサーティラート)』(「(王の中の王)クンブロム」)の物語で、これはラオスの建国物語として、時代を重ねるごとに修正、加筆され、いまでも人々の間で語り継がれる物語として知られている。瓢箪の数には1つから3つまで、伝承により違いがある。しかし、諸伝承に共通して、「タイ」である人々が現れると同時に、けれども彼らの出てきた穴とは別の穴から「カー(奴隷:ラオ・トゥンの意)」たちが出現する。こうして神話的な原初において天から直接降下した支配者と2種の民の別が明らかにされる。やがて成長したクンブロムの7人の息子は天の定めにより、各地を治めに出立する[飯島1996:14]。
(15)タイはフランス領「ラオス」王国の誕生がもとで、東北タイの「ラーオ州」が「ラオス」と混同され、同一視されるのを恐れて州名を変え、東北タイのラオ族が「ラオス」国民でないことを示し、同化を急ぐため、種族名の使用を禁じたのである[吉川1992:283]。
(16)現行のラオスにおける地方行政区分:「州(Province,Khoueng)、特別市(Municipalities, Kampheng nakhon)、郡(Districts,Muang)、村(Village,baan) 」は1991年の憲法で定められている。特別市は州と同格の地位を有する。州が16、特別市1(ビエンチャン特別市)、特別区(サイソンブーン特別区)、郡が139、村が1047であるが、郡および村の新設・廃止については見なおしや変動が見られる[自治体国際化協会2000:25]。
(17)ラオス人口センサス2000より。
(18)ベトナム戦争の影響下で山岳地帯の広がるラオスにおいてはゲリラ戦が繰り広げられていた。
(19)チンタナカン・マイ以降の人類学的な研究としては開発援助に絡んだものが多いが、例えばエバンズは自らが編集したLAOS:CULTURE AND SOCIETYの序文で、ラオスの文化と社会についての新しい学識による初めての作品であると書いている[Evans 1999] 。その他、Chazee[1999]、林[2000]などが挙げられる。
(20)1978年に世界保健機構とユニセフがカザフスタン共和国のアルマアタで宣言した保健の理念と施策であり、健康の達成には、政治経済の安定や住民の自助努力が不可欠であるとした[池田2001:53]
(21)著者が関わったのはこの保健政策マスタープラン2020作成のための開発調査である。
(22)ラオスにおいてTBAは多義的な言葉であり、しばしば政策会議の場面でも取り扱いが一様でなく問題とされている。政府や援助団体などの研修を受けた出産介助者(Trained Birth Attendants)を意味したり、慣習的に出産介助をする女性(Traditional Birth Attendants)を意味したりする。ラオス語においてもモー・タム・ニェー(伝統的産婆)やプー・スエイ・クーッド(出産を助ける人)などと呼ばれる。
(23)ここでは、当人の困惑、夫の意見を尊重すること、妊娠・出産に関するさまざま迷信をあげている。
(24)現在ではラオス愛国戦線(Lao Front for National Construction: LFNC)が定めた47分類が公式な民族分類とされている。しかし、LFNCではEthno-Linguisticの視点から分類を見直し、2000年8月の会議において新しい49民族分類を提示した(付録:表2)。
(25)2001年、入院する友人への面会を兼ねて病院を訪れた際の会話より。
(26)ナンファイ(na:ng fai: )、ユーファイ(yu fai: )、ユーカム(yu kam )など、地方によって呼び名、方法とも少しずつ異なるが、東南アジアで広く知られるroasting motherといった産後の習慣のひとつである。産後一定の期間、産婦の身体を温めるために炭火にあたって過ごすことを言う。この地方では、産婦が竹で編んだ低いいすに腰掛け、その下から炭火で暖める方法が一般的だという。
(27)会陰切開という用語は1857年ブラウンによってはじめて使用されたが、彼はこれを不必要で勧めない処置としている[インチ1991:171]。
(28)モン・クメールの一つで民族名をアラック(halak)という。ラオス南部のセコン、サラワン、アタプーに多い。ラオスでの人口は16594人[NDC 1995]。
(29)モン・クメール系のひとつで民族名はタリアン(Taliang)という。23091人[NDC 1995]が、おもに南ラオス(セコン・アタプー)の標高300から1000メートルの山岳地帯に住む。タリアン語(無文字)を話すが男性の多くはラオ語を理解する。30から70戸がひとつの村を形成する。山岳焼畑を4‐20年周期で、雨季には不定期に水田を行う。アニミズム信仰であり精霊儀礼は村のコミュニティーハウスで行われることが多い[Laurent Chaz_e 1999:86]。
(30)セコン県D郡D村。22家族 人口220(男100女110)で、移動焼畑と水田を生業とする。
(31)例えば、家の精霊に対しての尊敬の表示とは、家屋の掃除、家族の調和、夜は静かに過ごす、訪問者も尊敬の念をもつことなど。一度怒らすと供儀や儀式を行わねばならない。ピーを尊敬するということは法律みたいなもので、良い秩序において皆が仲良く過ごすことである。
(32)ラオス北部に住む同じくモン・クメール系のカム(kmhmu)はヒイーット・サンコム(hit sa:ng ko:m:社会慣習を破る)といって、もともと身体にあるクアン(魂)が逃げてしまって身体にいないと言う理屈から、そのクアンを呼び寄せる儀礼である。呼び寄せをする行為者は一般的に家長である男性が行うようである。夕方から夜にかけて、貝殻や動物の角のついた襷(たすき)を身にまとい、片手には松明、もう片手には魚網(どの家にも必ずあるもの)に鶏肉とご飯を入れたものをもち住居の外の階段、庭先の道、川岸にクアンを探しに呼び回る。
(33)ユ—カム(yu kam)や ナンファイ(na:ng fai: )ともいう。
(34)体液性医学と「熱い/冷たい」の理論でヒポクラテス身体の4つの要素(土、火、空気、水)と対応する4つの体液(黒胆汁、黄胆汁、血液、粘液)組み合わせの変化で4つの自然の特性(熱い、冷たい、湿潤、乾燥)が特徴付けられる。
(35)モン・クメールの一つで民族名はンゲ(nge)と呼ばれる。サラワン、チャンパサック、セコンといったラオス南部を中心に居住する。アニミズム信仰で人口は12189人[NDC 1995]である。
(36)出産を待つ家の歴史としては「20世紀のはじめ頃から北ヨーロッパ、カナダ、USAに存在したMWHは産科施設の少ない地理的に辺境の地域の女性に提供するものであった。ヨーロッパの地域共同体(フィンランドなど)の看護婦寮はいくつかの用途で「患者ホテル」に転換した。」[WHO1996]
(37)モン・クメールの一つで民族名はカトゥ(katou)という。ラオスでの人口は17024人[NDC 1995]。ベトナムから南部ラオスのサラワン、セコンにかけて居住している狩猟民族といわれるが、現在では農耕も行う。セコン県L郡にあるT村。1区と2区に分かれておりカトゥは2区に住む。もともとアラックの人が戦乱で逃れてこの地に住むようになったあと、86年にカトゥが住むようになったという。
(38)セコン県L郡にあるN村。1994年にとなりのK郡より移動してきた。
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