我々はすべてサイボーグであり、その考え方を敷衍すると我々はすべ て草薙素子である
Why is the prosthetic body of Motoko Kusanagi, "Major," hyper-glamorous* ?: An anthropological question
池田光穂/Oxlajuuj Tijaax
当初クレジット:草薙素子の義体(擬態)はなぜムチムチの裸体なのか?:Why is the prosthetic body of Motoko Kusanagi, "Major," hyper-glamorous* ?: An anthropological question
攻殻機動隊の草薙素子(くさなぎもとこ)の義体(サイボーグ化したメインの身体)は、なぜムチムチの身体であるのか?というのが、ここでの 疑問である。
士郎正宗の原作における素子のキャラがそうなのだから、そうに決まっているというのが最初の答 え。
ダナ・ハラウェイ(2007:209-210)はサイボーグのジェンダーは女性であるとすら言っ ている(ただ女性とムチムチは一義的な関係ではない)[→リンク]
いやいや『仙術超攻殻オリオン ORION』や『アップルシード』の中に登場する女性キャラがその起源であるというのが、職場の同僚で友人の久保田テツの主張。なお、ご丁寧なことに単行 本『仙術超攻殻オリオン ORION』の版元は青心社である。
でもなぜグラマラスな女性——しかしバイオレントであるがエロティシズムに欠ける/ないしは過剰 な——が、あるいはバイオレントさにおいては両性具有な、このキャラはいったい何なのか?
素子との対比の中では、荒巻、バトー、トグサには限りなく[これまで]女性性の代表とされてきた 気遣いや配慮というものがみられる点で、むしろ、彼らのようなバイプレイヤーとの込みの中で「統一したジェンダーの調和」が保たれている。
このような現象は『エヴァンゲリヲン』における、シンジと綾波レイ(あるいはアスカ・ラング レー)、あるいは『オトメン(乙男)』の正宗飛鳥と都塚りょうの関係の中にもみられる。神話学的な関心からは、[通常の婚姻規範では禁忌とされる]キョウ ダイ近親婚を暗示するが、セックスとジェンダーの二項間の相補性に関する議論を喚起する。
つまり攻殻機動隊の個別の登場人物(本質を形成しない身体)のなかに、ジェンダー性を投影するこ とそのものが、物語の本質からみれば余計なノイズなのかもしれない。——押井守監督の『イノセンス』が平凡なサスペンス[他方で安心して情景CGを楽しめ る]に見えるのは草薙が登場しないからかもしれない。
にもかかわらず草薙素子の身体が気になるのは、我々の身体への自己意識がつねに(時代と社会が押 しつけてくる)ジェンダー性にもとづいて「構築」されているからだろう。
攻殻機動隊』の登場人物・草薙素子(くさなぎ・もとこ)のように、大脳と脊髄の一部のみ生体で残 りは義体(「義肢」概念の延長 上に造語された義身体、「ぎたい」と呼ぶ)になると、それは果たして身体性を基調とする人格(パーソナリティ)を持ちうるのかという議論はしばしば我々は 耳に する。しかし、2nd GIGのエピソード11「草迷宮」(affection)に みられるように、草薙はもともともっていた少女の身体という艤装がほどこされ、さらに成長に 応じて身体化をとげた(=「立派な義体使いとなる」)と説明されているので、彼女の脳は、つぎつぎと成長してゆく身体とともにアイデンティティを形成した もの と思われる。またこのことにより、彼女は色気と戦闘的攻撃性という両極端な女性性——それはともに公安9課での秀逸な活動を保証する——を具有している [→出典:サイボーグ]。
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動物化したポストモダニスト・東浩紀(1971- )の説明は[もはや草食系/肉食系と動物のメ タファーそのものが二元論化しつつポストポストモダン状況?にある我々からみればレトロで牧歌的な意見であるが]単純明快であり、[プレモダンを生きる] 私の蒙を拓かせてくれた。
「動物化の流れを念頭に置けば、……はるかに簡単に説明できるように思われる。動物的な欲求 と人間的な欲望が異なるように[これはアレクサンドル・コージェヴのヘーゲル読解にもとづく動物/人間の二元論である——引用者]、性器的な欲求と主体的 な「セクシュアリティ」は異なる。そして、成人コミックやギャルゲーを消費する現在のオタクたちの多くは、おそらく、その両者を切り離し、倒錯的なイメー ジで性器を興奮させることに単に動物的に慣れてしまっている。彼らは10代の頃から膨大なオタク系性表現に曝されているため、いつのまにか、少女のイラス トを見、猫耳を見、メイド服を見ると性器的に訓練されてしまっているのだ。しかしそのような興奮は、本質的には神経の問題[ママ]であり、訓練を積めばだれでも掴めるものでしかない」(東 2001: 130-131)
セクシュアリティと表象を強い関係で結びつける東の意見に私は首肯できない。むしろ、表象を読み とることには、つねに一定の文化的様式がありあり、その記号表現の独自性と、それ自体でのダイナミズムについて考えるべきなのではないかと、私は彼の所論 を読みながら感じた。[→関連リンク]
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「各人に性差形成を施すこと。それはこのような(→『歌う船』のヘルヴァのことをさす:引用者註)社会構造におけるかぎり、必要悪なのではある まいか」——ジェシカ・アマンダ・サーモンスン(Jessica Amanda Salmonson, 1950-)[サーモンスン 2001:228]
*The Oxford English Dictionary mentions that the word means not only "[o]f or relating to nude or topless modelling or photography, as glamour model, glamour photography, etc. ," but also chaming as a necromancy.
クレジット:我々はすべてサイボーグであり、その考え方を敷衍すると我々はすべ て草薙素子である(Why is the
prosthetic body of Motoko Kusanagi, "Major," hyper-glamorous* ?: An
anthropological question):旧タイトル:草薙素子の義体(擬態)はなぜムチムチの裸体なのか?
資料:ジェーン・フォンダ主演『バーバレラ』("Barbarella," 1968)日本公開版のポスター
参考文献
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099